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鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
第壱章【華ノ国動乱】
7/13

其ノ参『仮初』


 山麓に到着したのは太陽が空高く昇った頃――。 

 末吉の村は、山間にひっそりと佇む小さな農村だった。

 川沿いに藁葺き屋根の家々が寄り添うように並び、田畑がその周囲を囲んでいる。

 

(……静かだな)

 鬼道丸はわずかに眉をひそめた。

 人の気配はある――が、誰ひとり外に出ていない。

 家々の戸は固く閉ざされ、風に揺れるのは色褪せた結界札。

 簡素な守護結界が張られている。

 が、その効力はほとんど感じられない。


 村全体が〝何か〟を恐れて息を潜めていた。 


「おい、あれ…」

 ひそひそとどこからか声が聞こえてくる。

「末吉か…戻ってきたぞ…」

「本当か……?」

 戸の隙間や窓越しに、こちらを窺う視線。

 だが誰も外に出てこようとはしない。

 ただ、様子を見ている。

 その末吉帰還の噂は瞬く間に村全体に広がる。

 

「こっちだ、鬼狩り様――」

 村人の目を気にしていない様子の末吉に案内されて、鬼道丸は一軒の民家へとやってきた。

 茅葺き屋根に土の壁、屋内は質素ながら整えられている。

 床間に座る白髪の老婆――『イチ(バア)』がゆっくりと頭を下げる。

「この度は孫の末吉を助けていただき、なんと御礼申し上げたら…」

 厳かな雰囲気の中、嗄れた(しわがれた)声で礼を述べるイチ婆。

「私に残された唯一の家族なものですから…」

 震える体で深々とお辞儀をする。

「いえ、僕は当然のことをしたまでです」

 鬼道丸は丁寧なイチ婆を気遣うように前のめりにそう伝えた。 

「すまねぇ…婆ちゃん。心配掛けた」

 末吉は土間から床間に上がり、申し訳なさそうにイチ婆の隣に腰を据えた。

 瞬間、バコンとイチ婆の強烈な拳が末吉の頬を殴りつけた。

 細枝のような腕とは思えぬほどの威力で彼を殴り飛ばし、ドテと末吉は派手に横転する。

「お前はもうちと反省しやせ…」

 本気の怒り――さきほどまでの丁寧な印象は塗り替えられ、訛った口調で凄まじい怒りを露わにする。

「ずまねぇ…婆ぢゃん」

 拳型に頬が腫れた末吉がひっくり返りながら掠れた声で謝罪する。

「――して、お若い鬼狩り様…」

 そう言って、イチ婆はしばらく黙り込む。

 皺だらけの手を膝の上でぎゅっと握り、その細い肩がわずかに震えていた。

 口を開きかけ、噤む。

 まるで口にするのを憚っているかのように――。

「何でしょう、お婆様…」

 そんなイチ婆の様子を見、鬼道丸が柔らかな声音で静かに問うた。

「ひとつ、この老いた(ババ)の頼み事を聞いてくれんか…」

 イチ婆が縋る目を向けた。

「…婆ちゃん」

 その様子に隣で起き上がった末吉が悔しげに顔を歪めませる。

「――最近な、この辺りじゃ〝人が消える〟んじゃ…」

 恐る恐る口を開くイチ婆。

 その声音には明らかに後ろめたさが滲んでいた。

「ひとり、またひとりと…夜のうちに跡形もなくおらんようになってしまう…」

 弱々しい小柄なイチ婆が震えながら淡々と語る。

「末吉のように夜に外を出た者だけじゃない…。家のなかにおっても、じゃ…」

「…結界は?」

 ふと鬼道丸が問う。

 イチ婆は小さく首を振った。

「古くて簡素なもの。気休めにもならん」

 自嘲気味な笑みをこぼすイチ婆。

 その笑いに希望はなかった――あるのは、いつかまた誰かが〝消える〟恐怖。

「ここは見ての通り辺鄙な村じゃ。鬼狩り様も滅多に来られん…」

「では、誰も――」

「守ってくれん」

 鬼道丸の問い掛けに答えたイチ婆の声は妙に静かだった。

「これはな、ただの鬼の仕業じゃない…」

 イチ婆の確信めいた言葉。

 それに鬼道丸の目がわずかに細まる。

「ここから遠く東へ、【華ノ国(はなのくに)】という名の国がある」

 ジンの口から聞いたことがある。

  

