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転生したらカルタゴ人だったので、ハンニバルを勝たせてローマに勝利します  作者: レモンティー


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第五十話 ローマ軍に引き渡せと言われたので、敵の食料を運んだ契約書を見せてみた

紀元前218年。

アルプス山脈の南側。

イタリア北部のタウリニ族の集落に、ローマ軍の先遣部隊が到着した。

兵力は、およそ五百。

歩兵を中心とした部隊だった。

集落の入口には、ローマ軍の旗が掲げられている。

そして、その指揮官は族長へ要求した。

「カルタゴ人の商人、アドンを引き渡せ」

俺は、その知らせを聞いて頭を抱えた。

「……なんで俺なんだよ」

隣にいたメルカルが叫んだ。

「何を言っているんですか! 完全に目をつけられているじゃないですか!」

「そうだね」

「そうだね、じゃありません!」

メルカルは窓の外を指差した。

「ローマ兵が五百人もいるんですよ!」

俺は頷いた。

「うん」

「こっちは護衛が八人です!」

「うん」

「勝てるわけないでしょう!」

俺は答えた。

「だから、戦わないよ」

メルカルは少し安心した。

「……では、逃げるんですね?」

俺は首を振った。

「交渉する」

メルカルは天井を見上げた。

「……また交渉ですか」

族長アリクスの館では、ローマ軍の指揮官が待っていた。

年齢は四十歳ほど。

頑丈な体格。

短く刈った髪。

胸にはローマ軍の装備。

名をマルクス・セルウィリウスという。

俺が入ると、男は立ち上がった。

「お前がアドンか」

「はい」

「カルタゴ人だな?」

「そうです」

「ハンニバル軍の補給を担当しているそうだな」

俺は少し考えた。

「商人として、食料の取引をしています」

セルウィリウスは鼻で笑った。

「同じことだ」

俺は肩をすくめた。

「そうかもしれませんね」

セルウィリウスは俺を睨んだ。

「お前を拘束する」

俺は尋ねた。

「理由を聞いてもよろしいですか?」

「ローマに敵対する軍隊へ食料を供給したからだ」

俺は頷いた。

「ほう」

そして、鞄から一枚の契約書を取り出した。

「では、こちらをご確認ください」

セルウィリウスが眉をひそめた。

「何だ、それは?」

俺は答えた。

「穀物の輸送契約書です」

「……?」

「ローマ商人ガイウス殿と締結したものです」

セルウィリウスの表情が変わった。

「ガイウス?」

「はい」

俺は契約書を広げた。

「ローマ側が購入した穀物を、指定された集積所まで運ぶ契約です」

セルウィリウスは書類を見た。

俺は続けた。

「契約どおり、穀物の八割をローマ側へ運びました」

「……」

「残り二割は、輸送費として受け取っています」

セルウィリウスは黙った。

俺は尋ねた。

「ローマ商人の穀物を運んだことも、罪になるのでしょうか?」

セルウィリウスは契約書を睨んでいた。

「……ふざけるな」

俺は首をかしげた。

「何がでしょう?」

「お前は、その二割をカルタゴ軍へ渡したのだろう!」

俺は頷いた。

「はい」

「ならば、敵軍への補給だ!」

「そうですね」

セルウィリウスは机を叩いた。

「認めるのか!」

俺は答えた。

「隠しても仕方ありませんから」

族長アリクスが、思わず咳払いした。

俺は続けた。

「ただし、ローマ側の穀物輸送を妨害したわけではありません」

「……」

「むしろ、運び出せなかった穀物を運んだんです」

セルウィリウスは黙った。

俺は静かに言った。

「契約したローマ商人にも、確認していただければ分かります」

セルウィリウスは部下へ命令した。

「ガイウスを呼べ!」

兵士が走っていった。

俺は椅子に座った。

メルカルが小声で尋ねた。

「……大丈夫なんですか?」

俺は答えた。

「分からない」

「分からない!?」

「うん」

メルカルは頭を抱えた。

「……もう嫌です」

俺も同感だった。

だが、ここで逃げれば、タウリニ族がローマ軍から報復されるかもしれない。

それだけは避けたかった。

しばらくして、ローマ商人ガイウスが到着した。

「何事ですか?」

セルウィリウスが尋ねた。

「このカルタゴ人と契約したのか?」

ガイウスは俺を見た。

