第四十話 敵にも味方にも食料を売る商人がいたので、戦争の儲け方を調べてみた
戦争が始まると、食料の値段が上がる。
それは、商人なら誰でも知っていることだった。
軍隊が動けば、大量の食料が必要になる。
兵士は戦っている間も食べる。
行軍中も食べる。
負傷して後方へ運ばれた兵士にも、食料が必要だ。
しかも、軍隊は一日や二日で消えるわけではない。
何千人もの兵士が、毎日食べ続ける。
つまり、戦争が長引けば長引くほど、食料が売れる。
そして、食料を大量に持っている商人は儲かる。
だが俺は、ある報告書を読んで言葉を失っていた。
「……同じ穀物を、両軍に売る?」
メルカルが顔を上げた。
「どういうことですか?」
俺は机の上に二枚の書類を並べた。
一枚は、カルタゴ政府が承認した軍需物資の優先購入一覧。
もう一枚は、ローマ方面の商人が発行した穀物の購入契約書の写しだった。
どちらにも、同じ商会の名前がある。
バアルハンノ商会。
そして、どちらにも、同じ倉庫番号が記載されていた。
俺は静かに呟いた。
「……これは、偶然なのか?」
その日の朝。
俺はハミルカル将軍の幕舎を訪ねた。
将軍は地図を見ていた。
トゥリア川。
ローマ側の陣地。
カルタゴ軍の補給拠点。
そして、海岸へ続く交易路。
「アドン」
「将軍」
俺は頭を下げた。
「補給について、報告があります」
ハミルカルは頷いた。
「聞こう」
俺は書類を差し出した。
「カルタゴ政府が、バアルハンノ商会から軍需物資を優先購入する方針を決めました」
将軍の表情が険しくなった。
「……また、あの商会か」
「はい」
「それで?」
俺は続けた。
「同じ商会が、ローマ方面の商人とも穀物の売買契約を結んでいる可能性があります」
ハミルカルは書類を受け取った。
しばらく読み進める。
そして、顔を上げた。
「……同じ倉庫だな」
俺は頷いた。
「はい」
将軍は静かに尋ねた。
「同じ穀物なのか?」
俺は答えた。
「まだ分かりません」
「……」
「倉庫番号が同じでも、保管されている穀物が別なら問題はありません」
ハミルカルは頷いた。
「当然だ」
俺は続けた。
「ですが、同じ穀物を二重に売っているなら、話が変わります」
俺はメルカルとともに、帳簿を確認した。
カルタゴ政府向け。
小麦、四千袋。
納入予定地。
ヒスパニア方面軍の補給拠点。
ローマ方面の商人向け。
小麦、三千袋。
納入予定地。
沿岸の港。
そして、両方の契約に記載された倉庫。
第七倉庫。
俺は眉をひそめた。
「……第七倉庫か」
メルカルが尋ねた。
「何か問題が?」
俺は答えた。
「以前、軍の物資が移されていた倉庫の一つだ」
メルカルの表情が変わった。
「……あの倉庫ですか?」
「そう」
俺は頷いた。
「軍が購入した物資が、民間倉庫へ移されていた」
「はい」
「その一部が、アウレリウス商会へ売却された疑いもあった」
メルカルは深く息を吐いた。
「……また同じ場所ですね」
俺は頷いた。
「そうなんだ」
だが、俺はすぐに結論を出さなかった。
「メルカル」
「はい」
「まず、数量を確認しよう」
俺は蝋板を取り出した。
カルタゴ政府向け。
四千袋。
ローマ方面向け。
三千袋。
合計。
七千袋。
俺は尋ねた。
「第七倉庫には、何袋ある?」
メルカルは記録を確認した。
「最新の申告では、五千袋です」
俺は頷いた。
「……二千袋足りない」
メルカルは驚いた。
「やっぱり二重販売ですか?」
俺は首を振った。
「まだ分からない」
「……?」
「追加の入荷予定があるかもしれない」
俺は続けた。
「ほかの倉庫から移す契約かもしれないし、納入日も違うかもしれない」
メルカルは頷いた。
「ほう」
「だから、今の数字だけでは不正とは言えない」
俺は静かに言った。
「でも、確認する価値はある」
翌日。
俺はアズルバルと一緒に、軍の補給記録を確認した。
「第七倉庫について、軍の記録はありますか?」
アズルバルは頷いた。
「あります」
彼は木箱から書類を取り出した。
「こちらです」
俺は受け取った。
そこには、軍が購入した小麦の数量が記載されていた。
二千袋。
購入代金は、すでに支払い済み。
納入先は、軍の補給倉庫。
だが、その後。
『保管場所変更』
という記録があった。
移動先。
第七倉庫。
俺は眉をひそめた。
「……また、ここか」
アズルバルは頷いた。
「はい」
俺は尋ねた。
「この二千袋は、軍へ返還されましたか?」
アズルバルは首を振った。
「記録上は、まだです」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
つまり、第七倉庫には、軍がすでに購入した小麦が二千袋ある可能性がある。
その一方で。
バアルハンノ商会は、カルタゴ政府へ四千袋。
