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鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
第壱章【華ノ国動乱】
9/13

其ノ伍『無我ノ代償』


 【華ノ国】にようやく到着した〝白髪の鬼狩り〟――鬼道丸。

 

 末吉の村から約十日。

 長く続く街道をひたすら歩き続け、【火ノ国】領内を通り過ぎた先でようやく【華ノ国】が遠くに見えてきた――。

 

 山に囲まれた盆地の中央、灯りを溜め込むように広がる都――

 外界から切り離されたその場所は、逃げ場のない楽園のように見えた。

 

 その道中、鬼道丸は事あるごとに【華ノ国】にまつわる暗い噂を多く耳にした。

 

 人が攫われ消える国、『土蜘蛛』が巣を張る鬼の巣窟だ――と。

 そして、【華ノ国】の国主はあろうことか――高額な報酬金をちらつかせて大勢の流浪の鬼狩りを雇い、『土蜘蛛』討伐をやらせているらしい。

 

 世も末――という雰囲気が【華ノ国】に近付く程、濃厚になっていく異様な感覚。

 しかし、それは鬼道丸が『土蜘蛛』に近付いている証拠なのだろう。


 そんな情勢下、【華ノ国】へと向かう人々の客足も疎ら――行商人や飛脚、着物や香物を運ぶ荷車、ふたりの男に担がれながら街道を進む駕籠。

 客としてではない。

 商いを目的とした者が鬼道丸の目についた。 

 

 そんな民衆の流れに目をやりながら鬼道丸もまた【華ノ国】の首都『華ノ都』を目指して歩き続けた――。 


 日が傾いた。

 西日が『華ノ都』へ続く開けた街道を照らす。

 

 そろそろ夜になるからだろうか。

 街道を行き交う人の姿が徐々に少なくなる。

 ふと後方からやってきた旅人は足早に鬼道丸を抜き去って、慌てて『華ノ都』へと急ぐ。


 暗い噂の絶えぬ土地――夜に出歩くのはご法度だ。


 ぽつぽつと赤い灯火が灯りだした『華ノ都』を遠目に、鬼道丸は急ぐ素振りも見せずに乱れぬ足取りで街道をひた歩く。


 気が付けば、周囲に薄っすらと夜の帳が下り始めている。

 いよいよ気が抜けなくなってきた。

 街道を歩いてゆく中、ふと街道に漂う雰囲気が沈む感覚があった。

 

 まるで〝何か〟の縄張りに入ったかのような――。


「先を急ごう…」

 ぽつりと呟いた鬼道丸が遠くに見える赤い灯りを頼りに足早に『華ノ都』へと急いだ。

 

 そのとき――開けた街道の脇に生い茂る林の中から突如黒い人影が飛び出してきた。

(――『鬼』!?)

 咄嗟に身構えた鬼道丸が腰に差す鬼斬刀の柄に手を掛け、警戒の眼差しを向ける。

「うぅ…う…」

 林から飛び出した人影は謎のうめき声を漏らしながら、よろよろとしばらく街道でふらついた後、そのままドサリと力無くその場に倒れ込んだ。

 ――気配を探る。

(…人?)

 瘴気は感じない。

 少なくとも『鬼』ではないようだ。

 鬼道丸はスッと目を凝らし、夜の薄闇の中で倒れ込むその人影を見遣る。

 

 それは傷付き血に塗れた男の姿だった。

 全身傷だらけ、身に纏う装束はところどころ切り刻まれ、乾いた血がべったりと付いている。

 そして、その手には折れた鬼斬刀が握られていた。


「大丈夫ですか!」

 鬼道丸は急いでその鬼狩りに駆け寄った。

「う…あ、あんたは?」

 霞む視界の中、鬼道丸を見上げたその鬼狩りが掠れた声を喉から絞り出す。

「今は動かないで下さい。すぐ手当てを――」

 そう言って、腰帯に提げた巾着の中から巻かれた包帯を取り出す鬼道丸が急いで手当てを始める。

「だ、駄目だ…止めろ」

 だが彼はすぐにそれを制止した。

「まだ、追って…」

 必死で何かを伝えようと鬼道丸の襟を掴む。

 そのとき、彼が飛び出してきた林の中から鋭い殺気がぴんと走った。

 

