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鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
第壱章【華ノ国動乱】
6/13

其ノ武『証明』


 黒髪の少女の鋭い眼差しが鬼道丸に向けられた。

 さきほどまでチャグモに対して向けられていた彼女の冷たい殺気――それは今、無遠慮に鬼道丸を突き刺してくる。

 『何者か』――その問いに鬼道丸はしばし黙る。 

 まだ自分自身でさえも理解していない。

 それを探す為の道中――鬼道丸は正面で警戒の眼差しを向けてくる少女を真っ直ぐ見返した。


「――僕の名前は『鬼道丸(きどうまる)』…『半鬼(はんき)』です」


 少し困ったように笑った鬼道丸が首元の赤い襟巻にそっと手を添える。

 嘘を()くべきではない、そう思った。

 それは僕を『半鬼』として育て、背中を押してくれた師――『ジン』に対しても嘘を()くことになると思ったからだ。

 

 思わぬ返答。


 自ら『鬼』を名乗る異端な存在――彼女が鬼道丸に対して抱えていた得体の知れない違和感が、この言葉で鮮明なものとなる。


 黒髪の少女はわずかに目を見開くと、すぐに鋭い眼光を宿した。

 

「『半鬼』だと…」

 消え入るようにつぶやく。

 黒髪の少女の気配が冷たくなった。


「ならば、見逃す理由がないな――」

 有無を言わせぬ声音でそう言った黒髪の少女が静かに大太刀の柄を握り直した。

 瞬間、『無音歩』により彼女の〝存在〟が音もなく掻き消えた。

 次に彼女が姿を現したのは鬼道丸の視界の下――地を這うような低姿勢で間合いに入られていた。

(――速い…!)

 反射的に身体を捻った直後、首筋すれすれを彼女の黒刃が掠める。

 遅れて、彼女の艶やかな黒髪が視界に舞った。

 ザザッと鬼道丸はそのまま数歩、後方へ後ずさる。

「いきなり…斬るんですね…」

「『鬼』を名乗る者に言葉は不要…」

 彼女の言葉はジンのように飾り気がない。

 ただ鬼を斬る――そこに迷いは存在していない。

 その意志を体現する少女はおもむろに大太刀を肩越しに構えた。 

「お前が人を喰らう前に――斬る」

 少女は鬼道丸の気配から〝まだ〟人を喰らっていないことを理解している。

 人を喰らった鬼の禍々しい気配――それが鬼道丸から感じられないからだ。

 

 鬼化直後なのか、それとも隠しているのか。

 

 どちらにせよ、彼女にとって鬼道丸は――斬るべき『鬼』であることに変わりはなかった。

 

「僕は鬼狩りとして、さっきの『人』を救おうと…」 

「証明にならない。『鬼』の戯言は聞き飽きた」

 

 辛辣な言葉――鬼道丸の表情がわずかに曇る。

 

「…そうですか」

 

 悲しげな表情を浮かべる。


「言葉では――足りませんか」

 

 そのまま黙った鬼道丸はスッと鬼斬刀を下段に構えた。

 

 それを見、おもむろに腰を落とした黒髪の少女が素早く地を蹴ると、再び鬼道丸へと深く斬り込む。

 

 ガキィン、と鋼がぶつかり火花が散る。

 

 鬼道丸の悲しげな瞳と少女の冷淡な瞳が至近で交差する。

 

 重い――。

 

 引き締まった細身の身体からは想像できない膂力。

 己の背丈ほどの長大な大太刀――少女はこれを扱えるまでに途方もない鍛錬を積んだのだろう。

 

 押し切られる前に鬼道丸は力を逃がす為、半歩横へ体を逸らして受けた黒刃を鎬に滑らした。

 

 刹那、鬼道丸は踏み込み、最小の動きで反撃する。

 

――『昇雲(しょううん)

 

 峰打ちを狙った鋭い斬り上げ。

 

 だが少女はわずかに体を傾けるだけでそれを躱すと、間髪入れずに返す刃で鋭く斬り掛かる。


「その程度か?未熟な『鬼』め…」


 挑発するように少女が黒刃を振るう。

 対する鬼道丸は無言のまま地を蹴った。


 ガキィン――!


