第九十八話 マシニッサがローマ側につく前に、ヌミディアへ行って本音を聞くことにした
紀元前206年。
北アフリカ。
ヌミディア。
俺は、久しぶりにこの土地を訪れていた。
広大な草原。
馬に乗った戦士たち。
そして、部族の集落。
メルカルが尋ねた。
「……またヌミディアですか?」
俺は頷いた。
「そうだよ」
「今回は何をするんです?」
「マシニッサと話す」
メルカルはため息をついた。
「……簡単に会える相手じゃありませんよ」
「分かってる」
数年前。
俺は、若いマシニッサと会っていた。
彼は、ヌミディアの統一を望んでいた。
そして、カルタゴに対して不信感を抱いていた。
俺は、そのときの会話を思い出した。
『言葉だけでなく、行動を見せてくれ』
マシニッサは、そう言っていた。
俺は呟いた。
「……あの約束を、まだ果たせてないな」
数日後。
俺は、マシニッサの陣営へ到着した。
騎兵たちが警戒している。
俺は武器を預け、使者として面会を求めた。
しばらくして、マシニッサが現れた。
「……アドンか」
俺は頭を下げた。
「お久しぶりです」
マシニッサは笑った。
「まだ生きていたのか」
俺も笑った。
「何とか」
マシニッサは、俺を天幕へ招いた。
「それで、何の用だ?」
俺は答えた。
「カルタゴとヌミディアの関係について、話したい」
マシニッサは鼻を鳴らした。
「またか」
「はい」
マシニッサは言った。
「カルタゴは、我々が強くなることを望んでいない」
俺は黙った。
「部族が争っている方が、カルタゴには都合がいい」
俺は頷いた。
「そう考える人がいるのは事実です」
マシニッサは、俺を見つめた。
「お前もそう思うのか?」
俺は首を振った。
「いいえ」
俺は続けた。
「ヌミディアが安定すれば、カルタゴにとっても利益があります」
マシニッサは笑った。
「商人らしい考えだな」
俺は頷いた。
「商人ですから」
マシニッサは尋ねた。
「では、カルタゴは我々の統一を認めるのか?」
俺は黙った。
簡単には答えられない。
カルタゴ元老院が、そんな約束を認めるとは限らない。
俺は正直に答えた。
「今の段階では、保証できません」
マシニッサは顔をしかめた。
「……やはりな」
俺は続けた。
「ですが、以前より状況は変わっています」
「……何が?」
「カルタゴは、ローマとの戦争で苦しんでいます」
マシニッサは頷いた。
「知っている」
「だからこそ、ヌミディアとの関係を見直す必要があります」
マシニッサは、しばらく黙っていた。
そして言った。
「ローマからも、話が来ている」
俺は息を呑んだ。
「……やっぱり」
マシニッサは俺を見た。
「驚かないのか?」
俺は答えた。
「予想していました」
マシニッサは続けた。
「ローマは、私の立場を理解すると言っている」
俺は頷いた。
「……そうですか」
「そして、ヌミディアの統一についても話している」
俺は眉をひそめた。
「具体的な約束は?」
マシニッサは笑った。
「お前は、そこを聞くのか」
俺は頷いた。
「大事なことですから」
マシニッサは答えた。
「まだ、すべてが決まったわけではない」
俺は頷いた。
「そうでしょうね」
そして、言った。
「では、カルタゴにも交渉の機会をください」
マシニッサは、しばらく俺を見つめていた。
「……お前は、何を約束できる?」
俺は答えた。
「私個人としては、ヌミディアの自治を尊重する立場です」
「……」
「そして、交易と軍事協力について、公正な条件を提案できます」
マシニッサは黙った。
俺は続けた。
「ただし、統一の承認については、カルタゴ元老院の決定が必要です」
マシニッサは、少し笑った。
「……相変わらず、正直だな」
俺は苦笑した。
「嘘をついても、後で困りますから」
マシニッサは立ち上がった。
「分かった」
俺は顔を上げた。
「……何がですか?」
「カルタゴの提案を聞こう」
俺は頷いた。
「ありがとうございます」
だが、マシニッサは続けた。
「ただし、時間はない」
俺は黙った。
「ローマも動いている」
「……」
「そして、ヌミディアの部族も動いている」
マシニッサは、静かに言った。
「次に会うときは、私の立場が変わっているかもしれない」
俺は、カルタゴへ急いで戻った。
そして、元老院へ報告した。
「マシニッサは、ローマ側との交渉を進めています」
議員たちがざわめいた。
「何だと!」
「裏切るつもりか!」
俺は首を振った。
「まだ決まったわけではありません」
ハンノが立ち上がった。
「ヌミディアの統一を認めれば、カルタゴの脅威になる!」
俺は頷いた。
「その懸念は理解しています」
「ならば、なぜ認めようとする?」
俺は答えた。
「認めなければ、ローマが認めるかもしれないからです」
議場が静かになった。
俺は続けた。
「マシニッサがローマ側につけば、カルタゴは優秀な騎兵を敵に回します」
「……」
「そして、ローマ軍がアフリカへ来たとき、ヌミディア騎兵が敵として戦う可能性があります」
ハンノは黙った。
俺は言った。
「今なら、まだ交渉できます」
「……」
「しかし、時間が経てば、選択肢は減ります」
元老院は、長時間議論した。
だが、結論は出なかった。
俺は、議場を出てため息をついた。
「……またか」
メルカルが苦笑した。
「カルタゴですからね」
俺は頷いた。
「そうだね」
その夜。
俺は、マシニッサからの言葉を思い出していた。
『次に会うときは、私の立場が変わっているかもしれない』
俺は呟いた。
「……急がないとな」
だがそのとき新しい報告が届いた。
『ヒスパニア方面で、カルタゴ軍が大きく後退』
俺は顔を上げた。
「……何?」
メルカルが答えた。
「スキピオ軍が、カルタゴ軍を破ったようです!」
俺は地図を広げた。
ヒスパニア。
そして、アフリカ。
俺は呟いた。
「……とうとう、スキピオがアフリカへ来る準備を始めるかもしれない」
マシニッサの選択。
スキピオの進軍。
そして、カルタゴ元老院の決断。
その三つが、カルタゴの未来を左右しようとしていた。




