忘却の記憶と、止まらぬ鮮血
「これほど打ちのめして、まだくたばらないとは……。どこまでしぶといのだ、お前は!」
精神世界に顕現したエアリアルの苛立ちは頂点に達していた。
容赦なく叩きつけられる槍の衝撃。
吹き飛ばされ、地面を転がるたびに、はじめの意識は混濁し、視界は白く霞んでいく。
もはや肉体の痛みすら遠のき、自分がどこにいるのかさえ定かではなくなりつつあった。
(……ああ。もう、いいかな……)
意識の底へ沈んでいくはじめの脳裏に、全く別の情景が浮かび上がった。
それは、彼がまだ幼かった頃の、遠い遠い日の記憶。
陽だまりのような温かな部屋で、幼いはじめは夢中で紙に色を塗っていた。
「はじめちゃん、絵が上手ねぇ。……将来は、画家さんになるのかな?」
後ろから覗き込み、優しく微笑んでいるのは、本当の母親である『たまこ』だった。
彼女の手の温もり、柔らかな声、部屋に満ちる平和な空気。
しかし、その穏やかな情景は、背後に現れたエアリアルの影によって無惨に引き裂かれた。
槍がたまこの姿を貫き、再び現実(幻影)の衝撃がはじめを襲う。
(痛くない……。もう、何も感じないんだ……)
はじめは、幼い自分と母親が笑い合っている幸せな断片を、まるで見知らぬ誰かの物語のようにぼんやりと眺めていた。
このまま、この穏やかな光景の中で眠ってしまいたい。そんな強烈な誘惑が彼を包み込む。
その時、虚無の空間に浮かぶはじめの隣に、誰かがそっと寄り添ったような気がした。
姿は見えない。だが、どこか懐かしく、魂が震えるような気配。
「この記憶は……あなたが大切だと思っていたけれど、母親に裏切られたショックで、今までずっと封じ込めていた記憶……」
澄んだ声が耳元で囁く。
その直後、再びエアリアルの追撃を受けたかのような強い衝撃が走り、はじめの視界が大きく揺らいだ。
「思い出して。……あなたが、本当にやりたかった事を……」
(本当に、やりたかった事……?)
はじめを強烈な睡魔が襲う。
意識の糸がぷつりと切れそうだ。
もうどうでもいい。
全てを投げ出して眠りにつきたい。
だが、心の奥底にある何かが、それを必死に拒んでいた。
このまま眠れば、二度と目覚めることはできない――その予感だけが、彼を辛うじて繋ぎ止めていた。
一方、現実の儀式の場は凄惨な光景へと変貌していた。
「はじめさん……! はじめさん!!」
魔法陣の中央で、はじめは口から大量の血を吐き出し、何かから逃れるように激しくのたうち回っていた。
その身体は絶え間なく痙攣し、内側から破壊されているかのように苦しみの声を上げている。
「このままだとはじめさんが……因果の揺り戻しに耐えきれない……!」
ポチが蒼白な顔で叫ぶ。
「何かできる事はないのか!? このままでは死んでしまうぞ!」
クレアが焦燥を募らせ、暴れるはじめの身体を必死に抑え込む。
彼女の服はすぐにはじめの血で赤く染まった。
傷口があるわけではないのに、はじめの毛穴や口からは絶え間なく血が溢れ出し、止まる気配がない。
「ここで……ここでお前を失うわけにはいかないんだ。しっかりしろ、はじめ!」
クレアは自らの魔力を流し込み、止血を試みるが、精神世界でのダメージが肉体にフィードバックしている以上、表面的な治療は虚しく撥ね除けられる。
はじめの命の灯火が、今まさに消えようとしていた。
ポチは崩れ落ちるように膝をつき、血まみれのはじめの傍らで、涙を流しながら一心不乱に祈りを捧げ始めた。
深い闇の底で微睡むはじめの魂に、その祈りの声は届くのか。
絶望的な状況の中、儀式の場を死の静寂が支配しようとしていた。




