秘める想い
しかし維心は、気付いていた。
十六夜の様子がおかしい。そのうえ、蒼も戸惑っている様子だった。あの沈黙は、どう考えても何かを隠している様子。
もう数百年、十六夜と蒼、維月と共に来て、さすがの維心も学んでいた。あの空気と、珍しいもの好きの維月の、突然の物分りの良い様。何か無いと、こんなことはない。
維心は、表面上何もないふりをしながら、居間へと急いでいた。
居間の戸を開けると、維月が正面の椅子から顔を上げた。そして、微笑んで立ち上がると維心に寄って来た。
「まあ、維心様。お早かったですわね。お話はスムーズに参りましたか?」
維心は、頷いた。
「十六夜が、昨日からずっと月に帰っておったであろう。それで、あちらを見ていてくれたのでな。それで手っ取り早かったのもある。あちらと協定を結ぶため、一週間後に臣下達がこちらへ参って内容の協議を始めることになった。」
維月は、ホッとしたように肩の力を抜いた。
「よろしゅうございました。これで、戦は避けられますわね。」
維心は頷いて維月の肩を抱くと、二人で定位置の椅子へと腰掛けた。そして、言った。
「実は、主に聞きたいことがあっての。」維月は、え、と言う顔をして維心を見上げた。維心は続けた。「昨夜のことぞ。主、ヴァルラムに会わなんだか?」
維月は、答えに詰まった。どうしよう。嘘はつきたくないけど、でもどこまで言ったらいいのかしら。こういうときは、神様方式だわ。嘘はつかないけど、伏せて置きたい事は伏せる。
維月は、維心を見た。
「はい。中庭からの帰り、お会いしました。私をお知りにならなかったので、名と陰の月であること、龍王妃であることをお伝え致しました。」
維心は、じっと維月を見ながら頷いた。
「なぜに昨夜我に話さなかった?」
維月は、少し緊張しながら答えた。
「特別なことであるとは思わなかったので…お訊ねになられたら、申したかもしれませぬ。でも、戻ってすぐに維心様が奥へとおっしゃるから…。」
維心は、そうだった、と思った。維月が遅いと迎えに行って、離れていた後に顔を見たので取り合えず引きずるようにここへ戻って来て奥の間へ連れ入ってしまった。話す間など、なかったか…。
「そうか。」維心は、維月を抱きしめた。「では、これからは申せ。曲りなりにも、あれは王。そんな者と、宮で我の妃が遭遇するなど、本来神の世ではあり得ぬことぞ。主だから自由にさせておって、このようなこともあるのだ。なのでせめて我に話せ。わかったの。」
維月は、頷いた。
「はい、維心様。」
維心は、納得したわけではなかったが、これ以上維月を責めるのもと思い、それで黙った。しかし、警戒せねばならぬ…あれが、我にそっくりであることは、我自身でも分かるほど。ならば維月を隠して置いて、間違いはないのだ。
サイラスは、自分に割り当てられたヴァルラムと隣りの部屋へ入る前に、ヴァルラムに言った。
「話があるのだ、ヴァルラム。こちらへ来ぬか。」
ヴァルラムは、スッと眉を寄せた。
「…我には無い。」
しかし、サイラスは険しい顔をした。
「我にはある。来い。」
サイラスが、先に踵を返してさっさとその部屋へ入って行くので、ヴァルラムは仕方なくその後について中へ入った。
そこは、自分の客間と背向かいになっているようで、左右対称の形になっていた。ヴァルラムが見回していると、サイラスはそこにあるソファに座った。そして、座るなり言った。
『主が隠しておったのは、月のことだな。』
ロシア語だ。サイラスの国では英語を使うが、共に居る時はロシア語で話す。ヴァルラムは横を向いた。
『何のことぞ。我は十六夜とは口を聞いておらぬ。』
サイラスはヴァルラムを凝視した。
『分かっておるはずぞ。もう一人の月だ。主、その月と会ったのか。』
ヴァルラムは、側のソファに座った。そして、この友には何を隠しても駄目だと思い、ため息を付いて言った。
『…会った。昨夜中庭に居たのを見つけて、最初は龍王妃とは知らずに話していた。』
サイラスが、驚いたような顔をした。
『主が、女と話した?』
ヴァルラムは、仕方なく頷いた。
『珍しい気の女だと、最初はそう思うただけぞ。しかし、思いも掛けず清々しい女で…あのような女は、初めて会った。』
サイラスは、まだじっとヴァルラムを見ている。
『…そうか。主、初めて女に興味を持ったか。』
ヴァルラムは首を振った。
『そうではない。我は…あれは龍王妃であるし、今この時、そんなものを望んだりせぬ。連れ帰ろうとも思わぬ。』
それを聞いたサイラスが、ため息を付いてソファに背を預けた。
『興味を持ったと言うただけぞ。そこまで聞いておらぬわ。』それを聞いたヴァルラムは、ハッとした顔をした。それを見たサイラスは、肩を落としてまた大きくため息を付いた。『困ったことよ…主のその物悲しいような抑えるような気はそのためか。やっと主が妃を娶る気になったというのに、それが月とはの。』
ヴァルラムは、また首を振った。
『分かっておる。なので我は、もうあれを望んだりはせぬと申しておるではないか。龍王と事を構えるような事はせぬ。なので我は…分かっておるのだ。』
サイラスは、ヴァルラムを見た。ずっと二人で戦って来た。その間、この友は己のことなど一切省みずにただ世のためと戦っていた。平定した後も、その世を保つため気を張って、自分が絶対の王でなければならぬと逆らう者はすぐに斬り捨てて来た…そこに情も何もなかった。全ては世のため。ヴァルラムは、非情でなければならなかったのだ。
それを見て来ていたので、サイラスはヴァルラムが初めて望んだ幸福をいうものを、その手にさせてやりたかった。もし、こんな状況でなければ、喜んで略奪の片棒を担いだだろう。だが、今は違う。世を平和に保つためには、この龍王と友好関係を築かねばならない。その妃を取り合うなど、出来るはずもない…。
『…龍王妃でさえなければの…。』
サイラスは、心底残念に思いながらそう言った。何か、ヴァルラムが陰の月とやらを手に出来る方法はないものか…。
ヴァルラムは、諦めたように微かに笑った。
『もう良い。我は、何も望まぬ。我の責務は世を安定させること。この命が尽きるまで、そうやって生きて行く覚悟が出来ておるのだ。主が案じることではない。』
サイラスは、そんなヴァルラムの目を見返した。そんな生を、この友に与えるわけには行かぬ。何か、出来るはず。我は、主のために考えようぞ。我らを助けてくれた、仮を返さねばならぬゆえな。
『…主らしゅうないの。諦めるのが早すぎるわ。』
ヴァルラムは、ニッと笑ったサイラスを見て、驚いたような顔をした。そして、首を振った。
『ならぬ。策を講じるでないぞ、サイラス。今しくじってこじれれば、立て直すのは困難ぞ。』
サイラスは、笑いながら手を振った。
『我はしくじらぬわ。それより、少し寝る。いつもは寝ておる時間ぞ。』
ヴァルラムはまだ何か言いたそうだったが、そのままソファで目を閉じたサイラスに何も言えず、そのままそこを出て行った。それを感じたサイラスは、赤い目を再び開けた。そして、天井を凝視した。
…あの龍王を、どうにか出来ぬものか…。イリダルは面倒なヤツ。あの力は、龍王ですら手こずるはずぞ。
サイラスは深く物思いに沈んだのだった。