ローマ方面の商人へ三千袋。
合計七千袋の販売契約を結んでいる。
だが、申告された在庫は五千袋。
しかも、その中に軍所有の小麦が含まれている可能性がある。
俺は静かに呟いた。
「……数字が合わないな」
俺はアズルバルへ尋ねた。
「軍が購入した二千袋について、所有権を移す書類はありますか?」
アズルバルは首を振った。
「少なくとも、軍の記録にはありません」
俺は頷いた。
「保管場所を変えただけですね」
「そうです」
俺は静かに言った。
「ならば、軍の所有物のままのはずです」
アズルバルは頷いた。
「その認識です」
俺は深く息を吐いた。
「……これを売っていたら、かなり問題ですね」
数日後。
俺は第七倉庫のある港へ向かった。
同行したのは、メルカルとアズルバル。
そして、港の管理官エルダンだった。
エルダンは、すでに事情を聞いていた。
「アドン殿」
「エルダン殿」
俺は頭を下げた。
「倉庫の確認について、ご協力ありがとうございます」
エルダンは頷いた。
「港の記録に問題があるなら、確認する必要があります」
俺は頷いた。
「そうですね」
ただし、倉庫は民間の施設だ。
勝手に中へ入ることはできない。
そこで、エルダンは港の管理規則に基づき、正式な検査を申し入れていた。
バアルハンノ商会の代理人も立ち会うことになっている。
第七倉庫。
大きな石造りの建物だった。
入口には、武装した警備員が立っている。
俺たちが近づくと、一人の男が出てきた。
「何の用だ?」
エルダンが答えた。
「港の在庫記録について、確認に来た」
男は眉をひそめた。
「商会から聞いている」
そして、俺を見た。
「……また、お前か」
俺は少し笑った。
「どうも」
男は不機嫌そうに言った。
「商会の仕事を邪魔するなよ」
俺は答えた。
「帳簿を確認するだけです」
倉庫の扉が開いた。
中には、大量の穀物袋が積まれていた。
高く積み上げられた袋。
木箱。
荷札。
そして、運搬用の荷車。
俺は周囲を見渡した。
「……かなりありますね」
メルカルが頷いた。
「はい」
エルダンは倉庫の管理人へ尋ねた。
「現在の在庫は?」
管理人は答えた。
「五千袋です」
俺は頷いた。
「申告どおりですね」
だが、まだ数量を確認したわけではない。
エルダンは検査員たちへ指示した。
「区画ごとに数えろ」
検査員たちが動き始めた。
数時間後。
集計が終わった。
第七倉庫の実在庫。
四千八百二十袋。
俺は眉をひそめた。
「……百八十袋少ない」
管理人は慌てて答えた。
「最近、出荷した分です!」
エルダンが尋ねた。
「出荷記録は?」
管理人は黙った。
「……確認します」
俺は静かに言った。
「まず、出荷記録を確認しましょう」
数量が違うだけでは、不正とは限らない。
だが、記録がなければ説明できない。
俺は次に、軍所有の小麦について確認した。
アズルバルが荷札の写しを取り出した。
軍の購入番号。
輸送日。
袋数。
そして、保管場所変更の記録。
俺は倉庫の管理人へ尋ねた。
「この番号の小麦は、どこにありますか?」
管理人は記録を確認した。
そして、奥の区画を指差した。
「……あちらです」
俺たちは移動した。
そこには、二千袋ほどの小麦が積まれていた。
俺は荷札を確認した。
番号が一致している。
アズルバルが頷いた。
「……軍の物資です」
俺は静かに言った。
「少なくとも、記録上はそうですね」
だが、問題はここからだった。
エルダンが倉庫の管理人へ尋ねた。
「この小麦は、現在どのように扱われている?」
管理人は答えた。
「バアルハンノ商会の在庫です」
俺は眉をひそめた。
「……商会の在庫?」
「そうです」
俺はアズルバルを見た。
彼は首を振った。
「軍から売却した記録はありません」
俺は管理人へ尋ねた。
「所有権を移した書類はありますか?」
管理人は少し考えた。
そして、木箱から一枚の書類を取り出した。
「こちらです」
俺は受け取った。
そこには、こう書かれていた。
『ヒスパニア方面軍需物資管理移管証明書』
俺は眉をひそめた。
「……管理移管?」
内容を読み進める。
軍の補給体制変更に伴い、指定商会へ物資の管理を移す。
保管、輸送、配分について、指定商会が責任を持つ。
そして。
『当該物資の処分については、政府指定商会の判断に委ねる』
俺は手を止めた。
「……処分?」
アズルバルの表情が変わった。
「そんな許可は出していません」
俺は頷いた。
「分かっています」
だが、書類には政府の印章らしきものが押されていた。
俺は深く息を吐いた。
「……また、政府の印章か」
俺は書類を詳しく確認した。
発行日。
担当部署。
承認者。
そして、末尾の署名。
俺は眉をひそめた。
「……これは」
メルカルが尋ねた。