 反射的に鬼道丸はその場から飛び退くと同時に、腰の鬼斬刀を掴んで抜き放つ。

 

 次の瞬間――目に見えぬ〝風の刃〟が鬼道丸の目の前を掠めて過ぎた。

 

 視認できないが、感覚で分かる。 

 風に乗って伝わる気配、これは――『瘴気(しょうき)』。


 ザザッと着地した鬼道丸。

 すぐさま地に伏す鬼狩りを庇うように立ち塞がり、林の中に潜む気配へと鋭い眼差しを向けた。

 そこから姿を現したのは――。

 

「へぇ、『藍』の風刃を避けやがるのか。良い動きするじゃん…」

「まぐれよ。『茜』の殺気が漏れたんじゃないの」

 同じ顔、同じ背丈をした双子の少女――だが、身に纏う気配は『鬼』のそれ。

 

 『茜』と呼ばれた短い赤髪の女鬼と、

 『藍』と呼ばれた青みがかった長髪の女鬼。

 

 その二体の鬼は身に纏う衣や雰囲気、口調さえも全く違うのに顔だけは不気味なほどに全く同じ――小さく整った少女の顔貌をしていた。

 

「漏れてねぇし」

「いや、漏れてたわよ」

 何やら口喧嘩を始めた双子の女鬼。

 その間にも鬼道丸は体内で静かに『闘気』を練り上げていた。 

「お前達は…」

 チャキ、と静かに鬼斬刀を構えながら鬼道丸が油断なくその双子ノ女鬼を見遣る。

 

 その殺気を感じ取り、口喧嘩を止めた双子。

 

 すると、赤髪の女鬼――『茜』が何かに気付く。

 

「ん?ていうか、お前…」

 

 夜の薄闇の中、ふと目を凝らした赤髪の女鬼がスッと深紅の鬼眼を細めて鬼道丸を凝視した。

 

「白髪頭に灰色の装束、赤い襟巻――チャグモを()った鬼狩りね…」

 

 その隣、青みがかった長髪の女鬼――『藍』が巨大な鉄扇に手を添えながら冷静な視線を鬼道丸へと巡らせる。

「チャグモ…?」

 そんな彼女達の言葉に反応し、鬼道丸が眉間にしわを寄せた。

「やはりお前達は『土蜘蛛』の…」

 鬼道丸が言い終えるより先、ふと『茜』の姿が消えたかと思うと、瞬時に間合いの内側へと深く踏み込まれていた。

 思考より早く鬼道丸が受けの構えを取ると、そこへ『茜』の強烈な蹴りが叩き込まれる。

 寸前、鬼道丸は真正面から受け止める。 

 衝撃は逃がすも全身の骨が軋むほどの威力が残る。

  

 もし直撃していれば体は木っ端微塵に砕け散っていただろう。

 

「っは!私の蹴りまで受けるのかよ…!」

 

 まるで新しい玩具を手に入れた子供のように『茜』の顔が輝いた。

 

 半歩後ろに足を退き、蹴りの衝撃を巧くいなした鬼道丸はスッと流れるように鬼斬刀を構え直し、流麗な太刀筋で『茜』の脚を狙って一閃させる。

 

 二対一。

 

 鬼道丸は圧倒的不利。

 この場合、まず片方の機動力を削ぐ。

 

 その上で討伐か、撤退かを判断する。


 ――ジンの教えだ。


(まずは、赤――)

 

 その刃が『茜』のしなやかな脚を斬り落とす――かに思われたが、フッと死角から飛来した殺気の風が鬼道丸の動きに急制動を掛けさせた。

 ぴたり、と動きを止めた刹那、軽く地を蹴った鬼道丸がその場で跳躍すると華麗に身を翻して目に見えぬ風刃の嵐を躱した。

 

 が、完全には躱し切れずに鬼道丸の頬に一筋の傷が刻まれた。

 

 ザザッと鬼道丸と『茜』が間合いを取って着地する。

 

「雑よ、『(アカネ)』…」

「うん。ちょっと遊び過ぎた…」

 再び林を背に肩を並べた双子の女鬼が短い会話を交わす。

 

