表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
第壱章【華ノ国動乱】
8/13

其ノ肆『糸引く影』


 【華ノ国(はなのくに)】近郊――。

 昼もなお薄暗いその一帯は風も通りにくいほどに木々が鬱蒼と生い茂っていた。

 鳥の声も虫の声もしない静止した空間。

 あるのは、湿った土の臭いと淀んだ空気だけ。


 そのさらに奥、小高い山の上に朽ち果てた武家屋敷が残されていた。

 

 かつて戦乱の世、この地を治めた豪族の居城だったその屋敷は今は見る影もない――。

 広い敷地を囲む土塀は所々崩れており、傾いた正門は半ば倒壊寸前。

 瓦は割れ、柱は傾き、庭は荒れ果てて久しい。

 

 だが、そこは放置された廃墟ではない。 

 屋敷の軒から軒へ、庭木から屋根へ――土と瘴気が混ぜ合わされた『土瘴糸(どしょういと)』が幾重にも張り巡らされている。


 風もないのに微かに擦れる糸。

 それはまるで生きているかのようだった。


 そんな敷地の最奥、崩れかけた母屋(おもや)

 開け放たれたままの穴だらけの障子を進むと、光を通さぬ薄暗い空間が広がる


 ひときわ大きく開かれたその空間はまるで『座』を設けるかのように整えられた〝大広間〟。


 その壁や天井には『土瘴糸』が何重にも重ねられ、絡み合い、黄土色の層を形成している。

 

 そしてその天井から、

 ――無数の繭が吊るされていた。

 

 大小様々――人ひとり分の大きさのものから、子供ほどの大きさのものまで。

 

 そんな大広間の上座に鎮座する女の姿。


 黄土色と黒色の着物、乱れ一つない兵庫髷、異様なほどに白い肌――まるで血の通っていない死人のような白。 

 そして、その顔立ちは――恐ろしいほど整っていた。

 

 人を惹きつける美貌。

 しかし同時に、本能が拒絶する“異質”。

 

 長い睫毛の奥、半ば閉じられた黄色な瞳がゆっくりと開く。


「遂に【華ノ国】が動くぞ、『土蜘蛛(つちぐも)』」


 突如として冷淡な声音が薄暗い大広間に響いた。

  

 薄暗い大広間の隅、影の中から黒面で顔を覆う一体の鬼――『(おぼろ)』が姿を現す。


 影に紛れた朧気な気配。

 そこに在るようで、認識を薄める希薄な存在。


 そんな異様な雰囲気を醸しながら『朧』は悠然と上座の女鬼――『土蜘蛛』へと片方だけの鬼眼を向けた。

 

 そんな『朧』を一瞥した『土蜘蛛』がスッと黄色い瞳の鬼眼を細める。


「お前を討伐する為に懸賞金を懸け、各地から腕利きの『野良狗(のらいぬ)』を募っているようだ」

 抑揚をつけず、淡々と状況を語る朧。

 その血色の眼が『土蜘蛛』を静かに見詰めた。

「殊勝なことね――」

 フッと『土蜘蛛』がその薄い唇をわずかに緩める。

 

 笑みと呼ぶにはあまりにも冷たい――

 

「自ら〝餌〟を集めてくれるなんて…」

 獲物を見据えた〝捕食者〟として『土蜘蛛』の鬼眼に妖しい光が閃いた。

「数も質も悪くはないだろう。加えて、【華ノ国】の鬼狩りも混じる」

 そう言って、『朧』の鬼眼が嗤うように歪んだ。

「〝襲撃〟で手駒が減ったとしても、すぐに補充できるはずだ」


 そこに情などはない。

 彼女の配下を単なる数としてしか見ていない。

 

「心配には及ばないわ――」

 不意に『土蜘蛛』が天井を見上げる。

「〝蓄え〟なら十分ある…」

 そう言って『土蜘蛛』は不敵に嗤う。 

 吊るされた無数の繭――それが彼女の言う〝蓄え〟なのだろう。

 