 確か【火ノ国(ひのくに)】の南方、歌舞や舞踏、芸妓文化を主産業とし、国内外から富と人を集める一大歓楽地帯――それが【華ノ国】。

 

「そこに巣食う鬼――『土蜘蛛(つちぐも)』の仕業じゃ…」

 遠くを見る目でイチ婆がそう語る。

 鬼道丸は真剣な面持ちでその話に聞き入った。

「この鬼はな、人を喰らうだけでは飽き足らず、その配下に『(にえ)』を求めておるそうでの…」

 それを集めるのが――チャグモのような配下の役割という訳か。

 確かにチャグモは何度も『土蜘蛛』の名を口にしていた。

 あれは一種の洗脳に近い。

 それほどに影響力がある鬼ということ――。 

「それでも足りんのじゃろうな…」

「だから、ここまで人を攫いに来ている…」

「…うむ」

 静かに言葉を継いだ鬼道丸にイチ婆は頷く。

「儂らの村はもう何人か攫われている。そして――今回は儂の孫…」

 ちらり、と傍らの末吉を見たイチ婆。

 その瞳は彼を喪う恐怖に怯えているように見えた。

 もはや老い先短い身の上、そんな彼女が唯一の孫を喪う悲しみは想像を絶する。

「鬼狩りさんや――貴方様はこの村に何の所縁(ゆかり)もないかもしんせん…じゃがのぉ…」

 震える声でイチ婆が声を紡ぐ。

 弱々しく、藁にも縋るようなか細い声。

「どうか、この村のために『土蜘蛛』を討ってはくれませぬか…?」

 イチ婆が纏う空気が変わり、真っ直ぐとふたりを見遣ったその眼差しにわずかだが希望の光が灯った。

 これはイチ婆のささやかな願い――。

 無論、出会って間もない年若き鬼狩りに背負わせるにはあまりにも重すぎる重荷。

 しかし今イチ婆が――否、この村が頼れるのは鬼道丸しかいないのだ。

 この村が見捨てられてしまうかもしれないという現実を理解した上で、それでも尚イチ婆から差し出された――『祈り』。

「…分かりました」

 重い沈黙を破り、鬼道丸が意を決した様子でイチ婆を見詰めた。

 その言葉を聞き、これまで絶望に沈んでいたイチ婆の皺だらけな表情がわずかに晴れる。

「おぉ…本当ですか…!有難や有難や…」

 何度も掌を擦り合わせながら、健気に鬼道丸へ精一杯の感謝の念を送るイチ婆。

 その傍ら、何やら晴れぬ顔の末吉が不意に口を挟んだ。

「鬼狩り様…お気持ちは嬉しいが…」

 明らかに末吉は躊躇っている。

 それはこの願いが鬼道丸を死地へと送り出すことになると理解しているからだ。

「俺は…命の恩人をわざわざ死にに行かせるような真似はしたくねぇ……」

 低い声でそう告げた末吉が膝の上で拳を握る。

 

 滅多に鬼狩りも現れぬ辺鄙な村――このままでは近い未来、この村は鬼に襲われて滅ぶだろう。

 村に施された結界は古く、せいぜい『下鬼格(げっきかく)』の侵入を防ぐ程度。

 またチャグモのような鬼が来れば、おそらく結界は破られる。

 遅かれ早かれこの村は滅ぶのだ。

 そんな村のために鬼道丸が死地に赴く必要はない。

 末吉はそう考えていた――。

 

 覚悟を決めた哀しい目だった。

 たとえ自分達の村が滅びようとも、それは変えられぬ運命。

 彼は運命を受け入れる覚悟を持つ男だった。

「末吉、お前…」

 イチ婆は短く呟くが、それ以上は何も言わなかった。

 彼女とて理解している――鬼道丸に重荷を背負わせている、と。

 全ては鬼道丸の返答で決まる。

 背負うか、見捨てるか――。


 鬼道丸はしばらく黙った。

 当然、答えはすでに決まっている。

 問題は――己に『土蜘蛛』を討つだけの力があるのか。

 しかし、それさえもこの村の現状を鑑みれば、些細なこと。


 己の実力と『土蜘蛛』という強大な鬼。

 果たしてどこまで己の力が通用するのか――


(迷っている場合じゃない…)

  

 討てる『鬼』だから討つんじゃない。

 討たなければいけない『鬼』だから、討つのだ。


 鬼道丸が力強く首元の『赤い襟巻』を握った。

 

