精霊の解放と玉座の吐血
『私はね、はじめ。今の時代を生きている存在ではないの』
頭の中に直接響くアンナの透き通った声に、はじめは耳を疑った。
「……は? 今の時代を生きている存在じゃないって、どういう意味だよ! アンナ、お前一体……」
『今はまだ、分からなくてもいいわ』
混乱するはじめの問いを、アンナの精神体は静かに、だが強い意志を持って遮った。
『とにかく、あなたは「鍵」を探して。
私がさっき展開したような鍵……全部で7本あるわ。
この世界に散らばったその鍵は、おそらく、あなたにしか探し出せない』
「俺にしかって……なんでそんな事がわかるんだよ!」
『気を失っているこの子……マナの精神と、今、深く繋がっているからよ』
はじめが足元を見ると、黒い煙を吐き出して倒れた幼いマナが、苦しそうに寝息を立てていた。
アンナの精神は肉体を失った後、この強大な魔力を持つ少女の精神の海へと一時的に退避し、そこで世界の深淵に触れる何らかのビジョンを見たようだった。
『カエデ。聞こえるわね』
「ポンッ……」
『お願い。ポン吉の力を、全部使って』
アンナの無茶な要求に、タヌキの姿をしたカエデ(ポン吉)は一瞬ビクッと身を震わせた。
しかし、すぐに覚悟を決めたように短く鳴くと、大地を踏みしめた。
通常、カエデが精霊狸「ポン吉」の姿をとっている時、先祖から受け継いだ純金の玉は肉体そのものと完全に一体化し、彼女に強大な力を与えている。
カエデが全身全霊で念じると、彼女の背中の毛皮を透かすようにして、まばゆい光を放つ黄金の玉が実体を持ってポッカリと浮かび上がった。
すると、その黄金の玉の中から、何人ものしわがれた声が慌てふためくように響き始めた。
『おいおいおい! カエデ、本気か!?』
『馬鹿者! 力を全部使ってしまえば、我々先祖の精神とこの世との繋がりが完全に無くなってしまうんじゃぞ!』
『それだけではない! お前自身の「ポン吉」としての力も、永遠に失われてただの半妖になってしまう! やめとけ、やめとけぇ!』
玉に宿る先祖の精神たちが、口々に苦言を呈し、必死にカエデを止めようと揉め始めた。
その滑稽な様子を、上空に浮かぶERageは腕組みをしながら余裕の態度で見下ろしていた。
自らをクロベキア皇帝と名乗るこの狂気の男は、眼下で何が起ころうとも、自分の圧倒的な力を微塵も疑っていなかった。
「フン……。三流の喜劇だな」
ERageは不気味な笑みを浮かべ、見下すような視線をはじめたちに向けた。
「身内での言い争いは終わったか? ――あの世に行く準備は出来たか?」
男の指先に、先ほどアンナを吹き飛ばしたのと同じ、いや、それ以上にどす黒く淀んだ破壊の魔力が収束していく。
再び「爆ぜろ」の一言が放たれれば、今度こそはじめもカエデも、そして倒れているマナもろとも消滅してしまうだろう。
だが、カエデは空を見上げることはなかった。
背中に浮かぶ黄金の玉を愛おしそうに振り返り、タヌキの丸い目で、しかし少女のような優しい声で語りかけた。
「ご先祖さま、すみません、そして今までありがとう」
『ああっ! カエデェェェ!!』
先祖たちの悲鳴にも似た声が響き渡った次の瞬間。
黄金の玉が、太陽が地上に降り立ったかのような、圧倒的で純粋な光の奔流となって弾け飛んだ。
長きにわたり一族が守り継いできた膨大な精霊の力が、一滴残らず解放されたのだ。
『今よ!!』
アンナの鋭い声が響く。
解放された無尽蔵の黄金のエネルギーに、マナの身体から飛び出したアンナの精神体が乗っかった。
それは、アンナの意志を宿した巨大な「光の玉」となり、一条の彗星のような軌跡を描いて、上空のERageへと真っ直ぐに突進した。
「な、何だこれは!? ぐおおおっ!?」
余裕の笑みを浮かべていたERageの顔が、驚愕と恐怖に歪む。
迎撃しようと放った漆黒の魔力は、純粋な精霊の光の前に触れた端から浄化され、あっという間に掻き消された。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
光の玉がERageの体に激突し、音すらも置き去りにするほどの大爆発が北ウォー沼の上空を白く染め上げた。
「ば、馬鹿な……余が、こんな……!」
ERageは困惑と屈辱に満ちた声を上げながら、光の奔流に完全に飲み込まれ、その姿を虚空へと掻き消した。
光が収まり、静寂が戻った月光蓮の畑。
はじめが恐る恐る目を開けると、そこにはもう、頼もしいタヌキの姿をしたポン吉はいなかった。
力を完全に失ったカエデは、獣耳とふさふさの尻尾を生やした無力な少女の姿になり、まるで糸が切れたお人形のように静かに眠っていた。
その顔は、すべてをやり遂げたような穏やかな寝顔だった。
「カエデ……! アンナ……!」
はじめは急いでカエデのもとへ駆け寄り、その小さな体を抱き起こした。
シーンは変わり、光の届かない地下深くの空間。
静寂に包まれた廃屋のような玉座の間。
宙に浮遊する7つの水晶玉のうち、一つがひときわ激しく明滅を繰り返していた。
「ガハッ……!」
突如として、玉座の上に黒い煙が渦を巻き、ERageが実体化して崩れ落ちた。
彼の豪奢な装束は半ば焼け焦げ、青白かった肌にはひどい火傷の跡が刻まれている。
自慢の余裕は欠片もなく、彼は床に両手をつくと、ドロリとしたどす黒い血を大量に吐き出した。
「ゼェ……ゼェ……」
ERageは血走った目で、虚空を睨みつける。その瞳に宿る狂気は、敗北によってさらに深く、どす黒く煮え滾っていた。
「忌々しい……奴らめ……」
玉座の間に、男の怨念に満ちた声が低く響き渡った。




