第八十二話 カプアを救援できないので、せめて住民だけでも助けようとした
紀元前211年。
カプア。
都市の中では、食料不足が深刻になっていた。
市場から穀物が消えた。
パンの値段が上がった。
そして、配給の量が減らされた。
俺は使者の報告を聞いていた。
「……子供たちは?」
使者が答えた。
「食事を減らしています」
「老人は?」
「同じです」
俺は目を閉じた。
「……そうか」
俺は、カプアの住民について調べ始めた。
都市には、さまざまな人々が暮らしている。
商人。
職人。
農民。
兵士。
そして、その家族。
俺は帳簿を見つめた。
「……全員を逃がすのは無理だな」
メルカルが頷いた。
「包囲線がありますからね」
俺は答えた。
「そうだ」
俺はハンニバルへ相談した。
「カプアの住民を、できるだけ救いたい」
ハンニバルは頷いた。
「方法は?」
俺は答えた。
「まず、ローマ軍との交渉を試みる」
ハンニバルは少し考えた。
「住民の避難について?」
俺は頷いた。
「そう」
俺は説明した。
「ローマ軍が、戦闘に参加していない住民の退去を認める可能性がある」
ハンニバルは頷いた。
「ですが、全員は難しいでしょう」
俺は答えた。
「分かってる」
そして、続けた。
「それでも、試す価値はある」
俺は、ローマ側へ書簡を送った。
『カプアの住民の安全について、協議を求めます』
『戦闘に参加していない子供、老人、負傷者の退去を認めていただきたい』
『必要であれば、退去者の身元確認や移動経路について協議します』
そして、最後に書いた。
『都市の処遇と、住民の生命は分けて考えるべきです』
数日後。
返事が届いた。
俺は封を開いた。
『カプアの処遇は、ローマの権限に属する』
『住民の退去については、現時点で認められない』
俺はため息をついた。
「……駄目か」
メルカルが尋ねた。
「どうします?」
俺は答えた。
「もう一度、条件を変えて交渉する」
俺は、新しい提案を作った。
退去者を限定する。
武器を持たせない。
指定された経路を使う。
そして、ローマ軍による確認を受ける。
俺は言った。
「ローマが警戒する理由を、少しでも減らしたい」
メルカルが頷いた。
「なるほど」
だが。
二度目の返事も、厳しかった。
『退去については、認められない』
俺は黙った。
そして、書簡を机に置いた。
「……ローマは、本気だな」
その夜。
俺は、カプアの地図を広げた。
包囲線。
街道。
河川。
そして、周辺の村。
俺は考えた。
「……食料を運ぶ方法はないか」
メルカルが尋ねた。
「包囲線を越えて?」
俺は頷いた。
「そう」
「……危険です」
「分かってる」
俺は、補給部隊の責任者たちを集めた。
「カプアへ食料を届ける方法を考えたい」
責任者たちは顔を見合わせた。
一人が言った。
「ローマ軍の包囲線があります」
俺は頷いた。
「知っています」
「荷車では通れません」
「そうでしょうね」
俺は続けた。
「では、小規模な輸送なら?」
責任者たちは考え込んだ。
夜間。
小道。
そして、現地住民の協力。
だが、どれも危険だった。
俺は頷いた。
「無理な計画は避けよう」
数日後。
小規模な補給計画が試みられた。
だが、ローマ軍の警戒は厳しかった。
一部の物資は届けられたものの、大量輸送は不可能だった。
俺は報告を聞いて肩を落とした。
「……足りないな」
メルカルが頷いた。
「そうですね」
俺は、ハンニバルへ報告した。
「食料を届けることはできた。
でも、都市全体を支える量ではない」
ハンニバルは頷いた。
「分かりました」
俺は続けた。
「ローマとの交渉も進まない」
ハンニバルは黙った。
俺は尋ねた。
「……カプアを救えると思う?」
ハンニバルは、しばらく答えなかった。
そして言った。
「軍事的には、非常に難しい状況です」
俺は頷いた。
「……そうだよな」
その夜。
俺は眠れなかった。
カプア。
カルタゴ側についた都市。
ローマへの反抗を決めた人々。
そして、救援を信じている住民たち。
俺は呟いた。
「……助けたいんだけどな」
だが、現実は厳しかった。
数週間後。
カプアから、新しい報告が届いた。
『都市内部で、降伏についての議論が始まっている』
俺は息を呑んだ。
「……降伏?」
メルカルが頷いた。
「はい」
俺は報告書を読み進めた。
『食料不足が深刻化し、住民の不満が高まっている』
『一部の有力者は、ローマとの交渉を求めている』
俺は黙った。
俺はハンニバルへ報告した。
「カプアで、降伏の話が出ている」
ハンニバルは頷いた。
「聞いています」
俺は尋ねた。
「どうする?」
ハンニバルは地図を見つめた。
「……我々ができることは、限られています」
俺は頷いた。
「そうだね」
そして。
ついに、カプアはローマへ降伏した。
俺は、その知らせを受け取った。
しばらく、何も言えなかった。
メルカルも黙っていた。
俺は、報告書を読み進めた。
ローマ軍が都市へ入った。
武器が回収された。
そして、反ローマ派の指導者たちが拘束された。
俺は拳を握った。
「……間に合わなかった」
ハンニバルが、俺のところへ来た。