「僕が『土蜘蛛』を討ちます――」


 そう告げた鬼道丸の目に確固たる覚悟が宿る。


「確かに僕はこの村に何の所縁もありません。だけど、『この村を助けたい』――それだけで理由は十分です」


 ゆっくりと、自分の意志を伝えるように鬼道丸はイチ婆と末吉の目を交互に見遣った。


「それだけで僕が闘う理由は十分です――」


 自身に満ち溢れた鬼道丸が高らかにそう宣言した。


 〜

 

 鬼道丸はしばらく村に滞在した。

 

 次なる鬼の襲来に備える為――そして、崩れかけた村の結界を修復する為に。

 鬼道丸はジンに簡易的にだが守護結界の張り方と修復方法も教えてもらった。

 これもジンとの山暮らしを通じて身につけた。

 ここでも鬼道丸の中に息づいたジンの教えが活きていた――。


 村の外れ――。

 朽ちかけた結界の札を前に、鬼道丸は静かに息を吐く。

 指先に気を巡らせ、ゆっくりと札へと触れる。

 淡い光が、じわりと広がった。

(……まだ、いける)

 ジンとの山暮らしの中で身に着けたもの。

 それは戦う術だけではない。

 “守るための術”もまた、彼の中に息づいていた。

 新たな札を打ち、古い結界に重ねるように気を流し込む。

 弱々しかった境界が、わずかに張りを取り戻す。

 単なる応急措置に過ぎない――だが、時間は稼げる。

 額の汗を拭い、鬼道丸は次の結界札の地点へと向かう。


 日が暮れれば、鬼道丸はイチ婆の家に戻った。

 ほんの一時だが、鬼道丸に仮初の『帰る場所』ができた。

 戸口を開けると、イチ婆が囲炉裏に火を起こして夕飯の支度をしている。

 その光景に鬼道丸に一抹の安らぎを得る。

 夢想していた『普通』の暮らしが、そこにある。


 朝、畑に出れば野菜を受け取る。

 川に向かえば、桶を受け取った――。


 村の暮らしの一部に鬼道丸の灰色の影が自然と溶け込んでいく。


 そんな風にして鬼道丸は暇さえあれば、結界の修復の合間を縫って村の手伝いにも精を出した。

 

 そんな健気な鬼道丸の姿に村人たちは戸惑いながらも、次第にその距離を縮めていった。

 鬼道丸という存在が村にやってきて、これまで無力に『鬼』の脅威に晒されてきた村人達も徐々に顔を見せるようになっていた。

 少しずつ、鬼道丸の行いが目に見える形で実を結んでいく。


 鬼を斬る手が、村の暮らしに馴染んでいた。


 そんなある日――


「いやいや、悪いよ。お若い鬼狩り様…」

「いえ、僕にも何か手伝わせて下さい」

 重い薪を運ぶ村の老爺から背負子を受け取った鬼道丸に、老爺は申し訳なさそうに困った顔をする。

 そんな老爺に鬼道丸は柔らかく笑いかけ、よいしょと背負子を担ぎ直す。

 そんな鬼道丸の姿を遠巻きから見遣るひとりの童女――赤い簡素な衣に短い黒髪、足は裸足だ。

 鬼道丸は背負子を担ぎながら、ふとその童女の存在に気付く。

 にこりと笑い掛ける鬼道丸。

 だが、その童女はまるで怯えるように目を見開き、ダッと逃げるように背を向けて駆け出してしまった。

 

 ちくり、と鬼道丸の心に小さな痛みが走った。

 

 あの童女の見る目は鬼道丸を見ていなかった――そのさらに奥、得体の知れない気配に怯えているように見えた。

 

「あの子は『みつ』と言います…」

 不意に背後から鬼道丸に語りかけた老爺。

 村に続く小道を駆けていくその小さな背中を見遣って、何故か物ありげな表情を浮かべる。

一月前(ひとつきまえ)に消えた仁蔵という男の一人娘です…」

 低く語り出した老爺の横顔を鬼道丸は黙って見る。

「父親はあの子の目の前で鬼に攫われた。その夜から、あの子は誰とも話さなくなってしまった…」

 口惜しげに奥歯を噛み締めた老爺。

 こんな哀しい出来事がこの村の日常になりつつある。

 その残酷な事実を鬼道丸は重く受け止めた。

「すみませんな。少し感傷的になってしまった…」

 フッとさきほどまでのにこやかな表情に戻った老爺が、ふと鬼道丸に向き直った。

「さて、暗い話をしてしまいましたな」

 パンと手を叩いて暗い雰囲気を跳ね除けた老爺。

「では、鬼狩り様のご厚意に甘えて家まで薪を運んだでもらいましょうか!ハハハ」

 無理をしながら笑う老爺に鬼道丸はぎこちない笑みを浮かべた。

 ――背中に圧し掛かる重み。


 それに負けじと鬼道丸は負紐を両手で握り締めた。


 夕暮れ、老爺の家まで薪を運んだ鬼道丸。

 御礼に、と熱いお茶を出されたので有難く頂き、老爺と他愛ない話をした。

 

