第六十八話 ハンニバルが勝ち続けているのにローマが弱らないので、敵の兵士がどこから来るのか調べた
紀元前214年。
イタリア南部。
俺は、再びハンニバルの陣営へ戻ってきた。
メルカルが迎えてくれた。
「アドン殿!」
俺は手を上げた。
「ただいま」
メルカルは笑った。
「お帰りなさい!」
そして、すぐに帳簿を差し出した。
「仕事が山ほどあります!」
俺はため息をついた。
「……帰ってきたばかりなんだけど」
メルカルは笑った。
「待っていました!」
俺は頭を抱えた。
「……少しくらい休ませてよ」
俺は、まず軍の状況を確認した。
食料。
武器。
馬。
兵士。
そして、負傷者。
補給体制は、以前より改善していた。
だが、ローマ軍は依然として活動していた。
俺は報告書を見つめた。
「……また新しい軍隊か」
メルカルが頷いた。
「はい」
「何人?」
「複数の方面で、合わせて数万人規模です」
俺はため息をついた。
「……どこから出てくるんだよ」
ハンニバルは軍議を開いていた。
「ローマは、敗北しても軍隊を再編成しています」
マゴンが腕を組んだ。
「何度倒しても、新しい兵士が出てくる」
ハンニバルは頷いた。
「そうです」
俺は地図を広げた。
「……一度、調べたいことがある」
ハンニバルが尋ねた。
「何ですか?」
俺は答えた。
「ローマ軍の兵士が、どこから集まっているのか」
俺は説明した。
「ローマ市民だけで、これだけの兵士を集めているわけじゃない」
ハンニバルは頷いた。
「同盟都市からも兵士を集めています」
俺は答えた。
「そう」
そして、続けた。
「だったら、どの都市が、どれだけ兵士を出しているのか調べたい」
マゴンが眉をひそめた。
「そんなことが分かるのか?」
俺は答えた。
「正確には難しいと思います」
そして、少し笑った。
「でも、商人の情報網を使えば、ある程度は分かるかもしれません」
俺は、各地の商人へ書簡を送った。
調べるのは、ローマ軍の移動だけではない。
兵士の徴発。
軍需品の購入。
穀物の集積。
馬の調達。
そして、街道の利用状況。
メルカルが尋ねた。
「……軍隊の情報ですね」
俺は頷いた。
「そう」
「危険では?」
俺は答えた。
「危険な調査はしない」
そして、続けた。
「市場で普通に分かる情報だけでも、十分に役立つことがある」
数週間後。
最初の報告が届いた。
俺は書簡を開いた。
『ローマは、同盟都市へ兵士の提供を要求している』
『一部の都市では、若者の徴発に不満が高まっている』
『ただし、多くの都市はローマへの協力を継続している』
俺は頷いた。
「……やっぱり」
メルカルが尋ねた。
「何がですか?」
俺は答えた。
「ローマの強さは、ローマ市だけじゃないんだよ」
俺は地図を広げた。
ローマ。
ラティウム。
エトルリア。
ウンブリア。
そして、イタリア各地の同盟都市。
俺は言った。
「ローマは、都市の集まりで戦っている」
メルカルが頷いた。
「はい」
「だから、ローマ軍を倒しても、同盟都市が残っていれば新しい兵士が集まる」
「……」
「逆に、同盟都市が協力しなくなれば、ローマは弱くなる」
俺は、各都市の状況を整理した。
ローマへの忠誠が強い都市。
不満はあるが、離反しない都市。
中立を望む都市。
そして、カルタゴへの協力を検討している都市。
メルカルが尋ねた。
「……どうするんですか?」
俺は答えた。
「全部を一度に離反させるのは無理だよ」
「……」
「だから、まず協力しやすい都市から関係を作る」
俺は、ローマの同盟都市へ送る書簡の内容を見直した。
以前は、自治の保証と交易の自由が中心だった。
だが、今回は別の項目を加えた。
『カルタゴへの軍事協力は、各都市の事情に応じて協議する』
メルカルが尋ねた。
「……兵士を出さなくてもいいんですか?」
俺は頷いた。
「場合によってはね」
「……?」
「ローマへ兵士を出さないだけでも、意味があるから」
俺は説明した。
「ローマに一万人の兵士を送っていた都市が、送らなくなる」
メルカルが頷いた。
「はい」
「それだけで、ローマ軍は一万人減る」
「……」
「その都市がカルタゴへ一万人送らなくても、戦力差は変わる」
メルカルは目を丸くした。
「……なるほど!」
俺は頷いた。
「そういうこと」
俺はハンニバルへ提案した。
「同盟都市への要求を、少し変えたい」
ハンニバルは頷いた。
「どう変えるのですか?」
俺は答えた。
「いきなりカルタゴ側で戦ってもらう必要はない」