「アドン」
俺は顔を上げた。
「……カプアが落ちた」
ハンニバルは頷いた。
「はい」
俺は呟いた。
「……守れなかったな」
ハンニバルは静かに答えた。
「我々の力が、足りませんでした」
俺は、しばらく黙っていた。
そして、言った。
「……でも、ここで終わりにしたくない」
ハンニバルが顔を上げた。
俺は続けた。
「カプアの住民が、これからどうなるのか調べたい」
「……」
「処罰される人がいるなら、助けられる方法を探したい」
ハンニバルは頷いた。
「お願いします」
数日後。
俺は、ローマ側との交渉を再開した。
都市は降伏した。
だが、住民の処遇はまだ完全には決まっていない。
俺は書簡を書いた。
『カプアの一般住民について、過度な処罰を避けるよう求めます』
『戦闘に参加していない人々の生活を守るため、食料供給と交易の再開を認めていただきたい』
返事は、すぐには来なかった。
俺は待った。
数日。
さらに数日。
そして、ようやく返事が届いた。
俺は封を開いた。
そこには、こう書かれていた。
『カプアの処遇は、ローマ元老院が決定する』
俺はため息をついた。
「……また元老院か」
俺は考えた。
ローマ元老院。
戦争を続けると決めた人たち。
カプアを奪還すると決めた人たち。
そして、都市の処罰を決める人たち。
俺は呟いた。
「……結局、政治なんだな」
その夜。
俺は地図を見つめていた。
カプアは失われた。
だが、戦争は続いている。
そして、ローマは勝利を重ねることで、同盟都市を取り戻そうとしている。
俺は思った。
本来の歴史でも、カプアの陥落は大きな転機だった。
カルタゴ側についた都市は、ローマの報復を恐れるようになる。
そして、ローマへの再服従を考え始める。
俺は呟いた。
「……まずいな」
メルカルが尋ねた。
「何がですか?」
俺は答えた。
「カプアだけの問題じゃない」
「……?」
「他の都市も、ローマへ戻ろうとするかもしれない」
メルカルは息を呑んだ。
俺は立ち上がった。
「ハンニバルに相談しよう」
「何を?」
俺は答えた。
「同盟都市を守る方法だ」
そして、続けた。
「今度は、都市が落ちる前に準備したい」
翌朝。
俺はハンニバルの天幕を訪ねた。
「ハンニバル」
「アドン」
「カプアの件で、分かったことがある」
ハンニバルは顔を上げた。
「何ですか?」
俺は答えた。
「都市がカルタゴ側につくとき、俺たちは自治や交易の利益を約束してきた」
ハンニバルは頷いた。
「はい」
俺は続けた。
「でも、ローマが戻ってきたときに守れなければ、その約束は意味がなくなる」
ハンニバルは黙った。
俺は言った。
「だから、同盟都市の安全保障を、もっと具体的に考えたい」
ハンニバルは頷いた。
「……必要ですね」
俺は地図を広げた。
タレントゥム。
ブルッティウム地方の都市。
そして、カルタゴ側についた各地の勢力。
俺は言った。
「全部の都市へ大軍を置くことはできない」
ハンニバルは頷いた。
「そのとおりです」
「だから、都市同士で助け合う仕組みを作りたい」
ハンニバルが顔を上げた。
「……都市同士で?」
俺は頷いた。
「そう」
そして、続けた。
「カルタゴ軍だけに頼らない防衛体制だ」
ハンニバルは、しばらく考えた。
そして、ゆっくり頷いた。
「……検討する価値があります」
俺は少し笑った。
「よかった」
だがそのとき新しい報告が届いた。
メルカルが、慌てて天幕へ入ってきた。
「アドン殿!」
俺は顔を上げた。
「何?」
メルカルは答えた。
「ヒスパニアから、重大な知らせです!」
俺は眉をひそめた。
「……何があった?」
メルカルは、報告書を差し出した。
俺は封を開いた。
そして。
そこに書かれた内容を見て、動きを止めた。
『ローマ軍との大規模な戦闘により、ヒスパニア方面のローマ軍指揮官二名が戦死したとの情報あり』
俺は息を呑んだ。
「……スキピオ兄弟が?」
本来の歴史では。
紀元前211年。
ヒスパニアで、ローマ軍の指揮官だったスキピオ兄弟が戦死する。
それは、ローマにとって大きな損失だった。
だが。
俺は、その先の歴史も知っていた。
やがて、ローマは新しい指揮官をヒスパニアへ送り込む。
その男こそ――。
後に、ハンニバルをザマで破ることになる人物。
プブリウス・コルネリウス・スキピオ。
俺は、報告書を握りしめた。
「……とうとう、この時が来たか」
メルカルが尋ねた。
「何のことですか?」
俺は答えた。
「ローマに、とんでもない将軍が現れるかもしれない」
ハンニバルが、静かに俺を見た。
「……私よりも?」
俺は少し考えた。
そして答えた。
「戦場でどちらが強いかは、分からない」
「……」
「でも、その男は、ローマの戦い方を変える可能性がある」
ハンニバルは頷いた。
「……興味深いですね」
俺は地図を見つめた。
ヒスパニア。
ローマ。
カルタゴ。
そして、イタリア。
俺は呟いた。
「……次は、ヒスパニアだ」
カプアを失ったカルタゴに、ヒスパニアでの勝利が届いた。
だが、その勝利こそが、ローマの新しい英雄を戦場へ呼び込むきっかけになるかもしれなかった。