 再び鋼が激突する。

 

 少女の大太刀が唸りを上げ、袈裟に振り下ろされる――だが鬼道丸は真正面から受け切らず、刃を滑らせるように受け流した。


 流れるように踏み込み、鬼道丸が返す峰打ちで彼女の足を払う。


 だが、黒刃がその切っ先を正確に弾いた。

 間髪入れず、今度は少女の膝蹴りが鬼道丸の胴を狙う。


「…ッ」


 鬼道丸は咄嗟に腕で受け、その勢いのまま後方へ飛ぶ。


 着地と同時――少女が再び距離を詰める。


 まるで地を滑るような『無音歩』。


 視界の死角から黒刃が閃く。


 ギィン――!


 紙一重で鬼道丸が受け止める。


 至近距離で火花が散る。

 

 互いの呼吸が触れ合うほどの間合いで、黒と白の刃が軋み合った。


「……なぜ迷う」


 押し込みながら少女が低く問う。


「お前は『鬼』だ」


 冷たい声音。


 鬼道丸はその言葉を受け止めながら静かに刃を押し返した。


「……僕は」


 刹那、鬼道丸の脳裏に『ジン』の姿が浮かび上がる――ありのままの鬼道丸を導き、『人』として生きる道を示してくれた『師』の背中。


 ギリ、と鍔が軋む。


「僕です」


 瞬間、鬼道丸が半歩踏み込む。

 少女が即座に反応し、強引に距離を切った。


 飛び退きながら少女が胴を狙った一閃を放つ。

 

 紙一重――半歩退いた鬼道丸の狩装束の腹が裂ける。


 ザザッと互いに地を削りながら間合いを外す。


 一抹の静寂――両者、一歩も譲らない。

 

 ふと鬼道丸は裂けた狩装束に視線を落とす。

 彼女の本気の殺意は確実に鬼道丸を捉えていた。

 

 大太刀を振り抜き、残心を残した少女が静かにその場に立ち上がる。


「答えになっていないな――」


 油断なく少女は大太刀を構え、鬼道丸の様子を窺う。


(――僕が『鬼』?)


 このとき鬼道丸の中で何かが軋む。


 違う――。

 

 負けたくない、ではない――


 〝否定されたくない〟

 

 ジンからの教えを。

 己の選んだ道を。

 そして『半鬼』である自分自身を。


「『証明』ですか…」

 

 ぽつり、と鬼道丸が言葉をこぼす。

  

 このときから――明らかに鬼道丸が纏う圧が変わり、わずかに吹いた風が少女の黒髪を撫ぜた。

 

(――なんだ?この気配)

 

 何も言わぬ彼の威圧感が重く少女にのし掛かる。

 

 無意識に大太刀の構えを変える。 

 攻めの構えから受けの構えへ――。


 そして、その判断は正しかった。


 風が止み、不気味な静寂が夜の森に訪れる。

 ひしひしと肌に打ちつけていた威圧が一気に爆ぜる。


 ――『瞬刃脚(しゅんじんきゃく)』 

 

 フッと忽然と姿を消した鬼道丸。

 

 ピクと大太刀を握る指先が即座に反応する――が、次の瞬間には完全に彼の姿を見失っていた。

 

(どこだ――)

 

 周囲に視線を巡らせる黒髪の少女。

 

 月明かりだけが頼りの夜の森。

 視覚のみならず、気配にまで意識を迸らせる。

 

 どこにもいない――疾すぎる!

 

(捉え――切れない!?)


