女騎士の盾と、溢れ出す光
ドクン、と心臓がひときわ大きく鳴った。
迫り来るエアリアルの禍々しい槍の穂先。
そして、獲物の死を確信して三日月型に歪んだ彼女の狂気の顔が、はじめの眼前でまるで水中のようにゆっくりと、スローモーションになっていく。
(あぁ……人は死ぬ時に走馬灯を見るというやつか……)
恐怖すら通り越し、はじめの心は奇妙なほどに静まり返っていた。
自分がここで死ぬという絶対的な事実だけが、脳裏に焼き付く。
自分を庇ってくれたアンナ。
病床のリフリッジ。
狂気に沈んだ母たまこ。
そして、自分に道を示してくれたクレア。
すべての記憶が、パラパラと本をめくるように駆け抜けていく。
(何も出来ないまま、ここで終わるのか……)
諦めが全身を支配しようとした、その時だった。
泥沼のようなスローモーションの風景の中、はじめのすぐ隣から、小さな影が弾かれたように飛び出してきた。
マナだった。
彼女は自分の身の丈ほどもある杖を両手で構え、はじめとエアリアルの間に割り込んだのだ。
パァンッ!!
乾いた、しかし空気を切り裂くような破裂音が耳元で弾けたような気がした。
その音と共に、スローモーションだった時間が一気に本来の速度へと引き戻される。
「はじめちゃん、逃げて!!」
火花を散らして槍の切っ先を杖で受け止めたマナが、悲痛な声で叫んだ。
その光景を見た瞬間、エアリアルの動きがピタリと止まった。
そして、彼女はポカンとした顔をしたかと思うと、ぷっ、と吹き出し、突如として腹を抱えて狂ったように笑い出したのだ。
「アハハハハハハッ! ククッ、アハハハッ!!」
「何がおかしい!!」
はじめが怒鳴ると、エアリアルは笑い涙を拭いながら、嘲笑うようにはじめを見下ろした。
「小僧、お前はこんな年端もいかない小娘に守ってもらって、情けなくはないのか? ククッ、傑作だな!」
マナはエアリアルの嘲笑など気にも留めず、真剣な表情で杖を構え直し、次の攻撃に備えていた。
その背中は、はじめが今まで見たどの大人よりも大きく、頼もしく見えた。
「さっきはこの小娘の事を『姫』と呼んだが、訂正しよう」
エアリアルは、獲物を値踏みするような見下した表情でマナを睨んだ。
「女騎士様、だな」
「マナ!!」
はじめは悲鳴のような声を上げた。
エアリアルの力は次元が違う。
マナ一人で敵う相手ではないことは、誰の目にも明らかだった。
「いいから逃げて! お願い……!」
マナが振り返り、懇願するような、今にも泣き出しそうな声ではじめに言った。
それを見たエアリアルは、さらに腹の底からおかしなものを見たかのように手を叩いて笑い転げた。
深夜のホテル跡地に響く、不気味かつ狂気が漂う光景。
はじめは、ガタガタと震える足に全身の力を振り絞り、エアリアルの目を見た。
彼女はニタニタと不敵な笑いを浮かべている。その瞳の奥には、『お前など、倒そうと思えば一瞬で倒せる』という絶対的な自負と余裕が満ちていた。
手を出せば、間違いなくマナもろとも一瞬で肉片にされる。
「ごめん……」
はじめは、唇から血が出るほど噛み締め、小声で呟いた。
そして、その場から背を向け、泥臭く逃げ出した。
(ごめんよ……マナ……!)
どうしようもなくプライドが傷つけられた怒り。
守られることしかできない自分への悲しみ。そして、何もできない情けなさ。
あらゆる感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、はじめの目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「ここは通さないから!!」
背後で、エアリアルに向けてマナが力強く啖呵を切る声が聞こえた。
「チッ、どけ!」
エアリアルが忌々しそうに舌打ちをし、はじめを追いかけようとする気配。
直後、はじめの後ろで、鋭い金属音と鈍い衝撃音――槍と魔法の杖が激しくぶつかり合う音が連続して鳴り響き始めた。
(振り返るな。振り返ったら、マナの覚悟が無駄になる!)
はじめは前だけを見据え、ひたすらに夜の闇の中を走った。
息が切れ、肺が焼け付くように痛い。
どれくらい走っただろうか。
ずいぶんと長く、永遠のような時間を走った感覚だけが残っていた。
後ろからは、絶え間なく戦闘の爆音が響き続けている。
――突如、その音がピタリと止んだ。
「後ろを見ろ!小僧!」
すぐ背後。はじめの耳元で、エアリアルの冷たく嘲るような声が聞こえた。
「え……?」
はじめは震える体を止め、恐る恐る後ろを振り向いた。
そこには、無傷で薄ら笑いを浮かべるエアリアルの姿があった。
だが、それ以上に彼を絶望させたのは周囲の景色だった。
かなり長く、遠くまで逃げたと思っていたはずなのに。
はじめが立っていたのは、つい先ほどまでいたホテルの入り口から、ほんの数メートルしか離れていない場所だったのだ。
エアリアルの魔力が空間の認識を歪めていたのか、彼はほとんど移動していなかった。
そして、その空間のどこにも、杖を構えていたマナの姿はなかった。
「マナ……」
はじめは膝の力が抜け、その場に力なくへたりこんでしまった。
「手間をかけさせやがって……」
エアリアルは細身の槍を肩に担ぎ、鼻で笑った。
「まぁ……お前の女騎士様のマナとやらは死んではいない、そこは安心しろ。
……私はこう見えて慈悲深い人間なのでね……ククっ」
底意地の悪い、不快な笑い声が闇に響く。
「マナは、どこに……!」
はじめが血を吐くような声で聞き返すと、エアリアルは面倒くさそうに答えた。
「あれは神のまがい物だろう? 本当は弱らせた上でERage様に捧げて完全体となってもらいたかったが、私の想像した以上に脆すぎた……。
物理的な肉体を維持できず、霧散したよ。
おそらく……北ウォー沼の祠に魂が戻っているはずだ」
神の力の大半を失っていたマナは、やはり『1号』の足止めすらまともにできなかったのだ。
「最愛の騎士様が無事で安心したか?」
エアリアルは嘲笑と共に、左手に握った魔槍をゆっくりと高く掲げた。
槍の穂先が、不気味なほどに赤黒く、脈打つように光り始める。
「それなら、次は貴様が地獄へ行く番だ」
冷酷な宣告。
逃げ場はどこにもない。
「今度こそ守るものはいない。死ね、小僧!!」
エアリアルが全身の力を込め、赤黒い軌跡を描く槍をはじめの心臓へと一直線に振り下ろした。
はじめが絶望に目を閉じた、まさにその瞬間だった。
カッ!!
はじめの胸元――服の下に隠していた『鍵』のあたりから、夜の闇を完全に払拭するほどの、暖かく、そして強烈な黄金の光が溢れ出したのだ。
『――助けにきたよ』
聞いたこともない、しかしどこまでも優しく、凛とした少女のような声が、光の中からどこからともなく響き渡った。