「そうか。なら、良い」

 影に佇む『朧』は視線は逸らさず、短く応える。  

「で、いつ仕掛けるのだ?」

 不意に『朧』が問うた。

 その言葉に『土蜘蛛』の視線が『朧』に移る。 

「準備は…?」

「とうに…」

 短い応答――ぴんと『土蜘蛛』の気配が張り詰めた。

 

 その間、『朧』と『土蜘蛛』は視線だけの会話する。

 

 今、『朧』と『土蜘蛛』は一時的な協力関係――そこに主従関係はない。 

 お互いに利害が一致しているからこそ、こうして穏便に話を進んでいるに過ぎない。

 もし『朧』が何の前触れもなく『土蜘蛛』の縄張りに足を踏み入れようものなら、即座に彼女の配下が総出で『朧』を排除しに掛かるだろう。

 そして今も『土蜘蛛』の配下は『朧』の存在を良しとはしていない。

 

 今こうしている間にも『朧』は周囲に潜む夥しい程の気配に取り囲まれている。

 

 襖の裏、天井、床――至るところに潜む気配。

 

 いつ〝主〟の号令が掛かるか、と前のめりにこちらの様子を窺っている。

 だが、『朧』は周囲からの静かな殺気など全く意に介さず、気にしているのは『土蜘蛛』の返答だけだった。

 

「…仕掛ける時期はお前に任せよう」

 不意に視線を切った『朧』が肩をすくめる。 

「俺も頃合いを見て動く。それで構わんな?」

 影に潜む『朧』が確認の眼差しを『土蜘蛛』に向ける。

「えぇ…貴方が手筈通り動いてくれれば、〝楽〟に【華ノ国】を墜とせる。頼りにしているわ」

「心にもない台詞だな。俺を絡め取ろうとしても無駄だぞ、『土蜘蛛』…」

 耳障りの良い言葉を吐く『土蜘蛛』がにやりと黄色の鬼眼を歪ませると、『朧』は不愉快そうに鬼眼を細める。

「あら、冷たいのね…」

 くつ、と笑った『土蜘蛛』がおもむろに天井に吊るした白い繭を引き下ろすと、細い指先で触れる。

 びくり、と震える繭――その中にはまだ人の形を保った〝何か〟が閉じ込められている。

 恍惚にも似た表情を浮かべ、『土蜘蛛』は次にその白い繭を撫で、まるで我が子のように『土蜘蛛』はその繭を愛でた。

「貴方に感謝しているのは本当よ?ここを〝動けない〟私の代わりに、いろいろと動いてくれたものね…」

 スッと黄色の鬼眼を細めた『土蜘蛛』が静かな眼差しを『朧』に向けた。

「――おかげで私は自分の軍勢を作り上げることが出来た…」 

 ふと『土蜘蛛』が細い手をかざす。 

 すると、突如として夥しい数の『鬼蜘蛛(おにぐも)』が朽ちた畳を突き破り、一斉に大広間へと姿を現した。

 血色の八つの眼と鋭い脚、全身は鈍い光沢を持つ漆黒の外甲殻に覆われ、キシキシと甲殻を擦り合わせるような不快な鳴き声が木霊する。

 大小それぞれ、様々な『鬼蜘蛛』が大広間に犇めき合い、濃密な瘴気で大広間を埋め尽くす。

 

 『鬼蜘蛛』の軍勢による【華ノ国】への侵攻――長い月日をかけて『土蜘蛛』は多くの人を繭に閉じ込め喰らい、その度に『鬼蜘蛛』と呼ぶ蜘蛛型の鬼を産み落とした。

 いまやその数、数百体。

 【華ノ国】を堕とすには十分な数だ。

 

