夢の中の絶世の美女と、妹の激しい葛藤
首筋に叩き込まれたカエデの強烈な手刀の痛みが、フッと消え去る。
気がつくと、はじめは水面のような波紋が広がる、見覚えのある真っ白な空間に立っていた。
夢の世界だ。
「いっ、たぁ……カエデちゃん、怒ると容赦なさすぎ……」
隣から聞こえた声に振り返ると、首をさすりながら涙目で立ち上がるリフリッジの姿があった。
どうやら、彼女も無事にこの精神世界へ引きずり込まれたらしい。
「はじめちゃん、リフリッジちゃん! よかった、ちゃんと繋がった!」
その時、空間の奥から足音と共に声が響いた。
声の主を振り向いた瞬間、リフリッジの全身が雷に打たれたように硬直した。
「え……っ!?」
そこに駆け寄ってきたのは、天女の羽衣のような極端な薄着を纏い、はち切れんばかりの豊満な胸を揺らす、息を呑むほどの絶世の美女だった。
透き通るような肌と、妖艶で大人びたプロポーション。
同性のリフリッジから見ても、あまりにも刺激的すぎる姿だ。
リフリッジは顔をゆでダコのように真っ赤にして、思わず悲鳴のような声を上げた。
「だ、誰~!?」
「リフリッジちゃん、説明してる時間はないのごめんね!」
絶世の美女が、いつもの甲高く舌足らずな「マナの声」で謝ってきた。
「ええっ!? その外見で、声はマナちゃん!?」
リフリッジの脳内はすでにパニック状態だったが、彼女の混乱にさらに追い打ちをかける出来事が起きた。
「マナ、急ごう。クレアの隠蔽魔法は破れそうか?」
隣に立つ兄、はじめが、そのあまりにも魅力的な薄着の美女に対して、微塵の動揺も見せずに極めて「冷静」に、そして真剣な表情で話しかけたのだ。
一度この空間でマナの姿を見て免疫ができているはじめにとっては、今は照れている場合ではなく、クレアの捜索が最優先だった。
しかし、事情を知らないリフリッジにとって、その兄の態度は異常そのものに映った。
(えっ? お兄ちゃん……あんなすごい格好の女の人を前にして、全然顔も赤くしてない……)
リフリッジは、はじめの横顔を信じられないものを見るような目で見つめた。
(村に住んでいる普通の男の子なら、絶対に鼻の下を伸ばして、スケベな顔して胸に目線が釘付けになるぐらいの美人なのに……。
ま、まさか、お兄ちゃん……もしかして女性に恋愛感情とか……そういう感情とか、ないの……?)
はじめが自分に恋愛感情を向けてくれないのは、義理とはいえ妹だからだと思っていた。
だが、こんな絶世の美女を前にしてすら微動だにしないということは、そもそも女性という生き物に興味がないのではないか。
リフリッジの胸の中で、思春期の乙女としての根幹を揺るがすような、激しい葛藤と妄想の嵐が吹き荒れ始めた。
「クレアの持ってるマジックアイテムは強力だけど、今のわたしの力なら痕跡を辿れるよ! えーとね……」
「そうか、なら方角だけでも割り出してくれ」
二人は深刻な事態を解決すべく、真剣な表情で顔を寄せ合って話をしている。
(でも……あの外見で、声は完全にいつものマナちゃんだし……お兄ちゃんは女の人に興味がないのかもしれないし……私はカエデちゃんに首をチョップされて気絶したはずだし……)
リフリッジは半ば放心状態になり、二人の会話が完全に右の耳から左の耳へと抜けてしまっていた。
やがて、クレアの居場所を特定するための短い対話が終わった。
「よし、これで起きたらすぐに出発できるな。……おい、リフリッジ?」
はじめが振り返ると、そこには口を半開きにして、目の焦点が全く合っていない妹の姿があった。
「おい、リフリッジ。大丈夫か?」
はじめは心配になり、彼女の肩を掴んで軽く揺すった。
しかし、リフリッジは「ふぇ……?」と気の抜けた声を漏らすだけで、完全に魂がどこかへ飛んでいってしまっている。
「あ、そうだマナ。夢の世界には、適応出来ない人っているのか? なんだかこいつ、様子がおかしいぞ」
はじめが真剣な顔で尋ねると、大人の姿をしたマナは首を傾げ、少し考え込みながら答えた。
「うーん、そんな事無いと思うなぁ……。精神への負担はないはずだし」
「そうか。まあいい、急ごう」
はじめは、ゆらゆらと揺れるリフリッジの顔を真っ直ぐに見つめて言った。
「とにかく、クレアの居場所がわかった。
そう遠くには行っていない。
徒歩でも十分に追いつけるだろう。……これから夢から覚めるけど、大丈夫か?」
はじめが優しく語りかけるが、リフリッジの耳にはもう何も届いていなかった。
絶世の美女、幼児の声、兄の性的指向への疑惑、そしてチョップの痛み。
色々なことが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまい、彼女の精神は完全に容量をオーバーしてしまっていたのだ。
「あわわ……お兄ちゃんは……男の人が……マナちゃんの声が……むにゃむにゃ……」
完全に夢現状態のまま、ブツブツと意味不明な言葉を呟き続けるリフリッジ。
はじめとマナは、完全にショートしてしまった彼女の姿を、「仕方ないな」というような心配そうな顔で、ただ静かに見つめていた。




