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鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
第壱章【華ノ国動乱】
5/13

其ノ壱『初陣』


 旅に出て、七日。

 鬼道丸はようやく人里近くまでやって来た。

 これまで険しい山道をひたすら歩き、日が暮れれば水場の近くで野宿した。

 幸い、ジンとの暮らしの中で山の中で食材を探す(すべ)は自然と身に着いていた。 

 

 月明かりに照らされた夜の山。

 鬼道丸は小川の辺でひとり焚き火を囲んでいた。

 即席の串に差した二匹の焼魚。

「いただきます」

 静かに手を合わせる。

 ささやかな食事に感謝しつつ、鬼道丸は焼けた川魚に齧りついた。

 淡泊な味わいが口のなかに広がる。 

 すぐに鬼道丸は二匹とも完食してしまった。

「ごちそうさまでした…」

 手を合わせて軽く会釈した鬼道丸。

 ふと、遠くを見た鬼道丸の目に山麓にある人里らしき明かりが映った。

 初めての『人』との接触――。

 不安と期待が胸に揺れる。

 だが、鬼道丸はすぐにその思いを霧散させた。

「もう寝よう…」

 明日に備えて鬼道丸は小さく欠伸をし、床に就こうとした瞬間、微かな音が彼の耳に届く

 

――布が擦れるような音と低く押し殺された呻き声。

 

 鋭く視線を巡らせた鬼道丸が周囲の気配を探る。

 人ともうひとつ、ぬるりとした瘴気の気配。

 瞬間、鬼道丸の瞳が鋭く細められた。

(――『鬼』…)

