3. Very Early
秋と冬の境はどこで決まるのだろう。スワンステークス(G2)を走り終え、中3週で挑むマイルチャンピオンシップ(G1)の頃にはきっと冬と言ってもいい気温になるはずだ。怪我明けで付け焼刃の走りではあったが、ルーキーシーズンの実績があってくれたおかげでスワンステークスが掲示板外でもマイルチャンピオンシップへの登録ができたのは不幸中の幸いと言うべきだろう。最悪二桁順位まで落ちることを予想したが、骨折からの回復度を鑑みるとそれほど悪くないレースだったのではないだろうか。足の調子はピーク時と比べるとまだまだ本調子とは程遠いが戦えないこともない。今年のG1はおそらくこれが最後になる予想だからこの一年の集大成と呼べるレースにしよう。その意気込みだけが今の私を走らせる原動力だった。
すこし肌寒さを感じるような空気を切り裂きながらトラックを走る。松葉杖の生活があったからこそ、こうして今、走ることへのありがたさを感じられている。誰もが皆、速く走れるわけではない。誰もが皆、レースに勝てるわけではない。トレセン学園でもG1はおろか重賞で勝てるのは上位のほんの一握りで、レースで一勝も勝てずにターフを去るものだって少なくはない。以前までの私なら、そんな彼女らを努力を怠った者と一蹴していただろう。でも、速く走れることが当たり前ではないと気づいた今なら確信して言える。私のこの速さは私の努力だけで到達したものではない。必要量の努力をしたうえで、さらに私が「持っている」者だったからこそ戦えていたのだと。今の私は、速さではルーキーの頃の私に劣るかもしれない。しかし、以前の私よりもたしかに強い心を持っている。この心があればきっと、私はもう一度G1の舞台で輝けるはず、そう信じて今日もトラックを走る。
ひとしきりメニューをやり終えたところで休憩に入った。滴る汗を拭きながら水分補給をしていると、私の所属するチーム、チームアスケラの先輩のキングヘイローが話に来た。
「いい走りになってきているわねプレストンさん。マイルチャンピオンシップ、相手にとって不足は無しみたいね。」
「お疲れ様ですキングさん。まだまだ本調子ではないですが、それでも気持ち次第では獲れると思っています。思いの外スワンでは走れましたし、あとは限られた時間でできることをし尽くします。」
「もう、本当にたった一年で頼もしくなっちゃったんだから。これはアスケラの未来も明るいわね。できればその景色を私も見たいけど、こうしてかわいい後輩たちと走れるのも今年で最後になるかな。」
少し寂しそうなキングヘイロー。彼女は何かを思い出しているかのようにトラックを見つめていた。西日が照らすトラックには、きっと色々な思い出が詰まっているのだろう。
「先輩は…有馬まで走りますか?」
「ええ、それで引退の予定よ。キングらしく最後は有馬記念でビシッと決めてくるわ。とその前に、あなたを倒すのが先ね。」
「はい、受けて立ちます。」
「オーホッホッホ!強かでよろしい!このキング、あなたに正々堂々戦う権利をあげるわ!一流の走りをとくとご覧なさい。」
高らかにキングヘイローは謳う。決して最強ではなかった彼女だが、幾度もの敗北を乗り越えてつかんだ勝利は一流の強さの証だ。その輝きを、西日が照らしていた。
自信満々なキングの姿を見てふと我に返る。はたして今の自分には、本当にそのような自信があるのだろうか。彼女のような、空元気ではない強さがあるのだろうか。
「キングさん。一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、なんでもお聞きなさい。かわいい後輩のためならなんでも、このキングが一流の回答を差し上げますわ。」
「ありがとうございます。では.........私は自分の強さを今更ながら気づきました。故郷でも、トレセン学園でも、速く走ることは当たり前で、それで勝つのも当たり前だと思っていました。でも怪我を経験してから走れることが、勝つことが当たり前のことではなかったんだと気づきました。もちろん努力を怠ったことはありません。それでも、努力だけでは解決できない存在に気づいたんです。才能だったり、生まれ持った素質だったり。そういう諸々を含めて強さなんだと。だから今の私は確実に前の私より強い心を持っています。ですが、その心を持っているのに前よりも速く走れていない。まるで心に身体が追い付いていないようで。一体、今の私はどうすればよろしいんでしょうか。」
