第4話 王の財布と、見えない罪
王都の喧騒は、今日も変わらない。だが、その裏側では───静かに、何かが動き始めていた。
「……面倒ね」
ハートウェル製薬店の奥。帳簿と書類が広げられた机の前で、アンナは小さく息を吐いた。薬の解析は終わっている。構造的な欠陥も、理からの逸脱も、すでに確信を得た。だが───。
「それだけでは、“裁き”には足りないわ」
この世界は、理屈だけでは動かない。動かすためには───誰の目にも明らかな「罪」の形に落とし込む必要がある。指先で、アンナがつけていた帳簿をめくる。インクの滲み。不器用だが一生懸命な筆跡。そこには、彼女が守り続けてきた実直な商いの記録があった。
「……健全ね。本当に」
アンナの営みは、愚直なほどに正しかった。だからこそ、理不尽に踏み潰された。
「では、あちらはどうかしら?」
視線を上げる。窓の向こう、聖女ミサキの店。あの規模、あの流通量、そしてあの利益。この世界の厳しい税制───ギルドの営業税や、王都の通行税、市場税をすべて正しく納めて、あの安値を維持できるはずがない。
「どこかで、誤魔化しているわね」
その確信に、迷いはなかった。
「……ダーク、報告を」
リリーが短く呼ぶと、影が音もなく床から滲み出た。
「お呼びでしょうか」
「ええ。聖女ミサキの資金の流れ……どこまで追えたかしら?」
「概ね把握しました。表向きは“寄付”という名目で、有力な貴族たちへ資金を還流させています」
「寄付、ね。便利な言葉だわ」
アンナは唇を歪め低く笑った。嘲笑の響きが調剤室に満ちる。
「続けて」
「はい。彼女が納めている税は、本来ギルド加盟者が支払うべき額に比べ、あまりにも少なすぎます。一つは無許可営業ゆえに税務記録が存在しないこと。二つ目は、一部の貴族が“見逃し”の報酬として、彼女から直接裏金を受け取っていることです」
アンナは細い指で机をトン、と叩いた。
「なるほどね。脱税、そして贈賄……随分と分かりやすい構図だわ。つまり彼女は、王様の統治そのものを馬鹿にしているということね」
「はーい、主様! 出番かな!?」
光の粒子と共に、キラが楽しげに姿を現した。
「キラ。確認だけど、この国において“税”とは何を意味するかしら?」
「えーっと……王様にお金をあげること?」
「不十分ね」
リリーは即座に切り捨てた。
「税とは、王の統治権そのものよ。民が秩序を委ねる証。それを誤魔化すのは、この国を形作る『法』への反逆に等しいわ。……ねえ、それって、どれくらい重い罪か分かる?」
キラは無邪気な笑みを消し、少しだけ背筋を伸ばした。
「……あ、それは。かなりまずいやつだね」
「ええ。非常に重いわよ。聖女という名の下で、彼女は王の財布から金を奪い、法を腐らせているのだから」
「主様、これですぐに衛兵に突き出す?」
「いいえ」
アンナは緩やかに首を振った。アンナの瞳が、黄金色に鋭く細められる。
「それでは美しくないわ。これはただの摘発ではなく、世界の歪みを直す“調律”なのだから。彼女には、最後まで自分の正義を振りかざしてもらいましょう。……その上で、すべてを崩すの」
アンナの首元で、いつの間にか現れた赤いリボンが意志を持つかのように揺れた。
「公開の場を用意して。王都の貴族も、商人も、ギルドも……すべてが集まる場所。そこで、彼女の『奇跡』を法とロジックで解体してあげるわ」
「うわぁ、主様、相変わらず容赦ないね!」
「遊びではないと言ったはずよ、キラ」
アンナは立ち上がり、窓の外を見据えた。眩しいほどの陽光が王都を照らしているが、その光が届かない深い闇を、彼女は見つめていた。
「さて……どこまで踊ってくれるかしら、聖女様」
その声はどこまでも優雅で、そして致命的なまでに冷酷だった。