 鬼斬刀を構え直しながら鬼道丸は冷静に眼前の鬼を分析する。


 見たところ、『茜』は純粋な近接肉弾戦の型。

 対して『藍』は風刃を駆使した〝飛び技〟で闘う型。

 

 近と遠、隙がない――。

 

「厄介だな…」

 ぽつりと呟いた鬼道丸の頬に血が垂れる。

 そんなことなど気にせず、鬼道丸はふと傍らの傷付いた鬼狩りを見遣った。

 

 出血が酷い――。

 すぐにでも手当てしなければ命に関わる。

 

 刻々と鬼狩りの命の時限が迫ってきていた。


(――焦るな。集中しろ)


 深く息を吐き、精神を研ぎ澄ませる。

 視覚だけでなく、気の流れを〝読む〟――。


 スーッと鬼道丸が身体に帯びる闘気の揺らぎが一筋の線となるまで研ぎ澄まされた。

 ふと鬼道丸が瞳を閉じる。

 

 奥義『無我ノ境地』――。


 鬼道丸が身に纏う雰囲気が変わった。

 周囲の音を攫い、無音と錯覚させる程に気配を研ぎ澄ませる。


 ぞわり――。


 静かな〝圧〟が風となり、双子ノ女鬼へと押し寄せた――同時に、ただならぬ悪寒が背筋を強張らせた。


 瞬間、フッと鬼道丸が消える。

 

 次に姿を現した時、彼は『藍』の懐深くへ斬り込んでいた。 

 突然の肉薄に『藍』の反応が一拍遅れる。


 ――『雲凪(くもなぎ)


 【瞬脚】による神速の踏み込み。

 そこから繰り出される胴を狙った一閃が『藍』を斬り裂く――刹那、横合いから割り込んだ『茜』の前蹴りが鬼道丸の刃を止めた。

 

 ドッと刀を持つ手を蹴られる。

 しかし、不意を突かれた『茜』の蹴りは浅い。


 鬼道丸は流れを止めることなく、崩れた姿勢から返す刃で刀を振るう。


 ――ザシュ。


 意識外からの一太刀が『茜』の肩を裂いた。


 黒い瘴血が舞う中、間髪入れず鬼道丸はさらに半歩踏み込む。

 

 ――濃密な死の気配。

 

 その圧に『茜』の動きが止まった。


 がら空きの胴――そこへ鬼道丸は白刃を滑らせた。


「舐めるな!」


 間一髪、藍が放った風圧が鬼道丸の刃の軌道を変える。


 しかし、鬼道丸の刃は止まらない。

 流れるような太刀筋が双子を追い詰める。


 その猛攻に、ついに『藍』が顔を歪めた。 


 次の瞬間、『藍』が両手に抱えた巨大な鉄扇をバンと展開させる。


「離れて!」


 咄嗟に叫ぶ『藍』の鋭い声音。

 

 咄嗟に『茜』がその場から離脱する。

 と同時、『藍』が勢いよく鉄扇を薙いだ。


 一瞬、場の温度が急激に下がった。


 ――『鎌威断・散華(かまいたち・さんか)』!

 

 不可視の風刃が至近距離から鬼道丸へと殺到する。


 広範囲に広がる風刃。

 ここから避けるのは不可能。

  

 ふと鬼道丸が目を伏せた。

 

 ザリとおもむろに地を踏みしめ、鬼斬刀を握る腕に力を込める。

 

 風を切る音が微かに聞こえる。


 ガガガ――鬼道丸は視覚に頼らず、感覚のみで鬼斬刀を振るい、目に見えぬその風刃を打ち落としてゆく。


 言うは易し、行うは難し。

 

 天性の鋭敏な感覚と常人離れした反射神経。


 それによって実現した鬼道丸の――〝離れ業〟


 鋭利な風刃の嵐を凌いだ鬼道丸。

 そこに立つ身体には傷一つ付いてはいなかった。

 

 澄んだ瞳が再び双子を見遣り、さらに深く踏み込もうとした――その瞬間、鬼道丸の肺が悲鳴を上げた。

 

 呼吸を忘れていたツケが一気に押し寄せ、鬼道丸は苦しげに肺から大量の空気を吐き出した。

 

「ッハ…ハァ、ハァ…」

 

