第3話 独占という名の秩序
アンナの店は、まだ“終わったまま”だった。扉に貼られた封印の札。閉ざされた窓。漂うわずかな薬草の匂いだけが、かつての営みを静かに語っている。その中で、アンナ───の内側に宿るリリーは、静かに棚を見渡していた。不揃いな薬草、手書きの調合記録。
「……これが“過程”ね」
そっと、薬草を指先でなぞる。机の上には、昨日買い集めた“聖女の製品”。この空間の中で、それらは異様なほどに浮いていた。
「種を蒔かずに花だけを並べる……やっぱり、美しくないわ」
ちょうどその時だった。
「アンナ! アンナ、いるのかっ!?」
乱暴に扉を叩く音。続いて、焦った男の声。アンナはゆっくりと振り返る。
「……来たわね」
鍵を外し、扉を開ける。そこに立っていたのは、年配の男───製薬ギルドのギルドマスター、ミラーだった。
「無事だったか……!」
ミラーは安堵したように息を吐くが、すぐに顔を曇らせた。
「いや、それどころじゃない。アンナ、お前……妙なことはしてないだろうな? 聖女様に楯突くような真似だけはするなよ! 今は下手に動けば、ギルドごと潰されちまう!」
ミラーの言葉には、隠しきれない恐怖が滲んでいる。アンナは口を開いた。
「潰される? ……おじさん、誰にさ?」
その声は、いつものアンナのものだ。けれど、どこか落ち着き払っていて、ミラーは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「決まってるだろ! 聖女様だよ!」
「変じゃない? ……聖女様に、ギルドを潰す権利なんてあるの?」
「な、何言ってんだ……王家の後ろ盾があるんだぞ!」
「王家、ねえ」
アンナは一歩、ミラーに歩み寄った。アンナの瞳が、ふわりと黄金色に揺れる。
「じゃあ、ちょっと確認させて。この国で、薬を作る権利を持ってるのは誰?」
「……は? そりゃ、王様だよ」
「あたり。じゃあ、その王様は誰にその権利を分けてあげてるの?」
「……それは、俺たちギルドに……」
「そうだよね」
アンナは、ミラーの言葉を遮るように頷いた。
「王様が『勅許状』を出して、ギルドだけに商売を許した。つまり、製薬は王様が管理してる特権なの。……おじさん、その重い“決まり”を無視して勝手に商売する奴のことを、なんて言うか知ってる?」
ミラーは、ごくりと喉を鳴らした。目の前のアンナは、間違いなくいつもの娘だ。それなのに、投げかけられる問いの鋭さに、背筋が凍るような感覚を覚える。
「……違法、だ」
「もっと正確に。王様の決めたルールを無視するのは?」
「……王権への、侵害だ」
「正解」
アンナは、不敵に笑った。
「だったら、聖女ミサキは何? ギルドに入らず、王様の許しも得ないで、勝手に薬を売ってる。……これ、今のルールに照らし合わせたら何になるのさ?」
ミラーは、何も言えなかった。いや、答えは分かっている。けれど、恐ろしくて口にできない。
「……あいつは、“聖女”なんかじゃないよ」
リリーは、アンナの声を借りて、冷徹に断じた。
「ただの───違法業者だ」
「……だが! 聖女様の薬は、実際に効いてるんだ! 多くの人が助かってるんだぞ!」
ミラーは必死に反論した。目に見える「奇跡」に縋るように。
「知ってるよ。でも、それが免罪符になるわけじゃない。……『結果が良ければ、ルールを無視していい』。そんなことを許したら、この国の秩序はめちゃくちゃになるよ。誰も努力しなくなるし、王様の言葉も価値がなくなる」
リリーは机の上の製品を、爪先で軽く弾いた。
「最終的に、誰も責任を取らなくなる。……それでいいの?」
ミラーは、息を呑んで立ち尽くした。
「……じゃあ、どうしろってんだよ……」
「簡単だよ、おじさん」
アンナの黄金の瞳が、三日月のように細められる。
「“この世界のルール”で戦えばいいの。ギルドの独占権。王家の勅許。無許可営業。……全部、あっちが破ってることだもの」
「お前……本当に、アンナなのか……?」
震えるミラーの問いに、アンナは満足げに微笑んだ。
「証明は、わたしがしてあげる。……さあ、反撃の準備を始めようか」
その声には、圧倒的な確信が宿っていた。処刑台の幕が上がるような、静かで残酷な予感が、古い店内に満ちていった。




