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黒い煙の皇帝と散りゆく光

「消えろぉぉぉっ!!」


幼い少女・マナが掲げた魔法の杖の先端から、夕闇を切り裂くような極彩色の閃光が放たれた。


それは、10歳にも満たない子供が放つにはあまりにも巨大で、暴力的な魔力の奔流だった。


「ポン吉、下がって!」


アンナが漆黒のコートを翻し、はじめとポン吉の前に躍り出る。


彼女が懐から取り出した銀色の小さな円盤を投げつけると、空中で展開した魔法陣がマナの閃光と激突し、凄まじい衝撃波が月光蓮の畑を揺らした。


「くっ……!」


防壁を展開したアンナの顔が、苦痛に歪む。銀縁眼鏡の奥の瞳が、驚愕に見開かれていた。


「想像以上に強い! 何か、人ではないモノの力が流れ込んで来ている!」


「人ではないモノの力……!?」


はじめは強風に耐えながら叫んだ。


マナの様子は明らかにおかしかった。


その瞳は血走っており、まるで何かに操られているかのように焦点が定まっていない。


そして何故か、マナの強烈な殺意はアンナやポン吉ではなく、背後にいるはじめただ一人に向けられていた。


「お前だ……お前がいるから! 私のナワバリに、お前のような存在がいるだけで腹が立つ! 消えろ、消えろ、消えろォ!!」


「俺!? なんで俺なんだ!」


マナはアンナの防壁を無視するように空へ飛び上がり、はじめの頭上から雨霰あめあられのように魔力弾を降らせてきた。


はじめを一目見た瞬間から、その存在そのものに説明のつかない苛立ちを覚えているようだ。


執拗に、ただひたすらにはじめの命だけを刈り取ろうとする。


「危ないっ!」


ポン吉が『ポポン!』と鳴きながら巨大な葉っぱの傘を作り出し、はじめをかばう。


しかし、マナの異常な魔力の前では葉っぱの傘もみるみるうちに焼け焦げていく。


「仕方ないわね……」


アンナは鋭く舌打ちをすると、忌々しそうに懐へ手を伸ばした。


「ここで使いたくはなかったけども!」

彼女が取り出したのは、古びた真鍮しんちゅうの『鍵』だった。


アンナがその鍵を虚空に突き刺し、捻るように回す。


すると、鍵から「ギギギギギィィィン!!」という、金属を無理やり引き裂くようなけたたましい音が鳴り響き、目も眩むような黄金の光が溢れ出した。


光は幾何学的な模様を描きながら、はじめの周囲を球状に覆い尽くし、強固なシールドを展開した。


ドゴォォォン!!


マナの放った最大級の魔力弾がシールドに直撃するが、はじめの体を包む光の壁は傷一つ負わず、すべての攻撃を弾き返した。


「あ、あぁ……アァァァァァッ!!」


自分の攻撃が完全に防がれたこと、そして憎きはじめを殺せないことに絶望したのか、マナは空中で頭を抱え、声にならないような声を上げて咆哮した。


「キィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」


それは人間の喉から発せられる音ではなかった。


ガラスを引っ掻く音を何万倍にもしたような、鼓膜だけでなく脳髄まで直接つんざくような破壊的な音波。


「ぐああっ!?」


「ポーンッ!」


あまりの激痛に、はじめは地面にうずくまって耳を塞いだ。


ポン吉も短い前足で必死に耳を覆い、アンナも顔をしかめて膝をつく。


異変は、その直後に起きた。


絶叫を上げるマナの小さな口から、突如としてドス黒い『煙』が滝のように吐き出され始めたのだ。


「ゲホッ、ゴホッ……あ、あぁ……」


マナは白目を剥いて気を失い、そのまま蓮の畑へと真っ逆さまに落下していく。


しかし、空中に留まった黒い煙は意思を持つように渦を巻き、みるみるうちに人間の男の形へと実体化していった。


現れたのは、豪奢だがどこか狂気を孕んだ装束を纏う、長身の男だった。


青白い肌に、底なし沼のように暗い瞳。


はじめを襲った奇怪な男『4テルモビレ』を作り出した元凶の姿がそこにあった。


「……ERageイーレイジ


アンナが憎悪を込めてその名を呼んだ。


実体化した男――ERageは、芝居がかった仕草で両手を広げ、沼に響き渡る朗々とした声で言い放った。


「久しいな、アンナ。そして初めましてだな、少年。我が名はERage。偉大なる『クロベキア皇帝』である」


その堂々たる名乗りに、緊迫した空気が一瞬だけ奇妙に凍りついた。


はじめは痛む耳をさすりながら、思わず声を上げた。


「は……? クロベキア皇帝?」


「ちょっと待てよ」とはじめはERageを指差した。


「クロベキアは戦争に負けて王政に移行したはずだろ! 皇帝なんて制度は、とっくに廃止されてるじゃないか!」


アンナも冷たい視線を向けながら同意する。


「ええ。時代遅れの妄想に取り憑かれた哀れな亡霊。それがあなたよ、ERage」


痛烈な指摘の連続。


しかし、ERageは全く聞く耳を持たなかった。


彼の暗い瞳には、他者の言葉など最初から届いていない狂気が宿っている。


「愚民どもが何をさえずるか」


ERageは冷酷に言い捨てると、ゆっくりと右手をどんよりと曇った空へと掲げた。


彼の指先に、どす黒い魔力が凝縮されていく。


そして、虫でも払うかのような無造作な動作と共に、たった一言だけを紡いだ。


「――爆ぜろ」


パァンッ!!


乾いた破裂音が響いた瞬間、はじめの目の前で、アンナの体が内側から強烈な光を放った。


「え……?」


「アンナ……!?」


はじめが手を伸ばすよりも早く、光に包まれたアンナの体は、まるで幻だったかのように『煙』となって弾け飛び、北ウォー沼の冷たい風に乗って周囲へと散ってしまった。


漆黒のコートも、銀縁の眼鏡も、何も残されていない。ただ、彼女が立っていた空間だけがぽっかりと空いている。


「あ……アン、ナ……?」


はじめは震える声で呟いた。


そんな馬鹿な。あんなにあっさりと、人が消えてしまうなんて。


(死んだ……? アンナが、俺の目の前で……!?)


「あああああっ!! アンナ!!」


激しい動揺と絶望がはじめの心を塗り潰し、視界が涙と怒りで滲む。


圧倒的な力を持つERageを前に、守ってくれていた存在が消滅してしまったのだ。


だが、はじめが絶望の底に沈みかけたその時だった。


『――泣き喚くのはやめなさい、少年。ひどく耳障りよ』


はじめの脳内に、凛とした、そしてどこか呆れたような声が直接響き渡った。


「……えっ?」


『私はまだ死んでいないわ。……落ち着いて聞きなさい。あいつの虚を突く、唯一の打開策を授けるから』


煙となって消えたはずのアンナの精神が、はじめに静かに語りかけていた。

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