 大きく肩で息をする鬼道丸。


 『闘気』の〝乱れ〟が隠し切れない。


 肺が焼けるように痛む。

 吐き出した空気に鉄の味が混じる。


 指先の感覚が薄れ、刀を握っているのかすら曖昧になる――


 その隙を逃さず、藍は大きく鉄扇を振るった。


 巻き起こる風が鬼道丸に襲い掛かった。

 壁と激突したのかと錯覚するほどの破壊力。


 為す術もなく鬼道丸は遥か後方へと吹き飛ばされる。


 受け身も取れず、鬼道丸は地面に転がった。


 全身を襲う激痛にその顔が歪む。 

 

 極限まで集中を高めた無我の刃。

 それは呼吸さえ忘れ去った鬼道丸の絶技。


 だが、使用後は気操作の精度が著しく低下するという弱点もある文字通り――〝諸刃の剣〟


 短期決戦に持ち込む際の〝奥の手〟である。


 だが、二体一ではさすがに分が悪過ぎた。

 片方だけならさっきの一手で〝()れていた〟はずなのに――。


 口惜しげに鬼道丸は霞む視界で二体の女鬼を捉えた。


「今のは…危なかった」

「えぇ…尋常じゃないわ、このガキ…」


 隙なく構えた双子ノ女鬼。


 そこにさきほどまでの余裕はない。

 二体は鬼道丸のことを格上の脅威と見做した。

 

「遊んでる余裕はないわよ」

「だけど、この感じ…今なら――」

 

 短い会話――双子ノ女鬼はじりと攻めの気勢を見せつつ、油断なく鬼道丸を見遣った。

 

 狡猾なふたりは気付いている。

 

 今の鬼道丸は気の操作ができない。

 『身体強化』もできぬ只の『人』だ、と。

 

 格好の獲物――。

 

 双子の鬼眼に捕食者の冷徹な光が宿った。

 

 〝逃さない〟――二体の圧が距離を詰めてくる。


 そして、即座に『茜』が仕掛ける。

 

 ダンと地を蹴り、獣のごとく鬼道丸へと襲い掛かる。


仕舞い(しまい)だ、白髪頭!」


 赤い鬼眼を見開いた『茜』が鬼道丸に急接近してくる。


 霞む視界の中、鬼道丸に死の気配が迫る。


 気も練れず、霞む視界と乱れた呼吸。

 

 受け切れない――。


 そう直感した鬼道丸が震える手で鬼斬刀を構えた。


 そのとき、〝華紋(はなもん)〟の意匠を背負う袖無しの狩羽織が鬼道丸達の戦いに介入する――。


 鬼道丸に迫っていた死の気配が静かに遠ざかる。


 黒基調の狩装束に袖無しの白羽織、洗練された強者の風格を漂わせる細身な鬼狩り。

  

 そんな彼が迷いなく『茜』の前に立ち塞がると、何も言わずに腰に差した鬼斬刀の鯉口を切った――。


「なんだテメェ!?」


 それでも構わず『茜』は突撃する。

 その『茜』の動きを見、『藍』がぴくりと表情を歪める。


 この圧、あの構え――〝待っている〟


「駄目よ!」

 鋭い叫び声――だが、その声は『茜』には届かない。


 だが、その間合いに入った刹那、ピンと殺気の意図が弾け、『茜』の肌を粟立たせた。

 

 ――『頸落(くびおとし)

 

 目にも留まらぬ速さで鬼斬刀を鞘走らせる。 

 その流麗なる刃は骨ごと断つ軌道を描いて最短で『茜』の頸を狙う。

 

 〝死〟――。


 本能的に危険を察知した『茜』が体勢を崩してまでその刃の下へ潜り込んだ。


 理解していた訳ではない。

 ただ生き延びるためにその軌道を選んだのだ。

 

 膝を突き、地を滑るように刃を躱した『茜』。

 だがその体勢が大きく崩れ、致命的な隙を生じさせる。


 そこへ間髪入れずに鬼狩りの追撃の刃が迫る。


――『袖飛車(そでびしゃ)


 肩から先を斬り落とす強烈な斬撃が一直線に振り下ろされる。

 