そして頷いた。

「はい」

「なぜだ!」

ガイウスは困った顔をした。

「輸送の人手が足りなかったからです」

「敵国の商人だぞ!」

「ですが、契約どおり運んでくれました」

セルウィリウスは黙った。

ガイウスは続けた。

「もし彼らが運ばなければ、穀物はまだ倉庫に残っていたでしょう」

俺は頷いた。

「そういうことです」

セルウィリウスが俺を睨んだ。

「お前は黙っていろ」

「はい」

だが、セルウィリウスは納得していなかった。

「契約があろうと、敵軍への補給を許すわけにはいかん」

俺は頷いた。

「それは理解しています」

「ならば、拘束されろ」

俺は首を振った。

「その前に、一つ確認させてください」

セルウィリウスが眉をひそめた。

「何だ?」

俺は族長アリクスを見た。

「この集落は、ローマの領土なのでしょうか?」

部屋が静かになった。

セルウィリウスの表情が変わった。

「……何?」

俺は続けた。

「タウリニ族は、ローマと正式な同盟を結んでいるのですか?」

アリクスが口を開いた。

「結んでいない」

俺は頷いた。

「では、ローマ軍がこの集落の商人を拘束する権限は、どこから来るのでしょう?」

セルウィリウスは立ち上がった。

「ローマの安全を脅かす者を放置するわけにはいかん!」

俺は答えた。

「それはローマ側の事情です」

「……」

「ですが、ここはタウリニ族の土地です」

アリクスが俺を見た。

俺は続けた。

「族長の許可なく、集落内で商人を拘束するのは、タウリニ族の自治を認めないという意味になるのではありませんか?」

セルウィリウスは黙った。

族長アリクスが、ゆっくりと口を開いた。

「……セルウィリウス殿」

「何だ?」

「我々は、ローマの奴隷ではない」

部屋の空気が変わった。

アリクスは続けた。

「我々の土地で、誰を捕らえるかは我々が決める」

セルウィリウスは族長を睨んだ。

「ローマに逆らうつもりか?」

アリクスは答えた。

「逆らうのではない」

「……」

「我々の権利を守るだけだ」

セルウィリウスは拳を握った。

だが、すぐには何も言わなかった。

俺は、その様子を見ていた。

ここでローマ軍が武力を使えば、タウリニ族との関係は決定的に悪化する。

ローマ側も、それは避けたいはずだった。

しばらくして。

セルウィリウスは、俺を見た。

「……アドン」

「はい」

「お前は、随分と口が達者なようだな」

俺は答えた。

「商人ですから」

セルウィリウスは鼻で笑った。

「だが、言葉だけで軍隊は止められんぞ」

俺は頷いた。

「分かっています」

セルウィリウスは続けた。

「ローマ軍は、まもなくこの地域へ進出する」

「……」

「ハンニバルの軍隊が山を越えてきても、食料を手に入れられないようにする」

俺は黙った。

セルウィリウスは笑った。

「アルプスで疲れ切った軍隊が、食料もなく戦えると思うか?」

俺は答えなかった。

なぜなら。

それが、ローマ側の狙いだと分かっていたからだ。

交渉は、いったん中断された。

ローマ軍は集落の外へ戻った。

だが、完全に撤退したわけではない。

兵士たちは、集落の周囲に陣地を作り始めた。

俺は窓から、その様子を見ていた。

メルカルが尋ねた。

「……どうするんですか?」

俺は答えた。

「時間を稼ぐ」

「時間?」

「ハンニバルの本隊が来るまでだよ」

メルカルは頷いた。

「ほう」

だが、俺は分かっていた。

ローマ軍も、同じことを考えている。

本隊が来る前に、食料を押さえる。

そして、カルタゴ軍を飢えさせる。

時間との勝負だった。

俺はブレンノを呼んだ。

「ブレンノ」

「何だ?」

「この周辺に、まだ穀物はある?」

ブレンノは首をかしげた。

「ローマがかなり買い集めたぞ」

俺は頷いた。

「それは分かってる」

「では?」

俺は尋ねた。

「農民たちが、自分たちのために保管している穀物は?」

ブレンノは答えた。

「当然ある」

俺は頷いた。

「それを買い取るつもりはない」

ブレンノが驚いた。

「……何?」

俺は続けた。

「村人が冬を越すための食料まで奪ったら、信用を失う」

ブレンノは頷いた。

「そうだな」

俺は地図を広げた。

「だから、別の場所から運ぶ」

俺は、以前から整備していた交易路を確認した。

山の西側。

南側の谷。

そして、別の部族の市場。