 彼の生い立ちや村の歴史、イチ婆が美人だったとかそんな話だ。

 

 そして、鬼道丸は日が暮れ始めた頃、イチ婆の家に戻るために老爺に別れを告げた。

 道中、ふとほかに比べて一段と廃れている一軒の家が目につく。

 その軒先には――昼間の童女の姿があった。

 壁に背を預け、地面を見つめながら膝を抱えて座っている。

(確か名前は〝みつ〟だったかな)

 そんなことを考えながら鬼道丸は気持ち距離を離してその横を通り過ぎようとした。

 昼間見た彼女の怯えた表情――自分が声を掛けたら、怖がらせてしまうかもしれない。

 その思いが鬼道丸の頭をよぎってしまった。

 父親がいなくなって悲しむ姿は分かるが、母親が家にいるに違いない。

 ひとりになりたい時もあるのだろう。

 そう自分に言い聞かせながら、鬼道丸は『みつ』が座り込む家の前を通り過ぎた。

 ちらり、と『みつ』を見遣る。

 すると、彼女の背にある家には誰もおらず、壁には見覚えのある黄土色の糸――『土瘴糸(どしょういと)』がべったりと張り付いているのが見えた。


 彼女はひとり――。

 

 鬼道丸は気付けば、彼女の許へと歩み寄っていた。


「もう日が暮れるよ」

 彼女を怖がらせぬよう柔らかな声音で声を掛ける。

 その声に『みつ』が顔を上げると、はっと驚いた表情を見せる。

「…ッ!」

 声を出せず、『みつ』は硬直した。

「怖がらないで。僕は君を傷付けたりしない」

 笑みを浮かべ、その場に屈んだ鬼道丸が『みつ』と視線の高さを合わして穏やかに語り掛ける。

「ここが君の家なの?」

「…」

 こくり、と『みつ』が小さく頷く。

「少し中を見てもいいかな?」

 あくまで『みつ』の家、許可を取るべきだ。

 単なる興味本位で見るわけではなく、鬼狩りとして鬼の手口を知ることは必要なことだ。

 しばらく鬼道丸と視線を合わせず、『みつ』は黙ったまま、そっぽを向いていた。

「…少しだけ」

 ぽつり、とこぼす『みつ』。

 その声は親を失うにはあまりにも幼すぎた。

 ドキ、と胸が締め付けられる感覚に襲われながらも、鬼道丸は「ありがとう」と笑う。

 そして、すくと立ち上がると、少し躊躇いながらも『みつ』の家へと足を踏み入れた。


 平凡な家の風景――のはずだった。

 家に入るとまず視界に飛び込んできたのは、壁一面に張り付く『土瘴糸』――おそらく家に現れるや、チャグモは『土瘴糸』で『みつ』の父を拘束し連れ去ったのだろう。

 『みつ』の目の前で――。

 当時の状況を想像しながら鬼道丸は『みつ』の心情を慮り、ぐっと拳を握り締めた。

 

 どれほどの精神的な苦痛を感じたのか。

 年端もいかぬ童女が経験するにはあまりにも酷な出来事。

 

 胸の底に沸き立つ怒りの感情をスッと鎮め、鬼道丸は本来の目的である〝『鬼』の手口〟について考察を始めた。

 

 先ず、『土蜘蛛』の配下が狙うのは決まって男――『土蜘蛛』への〝栄養豊富〟な〝餌〟として配下が好んで攫うのだろう。

 

 そして、一度の襲撃で攫われるのはひとりだけ。

 

 これは鬼の単独による犯行の為だろう。

 複数人を連れ去るだけの時間と労力が釣り合わなかったのか。


 この村の結界は朽ち欠けていた。

 一時的な侵入ならば、さほど難しくないはず。

 