 人体の構造を熟知した緻密かつ冷徹な太刀筋。 

 瞬時に両腕に瘴気を纏わせた『茜』が腕を交差させてその斬撃を受け止める。

 

 が、その刃は深く腕に食い込み、黒い瘴血が噴き出す。


「…生存本能は獣並だな」


 顔色ひとつ変えず鬼狩りが独り言のように呟く。


 斬り落とすつもりだった。

 が、わずかに追撃に意識が向きすぎたのか。


 それとも『茜』の野性的な本能が死の気配を察知し、刃の速度を上回ったのか。


「次から次へと…何なんだよ、お前ぇ!」


 怒りが頂点に達した茜が叫ぶ。

 茜の鬼眼が深紅に染まり、鬼の形相を浮かべる。


「見て分からんかね――」


 冷淡な眼差しで『茜』を見下ろす細身な鬼狩り。


「君等の天敵、〝鬼狩り〟だよ」


 不遜に笑った鬼狩りが刀を握る腕に力を込めた。


 ブシュ、と『茜』の腕から黒い血飛沫が上がる。

 押し切られる、そう悟った『茜』の表情にわずかな恐怖が滲んだ。


 その次の瞬間。


 ――『鎌威断・葬槍(かまいたち・そうそう)


 ボッと吹き荒れた突風が収束し目に見えぬ槍となって鬼狩りへと襲い掛かった。


 が、それよりも早く刀を引いた鬼狩りがバッとその場から後退した。

 

 一拍遅れて、これまで鬼狩りがいた場所に目に見えぬ風の槍が虚しく過ぎ去り、後方の地面を抉り飛ばした。


 タッと軽やかに着地した鬼狩り。


 彼は自然と鬼道丸の目の前へと舞い戻る。

 〝華紋(はなもん)〟の意匠を背負った袖無し羽織の細身な背中が鬼道丸の視界を遮った。


 洗練された動き、研ぎ澄まされた技。

 そして、常に数手先を見通す〝読み〟――。


 常に最前線で戦い続けた男の力強い背中。


 鬼道丸はその姿を見上げ、ぐっと息を呑む。

 

「無茶をする。早死(はやじ)にするぞ…少年」

 

 ちらりと背後を見遣る鋭い目――叱るような言葉だが、その声音には鬼道丸に対する称賛が滲んだ。


「だが、よくぞひとりで持ち堪えた…」


 フッと鬼道丸を見遣る目に柔らかな光が宿った。


香坂準上席こうさかじゅんじょうせき!この人、出血はひどいですが、まだ息はあります!」


 気が付けば、鬼道丸の背後――地に伏す『野良狗』の傍らで片膝を突く眼鏡を掛けた若い鬼狩りが報告の声を上げる。

 

「松太郎、お前はその者を連れて先に『医術所』へ」

「はっ!戻り次第、すぐに増援を――」


 短いやりとり。

  

「不要だ。この二体は私ひとりで対処する…」

 

 香坂はそう云うと、チャキと鬼斬刀を握り直した。

 

 双子を見据えるその眼に嘘はなく、本気で()りに来ている静かな圧が閃く。


 この場の主導権は完全に香坂が握っていた。

 

「…分かりました」

 その背中を見、小さく頷いた青年――松太郎(まつたろう)が『野良狗』を肩に担ぐと、フッとその場から姿を消した。


「ぼ、僕も…」

「立つな。今の君では足手纏いになる」


 徐々に感覚の戻った手で鬼斬刀を握り直しながらその場に立ち上がろうとする鬼道丸を香坂が鋭く制止する。


 ちくり、と胸の奥に鋭い痛みが走る。

 反論できない鬼道丸はぐっと歯噛みするしかなかった。


「それに――」


 そこで香坂が不意に言葉を切る。 


「もう必要なさそうだ…」


 確信めいた香坂の言葉。

 その目が『茜』の背後、後方に余念なく控える『藍』に向けられた。


 しばらく鋭い視線を交差させる両者――。 


「なんだよ、コイツ…」

 じり、と『茜』が香坂との間合いを測る。

 そこに先程までの好戦的な笑みは消え、代わりに浮かぶのは明確な警戒――。

「引き際だよ、『茜』…」

 その背後、不機嫌そうに顔を歪める『藍』が口惜しげにそう告げる。

「…クソ」

 振り返らず、『茜』も唇を噛む。


 『茜』を相手取りながら『藍』も注視している鬼狩りの動き、間合い、精度――二対一の不利な現状ですら、この鬼狩りは崩れない。


 明らかに格上――。

  

