四次元ポケットの煎餅と、新しいお兄ちゃん
ぬかるんだ北ウォー沼の道無き道を、はじめは鍵を変化させた白銀の剣を振るって進んでいた。
襲い来る不気味な魔物たちを、剣の補正能力を頼りに次々と斬り伏せていく。
その後方では、万が一の事態に対処するためにクレアが鋭い視線を光らせていた。
さらにその後ろでは、イオリが両手を胸の前で組み、はじめの頼もしい後ろ姿を熱を帯びた瞳でじっと見つめている。
マナは「何か面白い事が起こらないかなー」と、緊張感ゼロでキョロキョロと周囲を見回していた。
そして、カエデは……。
『バリッ! ボリボリボリッ!』
なんと、沼のど真ん中を歩きながら、またしても大きな醤油煎餅を呑気に齧っていた。
実はカエデ、精霊狸としての力の大半を失ってはいたものの、わずかに『空間収納魔法』を使うことができた。
とはいえ、人を隠せるような大きなスペースは作れず、ちょっとした小物を入れる四次元ポケットのようなスペースしか維持できない。
今食べている煎餅も、道中で小腹が空いた時のためにそこから取り出したものだった。
「やっぱりさぁ……」
カエデは煎餅をボリボリと食べながら、横を歩くイオリにジト目を向けた。
「男の子同士の恋愛を大っぴらに認める訳にはいかないのよね、カエデさんとしては」
突然の恋愛指南(?)に、イオリはビクッと肩を揺らした。
「あぅ……ど、どうしたらいいのでしょう……」
イオリは不安そうな、そしてどこか縋るようなウルウルとした目でカエデを見つめ返した。
男の子だとは分かっていても、その仕草は完全に庇護欲をそそる可憐な美少女のそれだった。
カエデは「うーん……」と腕を組み、ポンッと手を打った。
「あ、お兄ちゃんとかはどうかな? はじめちゃんのことをお兄ちゃんって呼べば、妹ポジションで距離が近くても不自然じゃないし!」
「お、お兄ちゃん……っ!?」
バキィッ!
その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、はじめは激しく動揺し、足元を滑らせて剣の軌道が完全に鈍ってしまった。
(イオリが、俺を『お兄ちゃん』って呼ぶのか!? リフリッジだけでも手一杯なのに!)
その致命的な隙を、沼の魔物が見逃すはずがなかった。
「ギシャァァァッ!」
泥の中から飛び出した魔物が、はじめの死角から鋭い爪を振り下ろそうとする。
「危な――」
はじめが迎撃が間に合わないと悟った、その瞬間。
ズバァンッ!!
背後から凄まじい速度で飛来した炎の刃が、魔物を一瞬にして消し炭に変えた。
察知したクレアが、瞬時に片付けてくれたのだ。
「やれやれ。気が散っているじゃないか」
クレアは白衣を揺らしながら歩み寄り、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべてはじめの肩を叩いた。
「お嬢ちゃん達が、後ろであんたの処遇について楽しそうに話してるぞ。
ちょっと話に混ざってみてもいいんじゃないか? ここは私が見ておくからさ」
「……すまん」
はじめはバツが悪そうに剣を下ろした。
命を助けてくれたイオリの手前、完全に否定して無碍に扱う訳にもいかない。
はじめはため息をつきながら、少女たちの輪へと歩み寄った。
「あ、はじめさん……!」
はじめが輪に参加してくれたのを見て、イオリはパァッと花が咲いたように嬉しそうな表情を浮かべ、しっぽを激しく揺らした。
しかし、提案者であるカエデは、口に煎餅をくわえたまま不思議そうな顔ではじめを見た。
「あれ? まだ沼の途中なのに、はじめちゃんなんでこっちに来たの?」
(お前が変な提案をして動揺させたからだろうが……!)
はじめは心の中で盛大にツッコミを入れたが、カエデのあまりの天然っぷりに言葉が出なかった。
そして、ふと横を見ると。
マナが腕を組み、目を閉じてウンウンと深く頷いていた。
その顔は、「ふふん、私こそが百戦錬磨の恋愛の達人よ」と言わんばかりの、とてつもなくドヤ顔の『恋愛マスター』のそれだった。
(いや、お前はさっきから一言も喋ってないだろ……)
北ウォー沼の泥道で、はじめの胃痛の種はまた一つ増えようとしていた。