「見事だ」

 その光景に鬼眼を巡らせた『朧』が低く呟いた。

「これだけの数が揃えば、【華ノ国】全体に攻勢を掛けるには充分。一夜も掛からず、陥落するだろう」

 冷淡な光を宿す『朧』の鬼眼が『土蜘蛛』の鬼蜘蛛の軍勢を値踏みするように見渡し、冷静な分析を口にする。

「だから言ったでしょう。心配には及ばない、と」

 意地悪く嗤った『土蜘蛛』が自信に満ちた眼差しで『朧』を見遣る。

「その言葉を聞いて安心したぞ」

 クク、と喉を鳴らすように笑った『朧』。

「これで俺の計画も足掛かりを得ることができる」

 その姿が僅かに歪むと、ズズズと音もなく影の中へと沈んでいく。

「後は、決行の日を待つのみだな…」

 そう言い残し、ズッと『朧』の姿は影の中へと消えていった。

 フッと『蜘蛛之巣』に張り詰めていた緊張の糸が消え失せた。

 残るのは『土蜘蛛』と大広間に犇めく『鬼蜘蛛』の気味の悪い鳴き声。

 

「…散れ」

 冷たい『土蜘蛛』の声音。

 

 それに呼応するようにガサガサと『鬼蜘蛛』の軍勢は一斉に大広間に張り巡らされた『土瘴糸』を伝って消えていった。

 さきほどまでの喧騒が嘘のように、大広間に残されたのは不気味な静寂と上座に鎮座する『土蜘蛛』の姿――。 

 そこへ、闇の中から赤と青の少女が『土蜘蛛』の前に現れた―― 

 手入れされていない短い赤髪を肩まで流す快活そうな女鬼と、手入れされた青みがかった長髪を腰まで流す静かな女鬼。

 

 どちらも醸す雰囲気は別なれど、『土蜘蛛』を見遣る顔面は瓜二つ――『双子ノ女鬼』である。


「やっと消えたか」

 うんざりといった表情を浮かべた赤髪の女鬼――『(アカネ)』が短く吐き捨てる。

 簡素な赤い鬼衣(オニゴロモ)を身に纏い、そこから伸びた筋肉質で引き締まった手足には乱雑に血濡れた包帯を巻いている。

 見るからに好戦的で肉弾戦を好む装い。

 そんな彼女は頭の後ろで腕を組み、ぶっきらぼうな足取りで大広間へと足を踏み入れる。

 

「あの『鬼』が来ると『土蜘蛛』様の空間が〝穢れる〟…」

 冷淡な声音を響かせた藍色の女鬼――『 (アイ)』が不機嫌そうな鬼眼を周囲に巡らせながら、『茜』の隣に佇む。

 藍色の長髪はさらりと流し、小さく整った顔には鋭い冷淡さが滲んでいる。

 身に纏うのは落ち着いた色味の藍色の着物、その背には巨大な鉄扇が担がれていた。


「帰ったか、お前達…」

 まるで我が子の帰りを喜ぶように『土蜘蛛』はにやりと黄色の鬼眼を緩めた。

 

「アイツに変なこと言われてない?『土蜘蛛』様」

「少しでも変な動きを見せれば、私の〝風〟で切り刻んでやるのに…」

 

 ふたりとも『朧』のことは良く思っていない様子。

 あの不気味な気配を想像したのか――そのあどけなさの抜け切らない整った顔が微かに歪んでいる。

 

「まぁ、そう言わないで。【華ノ国】の結界を破るのに、『朧』の存在は何かと都合が良いの――」

 

 フフッと微笑を浮かべ、ふたりを〝あやす〟ように『土蜘蛛』が柔らかな声音で続ける。

「『朧』が内から結界を破り、『鬼蜘蛛』の軍勢がその傷口から【華ノ国】を喰らい尽くす。そういう手筈なのよ…」

 くつ、と喉を鳴らす『土蜘蛛』の鬼眼が遠くを見る――その鬼眼は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した【華ノ国】の情景を思い浮かべているのかもしれない。

