第六十三話 カプアがローマ軍に狙われたので、一つの町を守るために周辺の村まで巻き込むことにした
紀元前215年。
イタリア南部。
カプア。
この都市は、カンナエの戦いのあと、カルタゴ側へ協力する道を選んだ。
だが、ローマはそれを許さなかった。
周辺ではローマ軍の活動が増えていた。
街道の監視。
商人への検査。
食料輸送の妨害。
そして、カプアへ協力する村への圧力。
俺は、その報告を聞いて眉をひそめた。
「……正面から攻めてこないのか」
メルカルが尋ねた。
「どういうことですか?」
俺は答えた。
「カプアの食料を減らそうとしているんだよ」
俺はハンニバルへ報告した。
「ローマ軍は、カプア周辺の補給路を狙っている」
ハンニバルは頷いた。
「分かっています」
俺は続けた。
「都市そのものを守るだけじゃ足りない」
ハンニバルが尋ねた。
「どういう意味ですか?」
俺は地図を広げた。
「カプアへ食料を送っている村も守る必要がある」
「……」
「さらに、その村へ物資を運ぶ街道も」
ハンニバルは頷いた。
「なるほど」
俺は、カプアの代表者たちを集めた。
「都市の食料備蓄について確認したいんです」
代表者が答えた。
「穀物倉庫があります」
俺は尋ねた。
「何日分ですか?」
代表者は黙った。
俺は続けた。
「人口は?」
「……」
「一日の消費量は?」
「……」
「軍の備蓄と、市民の備蓄は分けていますか?」
代表者は困った顔をした。
「……そこまで正確には把握していません」
俺は頭を抱えた。
「……まず、そこからですね」
俺はメルカルへ命令した。
「カプアの倉庫を調べる」
「はい」
「穀物の種類」
「はい」
「保管量」
「はい」
「傷んでいる物資」
「はい」
「そして、一日の消費量」
メルカルは頷いた。
「分かりました」
俺は続けた。
「食料が何日持つか分からないままでは、守りようがないからね」
数日後。
調査結果がまとまった。
俺は帳簿を見つめた。
「……思ったより厳しいな」
メルカルが尋ねた。
「何がですか?」
「備蓄量だよ」
「……」
「今すぐ飢えるわけじゃない。
でも、長期間の包囲には耐えられない」
メルカルは顔をしかめた。
「どうするんですか?」
俺は答えた。
「備蓄を増やす」
俺は周辺の村へ使者を送った。
「余剰穀物を買い取ります」
村の代表者が尋ねた。
「いくらで?」
俺は答えた。
「市場価格を基準に、輸送費も考慮します」
代表者は頷いた。
「それなら、検討しよう」
俺は続けた。
「ただし、村の人たちが食べる分まで買うつもりはありません」
代表者は驚いた。
「……全部買わないのか?」
俺は首を振った。
「村が飢えたら、来年の収穫もなくなりますから」
こうして、カプア周辺の村と、食料供給の協定が結ばれ始めた。
だが、問題は食料だけではなかった。
ローマ軍が街道を監視している。
荷車を襲う。
橋を壊す。
商人を拘束する。
俺は、輸送路を調べ直した。
「……一本の道に頼るのは危険だな」
メルカルが尋ねた。
「では?」
俺は答えた。
「複数の道を使う」
「……」
「それから、周辺の村にも小さな備蓄倉庫を作る」
メルカルは首をかしげた。
「カプアの中に全部集めた方が、安全では?」
俺は答えた。
「包囲されたら、外から入れられなくなる」
「……」
「だから、外側にも備蓄を置いておく」
メルカルは頷いた。
「なるほど」
俺は続けた。
「もちろん、倉庫を守る人も必要だけどね」
俺はハンニバルへ相談した。
「周辺の村を守るため、小規模な警備部隊を配置できないかな?」
ハンニバルは考え込んだ。
「兵士を分散させるのは危険です」
俺は頷いた。
「分かってる」
ハンニバルは続けた。
「ですが、村の警備をすべてカルタゴ軍が担う必要はありません」
俺は顔を上げた。
「……というと?」
「地元の兵士を訓練し、必要なときだけカルタゴ軍が支援する」
俺は頷いた。
「なるほど」
こうして、周辺の村では自衛組織の整備が始まった。
ただし、俺は一つだけ条件をつけた。
「村の人たちに、無理に兵士を出させないでください」
ハンニバルは頷いた。
「分かっています」
俺は続けた。
「畑を耕す人がいなくなったら、食料がなくなる」
ハンニバルは笑った。
「確かに」
数週間後。
カプア周辺では、少しずつ補給体制が整っていった。
穀物倉庫。
複数の輸送路。
地元の警備。
そして、情報を伝える使者。
俺は地図を見つめた。
「……これなら、少しは持ちこたえられるかな」
メルカルが尋ねた。
「ローマ軍が来ても?」
俺は答えた。
「絶対とは言えない」
「……」
「でも、何も準備していないよりはずっといい」
だが。
その日の夕方。
新しい報告が届いた。
ローマ軍が、カプア周辺の村へ進軍しているという。
俺は顔を上げた。