「……」
「まず、ローマへの兵士の提供を減らしてもらう」
ハンニバルは考え込んだ。
「なるほど」
俺は続けた。
「それから、交易や食料供給について協議する」
ハンニバルは頷いた。
「いい考えです」
だが。
この方針にも問題があった。
ローマは、同盟都市の離反を許さない。
兵士を出さなければ、報復される可能性がある。
俺は、都市の代表者たちへ慎重に説明した。
「無理にローマへの協力をやめる必要はありません」
代表者が尋ねた。
「では、何を求めるのですか?」
俺は答えた。
「まず、情報交換と交易です」
「……」
「そして、将来の選択肢を増やしておくことです」
数週間後。
いくつかの都市から、返事が届いた。
『カルタゴとの交易には関心がある』
『ただし、ローマとの同盟を破棄する予定はない』
俺は頷いた。
「……それでいい」
メルカルが驚いた。
「いいんですか?」
俺は答えた。
「今すぐ離反させる必要はないからね」
そのころ。
ローマ軍は、ハンニバルとの決戦を避けながら、カルタゴ側の都市へ圧力をかけていた。
俺は、その報告を聞いて眉をひそめた。
「……やっぱり、ローマも同じことを考えているな」
メルカルが尋ねた。
「何をですか?」
俺は答えた。
「軍隊同士の戦いだけじゃなく、同盟都市を奪い合っているんだよ」
その夜。
ハンニバルが俺のところへ来た。
「アドン」
「何?」
「ローマ軍が、また別の方面で動いています」
俺は頷いた。
「どこ?」
ハンニバルは地図を指差した。
「ヒスパニアです」
俺は顔を上げた。
「……ヒスパニア?」
ハンニバルは頷いた。
「はい」
そして、続けた。
「ローマ軍が、我々の拠点を攻撃しています」
俺は息を呑んだ。
ヒスパニア。
カルタゴにとって重要な資源と兵士の供給地。
そこを失えば、イタリア遠征軍への支援も難しくなる。
俺は呟いた。
「……ローマは、ちゃんと弱点を狙ってくるな」
俺は地図を見つめた。
イタリアで勝つ。
だが、ヒスパニアで負ける。
それでは、戦争全体では勝てない。
俺はハンニバルへ言った。
「ヒスパニアの状況を、もっと詳しく調べたい」
ハンニバルは頷いた。
「お願いします」
俺は続けた。
「必要なら、補給体制も見直す」
その夜。
俺はヒスパニア方面へ書簡を書いた。
『現在の軍事状況を報告してください』
『兵士、食料、武器、資金の不足について確認したい』
『イタリア遠征軍との補給調整も検討します』
そして、最後に書いた。
『イタリアだけで勝っても、戦争には勝てません』
数週間後。
ヒスパニアから、返事が届いた。
俺は封を開いた。
そこには、こう書かれていた。
『ローマ軍との戦闘が激化している』
『現地部族との同盟維持が重要になっている』
『一部地域では、カルタゴへの協力が揺らいでいる』
俺は眉をひそめた。
「……まずいな」
メルカルが尋ねた。
「どうします?」
俺は答えた。
「ヒスパニアにも、イタリアと同じ仕組みが必要かもしれない」
「……?」
「交易と自治を尊重する同盟だよ」
俺は、ヒスパニア方面の指揮官へ提案書を送った。
現地部族との交易拡大。
報酬の支払い改善。
自治の尊重。
そして、兵士の徴発条件の明確化。
俺は呟いた。
「……どこでも同じ問題が起きるな」
メルカルが笑った。
「アドン殿の仕事が、また増えましたね」
俺はため息をついた。
「……本当にね」
その夜。
俺は地図を見つめていた。
イタリア。
ヒスパニア。
カルタゴ。
ヌミディア。
そして、地中海。
ローマは、すべての方面で戦争を続けている。
俺たちも、同じように戦わなければならない。
だが、俺は思った。
戦争を長引かせるだけでは駄目だ。
どこかで、ローマの戦争継続能力を崩す必要がある。
俺は呟いた。
「……やっぱり、同盟都市だな」
そのとき。
メルカルが、新しい報告書を持ってきた。
「アドン殿!」
俺は顔を上げた。
「何?」
メルカルは答えた。
「ローマの同盟都市から、秘密の使者が来ています!」
俺は眉をひそめた。
「……また?」
メルカルは頷いた。
「はい!」
「今度は、どこの都市?」
メルカルは答えた。
「ラティウム地方の都市だそうです!」
俺は動きを止めた。
「……ラティウム?」
ローマの中心に近い地域。
そこから使者が来たということは、状況が大きく変わり始めているのかもしれない。
俺は立ち上がった。
「……すぐに会おう」
ローマの同盟の中心部に、初めて小さな亀裂が入ろうとしていた。