 そんなとき、ふと『茜』が何やら思い出したかのように眉をあげた。

「そういえば、チャグモが()られたよ」

「…チャグモ?」

 不意に『茜』が口にした〝チャグモ〟の名。

 その名を聞いても、『土蜘蛛』は細い眉をひそめるばかりで、聞き覚えがない様子だった。

「あの穢らわしい痩せた男よ」

 そんな『土蜘蛛』の様子に『藍』が小さく息を吐き、チャグモについて説明する。

 それを聞いた『土蜘蛛』が「あぁ…」と一気に興味が失せた表情を浮かべた。

「あの痩せ細った下郎ね…」

 チャグモのことを思い出した『土蜘蛛』。

「〝贄〟集めは優秀だったけれど…骨が浮き出る程痩せてて、気味が悪かったわ…」

 彼について語る『土蜘蛛』の態度は恐ろしいほど冷め切っていた。

「そう…死んだの」

 短く『土蜘蛛』が吐き捨てる。

 その鬼眼にはチャグモの存在など毛ほども気にしていない冷徹な眼差しが宿る。

「で、殺ったのは【火ノ国(ひのくに)】の鬼狩り?」

「いや、白髪のガキが殺ったみたいだよ」

 まるで見てきたかのように『茜』は、その『土蜘蛛』の問いに答えた。

「チャグモの狩場に仕込んだ〝()〟が(しら)せを寄越したの」

 続く言葉を『藍』が紡ぐ。

「その白髪の鬼狩りは【華ノ国】へ向けて、狩場の村から出発したそうだわ」

 その『藍』の言葉を聞き、『土蜘蛛』の鬼眼に興味の光が戻った。

「そう…」

 静かに呟いた『土蜘蛛』がふと細い指を白い頬に添えた。

「私の糸を断ち切ったのね…」

 すでに『土蜘蛛』の思考からチャグモの存在は消え失せ、『茜』が口にした〝白髪のガキ〟へと意識を巡らせていた。

 その姿に双子は黙って『土蜘蛛』を見詰める。

 

 ――大広間に張り巡らされた『土瘴糸』がかすかに揺れた。


 〜


 【華ノ国】首都『華ノ都(はなのみやこ)』 ――。

 欲と夢が交わる、華やかな檻――夜の帳が下りた【華ノ国】に艶めかしい赤提灯の光が灯る。

 赤と金に彩られた楼閣が軒を連ね、石畳の大通りには人の波が絶えない。

 軒先には無数の提灯が灯り、ゆらゆらと揺れる灯火が街全体を朱に染め上げている。

 笑い声、三味線の音、呼び込みの声。

 それらが混ざり合い、熱を帯びた喧騒となって夜を満たしていた。

 艶やかな花街――その一角、小高い丘の上にこの国の国主『|立花鉄左衛門《たちばな てつざえもん 》』の立花大屋敷があった。


 広い畳敷きの一室――。

 飾り気は少なく、磨かれた柱と簡素な調度が並ぶ。

 床の間には一振りの刀と掛け軸のみが置かれた部屋に、ひとりの男が座っていた。

 白髪混じりの短い黒髪に厳つい顔貌、口許と顎に蓄えた髭が武人然とした雰囲気を醸し、その恰幅の良い大柄な体躯は黒い装束と銀色の陣羽織を纏う。

 【華ノ国】国主、立花家当主――立花鉄左衛門たちばなてつざえもん』。

 彼は今、積み上げられた書状の山に囲まれ、苦い表情を浮かべていた。

 その手元に一通の書状――【火ノ国】へ向けられた『土蜘蛛』討伐への加勢を求む嘆願書だ。 

火野(ひの)殿、我々を見捨てるおつもりか…」

 悔しげに顔を歪めた鉄左衛門が、完成したばかりのその書状をぐしゃりと握り潰した。

 