そこには、まだローマの買い占めが及んでいない可能性があった。

俺はメルカルへ命令した。

「商人たちへ連絡して」

「何をですか?」

「周辺の市場から、穀物を集める」

メルカルが頷いた。

「分かりました!」

俺は続けた。

「ただし、村人の生活に必要な分は残す」

「はい!」

「それから、輸送は小さな隊列に分ける」

メルカルが首をかしげた。

「なぜですか?」

俺は答えた。

「ローマ軍に見つかっても、全部を失わないためだよ」

その日の夜。

俺はタウリニ族の族長アリクスへ、新しい提案を持っていった。

「族長」

「何だ?」

「食料の保管場所を、分散させたいんです」

アリクスは眉をひそめた。

「分散?」

「はい」

俺は説明した。

「大きな倉庫に全部集めると、ローマ軍がそこを押さえただけで終わってしまいます」

アリクスは頷いた。

「確かに」

「そこで、複数の村に分けて保管します」

「……」

「さらに、山から下りてくるカルタゴ軍へ、少しずつ運びます」

アリクスは考え込んだ。

「ローマ軍に見つかったら?」

俺は答えた。

「危険な場所へ無理に運ぶ必要はありません」

「……」

「まずは、集落の安全を優先してください」

族長は、しばらく俺を見つめていた。

そして頷いた。

「……分かった」

翌朝。

周辺の村から、少しずつ食料が集まり始めた。

穀物。

干し肉。

豆。

チーズ。

そして、馬の飼料。

大量ではない。

だが、確実に増えていた。

俺は記録を確認した。

「……よし」

メルカルが笑った。

「何とか集まってきましたね」

俺は頷いた。

「うん」

だが、問題は輸送だった。

ローマ軍が集落の周囲を監視している。

大きな荷車を動かせば、すぐに見つかる。

俺は考えた。

「……夜に運ぶしかないかな」

メルカルが尋ねた。

「危険では?」

俺は答えた。

「危険だね」

「……」

「でも、何もしなければ本隊が困る」

その夜。

小さな荷車が、集落の裏手から出発した。

荷物は穀物。

護衛は数人。

案内人は、地元の若者だった。

俺は出発を見送った。

「無理はしないで」

案内人が頷いた。

「分かっています」

「ローマ軍に見つかったら、荷物を捨ててもいい」

若者は驚いた。

「……いいんですか?」

俺は答えた。

「命の方が大事だからね」

若者は笑った。

「変わった商人だな」

俺は肩をすくめた。

「よく言われるよ」

翌朝。

最初の輸送隊が戻ってきた。

「アドン殿!」

俺は顔を上げた。

「どうだった?」

案内人が笑った。

「無事に運べました!」

俺は息を吐いた。

「よかった」

メルカルも笑った。

「成功ですね!」

俺は頷いた。

「うん」

だが、すぐに記録を確認した。

運べた食料は、まだ少ない。

三万人の軍隊を養うには、まったく足りない。

俺は呟いた。

「……もっと必要だな」

その日の午後。

ローマ軍の動きが変わった。

見張りが増えた。

街道に兵士が配置された。

そして、集落へ入る荷車が調べられるようになった。

俺は窓から、その様子を見ていた。

メルカルが尋ねた。

「……気づかれましたか?」

俺は答えた。

「たぶんね」

「どうするんですか?」

俺は少し考えた。

そして答えた。

「別の道を使う」

メルカルは頭を抱えた。

「……道がいくつあっても足りませんよ」

俺は頷いた。

「だから、今まで調べてきたんだよ」

俺は、ガリア方面の交易路をまとめた地図を広げた。

何年もかけて集めた情報。

川。

橋。

峠。

市場。

そして、村同士を結ぶ細い道。

俺は、その中から一本の道を指差した。

「……ここだ」

メルカルが覗き込んだ。

「どこですか?」

俺は答えた。

「昔、羊飼いが使っていた道だよ」

「羊飼い?」

「うん」

俺は続けた。

「大きな荷車は通れない。

でも、人が背負って運ぶなら使える」

メルカルは頷いた。

「ほう」

俺は笑った。

「商人の道は、軍隊の道とは違うからね」

その夜。

新しい輸送隊が出発した。

荷車ではなく、人が食料を背負って進む。

山の斜面を通る細い道。

木々の間。

小さな川。

そして、岩場。

ローマ軍の見張りを避けながら進む。

俺は出発を見送った。

「……頼むよ」

翌朝。

輸送隊は戻ってこなかった。

俺は眉をひそめた。

