真の名と、邪悪などうぶつ
喫茶店の静かなボックス席。
防諜結界に守られた空間で、ポチがふと不思議そうに首を傾げ、はじめとクレアを交互に見つめた。
「……ところで、お二人は龍族にずいぶん詳しいようですが、もしや龍族のお知り合いの方でもいらっしゃるのですか?」
「あ……。まぁ、な。色々と助けてもらったからな」
はじめは少しバツが悪そうに視線を泳がせながら答えた。
脳裏をよぎるのは、クロベキアのとある町。
強大な敵・エアリアルを前に手も足も出なかった自分たちを、圧倒的な力で救ってくれたあの白龍の姿だ。
(あの時のまま、無力な俺じゃいられない……)
はじめは膝の上で拳を強く握り、心に誓った。
「そうでしたか! 実は、私もクロベキアの龍族の方に助けてもらったことがあるのです。
……見てください、この格好。その方をリスペクトして、私なりにデザインしたものなんですよ!」
ポチは立ち上がり、フリルとレースがたっぷりの衣装を翻して、どこか得意げに胸を張った。
(……やっぱり。こいつもイオリに助けられたクチか)
「その龍ってのは、『イオリ』のことか?」
はじめが何気なく尋ねると、ポチは弾かれたように目を見開いた。
「イ、イオリ!? あの『どうぶつの人』も、同じ名前を口にしていたような気がしましたが……まさか、それが白龍様の『真のお名前』なのですか!?」
驚愕のあまり、ポチは椅子からずり落ちそうになった。
「あ、ああ。あいつが自分でそう名乗ってたからな」
「なんてことだ……! あのどうぶつの人、あんなに往来のある場所で、龍族の最も尊い真の名を軽々しく口にするなんて! 万が一、悪意ある人間に聞かれたらどうするつもりだったのでしょう!」
ポチの顔がみるみるうちに怒りで赤くなっていく。
「許せません! あの方には、私からガツンと言ってやらなければ気が済みません!!」
「お、おい! 落ち着けって!」
立ち上がって今にも店を飛び出しそうな勢いのポチを、はじめは必死になだめた。
「あいつも悪気はないんだ。ちょっと能天気なところがあるだけで……。
俺からも謝るから、許してやってくれないか?」
はじめは申し訳なさそうに、ポチに向かって頭を下げた。
「はじめさん……」
ポチははじめのその真摯な態度に、じわりと瞳を潤ませた。
「あなたは……本当にお優しい方なのですね。他人の非まで背負って謝れるなんて……」
それを見ていたクレアは、頬杖をつきながら深くため息をついた。
(やれやれ……。こんな状況でも、また『タラシ』の本領発揮か。無自覚なんだろうが、恐ろしい男だな)
クレアは内心で呆れ返っていた。
ポチが喫茶店の会計を済ませ、三人が店から外に出ると、そこには不機嫌そうに街路樹に寄りかかっていたカエデが待ち構えていた。
「あー、やっと出てきたー! 長すぎだよー!」
「そこの『どうぶつの人』!!」
カエデが近寄ってくるより早く、ポチが厳しい指先を彼女に突きつけた。
「先ほど、白龍様の真のお名前を軽々しく口に出した事、ちゃんと私に謝ってください!」
「はぁ!? なによー、いきなり!」
突然の怒声に、カエデは面食らって立ち止まった。
「なによ、さっきから『どうぶつの人』どうぶつの人って! 私にはカエデっていう、れっきとした名前があるんだからね! それに、ただの動物じゃなくて、高貴な『精霊狸』なんだから!」
カエデはフンスと鼻を鳴らし、これまた得意げに反論する。
「精霊、狸……?」
ポチは信じられないものを見るような目でカエデを見つめた後、深く溜息をついた。
「何たる傍若無人で、邪悪などうぶつ……」
ポチはおもむろに懐から小さな手帳を取り出し、真剣な顔でペンを走らせ始めた。
「な、何書いてるのー?」
カエデが横から覗き込もうとするが、ポチはそれを拒絶するように手帳を隠した。
「あなたの言う『たぬき』とやらが、いかに邪悪などうぶつであるかを忘れないように書き記しているのです!
キシアにはいないどうぶつですが、クロベキアにはこんな邪悪な生き物が跋扈しているのですね。
教訓として刻んでおきます!」
「そんなに怒らなくていいじゃなーい! それに、私は全然、邪悪なんかじゃないよ!」
カエデがジタバタと抗議するが、ポチは冷たく言い放った。
「……あなたとは、到底仲良くなれそうにありません」
「もう、二人ともそこまでにしなさいって。喧嘩しないで」
見かねたマナが間に入り、なだめるように二人を引き離す。
(……さっきまでの、命がけの儀式の深刻な雰囲気は、一体どこへ行ったんだ?)
はじめは遠い目をしながら、ピーピーと騒がしく口喧嘩を続けるポチとカエデの姿を、ただぼんやりと眺めることしかできなかった。