 先ほどの動きを俯瞰し、『藍』はそう直感する。

 そして、それと同じ結論が『茜』の中でも確かにあった。

 

「…分かった」

 そう言うと、『茜』はタンと軽やかに地を蹴り、『藍』の傍まで飛び退いた。

 それと同時に『藍』が巨大な鉄扇を開き、ズッと己の瘴気を渦巻かせる。


 バン、と己の足許に鉄扇を振るった『藍』が土煙を巻き上げ、その中に『茜』と共に姿を眩ませる。

 その寸前、双子の鋭い眼光が鬼道丸へと向けられた。


 次こそは――そう云っている気がした。


 吹き荒れる風圧が押し寄せる中、香坂は警戒を解かぬまま、静かに目を細める。

 

 土煙の向こう、双子ノ女鬼の気配が遠ざかり、そして完全に消えた。


 そこでようやく香坂の気配が緩む。


「深追いは不要か」


 静かに呟き、チンと鬼斬刀を腰の鞘に納めながら不意に鬼道丸へと視線を向ける。


「…君、名は?」

 端的な質問、香坂は静かに鬼道丸を見据える。

(この若さで二体の鬼と渡り合うか――)

 まるで品定めでもするかのような光がその目に閃いた。

「…鬼道丸です」

 呼吸を整え、絞り出すように鬼道丸が短く答えた。

「ふむ…聞かぬ名だな。今までどこにいた?」

「――なぜそんなことを聞くんですか?」

 質問の意図が分からず、思わず鬼道丸が聞き返す。

「いや、いい。詮索は無粋だな」

 フッと香坂がわずかに口元を緩めた。


 『土蜘蛛』の配下を二体も相手取り、一時的とはいえ圧倒した若き『野良狗』――。


 実力は十分。

 残るは実戦経験のみ。


 もし全てが揃えば――。 


 その素養は目を見張るものがあった。

 

 しかし、有望とはいえ、彼も所詮は『野良狗』――何かを見出そうとする自分の感情を悟り、静かに自嘲したのだ。

 

「君も見た目以上に消耗している。『医術所』で看てもらうといい…」

 

 そう言うと、香坂はスッと鬼道丸に手を差し伸べる。

 

 無駄な筋肉のないしなやかな腕。

 だが鬼道丸が手に取った掌は力強く、そして硬かった。


 刀を握り続けた者の重み――。

 

「あ、あの…ありがとうございました」

 体を引き起こされ、立ち上がった鬼道丸は礼を伝える。

「礼には及ばぬよ。元々あの『野良狗』の救出は任務だった。君がいなければ、間に合わなかっただろう」

「あ、あの…『野良狗』って?」

 何も知らぬ童のような顔を向ける鬼道丸を見下ろし、香坂はわずかに目を見開くと、微笑する。

 

「…面白いな、少年」


 気が付くと、香坂はそう呟いていた。


「だが、説明はあとだ」


 そう言うと、香坂はまるで鬼道丸を誘うようにくるりと踵を返し、【華ノ都】の方角へと体を向ける。


「君はなぜこの国にやって来たのだね?」

 

 わずかに振り向き、鬼道丸を見遣った香坂が短く問うた――その眼差しは出会って間もない新参者の彼を測っている。


「『土蜘蛛』という鬼を討ちに――」

 

 鬼道丸はその問いに迷いなく答える。

 

 そこには恐れも慢心もない。

 ただ己の使命としてその身に刻む忌憚なき言葉。

  

 それを聞き、香坂の口元を緩める。

 

「ならば、私と来たまえ。鬼道丸くん」


 自然と香坂は鬼道丸を誘い掛けていた。


 その言葉に鬼道丸は黙って頷き、彼の背中についてゆくことにした。


 遂に鬼道丸は『土蜘蛛』を討つべく、【華ノ国】へとやって来たのだ――。

  

 ――第壱章其ノ伍 完

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