 押し寄せる『死』の気配。

 音が消えた森全体から突き刺さる殺気。


 感じたことのない悪寒が背筋を駆け抜けた。 

  

 ふと――彼女の耳元で囁く声が聞こえた。

 

「これで――」

 

 気が付けば、鬼道丸の冷たい刃が少女の細い喉元にぴたりと触れた。

 

 研ぎ澄まされた刃の感触が喉元を伝う――本能的に全身が金縛りにあったかように硬直する。

 

 一歩でも動けば――『死』。

 

 その現実が少女を容赦なく縛り上げる。

 

「証明になりますか…?」

 

 さきほどとはまるで違う――冷淡な声音。

 

 少女の喉元に白刃を向ける鬼道丸

 彼女は音を立てぬよう静かに大太刀を下げる。

 それを見届けた鬼道丸がスッとその刃を引くと、チンと鬼斬刀を鞘に納めた。

 

 急激な緊張の緩和――刃の冷たい感覚が喉元に残っている。

 

「なぜ…斬らなかった…?」

 額に汗を滲ませながら、少女が微かに震える声で鬼道丸に問うた。

「貴女は『鬼』じゃないからです――」

 鬼道丸は淡々と答える。

 まるでそれが当たり前かのように。

「制御された刃は『人』を傷つけません」

 一拍を置き、鬼道丸がふと微笑する。

「――守護(まも)るんです…」

 続けた鬼道丸の言葉に少女の鼓動がひとつ跳ねた。

 少女の黒い瞳がわずかに揺れ、彼女は胸中で彼の言葉を反芻する。

 

 鬼道丸が止めた刃――それこそが彼の『存在証明』。

 

 己は『人』を害する存在ではない、と。

 少女は身を以て彼の覚悟を見せつけられた。

 

 ――彼に言い返す言葉を今の彼女は持ち合わせていない。

 

「…そうか」

 苦し紛れに少女はそう呟いた。

 そして、深く深呼吸し、しばらく瞳を閉じた少女が徐々に平静を取り戻してゆく。

 

 これも彼女が持つ戦闘技術のひとつなのだろう。

 だが、いくら彼女が鬼を圧倒するほどの実力者であっても、年端もいかぬ少女であることに変わりない。

 

 強引に平静を取り戻しても、細い手の震えは完全には止まらなかった。

 

 己のすべてを否定する彼女の言葉。


 それは自分だけではない。

 師であるジンの教えまでも否定された気がした。


 それだけはどうしても許せなかったのだ。


 手荒な真似をしたと思う――だが、こうでもしなければ、きっと彼女の刃は止まらなかっただろう。


 今の鬼道丸にとって、この無益な戦いを終わらせる(すべ)はこれしかなかった。


 少女はまだ『死』の気配を感じている。


 鬼道丸はどこか居た堪れない気分になった。

 

 どうにか、彼女の緊張を解そうと思った。

 そして、ふと鬼道丸はある答えに辿り着いた。

 

「名前を教えてくれませんか?」

 

 不意に笑顔を見せて名を問う鬼道丸。

 

 その想定外の言葉に少女は「…え」と少し戸惑う。

 無表情な顔は大人びていたが、戸惑う今の顔は年相応の少女のそれだ。

 

「………『鴉羽(からすば)』」

 

 しばらく逡巡した後、か細い声で少女――『鴉羽(からすば)』が伏し目がちに名を名乗る。

 

「鴉羽さん、ですか…」

 ふむ、と顎に手をやり、何やら考えている様子の鬼道丸。

 

 その背中を鴉羽は黙って見詰めた。

 

「少し付き合ってくれますか――」

 

 不意に背後を振り返った鬼道丸が柔らかな視線で彼女を見遣る。

 その言葉に鴉羽は怪訝な顔をした。


 〜

 

 山の開けた場所、木々の間の地面。

 夜は明け、東の空が仄かに朝日で赤らむ。

 そんな中、鬼道丸はわずかに盛り上がった土の前で瞳を閉じ、静かに土に汚れた手を合わせていた。

 

 そこに埋められているのは――首無しの骸とチャグモの首。

 

「…よし」

 