 薄暗い家の中、鬼道丸はひとり静かに思考を巡らせていた。

 

 そんなとき――ふと囲炉裏へと意識を向いた。 

 囲炉裏には野菜の汁が入った鍋が吊るされ、ふたつ用意された大小ふたつの椀には手の付けられたままの飯――そのどちらにも湯気はもうない。

 誰も、片付ける者がいなくなってしまった。


 敢えてなのか。

 それともわざとか。


 触れられていない食器、積もった埃、だが家のなかにはひとつも足跡がない。

 誰も、この家に近付こうとさえしなかった。

 ――まるで最初から“無かったこと”にするように。

 

 村人は皆、『みつ』の家を放置していたのだ。


 不浄のものだ、とでもいうのか。


「それも――掟?」

 

 ぎり、とわずかに歯を噛みしめる。

 だが、わずかに芽生えた暗い感情も外から聞こえてきた女性の声にすぐさま霧散した。

 

「やっぱり…ここにいたのね。『みつ』ちゃん」

 柔らかな女性の声が聞こえてくる。

「ほら、帰ろ」

 そう言うと、ふたつの足音が遠のいていった。

 鬼道丸はふと家の戸口から顔を覗かせ、外を見た。

 そこには手を繋いで歩くふくよかな女性と『みつ』の姿。

 恐らく母親ではないのだろう。

 囲炉裏に残された大小ふたつの椀。

 父と『みつ』、母親のものはなかった。

 だが、この村はちゃんと『みつ』のことを見ていることが分かった。

 親代わりになろうと面倒を見てくれる人がいる。

 

 彼女はひとりじゃない――そう思えただけで救われた気がした。


 この村は良い村だ。

 土地も豊かで、村人達も明るい。

 だが、夜になれば、『鬼』の影に怯えている。


 鬼道丸が来てからはそれも幾分か収まった。


 夜は皆家から一歩も出ないが、日中は比較的外で顔を合わせるようになった。

 末吉が言うには――前よりもみんな笑うようになったらしい。

 己の存在がこの村に活気を取り戻させた――みたいな大それたことを言うつもりはない。

 しかし、鬼道丸はこの村でできることは何でもしようと密かに決意した。

 たとえこれが『仮初』の平穏だったとしても――。

  

