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鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
序章【半鬼ノ少年】
4/13

其ノ肆『夜明け』


 夜が明ける。

 山の空気は冷たく澄み、白い霧がゆるやかに木々の合間を流れていた。

 崩れた小屋の跡地には、砕けた木片と土塊が散らばり、かつての生活の名残だけが静かに残っている。

 

 その中央、簡素に組み上げられた焚き火の傍で鬼道丸は目を覚ました。 

「…ん」 

 ゆっくりと上体を起こす。 

 身体に痛みはあるが、意識ははっきりしていた。

 

 ふと、昨夜の光景が脳裏をよぎった。

 

 黒い瘴気。

 己の内から溢れ出した『鬼』。

 そして――壊れた小屋。


「……あ」

 視線を上げた先、そこにあったはずの場所にもうかつての小屋はなかった。

 

 もはや何も残されていない。

 風だけが吹き抜ける空間。

 

 その事実が遅れて、鬼道丸の胸を締め付ける。

 

「僕は…」

 

 小さく呟き、拳を握る。 

 腕には何やら黒ずんだ痣が残されていた。 

 かすかに瘴気の残滓が滲んでいる。


「――起きたか」

 聞き慣れた低い声が耳朶を打つ。

 振り返ると、少し離れた場所にジンが立っていた。 

 唯一残された柱に背を預け、逞しい腕を組みながら鬼道丸へ視線を向ける。

 

 身に纏う純白の装束、その左の肩口には乾いた血。

 

「師匠…」 

 鬼道丸は視線を逸らさず、立ち上がろうと床に手をつく。 

「まだ全快じゃないだろう。寝てろ」 

 ぶっきらぼうなジンの声音。 

 鳥の鳴き声だけが、やけに遠く響く。

 

「…問題ないです」 

 短い応答。

 だが、その声にはわずかな躊躇いが滲む。

 

 ジンはそれ以上は何も言わず、ただ静かに鬼道丸を見据える。

 やがて、ジンは何もない天井を見あげた。 

「派手に壊れたな…」 

 ぽつりとそう呟く。 

 鬼道丸は息を呑み、何も言えずにただ顔を伏せた。 

「結界は破られた。あの鬼――『朧』に場所も知られた」

「はい…」

「次も来るだろう」 

 確信しているジンの断言。 

 その言葉に鬼道丸の胸の奥がわずかに軋む。

 

「師匠…」 

 躊躇いながらも、鬼道丸はジンに呼びかける。 

「師匠は止せ、と言っているだろう…」 

 いつもと変わらぬジンの返事。 

 しばらく鬼道丸は口を噤むも、すぐに意を決して、真剣な顔を上げた。 

「僕はここを出ます」 

 はっきりとした声だった。 

 ジンの太い眉がわずかに跳ね、真っ直ぐに鬼道丸の顔を見返している。 

「あの『鬼』の目的は――僕でした」

「……」

「そうしたら、次は――」 

 言葉を飲みこんだ。

 断片的な昨夜の記憶が蘇る。

 鬼化した僕は本気でジンのことを――。 

「師匠が死ぬかもしれない…」 

 鬼道丸は静かに、だが確かな声音でそう告げた。

 

 ジンはしばらく何も答えない。 

 怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも動揺しているのか。

 

 ただ黙って鬼道丸を見ていた。

 

「それに…僕は自分のことを何も知らない…」

 

 鬼道丸の視線が落ち、震える拳を強く握り締めた。

 

 昨夜、朧に強制的に視せられた情景。 

 雨の夜。白髪の女。赤ん坊。

 あれが何なのか――知る必要がある。


「『出雲ノ形見』って、何なのか」

「……」

「僕は何のために生まれたのか」

 

 ゆっくりと顔を上げ、ジンを見遣った鬼道丸。 

 その目に迷いはなく、確かな覚悟が秘められていた。

 

「全部、知りたいんです」

 

 言い淀むことなく、鬼道丸は己の決意を語る。


 お前は『何者』だ――。

 

 謎の鬼が語った言葉。

 その答えを鬼道丸はまだ知らない。

 

「その上で――僕が『何者』なのかを見極めます」

 

 その決意にはすでに、ジンの言葉を差し込む隙がないほどに固められていた。

 

 しばらく逡巡するジン。 

 そして、ようやく口を開いた。

 

「俺には何も聞かないのか――」 

 重い声音が静かに響く。 

 鬼道丸はしばらく伏し目がちで黙る。

 

 だが、鬼道丸はふと微笑を浮かべた。

 

 そして、ジンの方を向く。 

 その顔は、いつもの鬼道丸の情けない笑顔。

 

「それは――『楽な道』でしょ、師匠…」

 

 意地悪そうに笑う鬼道丸。

 

 その顔は紛れもなく、ジンを師と仰ぐ弟子の表情。

 

 強くなった鬼道丸を見詰め、静かにジンは込み上げる感情を飲み込んだ。

 

「貴方が教えてくれたことです。僕は貴方の教え通りに自分の力で知りたいんです…」 

 もう己の手を離れる覚悟を固めた。 

 それでいて、どこか穏やかな表情。

 

 もはや言葉さえも――無粋。

 

 ジンはどこか悲しげな、それでいて誇らしい表情を浮かべた。

 