 現状、【華ノ国】が抱える鬼狩りだけでの『土蜘蛛』討伐は困難――だからこそ、鉄左衛門は【火ノ国】へと加勢を願い出た。

 だが、その返信は一度も返ってこない。


 度重なる【華ノ国】近郊での失踪事件。

 それにより【華ノ国】への客足は遠のき、遊郭で成り立つ【華ノ国】の財政を圧迫している。

 数ある遊郭を取り仕切る『女将連合(おかみれんごう)』からは早急に事態の収束をに急かされていた。

 

 背水の陣とはまさにこのこと。

 国の戦力だけでは『土蜘蛛』を討てず、【火ノ国】からの加勢はなし――。

 

 そこで鉄左衛門は苦肉の策を取る。


 『野良狗(のらいぬ)』――。

 【元老院】の認可を受けぬ流浪の鬼狩り。

 非正規な彼等は荒くれ者にならず者、爪弾き者の寄せ集め。

 金の為に鬼を狩る無頼漢の集まりだ。


 一国の主として彼等の手を借りるのは〝恥〟――だが、背に腹は代えられない。

 この窮地を脱するためには〝狗〟の手さえも借りなければならない。

 それが【華ノ国】の現状だった。


「兄上」

 そんな重い雰囲気の一室に響いた静かな声音。

 ふと、鉄左衛門が顔を上げそこには深い紺に染まられた着物に身を包む『立花銀次(たちばな ぎんじ)』の細身な体が立っていた。

 長身痩躯、痩せた顔貌に切れ長の鋭い眼差しを宿した精悍な顔立ち――鉄左衛門とは対照的な静かな風格を漂わせる【華ノ国】の財政を担う彼の実弟だ。

「『野良狗』の第一陣の出立はいつ頃?」

 冷静な銀次の視線が向けられる。

「明日だ…」

 感情を排しながら鉄左衛門は淡々と答えた。

「そうですか。して、編成は?」

「総勢十五名。腕利きは三名程度だ…」

「分かりました。では、〝第二陣〟も手配しておきましょう…」

 低くそう告げた銀次に片眉を上げながら鉄左衛門が静かに見遣る。

「銀次、それは些か性急ではないか?」

 懐疑的な眼差しを銀次に向けた。

「第一陣の戦果を待つべきだ。(いたずら)に〝次の手〟を打てば、『野良狗』共の士気にも関わるぞ…」

 理の通った鉄左衛門の考え――金目当てな寄せ集めの『野良狗』といえども〝捨て駒〟として扱われれば、その刃が鈍る。

「承知の上です。彼等は所詮、『野良狗』。統制も連携も期待できない以上、数で賄う他ありませぬ」

 そんな鉄左衛門の苦言に銀次が冷たく応える――両者の視線が交わる。

 銀次の目は至って冷静――且つ〝冷徹〟だ。

 『野良狗』を純粋な〝駒〟とし、次なる布陣に思考を巡らせた彼の計算高い狡猾さが垣間見える。

 銀次にとって『土蜘蛛』討伐は――処理すべき〝負債〟なのだ。

 

 先に折れたのは――鉄左衛門。

 

「分かった。お前に任せよう」

 短く鉄左衛門は呟く。

 だが、すぐに「ただし――」と言葉を続けた。

「『女将連合』と掛け合い、『土蜘蛛』討伐時の報酬を引き上げろ。これで幾分か『野良狗』達の士気も維持できるだろう」

 そう続けた鉄左衛門の言葉に、銀次の細い眉がぴくりと跳ねた。

 

 財政を担う銀次は遊郭を牛耳る『女将連合』と国主である鉄左衛門の橋渡し役――今回の『土蜘蛛』討伐についても、『野良狗』に対する報酬は遊郭が生み出す利益から賄われることとなっていた。

 難航した交渉の末、ようやく金に囚われた狡獪な『女将連合』の連中から出資金を引き出したのだ。

 そこにさらなる出資の要求――銀次はそのことを考えただけで謎の頭痛に見舞われそうになる。

 