「……遅いな」

メルカルが尋ねた。

「何かあったんでしょうか?」

俺は答えた。

「分からない」

昼になっても戻らない。

夕方になっても戻らない。

俺は不安になっていた。

そのとき。

一人の若者が、集落へ駆け込んできた。

「アドン殿!」

俺は立ち上がった。

「どうした!?」

若者は息を切らしていた。

「輸送隊が……!」

俺は顔を上げた。

「何があった!?」

若者は叫んだ。

「ローマ軍に見つかりました!」

俺は息を呑んだ。

「……全員捕まったの?」

若者は首を振った。

「いえ!」

「……?」

「逃げられた者もいます!」

俺は少し安心した。

だが、若者は続けた。

「ただし、食料の大半を奪われました!」

俺は拳を握った。

「……そうか」

メルカルが尋ねた。

「どうします?」

俺は答えた。

「まず、逃げた人たちを保護しよう」

「はい!」

「負傷者がいれば、治療を優先して」

「分かりました!」

その夜。

俺は一人で、地図を見つめていた。

ローマ軍は、思った以上に早く動いている。

街道を押さえる。

食料を買い占める。

輸送隊を襲う。

そして、カルタゴ軍の補給を妨害する。

俺は呟いた。

「……やっぱり、ローマは強いな」

だが、俺は諦めるつもりはなかった。

なぜなら。

もうすぐ、ハンニバルが山を越えてくるからだ。

翌朝。

タウリニ族の集落に、伝令が到着した。

カルタゴ軍の兵士だった。

俺は駆け寄った。

「どうした!?」

伝令は答えた。

「ハンニバル将軍からの命令です!」

俺は顔を上げた。

「何だ?」

伝令は続けた。

「本隊が、まもなく山を下ります!」

俺は息を吐いた。

「……ついに」

だが、伝令は続けた。

「ただし、食料が不足しています!」

俺は眉をひそめた。

「……どれくらい?」

伝令は答えた。

「山越えで予想以上に消費しました!」

俺は記録を確認した。

今、集落にある食料。

周辺の村から集められる食料。

そして、輸送可能な量。

俺は呟いた。

「……足りないな」

メルカルが尋ねた。

「どうするんですか?」

俺は地図を見た。

ローマ軍の陣地。

タウリニ族の集落。

カルタゴ軍の進路。

そして、山の出口。

俺は考えた。

今まで、俺たちは食料を集めることばかり考えていた。

だが、ローマ軍はそれを妨害している。

ならば。

別の方法がある。

俺は顔を上げた。

「……ローマ軍を動かそう」

メルカルが首をかしげた。

「どういうことですか?」

俺は答えた。

「ローマ軍が街道を監視しているなら、別の場所へ行ってもらえばいい」

メルカルは驚いた。

「そんなこと、できるんですか?」

俺は少し笑った。

「……やってみるしかないね」

その日の夕方。

俺はローマ軍の指揮官セルウィリウスへ、面会を申し込んだ。

セルウィリウスは、俺を見るなり眉をひそめた。

「……またお前か」

俺は頭を下げた。

「お久しぶりです」

「昨日も会っただろう!」

「そうでしたね」

セルウィリウスはため息をついた。

「今度は何だ?」

俺は答えた。

「商売の提案です」

セルウィリウスは叫んだ。

「もう商売の話は聞かん!」

俺は頷いた。

「では、軍事情報の話です」

セルウィリウスの表情が変わった。

「……何?」

俺は地図を取り出した。

そして、山の西側を指差した。

「カルタゴ軍の一部が、こちらへ向かっているようです」

セルウィリウスは地図を見た。

「……どこだ?」

俺は答えた。

「この谷です」

セルウィリウスは眉をひそめた。

「なぜ、お前がそれを教える?」

俺は答えた。

「この集落が戦場になるのを避けたいからです」

セルウィリウスは黙った。

俺は続けた。

「もしローマ軍がこの谷へ進めば、カルタゴ軍を山の出口で迎え撃てるかもしれません」

セルウィリウスは考え込んだ。

俺は静かに言った。

「もちろん、判断するのはあなたです」

セルウィリウスは地図を見つめた。

そして、部下へ命令した。

「偵察兵を出せ」

俺は頭を下げた。

「では、失礼します」

セルウィリウスが俺を呼び止めた。

「アドン」

「はい」

「もし嘘だったら、ただでは済まんぞ」

俺は答えた。

「承知しています」

そして、幕舎を出た。

外へ出ると、メルカルが待っていた。

「……どうでした?」

俺は答えた。

