夢の境界線と、はち切れそうな女神〜前編〜
気がつくと、はじめはどこまでも続く白い空間の中に立っていた。
足元には雲のような、水面のような不思議な波紋が広がっているが、重力は確かに存在している。
(……ここは、夢の中か)
はじめは自分の手のひらを見つめながら、冷静に現状を分析していた。
夢の中であるにもかかわらず、意識は恐ろしいほどにはっきりとしている。
自分が今、ベッドで眠りに落ちてこの世界にいるのだということが、直感的に、そして完璧に理解できた。
(昔読んだ物語なんかだと、夢かどうかを確かめるために自分の頬をつねったりする描写がよくあるけど……)
はじめは周囲の白い空間をぼんやりと見渡しながら考えた。
(あれって、実際にこういう明晰夢みたいなものを体験したことがない人間が、想像だけで書いたものなのかな。
だって、つねるまでもなく自分が夢の中にいるって、こんなにはっきり分かるんだから……)
そんな、妙に達観した思考にふけっていた、その時だった。
「――んしょっと」
背後から不意に柔らかい手が伸びてきて、はじめの頬をむにぃっと強めにつねり上げた。
「いっ、痛っ!?」
はじめは驚いて声を上げ、つねられた頬をさすりながら、弾かれたように後ろを振り返った。夢の中だというのに、頬には確かな痛覚と、微かな温もりが残っている。
「誰だ、いきなり……!」
抗議の声を上げようとしたはじめの言葉は、振り返った先にいた人物の姿を見て、完全に喉の奥でつっかえてしまった。
そこに立っていたのは、息を呑むほどに美しい大人の女性だった。
長く艶やかな金色の髪。
完璧な造形をした顔立ち。
しかし、はじめの視線を何よりも釘付けにしてしまったのは、彼女のその『服装』と『プロポーション』だった。
女性は、天女の羽衣をさらに極端にしたような、信じられないほど薄く、透き通るような布地を身に纏っているだけだった。
そして、その薄着の布地の内側には、大人の女性特有の豊満な胸が、重力に逆らうように自己主張をしている。
少し動くたびに際どいラインが露わになり、健康的な男のコであるはじめにとっては、あまりにも目のやり場に困る、刺激的すぎる姿だった。
(な、なんだこの美女……!?)
はじめが顔を真っ赤にして視線を泳がせていると、その見目麗しい大人の女性が、ニヤリと口角を上げて笑った。
「ふーん。やっぱり、思春期の男のコって感じだねぇ、キシシッ」
「……え?」
はじめの思考が停止した。
目の前の絶世の美女から発せられたのは、落ち着いた大人の女性の声などでは決してなく。
いつも「マナちゃんは神様だから!」とわがままを言っている、あの甲高く、子どもっぽく、舌足らずな『マナの声』そのものだったのだ。
「ま、マナ……なのか……!?」
「当たり前じゃーん! いつものマナちゃんの美声なんだから、顔が違ってもすぐにわかると思ったのにな~。
はじめちゃん、お胸ばっかり見てたでしょー!」
絶世の美女が、10歳のガキ大将のような口調でケラケラと笑う。
あまりにも声と見た目のギャップが凄まじすぎて、はじめは頭を抱えそうになった。
脳がバグを起こしている。
絶世の美女の口の動きと、そこから出てくる幼児の声が、まるで質の悪い吹き替え映画を見ているかのように噛み合わない。
「なんだよその姿……どうなってるんだよ、本当に」
「んー? ここはマナちゃんの精神世界みたいなものだからね。
ここなら、私の本来の姿……とまではいかないけど、それに近い形をとれるし、知力も少しだけ戻ってるの」
大人の姿をしたマナは、艶やかな唇に指を当てて小首を傾げた。
その仕草だけでも破壊力は抜群だ。
「知力が戻ってるってことは、外の世界の私みたいに『わがままな子ども』じゃなくなってるってこと。
やろうと思えば、本物の女神様みたいに神々しい発言もできるけど……どうする?」
マナの提案に、はじめは迷わず頷いた。
「頼む。せっかくそんな大人の姿なんだし、頭がおかしくなりそうだから、神々しい発言でお願いするよ。
その方が今の状況を真面目に考えられそうだし……」
はじめが真剣に答えると、美しい女神の顔が、途端に「ぶーっ」と不満げに歪んだ。
「えー! あれ、すっごく肩凝るし、めんどくさいんだけどぉ!」
「お前、知力が戻ってるって言ったばかりだろ! 結局中身はわがままな子どものままじゃないか!」
「ちがうもん! めんどくさいものはめんどくさいの! マナちゃんはこのままがいいのー!」
大人の姿のマナが、まるでオモチャを買ってもらえなかった子どものように、その場でバタバタと駄々をこね始めた。
しかし、彼女が子どもっぽく体を揺らすたびに、ただでさえ薄着で隠しきれていない豊満な胸が、ポロリとこぼれ落ちそうなくらいに激しく上下にバウンドし、薄い布地が内側からはち切れそうになっている。
「わ、わかった! わかったから暴れるな! 服が、胸が……!」
はじめはついに直視することに限界を迎え、顔から火を吹きそうなほど赤面して、ギュッと固く目を逸らした。
思春期の少年に、この破壊力は劇薬すぎる。
「キシシッ、はじめちゃん顔真っ赤~!」
マナの無邪気な笑い声が響く。
しかし、はじめが目を逸らしたまさにその瞬間。
白い夢の空間全体が、突如として目が眩むような、荘厳で神聖な『光』に包み込まれた。