 『鬼』の気配を察した鬼道丸は即座に傍らに置いていた白拵えの鬼斬刀を手に取ると、瞬時に地を蹴る。

 その勢いで焚き火の炎が大きく揺らぎ、そして消えた


 風を裂くように木々の間を駆け、音の場所へと一気に踏み込む。

 開けた場所、そこにいたのは――薄汚れた粗末な土色の衣に身を包んだ一体の鬼。

 そしてその鬼は土の糸で簀巻きにした人間の男を片腕で引き摺り、山道を歩いていた。

「ん…んー…!」

 土と瘴気を混ぜ合わせた土の糸によって拘束され、口元まで覆われた男は必死にもがきながら、声なき声を漏らしている。

 そんな光景を目の当たりにし、鬼道丸は鋭い眼差しでその土色の鬼を睨んだ。

「その人を離せ…」

 低く鋭い鬼道丸の声音が響く。

 その声に反応した土色の鬼がぎょろりと濁った鬼眼を鬼道丸に向けた。

「な、なな、なんだ…お、お前…」

 ぎこちなく言葉を紡ぐ鬼。

 その瞳には明らかに動揺が滲んでいた。

「せ、せっかく…と、遠くまで…来たの、に」

 落胆するように声を漏らした土色の鬼。

「お、怒られる…『土蜘蛛(つちぐも)』さまに怒られ、る…」

 鬼道丸のことなど気にせず、鬼は頭を抱える。

 様子のおかしい鬼を前に、鬼道丸は油断せずその場に身構える。

 正気ではない鬼が頭を掻きむしる。

「…こ、コイツもさ、攫えば?――」

 ぶつぶつと何やら独り言を呟く中、鬼の気配に黒い瘴気が渦巻く――次の瞬間、ドッと鬼の瘴気が溢れ、その鬼眼に妖しい光が閃いた。

 さきほどとは違う敵意剥き出しの禍々しい気配――鬼道丸は静かに腰に刺す鬼斬刀の柄に手を掛けると、するりとそのまま抜刀した。

 抜き身の白刃が月明かりに照らされる。

 と同時に鬼道丸の身体が『闘気』を帯びた。

 刹那、地を蹴り、鬼との間合いを詰める――

 が、そのとき鬼道丸の左足に何かが絡み、勢いを殺した。

 ザリッとその場に踏み留まった鬼道丸が足を見遣ると、足場の土が盛り上がり、左足を覆っていた。

「足元…お、おろそか…」

 ケヒ、と不細工な顔を歪ませた鬼が細い指を鬼道丸に差し向ける。

 ザン、と一振りで左足の土を払った鬼道丸。

 次の瞬間、鬼道丸の姿がかき消えたかと思えば、即座に鬼の目の前に現れる。

「離せと言った」

 上段からの一太刀。

 簀巻きの男を掴む鬼の左腕が斬り落とされた。

 ブシュ、と黒い瘴血が断面から噴き出し、土色の鬼が苦悶の表情に顔を歪ませる。

 返す刃、鬼道丸が横薙ぎに振り抜く。

 それを避け、鬼はバッと大きく後方に飛び退くと、慌てて鬼道丸との距離を取る。

 だがそれと同時に、ある違和感を覚えた鬼が不思議そうに眉をひそめた。

 スン、と臭いを嗅いだ鬼。

「お、お前の臭い…変だ…」

「………」

「ま、混じって、い、る?お、おお、お前も…」

 斬り落とされた腕を庇いながら鬼が懐疑的な鬼眼を向けてくる。

 それに応じず、鬼道丸は無言――それでも彼の瞳がかすかに揺れる。

 それを気取られぬよう、鬼道丸は鬼斬刀を振って簀巻きにされた男の拘束を解いた。

 ガラガラ、と土の糸が崩れ、男は晴れて自由の身となる。

「ッぷはぁ!あ、ありがとうございます!鬼狩り様!」

「礼はあとで。今はここから動かないで下さい…」

 拘束から抜け出した男が縋るように鬼道丸に迫る中、彼は見向きもせずに鬼を見据え、静かにそう告げた。

 取り付く島のないその威圧感に男は「は、はい…」と小さく頷き、言われた通りにその場を動かない。 

「な、なな、なんで…『人』のフリなんか…」

 そこまで鬼が言い掛けると、鬼道丸は軽く跳躍して空中から問答無用で鬼へと斬り掛かった。

 反応が遅れた鬼は残された右腕に瘴気を纏い、瞬時に硬質化させる。

 それにより鬼は鬼道丸の刃を受ける――はずが、彼の鬼斬刀は瘴気による硬質化をいとも容易く斬り抜いた。

 スパッと鬼の右腕が落ちる。

 鬼は瞬く間に両腕を失い、声にならぬ呻きを上げる。

「答えろ。彼をどこへ連れて行くつもりだった」

 チャッと鋭く鬼斬刀の鋒を喉元に突き立て、鬼道丸は冷淡な表情で鬼に詰問する。

 

 鬼が人を生け捕りにする理由はふたつ。 

 ひとつは自分の根城に持ち帰る為。

 もうひとつは――『上位の鬼へ献上する為』。

 

 さきほどの鬼の言動から、恐らく後者。

 『土蜘蛛』という上位の鬼が関わっているのだろう。

「『土蜘蛛』様の、とこ、ろへ…『チャグモ』は…」

 『チャグモ』とは己の名だろう。

 こんな状況でもその鬼――『チャグモ』の濁った鬼眼は鬼道丸のことを見ていなかった。

 虚空を見上げ、妄言のように『土蜘蛛』と口走る。

 その様子に鬼道丸は怪訝な表情を浮かべ、しばらく様子を窺っていた――そのとき。

 チャグモの鬼眼がぐるんと上擦る。

 

――捨てられる!

 

 ドン、と突如としてチャグモが己の瘴気を解放した。

 その勢いで鬼道丸は軽く飛ばされる。

 が、即座に体勢を立て直し、ザッと危なげなく着地した。

 舞い上がった土煙の中、チャグモの影がゆらりと浮かび上がる――その影はさきほどまでとは打って変わり、背中から蜘蛛の脚が生えた異形の姿へと変貌していた。

「も、もっと……集めないと…に、にに、贄を…」

 土色の衣が弾け飛び、痩せこけた上体を露わにしたチャグモの背中から巨大な四本の蜘蛛の脚が伸びる。

「見て…僕、を…見て…」

 その蜘蛛脚によって支えられ、両腕を失ったチャグモの身体が宙吊りの状態で揺らいでいた。

「…深いな」

 静かに腰を落とした鬼道丸が鬼斬刀を構える。

 ぐるり、と八つに増えた大小それぞれの鬼眼が眼下の鬼道丸を捉えた。

 その異形の姿を見、鬼道丸が目を細める

 ジンから教わった鬼の形態のひとつ――それは鬼が抱える心の傷や負の感情を体現した姿。

 歪んだ弱さがこの鬼を異形へと変貌させる――。

 

「――『鬼躯解放(きたいかいほう)』か…」


 ぼそと鬼道丸が呟いた刹那――。 

 ドドド、と四本の蜘蛛脚を巧みに操り、チャグモが猛烈な勢いで鬼道丸へと迫りくる。

 チャグモと鬼道丸が交差するとき――鬼道丸は鬼斬刀を握り直すと、ダンと地を蹴って跳躍し、宙吊りのチャグモの首へと刃を走らせる。

 ガキィン――寸前のところで鬼道丸の刃が蜘蛛脚の黒い甲殻で弾かれた。

 そのまま通り過ぎるチャグモ。

 着地し、鬼道丸は即座にその場で構える。

「厄介だな…」

 明らかに先程とはチャグモの反応速度が桁違い。

 加えて、異形の姿となったチャグモの動きは対人戦闘に長けた鬼道丸にとって、未知の領域。

 なんとか本体を斬る隙を作らないと――。

 しばらく考えた後、鬼道丸は意を決してチャグモの懐へと深く踏み込んだ。

 それに反応し、チャグモは頭上から鬼道丸を串刺しにしようと鋭利な蜘蛛脚を振り上げる。

 ドッと地中深くに突き立ったチャグモの蜘蛛脚。

 身を翻しそれを避けた鬼道丸はその蜘蛛脚の関節を狙って鬼斬刀を振るった。

――『横一文字(よこいちもんじ)』!