存外に真面目な質問だったのか、一瞬混濁した表情をみせたキングヘイローだったが、その顔はすぐに凛々しい面立ちになりまっすぐこちらを見つめなおした。
「まったく…かわいい後輩だと思っていたのに、いつのまにかこんなに逞しくなっちゃって。」
彼女は少し瞳を潤ませながら続けた。
「そう…強さね。私もお世辞にも強いとは言えないわよね。G1をいくつも獲っているわけでも、いつも掲示板に食い込むわけでもない。かくいう私も高松宮記念以外でG1は勝ってないもの。まあ、これからマイルチャンピオンシップと有馬記念勝って有終の美を飾るのですけども。まあそんな話はおいといて…私も高松宮記念で勝つまではそれはもうがむしゃらだったのよ。適正なんて言葉無視してひたすらレースに出て、仕舞にはダートまで走ったんだから。でもね、そんな私が高松宮記念で勝った理由はただ一つ…」
夕闇がぬらりと動いた。
「諦めなかったからよ、決して。後ろ指をさされようと、馬鹿にされようと、私はG1を獲るまで絶対に諦めなかった。走り続ければいつかきっと、輝ける場所にたどり着くと信じていた。そうして掴んだのがあの高松宮記念。クラシックにグランプリ、ダートまで走った私がまさかスプリントで勝つなんて誰も予想しなかったでしょうに。結局、挑戦したもん勝ちなのよ。その挑戦し続けることこそ、一流の強さではなくて?」
なんど敗れようとも首を下げなかった、彼女なりの力強い言葉だった。
「プレストンさん。今はまだ勝てないかもしれない。でも、あなたが挑戦をしなければ、勝利は絶対にやってこない。だから勝てなくても、勝つまで。明日も明後日もその先も、走り続ければいいのよ。勝つまで走り続ける。そうすればあなたの心の強さにいつかきっと身体が追い付いて、その時にきっと、勝つの。」
ふく風が髪をすり抜ける。まっすぐ見つめるキングの言葉に、何一つ偽りは混ざっていなかった。
「あなた、ちょっとデジタルさんと似ているところがあるわね。彼女も前に似たようなことを聞いてきた時があったわ。ちょうどマイルチャンピオンシップに彼女も出るみたいだからいいライバルになるんではなくて?」
「デジタルさん.........。ああ、アグネスのヤバいほうの。最近ダートで結果を残している方ですね。確か前にニュージーランドトロフィーで戦ったような。てっきりそれ以降ダートに転身したかと思ったんですが、マイルCSにも出るんですね、彼女。」
「ええ、彼女ちょっと変わった子だけども、走りはホンモノよ。ダート娘だと思って甘く見ていると後ろ髪をひかれるかもしれないわね。まあどのみち、私もあなたもデジタルさんも同じ舞台に立てばみんなフラット。走りで白黒はっきりつけましょう。もちろん勝つのはこの私、キングですけども!オーホッホッホ!」
それでは。と、手を振っていってキングヘイローは去っていった。夕日が沈み、吹く風の冷たさが改めて心を落ち着かせてくれる。
『明日も明後日もその先も、走り続ければいいのよ。』
反芻する、心の中で彼女の言葉を。きっと今は「速さ」ではなく「強さ」を求めているのだろう。だからこの先どんなレースに出ても、私は勝つまでその強さを追い求めることになる。それはつまり、勝つまで走り続けるということ。その道のりは決して平坦ではないだろうが.........
「案外、私にあっているかもな。」
故郷を思い出す。私は勝つことよりも、あの芝の上で空気を撫で切りながら走るのが何よりの幸せだったのだと。日本に来たのも、速くなるためではなく強くなるため。だから私は、もっと走りたい。この芝の上で誰よりも「強く」走りたい。
『私もっとたくさんのトロフィーが欲しい』
なら、やるべきことは一つ。
私は再びトラックに走り出した。




