表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/12

第10話 戻った日常と、調律師の旅立ち


 王都に、日常が戻りつつあった。あの騒動が嘘のように、街は再び動き出している。だが、確かに“何か”は変わっていた。


 広場では、あの日起きた出来事がまことしやかに語り継がれている。聖女の失墜、不透明な金、そして───説明のつかない知識を用いた「異端」の消失。人々は口々に語るが、その結論は常に一つに収束していく。


 ───「あれは、最初からこの世界の人間ではなかったのだ」と。


 それでいい。それが、この世界の“整合”というものだ。人々の記憶から詳細は零れ落ち、ただ「秩序が守られた」という結果だけが刻まれる。



 王都の外れ。かつて封鎖されていた小さな薬舗の扉が、静かに開いた。


「……よし」


 アンナは、新しく掲げ直された看板を見上げて、小さく息を吐いた。手は相変わらず荒れているが、薬草を扱う指先に迷いはない。棚には丁寧に乾かされた薬草が並び、秤も元の位置に据えられた。すべては、以前と同じ。


「お、開いてるな」


 背後から聞き慣れた声がした。振り返ると、製薬ギルドのミラーが立っていた。


「ギルドからの正式な通達だ。営業再開の許可、それから……」


 ミラーは少し気恥ずかしそうに咳払いをした。


「“正当な技術を持つ製薬師”として、ギルドの台帳に改めて記録された。……あの時は悪かったな」

「……ううん。あたしの方こそ、ご迷惑をおかけしました」


 アンナは静かに頭を下げた。驚くでもなく、ただ受け入れる。その落ち着いた佇まいに、ミラーは怪訝そうに目を細めた。


「……なあ、アンナ。ずっと気になってたんだが」

「はい?」

「あの公開討論の時……お前、随分とはっきり『王の法』やら『因果』やらを語ってたじゃないか。あの時の凛とした物言いは、一体どこで身につけたんだ?」


 ミラーの探るような視線。アンナは一瞬、きょとんとした顔を見せた後、困ったように笑って首を傾げた。


「えっ?  ……あたし、そんなこと言ったっけ?  正直、あの時は頭が真っ白で、必死すぎてあんまり覚えてないんだよね。……たぶん、お父さんの残した本か何かで読んだことが、口から出ちゃったのかな?」

「……覚えてない?  本気か?」

「うん。気づいたら広場で座り込んでて……なんだか長い夢でも見てたみたい。あたし、変なこと言っちゃったかな?」


 嘘偽りのない、純朴な下町の娘の反応。ミラーは拍子抜けしたように溜息をついた。


「……いや、いい。気のせいならそれでいいんだ。……変なことに首を突っ込むなよ。次は運がいいとは限らんからな」

「はは、気を付けるよ」


 ミラーが去り、店内に静寂が戻る。アンナは作業台に向かい、薬草を手に取った。香りを確かめ、刻み、火にかける。原因があり、過程があり、結果として存在する薬。それが、彼女が選んだ世界の理だ。




 その頃。誰もいないはずの教会の片隅で。


「……終わったわね」


 長椅子の上、一匹の黒猫が優雅に尾を揺らしていた。金色の瞳に、赤いリボン。───リリーだ。


「主様、お疲れ様ー!」


 ぱっと光が弾け、キラが無邪気に現れた。


「いやー、今回も綺麗に決まったね!  あの『聖女様』、今頃元の世界で泣いてるんじゃない?」

「十分よ。過剰な演出は品を損ねるもの」


 リリーは猫の姿のまま、落ち着いた声で返す。その背後で、影が静かに形を成した。


「……次の対象を選定しました」


 ダークだ。感情を削ぎ落とした声で、淡々と報告を始める。


「“自由主義”を掲げる、ある転生者が一名」

「ふふ。面白そうじゃない」


 リリーの瞳が、わずかに細められる。その笑みはどこまでも優雅で、そして冷徹だ。


「道理を無視して“自由”を振りかざす……よくある、醜い歪みね」

「また世界の秩序を壊してるやつだね!  よーし、次も派手にいこう!」

「……騒がしくなりそうです」


 光と影を従え、黒猫はゆっくりと立ち上がった。


「では、参りましょうか」


 その一言で、空間がわずかに歪む。リリーは最後に一度だけ、王都の片隅でひっそりと灯る薬舗の明かりを振り返った。


「……正しい選択をしたわね、アンナ」


 誰にも届かない言葉。調律師は、痕跡も名も残さない。ただ“整った結果”だけをそこに置き、次の歪みへと向かう。


 三つの存在は、音もなく消えた。世界は何事もなかったかのように回り続ける。だが、どこかでまた歪みが生まれるたび、彼女たちは現れるだろう。静かに、確実に。───それは正されるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