 ブシ、と黄色の粘り気のある体液が刃傷から噴き出した。

 がくり、と大きく体勢を崩したチャグモが苦痛の声を漏らしながら、ドサと地に倒れる。

「――ここ!」

 その隙を見逃さず、己の背丈まで降りてきたチャグモの首を狙って鬼斬刀を走らせる。

 だが、チャグモも黙ってやられる訳にはいかない。

 かぱ、と下顎まで裂けた口を大きく開き、土と瘴気を混ぜ合わた土の糸――『土瘴糸(どしょういと)』を吐き出した。

 瞬く間に鬼道丸の胴に纏わりついた『土瘴糸』。

 バキ、とすぐに硬化し、鬼道丸の身動きを封じる。

 それは男を簀巻きにしていたものと同じ土の糸だった。

 しかし、鬼道丸の手に掛かれば、この『土瘴糸』の拘束から抜け出すことなど造作もない

 が、チャグモの狙いはそこではなかった。

 ぐるんと異様な角度で振り向いたチャグモが不意に木陰に隠れる男を見遣った。

「…クソ!」

 チャグモの意図を理解した鬼道丸が鋭く舌を打つ。

 

 すでに両腕を失い、蜘蛛脚一本も鬼道丸に斬られて崩された。

 損傷は多く、消耗も激しい――補給せねば。

 見れば、近くにちょうど『肉』が転がっている。

 『土蜘蛛』様への献上品だが、このままではこの鬼狩りに確実に殺される。

 にたり、と嗤うように八つの鬼眼を歪ませたチャグモが男に狙いを定めた。

 

 判断を誤った――。


 あのとき逃がしていれば。

 だが、後悔してもすでに手遅れ。

 鬼道丸はすぐに思考を切り替える。 

(ジンならどうする――)

 一瞬の思考――と同時、鬼道丸が付近に潜む『もうひとつの気配』に気が付いた。

 今まで接近にさえ気付かなかった。

 それほどに巧妙かつ繊細な――『人』の気配。

 

 チャグモの大口から放たれた『土瘴糸』が木陰に隠れる男へと襲い掛かる。

 シュルルと男の胴に纏わりつき、硬化する。

 チャグモはそのまま男を引き寄せ喰らう為、吐き出した『土瘴糸』を引き戻す。

「ひッ…!」

 逆らいようのない力で男の体が宙に浮いた――。

 

 瞬間、闇夜に紛れて地を駆けた黒い影が月明かりの許へと躍り出た。


 ザン――黒い一閃。


 男を捕らえた『土瘴糸』が一太刀で断ち切られた。

 拘束を解かれた男は勢いそのまま、受け身も取れずに地面へ転がる。

 

 ふわり、と艶やかな長い黒髪を靡かせ、漆黒の狩装束に身に纏ったひとりの少女が姿を現した。

 己の背丈程のある長大な大太刀を振るい、『土瘴糸』を断ったその少女が男を狙うチャグモの前に立ち塞がる。

 その身に纏う雰囲気は――異様なほどに静か。

 ちらり、とその少女の冷たい眼差しが『土瘴糸』に拘束された鬼道丸を見遣る。

「――未熟」

 短く呟き、夜ノ歩法『無音歩(むおんほ)』でチャグモとの距離を詰めた少女が大太刀を凄まじい勢いで振り抜いた。

 ザン、とチャグモの蜘蛛脚を一太刀で斬り落とす。

 返す刃、振るわれる大太刀の黒刃がもう一本の蜘蛛脚も斬った。


 その隙に鬼道丸は胴の『土瘴糸』を振り解くと、流麗な太刀筋で大太刀を振る黒髪の少女の姿に魅入ってしまう。

 彼女の振るう刃はかすかに風を裂く音だけを残していく。


 この人、強い――。

 

