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真夜中のヨダレと、怒りの手刀(チョップ)

夜明け前。


まだ窓の外は白みすら帯びていない、深い闇と静寂に包まれた時間帯。


はじめは、顔にかかる奇妙な生温かさと息苦しさで、ふと違和感を覚えて目を覚ました。


「……んん、なんだ……?」


寝ぼけ眼をゆっくりと開けたはじめの視界いっぱいに広がっていたのは、あろうことか、義理の妹であるリフリッジの顔だった。


しかも彼女は、はじめの体の上に覆いかぶさるような体勢で熟睡しており、ぽっかりと開いた口からツーッと見事なヨダレを垂らしている。


そのヨダレが、はじめの頬にポタポタと冷たく直撃していたのだ。


「えっ? な、なんだこれ!?」


はじめが混乱の極致に達し、どうやって彼女をどかそうかとパニックになりかけた、まさにその時だった。


バンッ!!


「はじめちゃん! たいへん、お医者さんのねーちゃんが……!」


部屋のドアが勢いよく開き、はじめの名前を大声で呼びながらマナが飛び込んできた。


彼女はとても慌てた表情をしていたが、ベッドの上で密着(?)しているはじめとリフリッジの姿を見るなり、ピタリと動きを止めた。


「…………あ~。お取り込み中でしたか」


マナはニヤニヤと口角を上げ、ひどく意味深な顔ではじめを見つめた。


「いや、違う! 何考えてるんだよ!」


はじめは顔を真っ赤にして、慌てて大声を上げた。


その声にビクッと肩を跳ねさせ、ようやくリフリッジが目を覚ました。


「んん……ふぁ……あれ?」


リフリッジは寝ぼけた様子で目をこすり、自分がはじめの上に乗っかっている状況に数秒間フリーズした後、不思議そうな顔で首を傾げた。


「なんでここにお兄ちゃんが?」


「俺の部屋の、俺のベッドだよ! なんでお前が俺の上で寝てるんだ!」


リフリッジはハッとして、慌ててベッドから転がり降りた。


「あ、思い出した! 昨日の夜遅く、クレアさんが誰にも気づかれないようにこっそり家を出ていく姿を見たの。


それをお兄ちゃんに伝えようと思って急いで部屋に侵入したんだけど……お兄ちゃん、もうぐっすり熟睡してて」


リフリッジは少し恥ずかしそうに頬を掻きながら続けた。


「寝顔が可愛いなーって思って、優しくお兄ちゃんの頭を撫でてあげてたの。


そのあと、私も昨日はいろいろあって疲れが出ちゃったみたいで……その後の経緯はよく覚えてないんだけど、たぶんそのまま眠っちゃったんだと思う」


(そこからなんで、俺の上で寝てヨダレを垂らす事態になるんだよ?)


はじめは強烈な疑問を抱いたが、これ以上この話題を掘り下げるとさらに面倒なことになりそうなので、あえて口には出さないことにした。


それよりも重大なのは、リフリッジが持ってきた情報のほうだ。


「クレアが家を出ていったって……やっぱり、本当に行っちまったのか」


はじめの言葉に、マナがいつになく真剣な表情で頷いた。


「そうなの! マナちゃんも気配が消えたことに気づいたんだけど、クレアにどうしても大事な事を伝えなきゃいけないの。


でも、今のマナちゃんの力じゃ、あのお医者さんを探せないんだ」


「探せないって、神様なのにか?」


「クレアは何らかの強力なマジックアイテムを使って、自身の居場所を察知できないように隠蔽しているみたいなの。あれを見つけ出すには、どうしても『本当の神の力』が必要なのよ」


マナは早口でまくし立てた。


「そのためには、昨日の夜みたいにはじめちゃんと一緒に『夢の世界』に潜って、私の本来の力を引き出す必要があるの。


時間が惜しいわ……ねえ、リフリッジちゃん!」


マナは突然、ベッドの脇に立つリフリッジを振り返った。


「ちょっとマナとはじめちゃんを、チョップか何かで気絶させてくれない?」


「ええっ!?」


リフリッジは目を丸くして後ずさった。


「そ、そんな事できないよ! どんな理由があっても、愛するお兄ちゃんに手を上げるなんて……!」


リフリッジが胸の内で乙女の葛藤を繰り広げ、はじめとマナが他に素早く夢の世界へ潜る(=気絶する)策はないかと頭を悩ませていた、その時だった。


「うるさぁぁぁぁぁぁい!!」


ドバンッ!! と、今度はドアが蝶番から外れそうなほどの勢いで蹴り開けられた。


そこに立っていたのは、カエデだった。


「今、何時だと思ってるの!! 騒がしくて眠れないじゃない!!」


いつものふんわりとした穏やかな表情は見る影もない。


ギリギリと恐ろしい音を立てて歯ぎしりをし、その目は真っ赤に血走っていた。


頭の上の獣耳は逆立ち、背中の尻尾も怒りでボワッと膨れ上がっている。


「私はね……眠りを邪魔されるのが1番嫌いなの!!」


底冷えのするような低い声で言い放ち、カエデはその場にいた全員を射殺すような鋭い視線で睨みつけた。


そのあまりの迫力に、はじめもリフリッジも完全に萎縮してしまった。


マナだけが、恐る恐る口を開く。


「カエデちゃん……お願いがあるんだけど……」


「何!? 私はね、あんた達がさっさと静かに眠ってくれればそれで満足なんだけど!!」


カエデがキレ気味に言い返した瞬間、マナの表情が「やった!」とばかりにパッと明るくなった。


「じゃあ、マナちゃんたちをチョップで眠らせて!!」


マナがそう頼むや否や、睡眠不足で完全に理性が飛んでいるカエデは一切の躊躇を見せなかった。


「よし、わかった!!」


カエデは恐るべき踏み込みでリフリッジの懐に飛び込むと、手刀を振り上げ、リフリッジの首斜め45度へ向けて鋭く完璧なチョップを叩き込んだ。


「きゃっ」


リフリッジは短い悲鳴を上げ、白目を剥いてその場にバタッと倒れ、気絶した。


「いや、ちょっと待って! リフリッジちゃ――」


予想外の巻き添えにマナが突っ込もうとしたが、言い終わるよりも早く、カエデの容赦ない二撃目のチョップがマナの首筋にめり込んだ。


「ぐえっ」


マナもまた、あっけなく床に崩れ落ちて気絶した。


「おい、カエデ! リフリッジは気絶させる必要――」


はじめが抗議の声を上げたが、すでにカエデの三撃目は無情にもはじめの首元へと迫っていた。


「ごめんね」


一切の感情がこもっていない謝罪と共に、はじめの視界に手刀が迫る。


ドスッという鈍い衝撃と痛みが走った直後、はじめの意識は急速にブラックアウトしていった。


バタバタと三人が床やベッドに倒れ伏し、部屋はついに完全な静寂を取り戻した。


全員が気絶した事を冷徹な目で確認すると、カエデは「ふぁ~あ……」と大きなあくびを一つした。


「もう……ほんとに眠いんだから……」

目をこすりながら、カエデはフラフラとした足取りで自分の部屋へと戻っていく。


静まり返った暗い部屋の中、気絶した三人が光に包まれて夢の空間へと消えていった…

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