ベンガル
イリダルは、空を見上げていた。
ヴァルラムとサイラスが、龍王と接触している。その報告を受けたのは、つい数日前のことだった。龍王がこちらへ訪問したのはほんのひと月ほど前のこと。その時に見たあの強大な気は、うまく利用すれば間違いなくこちらでの自分の位置関係が変わると確信出来た。
長く滞在させて何とか囲い込もうとしたが、龍王はこちらへ泊まることもなかった。そう、こちらのどの城にも長く滞在せず、ただ訪問して挨拶を交わした程度で去って行った。それは、ヴァルラムの城でも同じであったので、イリダルは時はあると思っていたのだ。
であるのに、ヴァルラムの行動は早かった。
自分の配下の王が龍王と交流があると知るや否や、すぐに連絡を取らせて渡りをつけ、さっさと数人の軍神のみをつれて龍王に面会に行った。そんなに早く動くと思っていなかったイリダルは、すぐに押しかけなかった自分に歯噛みした。ヤツのやり口は、知っていたはずなのに。
イリダルは、1000年前の戦のことを忘れていなかった。あの時のことは、忘れることが出来ない。自分は絶対に、一族を滅しられようともヴァルラムに屈したりせぬ。あの時のあの、冷たい金色の瞳…。あの時、もしも自分が成人しておったなら、あのようなことはさせなかったのに。
イリダルは、憎しみに満ちた目で空を睨んだ。
たとえ何が相手でも、ヴァルラムを倒すまでは負けぬ。絶対に、ヤツを仕留める!
イリダルがそうして空を睨んで佇んでいる所へ、一人の軍神が頭を下げて入って来た。
「王。ご報告に参りました。」
イリダルが、振り返った。
「ヴコールか。」
相手は顔を上げた。黒髪に、澄んだ青い瞳の男だ。
「はい。王、どうやら龍王はヴァルラム王、サイラス王と何らかの協定を結ぶ事に同意した模様。両方の城の臣下達があちらへ参って内容の協議に入るようでございます。」
イリダルは、ヴコールを睨んだ。
「何だと?これほど早期に決めるなど、あり得ぬ。」
ヴコールは首を振った。
「ヴァルラム王の居城とサイラス王の居城と調べて参って探って来たことでありまする。どういった経緯からそういう結論になったのかは、龍王の結界内のことゆえ分かりませぬが、このままではあちらの思惑通りになりましょう。」
イリダルは、キッと顔を戸口の方へ向けた。
「出るぞ、ヴコール。将を集めよ。我に策がある。」
ヴコールは、頭を下げた。
「は!」
イリダルは、将を集めて戦略を練り始めた。軍は、緊張感を持って命が降りるのを待った。
昇り始めた空の月は満月に近づいていた。
十六夜が降りて来た時、維心は訓練場から炎嘉とヴァルラム、サイラスと引き上げて来る所だった。
お互いの実力を知って置いた方がいいだろうということで、午後はずっと訓練場で汗を流していたのだ。臣下達がこちらへ揃うまで後6日、他にすることもないので、いい遊戯だとお互いは思って軽い気持ちで始めたことだったが、思いの他お互いにお互いの相手の実力が高かったので意地になり、そして楽しんでつい長い時を過ごしてしまったのだ。
思った通り、ヴァルラムの技術はかなりのものだった。訓練場では気を使うことがないので、飛ぶスピード以外はもっぱら技術だけの勝負になるのだが、炎嘉とは五分五分の力を発揮し、慎怜は勝てず、維心はいつものように負け知らずであった。サイラスも、炎嘉といい勝負をしたが、炎嘉のほうが一枚上手といった感じだった。
サイラスが歩きながらため息を付いた。
「維心殿には勝てぬ。」熱いので、上着を脱いでしまっている。「どうあっても勝てぬ。ヴァルラムですら懸命に追わねばならぬような技術。ま、炎嘉にはそのうち全勝する自信はあるが。」
炎嘉がキッとサイラスを見た。
「何をサイラス?生意気な口を利きおって。あんなスピードで我に完全に勝つなど無理であるの。我が油断した時ぐらいしか、我から一本取れなんだくせに。」
