奇跡の絵筆と、過去との決着
エアリアルが、全身全霊の魔力を込めた禍々しい巨大な魔槍を、はじめに向かって渾身の力で振り下ろした。
――だが。
はじめの目には、その絶望的なはずの攻撃が、まるで泥水の中を進むかのように、ひどく鈍く、ゆっくりとしたものに見えた。
恐怖はない。
今の彼には、全身の能力が異常なまでに研ぎ澄まされ、世界の理そのものを俯瞰しているような感覚があった。
(……この槍、消せそうだな)
はじめは、ごく自然にそう思った。
そして、迫り来る巨大な魔槍へ向けて、手に握った不思議な絵筆をスッと横に走らせた。
キャンバスに描かれた線を消しゴムで消すように。
ただそれだけで、あれほど膨大な魔力を放っていたエアリアルの魔槍が、音もなく空間から『消滅』してしまったのだ。
(まだ、コイツ自身を消すのは無理か……)
はじめは、自らが人間性を失ってしまったのかと錯覚するほど、極めて冷徹で不思議な判断を頭の片隅で下していた。
直後、周囲の止まっていた時が元に戻る。
「死ねぇぇっ!! ……え?」
全力で振り下ろしたはずの槍が忽然と消え去ったことで、エアリアルは完全にバランスを崩し、はじめの横をすり抜けて明後日の方向へと無様に飛んでいき、地面を転がった。
「な、なんだ!? 槍が……私の槍が! 貴様、一体何を……!?」
最大の武器を失ったエアリアルが、激しく動揺して叫ぶ。
その時、はじめの隣にスッとアンナが姿を現し、静かに囁いた。
「彼女を、救ってあげましょう……」
はじめは無言でこくりと頷き、右手に握った絵筆に自分の意識と、湧き上がる力を集中させた。
「ふざけるなああぁぁっ!!」
プライドを粉々にされたエアリアルが、半ば自暴自棄になりながら、魔槍の代わりに拳を剥き出しにしてはじめへと突進してくる。
その姿を見た瞬間、はじめの脳裏に何かが閃いた。
はじめは迷うことなく、空間そのものをキャンバスにして、壮絶なスピードで『何か』を描き始めた。
絵筆が宙を舞うたびに、光の軌跡が空中に残る。
「う、おおぉぉっ!?」
はじめの描いた光がエアリアルを包み込むと、彼女の周囲の空間がぐにゃりと歪み始めた。
そして、信じられない現象が起きる。エアリアルの肉体が、急速に若返り――いや、『幼く』なっていったのだ。
屈強な体躯が縮み、禍々しい鎧が崩れ落ちる。
幼児になり……最終的には、純真無垢な『赤子』の姿となって、地面でオギャアオギャアと泣き声を上げ、身動きが取れなくなった。
そこへ、光に包まれた空間から『謎の二人組』のシルエットが静かに現れた。
彼らは、無力になってただ泣くばかりの赤子を、まるで慈しむように優しく抱き上げ、あやすようにして、再び光の空間の先へと姿を消していった。
その光の残滓から、どこからともなく、たどたどしい声が響いた気がした。
『ア……リ……ガ……ト……ウ……』
はじめは、全身の力がすっかり抜けたように、その場にへたり込んだ。
ふと後ろを振り返ると、先程まで激しく燃え盛っていた実家も、いつの間にか元の穏やかな姿へと戻っていた。
「どう? あなたの『本当の力』を解放した実感は?」
アンナが隣にしゃがみ込み、微笑みながら問いかけてきた。
「力も何も……何が何だか分からないことが多すぎて、全然実感が湧かない」
はじめは、手の中の絵筆を見つめながら困惑した答えを返した。
「ふふっ。それはつまり、あなたも『自分の人生を生きる時』がきたって事よ」
アンナが謎めいた言葉を紡ぐ。
「……それ、全然答えになってないし、ますます意味がわからんぞ」
はじめは呆れたようにため息をついた。
「まぁいい。とりあえず、これで『儀式は成功』という事でいいのか?」
「えぇ。大成功よ」
アンナは優しく頷き、そして少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「だけど……あなたとは、これでしばらくの間、お別れね。
でも覚えておいて。これは『永遠の別れ』ではないわ」
「アンナのことも、この絵筆の事も……まだまだ分からない事ばかりだ。
俺はいつになったら、色々な事がちゃんとわかるようになるんだろうな」
はじめがぼやくと、アンナはふわりと立ち上がった。
「長い人生にはね、ただ『流れに身を任せる事』が必要な時もあるのよ」
アンナの優しい微笑みと共に、はじめの身体は、陽だまりのような温かい光に包み込まれていった。
極限の疲労感と安心感が混ざり合い、はじめの意識はゆっくりと、心地よい微睡みの中へと薄れていく。
精神世界での戦いを終え、はじめは現実の世界へと戻っていった