 夜――イチ婆の家。

 鬼道丸はイチ婆と末吉とともに囲炉裏を囲んでいた。

 目の前の膳に置かれるイチ婆の夕餉。

 野菜の煮込みと川魚の煮付け、椀に置かれた白米と味噌汁――すべて村で採れた食材が食卓を彩る。

「たんとお食べや。鬼道丸」

 まるで本当の祖母のようにイチ婆が優しい声を掛けてくれる。

 昼前、結界修復の合間に畑仕事や村人の手伝いに精を出した鬼道丸への精一杯のもてなしだ。

 鬼道丸は甘んじてイチ婆――村の厚意にあやかった。

 そんなとき、末吉は浮かない顔をしている。

 白米を箸に乗せ、口に運びながら鬼道丸はチラとその横顔を見遣った。

「…末吉さん。何かありましたか?」

 聡く末吉の感情を読み取った鬼道丸がふと椀と箸を置くと、静かに彼に声を掛けた。

「…え」

 思わぬ鬼道丸の声に末吉がはっと我に帰る。

「な、なんでもないです…」

 躊躇う末吉――だが、鬼道丸の真っ直ぐな眼差しがその奥に隠した感情を見詰める。

 その静かな圧に末吉はぐっと奥歯を噛み締めた。

「いや…でも…」

「末吉さん…」

 言い淀む末吉に鬼道丸は静かに促す。

 その言葉に、泳いでいた末吉の視線が膝へと落ちる。

「鬼狩り様…俺からもひとつ、頼み事をいいか?」

 重く口を開いた末吉が覚悟を決めた目で彼を見返す。

「…はい」

 鬼道丸は迷うことなくその末吉の言葉を受け入れた。

「お、俺の…兄貴――『小吉(しょうきち)』も鬼に攫われてるんだ…」

 ここに来て、新たな事実。

 その言葉にイチ婆の穏やかだった表情が曇った。

「もう生きてるかも分からねぇ。なんせ、一月(ひとつき)も前の話だ…」

 膝の上で拳を握り込み、囲炉裏の火に視線を落とす。

「俺はもう諦めていた。だけど、鬼道丸様が村に来てくれて、この村の未来に希望が持てた。だから――」

 そこまで言って末吉は黙り込んだ。

 彼は理解している――鬼道丸に背負わせ過ぎているのではないか、と。

 それは末吉の優しい性格故なのだろう。

 そして、おそらく彼がチャグモに捕らえれた理由も――。

「あの日、村の掟を破ってまで村の外に出たのは――そのお兄さんを探す為だったんですね?」

 鬼道丸は慎重に言葉を選んだ。

 彼なりの選択を、『否定』してしまわぬように。

「はい…俺はドジだから…みんなに心配掛けて…」

 ぐっと胸に溢れ出す感情を飲みこんだ末吉の眉間にシワが寄り、固く口を閉ざしてしまった。

 そんな彼の弱さを見た鬼道丸は「分かりました…」と柔らかな表情で小さく頷いた。

「末吉さんのお兄さんも僕が連れ戻してきます…」

 気休め――なのかもしれない。

 だが、これまで何者でもなかった鬼道丸が村の心の拠り所となっている。

 その彼等の『祈り』を鬼道丸は無下にはしたくなかった。

「ありがとう。ありがとう……ございます…」

 その鬼道丸のあまりに優しい言葉に、末吉は抑えきれなくなった感情を一気に吐き出した。

 咽び泣く末吉と小さな目に涙を浮かべたイチ婆。

 そんなふたりを前にして、鬼道丸はただ黙って、彼らと共に囲炉裏を囲んだ――。


 そして、明朝――鬼道丸は村を出立した。


 〜


 【華ノ国】はこの村から約百里離れた遥か遠方。

 

 徒歩にして約半月。

 急いでも十日は掛かる距離。

 

 そんな鬼道丸の道中を案じてか、朝早いにも関わらず、彼の見送ろうと村人総出で村の入口に集まった。


「道中、気を付けてな!鬼狩り様!」

「お腹すいたら、これをお食べ…」

「爺ちゃん!鬼道丸さんの荷物増やしちゃいけねぇよ…」

 口々に鬼道丸への感謝を述べ、中には握り飯の包みを持たせようとする村の老人まで現れた。

「有難く頂戴します…」

 鬼道丸は快くそれを受け取り、にこやかに感謝を伝える。

 老人は満足そうに笑い、村人達の輪の中へと戻っていった――そんな村人達の中心にイチ婆と末吉の姿があった。

 かなりの高齢なイチ婆――杖を突いて立つのがやっとな体を引き摺り、わざわざ鬼道丸の見送りにやってきた。

 傍らの末吉はそんなイチ婆の腰に手を添えながら、寂しげな表情で鬼道丸を見遣った。

「もう、行ってしまうのだね…」

 名残惜しそうなイチ婆が嗄れた声で小さく呟く。

「…はい」

「貴方様には本当に感謝しています…」

「こちらこそ――僕を温かく迎え入れて下さったこの御恩は忘れません…」

 穏やかな会話を交わすふたり。

 その姿は傍から見れば、祖母と孫のやりとりにも見えた。

「末吉さんも…お元気で」

 ふと視線を流し、傍らの末吉を見遣った鬼道丸。

 その瞳に映るのは鬼に捕らえられた男――ではなく、自分の身を危険に晒してまで家族の為に行動した末吉が映っていた。

「鬼道丸様、どうか兄貴を…」

「…はい。しかと承りました」

 昨夜交わしたふたりの約束―― 

 鬼道丸は生まれて初めてジン以外の人との因縁を結んだ――末吉やイチ婆、そしてこの村の住人達。

 その中には、あのふくよかな女性の足にしがみつきながら鬼道丸を黙って見つめる『みつ』の姿もあった。

 こうして鬼道丸は『人』として歩み出す。

 もう山で人知れず隠れて暮らしていた鬼道丸はいない。

 今、ここに立つのは鬼の脅威に晒された村の命運を背負った――ひとりの『鬼狩り』だ。


 村を出てから、ふと鬼道丸は背後を振り返る。

 小高い丘に阻まれる細道、そこにはまだ――手を振りながら鬼道丸を見送る村人達の姿があった。

 その光景を見、一抹の寂しさを感じながらも鬼道丸はそっと『赤い襟巻』を握り、再び【華ノ国】へと続く道を歩み出した。


 そんな鬼道丸を見送る村人達の視線――その中に〝異質な眼差し〟が混じっていた。

 

 『人』のものではない――〝何か〟が。

 

 ――第壱章其ノ参 完

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