「そうか…」

 

 たった一言。

 

 彼はおもむろにその場を離れる。

 崩れた小屋の残骸を手で取り除き、小屋の中でごそごそと何かを探し始める。

 

 鬼道丸は何も言わず、その背中を静かに見詰めた。

 

 そして――ジンは地面の中から土塊に塗れ、白い布でくるまれたひとつの包みを持ち上げた。

 

 その白い包みには、何かが入っている様子。

 

 ジンは黙って、その白い包みを鬼道丸に手渡した。

 

「…これは?」

「広げてみろ」

 

 不思議そうにジンを見上げた。

 対して、ジンは真顔でそう告げる。

 

 鬼道丸は白い包みを見下ろし、固く結ばれた紐を解くと、中には――白拵えの鬼斬刀が一振りときれいに畳まれた一着の灰色の狩装束。


 ふと鬼道丸は白い鬼斬刀を手に取る。

 

 重い――


 木刀とはまるで違う感覚。 

 柄を掴むと、静かに引き抜いた。


 すらり、と鞘を滑るように刀身が現れる。


 そこに『灰雲』という二文字が刻まれていた。


「…〝灰雲〟?」

「お前の刀だ」


 短く告げたジンの目に柔らかな光が宿る。


「いつか今日のような日が来ると思っていた」

 

 そう言って、ジンは初めて鬼道丸に笑みを浮かべた。

 

「俺からの餞別だ。受け取れ、鬼道丸」

「…ジンさん」


 しばらくの沈黙――。

 不意にジンは視線を逸らした。

  

「俺は――お前を信じているぞ…」

 

 ぎこちない笑みを浮かべ、ジンは言う。


 ジンらしい。

 真っ直ぐな飾り気のない不器用な言葉。

 

 たった一言だけ。

 だが、鬼道丸の心がわずかに軽くなった気がした。

 

――僕は『ひとり』じゃない。

 

 ジンの手が迷いなく鬼道丸の背中を押した。 

 たとえそれが残酷で、厳しい道程になると分かっていても――。


 〜

 

 鬼道丸はジンと暮らした地を後にする。

 物心ついた頃から、鬼道丸はジンとふたりで暮らしていた。

 

 彼はここで育ち、

 寝食を共にし、

 そして――師の剣を修めた。

 

 寂しくない――といえば、嘘になる。

 

 だが、ここにいてはいつまでも『守護られる(まもられる)』だけの存在。

 

 そして、己の存在がジンとの平穏な日々を壊した。

 

 ここにいてはいけない――


 そう鬼道丸は悟った。


 ここから先、鬼道丸は未知の世界に、足を踏み入れることになる。 

 『朧』のような――凶悪な鬼が蔓延り、人々を脅かす『現世(げんせ)』。

 

 『半鬼』の自分に居場所があるのかさえ分からない。

 

 ――それでも『往く(ゆく)』。

 

 色の抜けた白髪に灰色の狩装束、首には赤い襟巻を巻いた『半鬼』の少年。

 

 その腰には師から授かった白拵えの鬼斬刀を差している。

 

 鬼道丸は今日この場所から、『鬼狩り』として守られるだけの山を降りる。

 

 彼は生まれて初めて、結界の外へ足を踏み出す。

 

 不意に踏み出した足が躊躇うように止まりかける。


 だが、鬼道丸はすぐにその躊躇いを――『境界』を踏み越えた。

 

 その背中は確かに『人』――

 しかし、どこか黒い影が滲んでいる。

 

 彼が最も欲しているのは――『普通』。


 〜

 

 鬼道丸は程なくジンの許を去った。

 ジンは敢えて彼を見送らなかった――

 

 それは、もはやこの地が鬼道丸の帰るべき場所ではないからだ。

 

 そして、ジンの存在は鬼道丸の門出の足枷となる。 

 それを理解するジンは敢えて鬼道丸の前に姿を現さなかった。


 ――もしその背中を見てしまえば、引き留めてしまうかもしれない。


 ジンは己の『弱さ』を自覚している。


 ひとり残されたジン。 

 崩れた小屋の跡地、静かに腰を据えていた。

 

 かつて鬼道丸と過ごした日々。

 跡形もなく、残るのは散乱する木片と砕けた土。

 

 これでよかった――

 そうジンは胸中で言い聞かせる。

 

 鬼道丸は『強い』。

 『半鬼』という悲運の身の上。

 それでも『人』であろうと、己の足で力強く踏み留まっている。

 

 この手で斬った姉――彼女と同じ『強さ』。

 

 言い知れぬ表情でジンはおもむろに天を仰いだ。


 赤ん坊の頃から一緒だった。

 子育ての経験はなく、すべてが不慣れな毎日。

 

 鬼を『断つ』刃としてではなく、

 ひとりの血の通った『人』として、ジンはひとりの鬼狩りを育てたのだ。

 

 その巣立ち――誇らしく思う。

 

 幼き頃の鬼道丸を思い返し、ジンは笑う。


 〝雲〟が流れてゆく。

 ゆっくりと、だが確実に――。 

 

「死ぬなよ、鬼道丸――」

 

 もはや鬼道丸には届かぬジンの言葉、その微かな響きが快晴の空に吸い込まれていった――。


――序章『半鬼ノ少年』 完

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