「偵察兵を出すらしい」

メルカルは頷いた。

「成功ですか?」

俺は首を振った。

「まだ分からない」

「……」

「でも、少し時間は稼げるかもしれない」

メルカルは不安そうだった。

「本当に、カルタゴ軍があの谷へ向かっているんですか?」

俺は答えた。

「小さな偵察隊なら、通る可能性がある」

メルカルは目を見開いた。

「……可能性!?」

俺は頷いた。

「うん」

メルカルは頭を抱えた。

「……怖すぎます」

翌朝。

ローマ軍の一部が、山の西側へ移動した。

偵察隊。

騎兵。

そして、歩兵。

俺は、その様子を見つめていた。

メルカルが呟いた。

「……本当に動きましたね」

俺は頷いた。

「そうだね」

「これで、街道の見張りが減りました」

俺は答えた。

「うん」

そして、すぐに補給部隊へ命令した。

「今のうちに食料を運ぼう!」

兵士たちが動いた。

荷車。

荷駄獣。

そして、人が背負う袋。

食料が、次々と山の出口へ向かって運ばれていく。

その日の夕方。

ついに。

遠くの山道から、カルタゴ軍の先頭部隊が姿を現した。

兵士たちは疲れ切っていた。

衣服は汚れ、顔はやつれている。

馬も痩せていた。

だが、確かに、生きて山を越えてきた。

俺は思わず叫んだ。

「……来た!」

メルカルが目を輝かせた。

「カルタゴ軍です!」

俺は頷いた。

「うん!」

そして、兵士たちへ命令した。

「食料を配って!」

補給兵たちが動いた。

穀物。

干し肉。

チーズ。

そして、水。

山を越えてきた兵士たちは、次々と食料を受け取った。

そのとき。

一人の兵士が、俺のところへ来た。

「アドン殿!」

「何?」

「将軍がお呼びです!」

俺は顔を上げた。

「ハンニバルが?」

「はい!」

俺は走った。

そして、山道の先に、一人の男が立っていた。

ハンニバル・バルカ。

アルプスを越えた将軍だった。

俺は思わず笑った。

「……本当に越えたんだね」

ハンニバルも笑った。

「約束しましたから」

俺は頷いた。

「そうだったね」

ハンニバルは周囲を見た。

食料を受け取る兵士たち。

休息する騎兵。

そして、補給拠点。

ハンニバルは俺を見た。

「アドン」

「何?」

「準備してくれていたんですね」

俺は答えた。

「もちろん」

ハンニバルは頷いた。

「ありがとうございます」

俺は少し笑った。

「礼は、ローマに勝ってからでいいよ」

だが、その直後。

偵察兵が駆け込んできた。

「将軍!」

ハンニバルが顔を上げた。

「何だ?」

偵察兵は叫んだ。

「ローマ軍が戻ってきます!」

俺は息を呑んだ。

「……早いな」

偵察兵は続けた。

「しかも、増援を連れています!」

ハンニバルが尋ねた。

「兵力は?」

偵察兵は答えた。

「およそ二千!」

俺は眉をひそめた。

「……二千?」

ハンニバルは地図を見た。

そして、静かに言った。

「アドン」

「何?」

「ここからは、私の仕事です」

俺は顔を上げた。

ハンニバルは続けた。

「あなたは、兵士たちへ食料を届けてください」

俺は頷いた。

「分かった」

ハンニバルは笑った。

「ローマ軍は、私が相手をします」

俺は、遠くの街道を見た。

ローマ軍の旗が近づいている。

アルプスを越えたばかりのカルタゴ軍。

疲れ切った兵士たち。

十分とは言えない食料。

そして、迫ってくるローマ軍。

だが、ハンニバルの表情には、恐怖がなかった。

むしろ、どこか楽しそうだった。

俺は思わず呟いた。

「……やっぱり、天才だな」

ハンニバルは馬に乗った。

そして、将校たちへ命令した。

「全軍、戦闘準備!」

角笛が鳴った。

兵士たちが動き始める。

騎兵が集まる。

歩兵が盾を構える。

そして、ハンニバルは、イタリアで最初の戦いに臨もうとしていた。

俺は補給記録を握りしめた。

「……頼むぞ、ハンニバル」

だが、そのとき、俺たちはまだ知らなかった。

迫ってくる二千のローマ軍が、単なる先遣部隊ではないことを。

その背後では、ローマの執政官が率いる本隊が、カルタゴ軍を迎え撃つ準備を始めていた。

そして。

ハンニバルとローマ軍の最初の本格的な戦い――ティキヌスの戦いが、目前に迫っていた。

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