第六十七話 ヌミディアを分裂させて支配しようというので、それが一番高くつくと説明した
カルタゴ本国。
評議会。
俺は、久しぶりにこの場所へ戻ってきた。
大きな建物。
石造りの柱。
そして、議員たちの視線。
俺は、少し緊張していた。
「……商人が来る場所じゃないよな」
同行した書記官が小声で言った。
「今さらですか?」
俺は苦笑した。
「そうだね」
評議会では、ヌミディア政策について議論が行われていた。
ハンノが立ち上がった。
「ヌミディアの統一は、カルタゴにとって危険である!」
議員たちが頷いた。
ハンノは続けた。
「強大なヌミディア王国が成立すれば、カルタゴの安全が脅かされる!」
俺は黙って聞いていた。
確かに、一理ある。
強い隣国ができれば、脅威になる可能性はある。
だが。
俺は、別の未来を知っている。
ハンノは続けた。
「ゆえに、ヌミディア内部の勢力均衡を維持するべきだ!」
議員たちが頷いた。
俺は、静かに手を上げた。
議長が言った。
「アドン。
発言を許す」
俺は立ち上がった。
「ありがとうございます」
そして、言った。
「その政策は、長期的にはカルタゴにとって高くつく可能性があります」
議員たちがざわめいた。
ハンノが眉をひそめた。
「……何だと?」
俺は頷いた。
「ヌミディアを分裂させておけば、確かに短期的には管理しやすいかもしれません」
「……」
「ですが、分裂を利用された側は、カルタゴを信用しなくなります」
ハンノは答えた。
「信用など、力があれば必要ない!」
俺は首を振った。
「力だけで維持するなら、常に兵士と金が必要になります」
俺は帳簿を広げた。
「例えば、ヌミディア内部で争いが起きた場合」
議員たちが顔を上げた。
「カルタゴが一方を支援すれば、兵士を送る必要があります」
「……」
「武器も必要です」
「……」
「食料も必要です」
俺は続けた。
「そして、支援された側が勝っても、別の勢力はカルタゴを恨みます」
ハンノが言った。
「それが政治というものだ!」
俺は頷いた。
「そうかもしれません」
そして、続けた。
「ですが、ローマがその不満を利用したらどうなりますか?」
議場が静かになった。
俺は言った。
「カルタゴが支援しなかった勢力へ、ローマが近づく」
「……」
「軍事援助を約束する」
「……」
「そして、カルタゴに敵対する騎兵を手に入れる」
議員たちが顔を見合わせた。
俺は続けた。
「今、ヌミディア騎兵はハンニバル軍の重要な戦力です」
「……」
「その騎兵が、将来ローマ側へついたら?」
議場は静まり返った。
俺は言った。
「カルタゴは、敵に強力な騎兵を与えることになります」
ハンノは眉をひそめた。
「……では、どうしろというのだ?」
俺は答えた。
「ヌミディアとの関係を、対等な同盟へ変えるべきだと思います」
議員たちがざわめいた。
「対等な同盟だと?」
「ヌミディアと?」
俺は頷いた。
「はい」
俺は続けた。
「ヌミディアの自治を尊重する」
「……」
「交易を拡大する」
「……」
「軍事協力の条件を明確にする」
そして、言った。
「ヌミディアの統一については、カルタゴが一方的に妨害しない」
ハンノは笑った。
「……甘いな」
俺は答えた。
「そうかもしれません」
「ヌミディアが強くなれば、カルタゴを攻撃するかもしれんぞ!」
俺は頷いた。
「その可能性はあります」
そして、続けた。
「ですが、カルタゴがヌミディアを敵に回せば、攻撃される可能性はもっと高くなります」
俺は、最後の資料を取り出した。
「これは、ヌミディアとの交易による利益の試算です」
議員たちが顔を上げた。
「馬」
「……」
「家畜」
「……」
「穀物」
「……」
「そして、内陸部との交易」
俺は続けた。
「戦争で支配するより、交易で利益を得る方が安く済む可能性があります」
議場では、議論が始まった。
「確かに、軍事費は減らせるかもしれない」
「だが、ヌミディアが強くなりすぎるのは危険だ」
「交易が増えれば、税収も増える」
「ローマへの対抗を考えるなら、騎兵は必要だ」
俺は黙って聞いていた。
しばらくして。
議長が言った。
「ヌミディア政策について、再検討を行う」
俺は息を吐いた。
「……よし」
だが、議長は続けた。
「ただし、統一を正式に支持するかどうかは、今後の協議とする」
俺は頷いた。
「承知しました」
その夜。
俺は宿舎へ戻った。
書記官が尋ねた。
「……成功ですか?」
俺は答えた。
「半分くらいかな」
「……半分?」
「少なくとも、分裂を利用する政策が当然だとは言えなくなった」
書記官は頷いた。
「なるほど」
数週間後。
評議会は、新しい方針を発表した。
『ヌミディアとの交易拡大を進める』
『軍事協力の条件を明確化する』
『ヌミディア内部の政治問題への介入については、慎重に判断する』
俺は書簡を読んで頷いた。
「……一歩前進だな」
俺は、マシニッサへ報告書を送った。
『カルタゴ政府は、ヌミディア政策の見直しを始めました』
『統一について正式な保証はまだ得られていません』
『ただし、交易と軍事協力の拡大は承認されました』
そして、最後に書いた。
『約束できないことを約束するつもりはありません。
ですが、協議は続けます』
数週間後。
返事が届いた。
俺は封を開いた。
そこには、こう書かれていた。
『言葉だけでなく、行動を見せてくれ』
俺は少し笑った。
「……厳しいな」
だが、当然だった。
マシニッサは、簡単には信用しない。
俺は頷いた。
「……分かった」
その夜。
俺はカルタゴの港を歩いていた。
船が並ぶ。
商人たちが荷物を運ぶ。
そして、遠くには地中海が広がっている。
俺は思った。
カルタゴが勝つために必要なのは、ハンニバルの才能だけではない。
本国の政治。
交易。
補給。
そして、同盟。
すべてが必要だ。
俺は呟いた。
「……まだ、間に合う」
だがそのときイタリアから急報が届いた。
俺は書簡を開いた。
そして、顔を上げた。
『ローマ軍が、カプア方面への圧力を強めている』
さらに続く。
『ハンニバル将軍は、対応のため軍を移動中』
俺は眉をひそめた。
「……やっぱり、イタリアは待ってくれないな」
そして、すぐに帰国の準備を始めた。
ヌミディアとの外交戦は、まだ始まったばかりだった。
だが、イタリアでは、ローマが着実に反撃の準備を進めていた。