「……来たか」
メルカルが尋ねた。
「どうするんですか?」
俺は答えた。
「まず、住民を避難させる」
「……」
「それから、ハンニバルへ報告する」
ハンニバルは報告を聞くと、すぐに軍を動かした。
「ローマ軍の進路は?」
将校が答えた。
「南東から接近しています!」
ハンニバルは地図を確認した。
「こちらの主力で、敵の動きを牽制する」
マゴンが頷いた。
「はっ!」
俺は尋ねた。
「カプアへ直接向かうの?」
ハンニバルは答えた。
「敵が補給路を遮断する前に、動きます」
その夜。
俺は、カプアの代表者へ書簡を送った。
『カルタゴ軍が対応を開始しました』
『市民の食料備蓄を優先してください』
『周辺の村から避難する住民の受け入れをお願いします』
そして、最後に書いた。
『戦争に勝つために、守るべきものは城壁だけではありません』
数日後。
ローマ軍は、ハンニバル軍の接近を知って進軍を停止した。
俺は報告を聞いて息を吐いた。
「……よかった」
メルカルが笑った。
「戦わずに済みましたね!」
俺は頷いた。
「今のところはね」
だが、俺は分かっていた。
ローマは、一度失敗したくらいで諦めない。
カプアを取り戻すまで、何度でも圧力をかけてくるだろう。
そして、ハンニバル軍が別の場所へ移動すれば、また攻撃してくる。
俺は地図を見つめた。
「……一つの軍隊で、全部の都市を守るのは無理だな」
メルカルが尋ねた。
「では、どうするんですか?」
俺は答えた。
「都市同士で、協力してもらう」
俺は、カプア周辺の都市へ使者を送った。
食料の相互支援。
街道の安全確保。
情報の共有。
そして、緊急時の避難協力。
俺は、その仕組みを『南部都市相互支援協定』と名づけた。
メルカルが笑った。
「……また新しい仕組みを作りましたね」
俺は頷いた。
「そうだね」
「これで、ローマに勝てますか?」
俺は答えた。
「これだけでは勝てない」
そして、続けた。
「でも、負けにくくはなる」
そのころ。
カルタゴ本国から、さらに新しい知らせが届いた。
『追加援軍の第二次派遣を検討する』
俺は書簡を見つめた。
「……今度は、検討か」
メルカルが尋ねた。
「また時間がかかりそうですね」
俺は頷いた。
「そうだね」
だが、俺は少し笑った。
「それでも、以前よりは前に進んでいる」
その夜。
ハンニバルが俺のところへ来た。
「アドン」
「何?」
「南部都市相互支援協定について、報告を受けました」
俺は頷いた。
「まだ始めたばかりだけどね」
ハンニバルは笑った。
「戦場の外でも、軍隊を支える仕組みができていますね」
俺は答えた。
「そうだね」
そして、地図を見つめた。
「でも、まだ足りない」
ハンニバルが尋ねた。
「何がですか?」
俺は答えた。
「カルタゴ本国とイタリアを、もっと確実につなぐ港だよ」
ハンニバルは頷いた。
「タレントゥムですね」
俺は答えた。
「そう」
だが、その翌朝。
タレントゥムから、急な使者が到着した。
「アドン殿!」
俺は立ち上がった。
「どうした!?」
使者は息を切らしていた。
「ローマ軍が、都市内部の反ローマ派を調べ始めています!」
俺は眉をひそめた。
「……まずいな」
使者は続けた。
「カルタゴとの交渉に関わった者が、拘束される可能性があります!」
俺は顔を上げた。
「……分かった」
そして、静かに言った。
「交渉を一度止めよう」
メルカルが驚いた。
「止めるんですか!?」
俺は頷いた。
「今、無理に進めれば、協力者が処罰される」
俺は使者へ書簡を渡した。
『タレントゥムとの交渉は、一時中断します』
『協力者の安全を最優先してください』
『状況が変わるまで、無理な行動は求めません』
使者は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
俺は頷いた。
「必ず、生きてまた会いましょう」
使者が出発したあと。
俺は地図を見つめた。
タレントゥム。
カプア。
そして、ローマ。
戦争は、戦場だけで進んでいるわけではない。
都市の政治。
商人の取引。
食料の流れ。
そして、人々の生活。
すべてが戦争に影響している。
俺は呟いた。
「……ローマは、本当に手強いな」
だがそのときメルカルが新しい報告書を持ってきた。
「アドン殿!」
俺は顔を上げた。
「何?」
メルカルは答えた。
「ヌミディアから、使者が来ています!」
俺は動きを止めた。
「……ヌミディア?」
メルカルは頷いた。
「はい!」
俺は息を呑んだ。
ヌミディア。
それは、カルタゴにとって重要な騎兵の供給地だった。
そして、本来の歴史では。
ザマの戦いで、カルタゴの運命を決めることになる地域だった。
俺は立ち上がった。
「……すぐに会おう」
今度こそ、ヌミディアを失うわけにはいかなかった。




