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食卓の火種と静かなる凝視

居間の扉を開けると、そこには温かなシチューの匂いと、明るいランプの光が満ちていた。


そして食卓の中心には、つい数時間前までベッドで荒い息を吐いていたはずのリフリッジが、見違えるほど血色の良い顔で座っていた。


「あ、お兄ちゃん! クレアさん! こっちこっち、もうご飯できてるよ!」


リフリッジは元気よく二人を手招きした。


その隣では、カエデが義理の母親から山盛りの唐揚げをお皿に盛られ、目を輝かせている。


「いやあ、カエデちゃんが不思議な力でリフリッジの体のダルさを取ってくれたみたいでね。本当に助かったわ」


義理の母親が嬉しそうに言うと、カエデはパタパタと獣耳を揺らしながら、顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべた。


「えへへ……大したことじゃないですよ。私の治癒能力で、少しだけ体力を回復させただけですから。

病気の根本的な原因は、クレア先生が治してくれたんですし」


カエデは謙遜しながらも、まんざらでもない様子で唐揚げを頬張った。


あの「純金の玉」の力を失ったとはいえ、カエデに備わっている基礎的な治癒の力は、リフリッジの衰弱した体を癒やすのに十分役立ったようだ。


クレアが鍵を摘出し、カエデが体力を回復させる。


結果的に二人の連携が、リフリッジをベッドから起き上がらせるに至っていた。


はじめは自分の席につきながら、心底ホッとしたように息を吐いた。


すると、リフリッジが申し訳なさそうに眉尻を下げ、テーブルの上に置かれた小さな緑色の小瓶を見つめた。


「でも……ごめんなさい、お兄ちゃん」


「ん? どうしたんだ?」


「せっかくお兄ちゃんが、危険な沼まで行って月光蓮のお薬を作ってきてくれたのに……。


私、クレアさんとカエデちゃんのおかげでもう元気になっちゃったから。


お兄ちゃんの苦労を、無駄にしちゃった……」


リフリッジは膝の上で両手をギュッと握りしめ、シュンと俯いてしまった。


はじめは苦笑いしながら、彼女の頭にポンと手を乗せた。


「馬鹿だな、そんな事で謝る必要なんてないだろ。


この薬を使う機会がないってことは、お前が健康になったって証拠じゃないか。


俺にとって一番嬉しいのは、薬を使うことじゃなくて、お前がこうしてまた一緒にご飯を食べられるようになることだよ」


「お兄ちゃん……」


リフリッジの瞳が潤み、兄への特別な感情がその表情に溢れそうになった、その時だった。


「あれ~? はじめちゃん、あのお医者さんと廊下で長~いお話してたけど、何かあったの~?」


感動的な兄妹のやり取りを真っ二つにへし折るように、マナの甲高く無邪気な声が食卓に響き渡った。


マナは自分の顔ほどもある大きなパンを両手でかじりながら、悪びれる様子も全くなく、はじめとクレアを交互に指差した。


「ずーっとコソコソ内緒話してたよね! マナちゃんは神様だから、お耳がとってもいいんだよ! なんか、すごく真剣なお顔でお互い見つめ合ってたけど、ラブラブなの~?」


ピキッ。


はじめの隣で、何かが凍りつくような音がした気がした。


恐る恐る横を見ると、さっきまで感動で目を潤ませていたリフリッジの顔が、能面のように引き攣っていた。


「……え?」


リフリッジの視線が、ギギギ、と機械仕掛けの人形のようにクレアへと向けられる。


今まで、リフリッジにとってクレアはただの「頼れる近所の女医さん」であり、年上の大人だった。


恋愛対象のライバルとして見たことなど、一度たりともなかった。


しかし、マナの無邪気な一言が、リフリッジの心の中に今まで感じたことのない、どす黒い「嫉妬」の感情を芽生えさせたのだ。


命がけの旅から帰ってきたばかりの愛する兄が、自分よりも先に、他の女と廊下の暗がりで親密に話し込んでいた。


その事実が、彼女の胸をチリチリと焼き焦がしていく。


「マ、マナ! お前、適当なこと言うなよ! 俺とクレアはただ、お前の保護について相談してただけで……」


はじめが慌てて取り繕おうとするが、リフリッジはそれを遮るように、マナに向かってニコリと笑いかけた。


しかし、その笑顔の奥には絶対に怒らせてはいけない類の凄みが宿っている。


「ふふっ……そうなんだぁ。マナちゃんは、何か知ってるのかな~?」


少し怒気を孕んだ、低く冷たい声。


はじめは、思わず背筋をゾクッとさせた。


だが、当のマナ本人はリフリッジの威圧感などどこ吹く風で、「えー? なになに、お姉ちゃん怒ってるのー?」とケラケラ笑っている。


この修羅場めいた空気の中で、ただ一人、全く動じていない人物がいた。


クレアだ。


「……」


クレアは、リフリッジからの刺すような嫉妬の視線も、はじめの慌てふためく様子も、完全に無視していた。


スプーンを持つ手は止まり、口元には微かな笑みすら浮かべていない。


彼女はただ無言で、パンを頬張るマナの顔を、穴が開くほどじっと見つめ続けていた。


その眼差しは、恋愛のいざこざなどという次元の話ではない。


医者が未知の症例を観察するような、あるいは、かつてERageの生体兵器として生きていた彼女の『本能』が、目の前の幼い少女に潜む「何か」を警戒しているような、恐ろしく冷徹で静かな凝視だった。


食卓の温かな空気は消え失せ、それぞれの思惑が交錯する奇妙な沈黙が、居間を支配していった。

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