 まるで舞いでも踊るかのような流麗な太刀筋。

 それでいて、その一閃は硬質化した瘴気の塊である蜘蛛脚をいとも容易く両断する。 

「な、な、んだ――お前ェ!」

 されるがままだったチャグモが苛立ち紛れに叫ぶと残された最期の蜘蛛脚を黒髪の少女に突き出した。

 それを最小限の動きだけで躱し、チャキと大太刀を肩に担ぐように構えた黒髪の少女がトドメを差すべく、深く踏み込んだ。

 そのとき――踏み込んだ地面に彼女の足が沈み、がくりと体勢を崩された。

 すでにその地面はチャグモによって『土瘴糸』に変質されていた。

 それはチャグモが張った巧妙な罠。

「ッハハハァ!み、皆…足元、お!疎か!」

 勝利を確信したチャグモがゆらりと蜘蛛脚を振り上げた。

 鋭利な脚先が片足を獲られた黒髪の少女に狙いを定める。

「し、しし、死ね――」

 そう言ってチャグモが少女に蜘蛛脚を突き立てようとした刹那――。

「貴様がな」

 無表情、慌てることなく黒髪の少女が短く吐き捨てた。

 

 夜空に浮かぶ月を背に、空高く跳躍した鬼道丸が鬼斬刀を肩越しに構える。

 その体がチャグモの背後から迫り、交差する瞬間――すとん、と白刃がチャグモの首を薙いだ。

「かっ…」

 喉から掠れた声を漏らしたチャグモ。

 遅れて、チャグモの首が胴体からするりと(こぼ)れ落ちた。

 軽やかに着地した鬼道丸はすぐさま鬼斬刀を振るい、刃先についた黒い瘴血を払う。

 ピッと細い血筋が地面に一筋の線を描いた。

 

「……」

 ――未熟、か。


 耳に残る少女の言葉を胸中で反芻する。

 

 そんな鬼道丸の背後で首を喪ったチャグモの身体が大量の瘴気を噴水のように噴き出し、ドッと力なく地に倒れた。

 その骸から絶え間なく瘴気が漏れ出し、背中から生えていた四本の蜘蛛脚も黒い煙となって霧散していく。

 ゆらり、と夜空を覆った黒い瘴気の霧が巨大な蜘蛛のような形になるが、すぐさま闇の中へと薄れて消えた――。

 そして残されたのは痩せこけた首無しの骸のみ。

「だ、駄目だ…ま、ま、まだ…やれる…」

 首だけになったチャグモが地面に転がりながらも、まだ何かを呟いている。

「み、認めてもらうんだ…つ、つ、『土蜘蛛』様に…」

 虚空を見つめるチャグモの鬼眼から一筋の黒い涙が流れる。

 

――それは本当に涙なのか、それとも漏れ出した只の瘴気か。

 

 その光景を鬼道丸はしばらく黙って見詰めていた。

 すると、ズボッと地面から足を抜いた黒髪の少女がパッパッと下衣に付いた土を軽く払う。

「す、捨てないで…ぼ、僕はまだ、やれるよ…」

 彼女は何も言わずにチャグモの首へと歩み寄り、目の前で足を止めた。


「か、母さ――」


 焦点の合わぬチャグモの濁った鬼眼――そこには確かに誰かの姿が浮かんでいた。

 

 ぴくり、とわずかに鬼道丸の眉が跳ねる。

 だが、言い終えるより先、チャグモの首を見下ろした少女は躊躇いもなく彼のこめかみに深々と大太刀の刃を突き立てた。

 彼女の刃に――迷いは一切ない。 

 

 糸が切れたようにチャグモの声が止まる――。

 

 そこには情けも容赦もない。

 少女はまるで物でも扱うかのように黙ってチャグモの首を足で押さえつけ、ズリと大太刀を引き抜く。

 

 そして、彼女は踵を返し、何食わぬ顔で鬼道丸へと歩み寄ってくる。


「あ、貴女(あなた)は…」

 表情が読めぬその少女に鬼道丸は恐る恐る声を掛ける。

 黒髪の少女は歩みを止める様子はなかった。

 おもむろに大太刀の黒い刀身に付着した黒い瘴血を腕に挟んで拭う。

 だが、まだ彼女はその大太刀を鞘には納めない。 

「名乗るべきはお前だ」

 感情を感じさせぬ冷淡な声音。

「何者だ、貴様…」

 只者ではない鬼道丸の気配。

 無害なようで、身の内に得体の知れない『何か』が潜んでいる。

「返答次第では――」

 そこまで言って、少女の視線が一段と鋭くなる。

 綺麗に切り揃えられた黒い前髪から覗く大きな黒い瞳、その奥にあるのは――明確な警戒の眼差し。

 彼女は視えているのだろう。

 『鬼』とは断じることのできない――だが、鬼道丸の奥底に眠る『黒い気配』を聡くその瞳に映している。


「ここで斬る――」


 ザッとお互いの間合いに入った少女が硬い声音でそう告げた。


 ――第壱章其ノ壱 完

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