第9話 偽りのヒロインの末路
喧騒は、遠のいていった。誰かの怒声も、罵倒も、もうはっきりとは聞こえない。壇上の中央で。ミサキは、ただ座り込んでいた。視界は滲み、音は歪む。現実が、どこか遠い。
「……どうして……」
かすれた声が、零れる。答えはもう、目の前の少女に突きつけられていた。だが、理解が追いつかない。
(あたしは……正しかったはずなのに)
知っている。元の世界での常識を。効率の良さを。合理性を。それを持ち込めば、この世界の人はみんな喜ぶ───そう、信じていた。
「……違った……の……? だって、あたしの知る異世界はチートで……成り上がれて、皆幸せになってて……」
その問いが宙に溶けるより早く、静かな影が彼女を覆った。顔を上げると、そこにはアンナが立っていた。けれど、もう分かる。その瞳の奥にあるのは、下町の娘のものじゃない。
「……ううん。あんたは、間違ってないよ」
アンナはそう言った。意外な肯定。けれど、その声音には一切の温度がない。
「ただし───“ここじゃない場所”なら、の話だけどね」
その一言が、ミサキのすべてを否定した。
「……どういう……意味……?」
「簡単なことだよ。あんたの正しさはさ、“前提”に寄りかかりすぎなんだよ」
アンナは細い指を一つずつ折っていく。いつの間にか刻は止まり、ミサキの足下には光り輝く魔方陣が広がっていた。
「教育。技術。設備。それから、倫理観。……全部が整った世界でしか成り立たない理屈なんだよ、それは。なのに、あんたは“結果だけ”をこの世界に放り込んだ」
アンナの瞳が、黄金色に鋭く細められる。
「原因も、過程も、全部すっ飛ばしてね。……それはさ、“因果の断絶”って言うんだよ」
ミサキの胸が、ひくりと震えた。
「……いん……が……?」
「原因がないところに、結果は生まれない。それなのにあんたは順序を無視した。だから、あんたのしたことはこの世界と繋がらないんだよ」
その瞬間、ぞくりとした感覚がミサキを襲った。自分の手を見る。その輪郭が───陽炎のように、ほんのわずかに曖昧になっていた。
「……なに、これ……」
「教えてあげるよ。この世界は、“連なり”でできてる。人も、物も、技術も……全部が繋がって今があるんだ。あんたは、その連なりの外にいる。だから、もうこの世界には定着できないんだよ」
「嘘……」
ミサキは必死に首を振る。
「そんなの……ありえないわよ……!」
「そうだね。本来は、ありえない。……でも、“不法に持ち込まれた魂”なら、話は別だよ」
ミサキの呼吸が、止まった。脳裏を掠める記憶。白い光。誰かの声。「選ばれた」という、あの高揚感。
「あんたの中には、この世界のものじゃない要素が混じってる。それが今、この世界の理によって切断されようとしてるんだよ。世界が、異物を拒絶し始めたんだね」
「やめて……」
ミサキの声が震える。初めての本音。純粋な、生存への恐怖。
「やめて……消えたくない……!」
「消える? ……ううん、ちょっと違うかな」
アンナは淡々と訂正した。
「“元の場所へ戻る”だけだよ。あんたは、この世界の住人じゃない。……なら、ここに留まる理由なんて、もうどこにもないでしょ?」
ミサキの視界が歪む。足元が揺らぐ。身体の輪郭は、さらに透けていく。
「……いや……! あたしは……ここで……生きて……!」
「そうだね。だからこそ、あんたは負けたんだよ」
アンナは、見下ろすように冷たく告げた。
「自分の世界のルールを、他人の世界に押し付けた。……それが、あんたの罪だよ」
「……そんなの……知らなかった……」
「だろうね。でも、無知は免罪符にならないよ。あんたが自分で選んで、持ち込んで、広めたんだから。……これは全部、あんたの選択の結果だよ」
ミサキの身体が、さらに光に溶けていく。指先から、腕へ。肩へ。もう、声も満足に出ない。
「……たす……けて……」
その最後の縋りに、アンナはほんのわずかに目を細めた。けれど。
「……お断りだよ」
冷たく、突き放した。
「これは救済じゃない。ただの“調律”なんだから」
歪みを正す。ただ、それだけ。ミサキの姿は完全に光に溶け、何かを言いかけようとした瞳も、次の瞬間には虚空へと消えた。
───静寂。
そこには、もう誰もいない。最初から何もなかったかのように、ただ広場の石畳が広がっているだけだ。アンナは、その空白を一瞥した。
「……完了、だね」
感想は、それだけ。ふわりと風が吹き、アンナの髪先で赤いリボンが静かに揺れた。
世界から異物が取り除かれ、秩序ある静かな午後が、再び王都へと戻っていった。