サイラスが炎嘉を睨んだ。
「何を炎嘉!次は負けぬわ!油断だらけの癖に!」
炎嘉もムッとして返した。
「主相手に本気になれという方が無理があるのよ!片手間で勝てるしの。」
サイラスは歯軋りした。
「ほんにこやつ~!苛々するの!」
ギャアギャア言い合いながら歩いて行くのを、維心とヴァルラムは呆れて見ながら後ろに付いて行っていた。
十六夜がそれが近付いて来るのを待って、言った。
「なんだ一日中遊んでやがったのかよ。暢気なもんだぜ、全く。」
維心がそれに気付いて言った。
「一日ではない、半日ぞ。それで、あちらで何かあったのか。」
十六夜は面白くなさげに維心を見た。
「なんでぇ、オレはお前の臣下かよ。番犬じゃねぇっての。」と、くるりと維心に背を向けた。「もういい。オレは維月と話して来らあ。あっちの様子が知りたけりゃ、自分で調べるんだな。」
自分にベンガルを見張らせておいて、こっちではこんなことをしていたのが気に入らなかったらしい。維心は足を踏み出した。
「何を言うておる。交流も必要であろうが。お互いを知り合わねば協議も円滑には進まぬのだぞ。主にしか出来ぬことを頼んでおるのであろうが。何を機嫌を悪くしておるのだ。」
十六夜は、ちらと維心を振り返った。
「お前さあ、オレを使おうってのがそもそも間違いなんだっての。オレだって世の平和が大事だなと思ったから手を貸してやってるだけで、元々どうでもいいんだからな。お前らが何をしてようと、オレは高みの見物だからよ。」
ヴァルラムはそれを聞いて、確かに、と思った。地上で何をして居ようと、月には別に関係ないのだろう。維心は、十六夜をじっと見た。
「分かっておる。何をごねるのよ。何か問題があったのであろうが。」
十六夜はため息を付いた。
「早く知らせないと手遅れになるかもだから、教えてやらあ。だが、これからはオレに期待すんな。」と、歩き出しながらついでのように言った。「イリダルがこっちへ軍を送ろうと将達と協議を始めたぞ。何をして来るかはまだ決まってないようだ。」
「?!」
ヴァルラムとサイラスが目を見開いた。維心と炎嘉も驚いて慌てて十六夜を追いかけた。
「こら、十六夜!それは今、どうなっておるのだ!まさかもう…」炎嘉が問う。しかし、十六夜は見向きもせずに歩いて行った。維心も炎嘉も慌ててそれを追いかけた。「十六夜!機嫌を直せ!こら!」
ヴァルラムは、それを見送りながら思った。月が協力するとは言っても、あの月はかなりの気分屋だ。それの機嫌を損ねたら期待していても駄目になってしまう。こんな苦労までせねばならぬとは…我なら、面倒で無理ぞ。
しかし、その横でサイラスが険しい顔でヴァルラムを見た。
「ヴァルラム…まずいのではないか。イリダルのあの力をどう使って来るのか、せめて事前に分かっておったら対策も組めようが、我らも毎回手こずるであろう。」
ヴァルラムも、眉根を寄せた。
「確かにの。月には機嫌を直してもらうよりない。少しでも早くあちらの動きを知らねば。こちらの神で、あんな厄介な能力を持っておるのは今の所見たことがないし、こちらの神は慣れておらぬやもしれぬ。これは維心殿にも話しておく必要があるの。」
サイラスは、足を速めた。
「さ、急ぐぞ。あれを追う。とにかく早よう対策を練らねば。」
ヴァルラムは頷いてそれに続いた。サイラスの焦る気持ちも、分かった。これまで何度もイリダルには手こずっていた。元々サイラスの一族が気の枯渇に悩んで吸血に頼るようになったのも、ベンガルの一族のあの能力によって引き起こされた状況を正すことが出来なかったからだった。厄介なのは、知っている。しかし自分はそれを阻む術も知っている。
ヴァルラムは、サイラスに合わせて足を速めた。