 しばらくの逡巡の後――。

 

「掛け合いましょう…」

 銀次は渋々承諾する。

 その細い顔貌に浮かべた冷淡な表情にも、一抹の心労を滲ませていた。

「悪いな、銀次。頼んだぞ」

 彼の心労を知っている鉄左衛門が申し訳なさそうに口元を歪める。

 

 銀次だから勤まる役目だ。

 短気な鉄左衛門では到底渡り合えぬ強者。

 鉄左衛門が〝武勇〟ならば、銀次は〝知略〟。

 立花家が誇る双肩は確かに【華ノ国】を支えていた。

 

「これが私の役目なので…」

 そんな鉄左衛門に対して、その痩躯をわずかに曲げた銀次が仰々しく小さく頭を下げた。

「それともうひとつ、ご報告が――」

 ふと頭をあげた銀次の纏う雰囲気に鋭さが混じ、その声音も一段と低くなる。

「国内に潜む『土蜘蛛』と通ずる間者の件です」

 そう話し出した銀次の話題に鉄左衛門の顔がより険しさを増す。

「その件か。進展はあったのか?」

「はい――『百花楼(ひゃっかろう)』に不穏な影あり、との報告があがりました」

 その名を聞いた鉄左衛門の顔が本能的な嫌悪感を感じ、無意識に苦い表情に顔を歪ませる。


「『百花楼』か。考え得る中で最悪の答えに辿り着いたな…」


 『百花楼』――。

 それは【華ノ国】でも有数の一大遊郭の名。

 文字通り〝百の花〟を抱えたこの遊郭は莫大な利益と有力な人脈、そしてその情報網を駆使して遊郭国家である【華ノ国】の裏から牛耳る裏の中枢。

 もし『百花楼』が潰れれば、【華ノ国】全体が大きく傾くほどの絶大な影響力を有していた。

 国主でさえも下手に手出しできぬ禁忌の領域。


 ――そこに『土蜘蛛』と通ずる間者がいる。


 鉄左衛門は今、外と内に敵を抱えていた。


「どこまで掴んでおるのだ?」

「――何も」

 鉄左衛門の問いに銀次は小さく首を横に振る。

 ふう、と鉄左衛門は鼻から息を吐き、険しい面持ちで膝下に視線を落とす。

「ただ、昨夜『百花楼』に忍び込ませた密偵からの連絡が途絶えました」

 

 淡々と語る銀次の目に冷淡な光が宿る。

 

「殺されたか」

「恐らく…」

 

 事態の深刻さを物語る沈黙――。

 

「だが、確たる証拠がなければ儂も動けん…」

「その通り。この件は私の方で引き続き密偵を放ち、内密に調査を進めておきます故、兄上は――『土蜘蛛』討伐に集中して下さい…」


 静かな声音が鉄左衛門の居室に響く。


 立花家屋敷の一室、ここでは【華ノ国】を担うふたりの男による国の命運を左右するやり取りが行われていた――。

 

 

 『華ノ都』、花街の中枢――


 通りの喧騒の先、ひときわ異質な気配を放つ楼閣『百花楼』があった。

 幾重にも重ねられた楼層は夜空へとせり上がり、赤と金で彩られた外壁は無数の提灯の灯りを受けて妖しく艶めく。

 軒先には精緻な彫刻が施され、龍や花鳥の意匠が絡み合うその姿は、まるで“美そのものを積み上げた”かのようだった。

 だが、その華やかさはどこか作り物めいている。

 揺れる提灯の灯は均一すぎるほどに整い、影の落ち方さえ計算され尽くしているかのように歪みがない。

 門前には番をする者も、声を張り上げる客引きもいない。

 それでもなお、人は吸い寄せられるようにその門を潜っていく。

 選んでいるのは〝客〟ではない――。

 知らぬ間に〝客〟が『百花楼』に選ばれているのだ。


 ――第壱章其ノ肆 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