 しばらくして、不意に瞳を開けた鬼道丸が満足そうに小さく頷いた。

 その背後には鴉羽とひとりの男――『末吉(すえきち)』。

 鬼道丸と鴉羽がチャグモから救い出した男の名だ。

「――理解できない…」

 木の幹に背中を預け、腕を組んだ鴉羽が黙祷を終えた鬼道丸の背に声を掛ける。

「なぜ『鬼』を埋葬する必要がある?」

 怪訝な表情で鴉羽が鬼道丸を見遣る。

 横に立つ末吉も、理解できないといった様子。

「その鬼は多くの人を攫い、『土蜘蛛』に喰わせていた。それを埋葬し、わざわざ弔うなんて…」

「そ、そうですよ…その鬼は気持ち悪い糸で俺のことを簀巻きにして山中引き摺り回したんですよ…」

 そんな彼等の言葉に鬼道丸はしばらく黙る。

 そして、振り返らず、鬼道丸はふと口を開いた。

「分かっています。でも彼にも親がいた」

 チャグモが最期に見せた感情――それは怨嗟の言葉でも怒りの怒号でもなかった。

 ――『母さん』

 多くの人を攫い、上位の『鬼』へ献上し続けた『鬼』が最期に求めたのは母親の存在。

 あのとき鬼道丸の耳に届いたのは、誰からも求められなかった哀しい男の弱々しい声だった。

 あのチャグモの痩せこけた体を見れば、己が喰らうはずの『人』でさえ愚直に『土蜘蛛』に献上し続けていたことが窺える。

 鬼道丸は少しだけ、この『鬼』が憐れに思った。

  

「かつてこの『鬼』も――『人』だったんです」 

 その声は慈愛に満ちた優しい声音だった。 

「たとえそれがどんな最期だったとしても…」

 スッと鬼道丸はその場に立ち上がる。

 そして、情けない笑顔でふたりに見せた。 

「弔うべきだと――そう教わったんです」 

 心の底からの本心なのだろう。

 ――鬼道丸の笑顔に嘘はなかった。

「それに――」

 鬼道丸が続ける。 

「誰にも弔われないのは…寂しいですから」 

 その彼の笑顔に『鬼』への憐れみが滲む。

 『半鬼』という身の上、鬼道丸にも思うところがあるのだろう。

 

「甘いな…」

 そんな鬼道丸の言葉を鴉羽は容赦なく切り捨てた。

「その甘さはいつか誰かを殺すぞ」

 表情ひとつ変えず、鴉羽がそう吐き捨てる。

 非情な鴉羽の言葉――だが、それはまるで自分自身に言い聞かせているような含みがあった。

 彼女は既に鬼の手で誰かを――。

 少しだけ、鬼道丸は彼女の過去を垣間見た気がした。

 

 しばらくの沈黙――。 

 視線を逸らし黙る鴉羽がスッと鬼道丸を見遣った。

 

「だが、お前を未熟と言ったあの言葉は…撤回してやる」

 鬼道丸を見る彼女の黒い瞳、そこに宿る冷淡な光が少し和らいだ。

 そして鴉羽はすぐに木の幹から離れると、くるりと鬼道丸に背を向けて歩き出す。

「私はもう行く。その男はお前が責任を持って村まで送り届けろ」

 ひらひらと手を振りながら鴉羽が静かにそう言い残すと、音もなくその場から立ち去っていった。

「え、あ…ありがとうございました!鴉羽さん!」

 鬼道丸の言葉を必死に理解しようと頭を捻っていた末吉が遠のく少女の背中に気付くと、深々と頭を下げた。

 ――ふと少女が足を止める。

 小さく振り向き、真っ直ぐに鬼道丸を見遣った。

「私はこれから【華ノ国(はなのくに)】へ向かう。――お前のことだ、おそらくそこでまた会うことになるだろう…」

 確信にも似た鴉羽の言葉。

 フッと口元が緩んだ――ように見えた。

「…次会う時、もし道を踏み外していたら、私は躊躇いなくお前を斬るぞ」

 それを確かめる暇もなく、鴉羽は前に向き直る。

「じゃあな、『半鬼』の鬼道丸…」

 そして、もう振り返ることなく、鬼道丸の許を去っていった。

 

「――分かりました…」

 

 その背中を見送りつつ、鬼道丸はおもむろに首の『赤い襟巻』にそっと手を触れた。

 

 ――第壱章其ノ武 完

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