屋敷への挨拶と、乙女の勘違い
朝が明け、一行はクレアが手配したホテルを後にした。
会計の際、外貨の持ち合わせが少ないはじめ達を気遣って、アズマがそっとホテル代を支払ってくれた。
長年キシアにいただけあって、資金の蓄えはそれなりにあるようだ。
昨日はあれほどムスッとしていたカエデだったが、一晩ぐっすりと寝たらどうでもよくなったらしく、朝からケロッとしてあっけらかんとしていた。
(とりあえず、機嫌が直ってよかったのかな?)とはじめは胸を撫で下ろしたが、一方のアズマは、カエデからの酷評を完全に許せてはいないのか、まだ微妙な距離感を保っていた。
「……今日はカエデちゃん、妙に静かね……逆にちょっと不安だわ」
マナがはじめの背中に隠れるようにして、耳打ちしてくる。
「とりあえず、問題が解決したのなら先を急ごう。わだかまりは旅をしながらゆっくりと解消していけばいい」
クレアが冷静に場をまとめ、出発を促した。
しかし、町を出る前に、アズマから一つだけ頼み事があった。
「アリスさんに、ご挨拶とお礼を言いたいのです」
前の町長であったアリスの父親は、アズマの儀式で命を落としている。
町を去る前に、どうしても筋を通しておきたかったのだ。
屋敷へ向かう道中、カエデがはじめの隣にススッとすり寄り、はじめにだけ聞こえるような小声で話しかけてきた。
「ねー。私にも、それぐらい義理堅い行動してくれればいいのにねー」
「お前なぁ……」
はじめは呆れたようにカエデを見下ろし、ピシャリと釘を刺した。
「あの子は色々と背負ってきて繊細なんだから、俺やマナと同じような雑な接し方しちゃダメだぞ」
「むー。すっかりあの子の肩持っちゃってー」
カエデは唇を尖らせたが、すぐに小さく息を吐いた。
「まぁ……私も、これから危険な旅路になるってことは分かってるし。町を出たら、変に噛み付いたりはしないわよ」
そんな二人の内緒話を、アズマは気になって仕方がないのか、チラチラと横目で盗み見ていた。
マナは(またなんかめんどくさい事起こさないでよね……)と、少し疲れたような顔ではじめ達を見ている。
クレアは、人間よりも遥かに長命なはずの龍族が、こんなにも子供のような行動をとる存在なのだろうかと、不思議そうにぼんやりと思考を巡らせていた。
アリスの屋敷に着くと、はじめは大きな鉄柵の門の脇にある呼び鈴を押した。
この呼び鈴には魔力が込められており、広大な屋敷の中のどこにいても音が伝わる仕組みになっていると、以前アリスが言っていた。
しばらく待っていると、屋敷の奥からアリスと――なぜか、あの巨大茄子のゴーレム『いらじ』が一緒に向かってくる姿が見えた。
「っ……!」
はじめの背筋に、嫌な予感と強烈な痛みの記憶が走った。
はじめは素早く後ずさりし、近くの太い街路樹の陰にサッと身を潜めた。
「はじめさん? どうしたのですか?」
アズマが不思議そうに首を傾げると、カエデがニヤニヤしながら答えた。
「あはは、またいらじに殴られるのが嫌だもんねー!」
その言葉を聞いて、アズマはハッとした。
自分の知らない『はじめの過去の出来事』を、あのどうぶつの人が知っている。
その事実が、どうしようもなく羨ましくて、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
アズマのその『羨ましい』という感情が顔に出ていたのか、カエデが慌てて手を振った。
「あ、あおちゃんごめんね! 別に自慢とかじゃないからね!?」
悪気がないことは伝わってきたが、アズマはその不器用な気遣いを上手く受け止めることができず、「……ふんっ」とついそっぽを向いてしまった。
そんなギクシャクした空気が流れる中、「ブゥン! ブゥン!」と独特の駆動音を響かせながら、いらじが門の柵を開けた。
「おや……。あんた達、まだ旅立ってなかったんだねぇ」
隣に立っていたアリスが、驚いたように目を丸くした。
そして、見慣れないフリル姿のアズマを見ると、すぐに全てを察したような顔になった。
「おや……あんたは、どうしてここに?」
「はじめさん達と、旅立つ事になりました」
アズマは背筋を伸ばし、丁寧に深くお辞儀をした。
「アリスさんのお父様には、過去に大変お世話になりました。町を去る前に、どうしてもご挨拶をと思いまして……」
「……おや。ということは、無事に『名前』を変えられたんだね」
アリスは優しく微笑み、街路樹の陰に隠れているはじめに視線を向けた。
いらじも、ずっとはじめを探すようにキョロキョロと辺りを見渡していたが、アリスの視線を追ってはじめの姿を見つけると、じっと食い入るように一心に見つめ始めた。
(……あんなに熱い視線で見つめるなんて。このゴーレムにも、はじめさんへの恋心のようなものがあるのかしら?)
アズマは両手を頬に当て、乙女チックな思考でいらじを見つめた。
一方のはじめは、街路樹の陰で冷や汗を流していた。
(やっぱり、あのまま突っ立ってたら絶対に殴られてたな……。というか、まだずっとこっち見てる……怖い……!)
はじめが内心で戦慄していると、アリスが一歩前へ出て、アズマの前に立った。
「新しい名前は、聞かないでおくよ……野暮だからね」
アリスはそう言うと、そっと手を伸ばし、アズマの頭を優しく撫でた。
「……今まで、この町を守ってくれてありがとう。誰にも必要とされていないのに、たった一人で役目を果たすのは、さぞ辛かっただろうね」
その温かな言葉と掌のぬくもりに、アズマの瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うぅっ……アリス、さん……っ」
アズマはついに感極まり、アリスの胸を借りて声を上げて泣き出してしまった。
その心温まる別れの光景を、はじめ達が穏やかで優しい目で見守った