「どうしました?」
俺は答えた。
「承認者の名前がある」
「誰です?」
俺は静かに答えた。
「アズバル・ハンノン」
メルカルの表情が変わった。
「……また、あの政治家ですか」
俺は頷いた。
「そう」
だが、俺はすぐに付け加えた。
「ただし、署名が本物かどうかは確認が必要だ」
エルダンは書類を見つめた。
「この証明書が正式なものなら、政府指定商会へ管理権が移っている可能性があります」
俺は頷いた。
「はい」
「ですが、所有権まで移ったかどうかは、別の問題です」
俺は顔を上げた。
「そのとおりです」
エルダンは続けた。
「管理を任せることと、売却してよいことは同じではありません」
俺は頷いた。
「そうです」
そして、静かに言った。
「軍が買った小麦を、勝手に別の商人へ売ってよいとは限りません」
俺は倉庫の管理人へ尋ねた。
「この小麦は、すでに誰かへ販売しましたか?」
管理人は少し迷った。
そして答えた。
「契約上は、販売予定になっています」
俺は眉をひそめた。
「……誰へ?」
管理人は答えた。
「アウレリウス商会です」
俺は深く息を吐いた。
「……やはり」
だが、管理人は続けた。
「ただし、まだ引き渡していません」
俺は少し安心した。
「そうですか」
つまり、今なら止められる可能性がある。
俺はエルダンへ尋ねた。
「この小麦について、所有権の確認が終わるまで出荷を保留できますか?」
エルダンは少し考えた。
「港の規則に基づき、申告内容に重大な不一致がある場合、出荷許可を保留することはできます」
俺は頷いた。
「では、正式に確認をお願いします」
エルダンは倉庫の管理人を見た。
「所有権を示す書類を提出してもらう」
管理人は不満そうだった。
だが、頷いた。
「……分かりました」
その日の夕方。
俺たちは港の役所へ戻った。
エルダンは、倉庫の検査結果を正式な記録にまとめた。
実在庫。
四千八百二十袋。
申告在庫。
五千袋。
軍所有と考えられる小麦。
二千袋。
政府指定商会への管理移管証明書。
そして、アウレリウス商会への販売予定。
俺は記録を確認した。
「……これで、かなり整理できましたね」
メルカルが頷いた。
「はい」
だが、俺は続けた。
「問題は、まだ終わっていない」
「……?」
「カルタゴ政府向けの四千袋についても確認しないといけない」
メルカルは顔を上げた。
「……あ」
俺は頷いた。
「そう」
同じ倉庫の在庫を、カルタゴ政府にも売る。
ローマ方面の商人にも売る。
しかも、その一部は、もともとカルタゴ軍が購入した物資だ。
俺は静かに呟いた。
「……本当に、ひどい話だな」
数日後。
ハミルカル将軍へ報告した。
将軍は書類を読み終えると、静かに言った。
「……軍の食料を、勝手に売ろうとしていたのか」
俺は頷いた。
「その可能性が高いです」
ハミルカルは拳を握った。
「兵士が飢えれば、戦えなくなる」
「はい」
「その食料を、敵側へ売る?」
俺は答えた。
「ローマ方面の民間商会への販売契約です。
実際にローマ軍へ渡るかどうかは、まだ確認できていません」
ハミルカルは頷いた。
「分かっている」
そして、静かに続けた。
「だが、軍の食料を勝手に動かされること自体が問題だ」
俺は頷いた。
「そのとおりです」
将軍はすぐに命令を出した。
「アズルバル」
「はっ!」
「軍が購入した小麦について、正式な所有記録をまとめろ」
「承知しました!」
「そして、政府へ照会する」
俺は頷いた。
「それがよいと思います」
ハミルカルは続けた。
「勝手に商会の倉庫へ押し入ることはしない」
「はい」
「だが、軍の物資を守るための措置は取る」
俺は静かに答えた。
「お願いします」
その夜。
俺は軍営の外で、地図を見つめていた。
ローマ側の軍勢は増えている。
カルタゴ軍も、補給路を守るために兵を集めている。
戦争は、すでに始まりかけている。
いや。
小規模とはいえ、実際に戦闘は起きている。
そんな状況で。
軍の食料を、敵側にも売ろうとする商人がいる。
俺は深く息を吐いた。
「……戦争で儲けるって、こういうことか」
メルカルが尋ねた。
「どういう意味です?」
俺は答えた。
「戦争が長引けば、両軍とも食料を必要とする」
「はい」
「だから、両方へ売れば儲かる」
メルカルは頷いた。
「……でも、どちらかが負けたら?」
俺は静かに答えた。
「商人は、勝った側との取引を続ければいい」
メルカルは黙った。
俺は続けた。
「もちろん、すべての商人がそう考えるわけじゃない」
「はい」
「でも、戦争を終わらせたくない商人がいても、おかしくない」
翌朝。
カルタゴ本国から、新しい書簡が届いた。
差出人は父だった。
俺は封を開いた。
『アドン。
バアルハンノ商会に関する新しい情報が入った。
政府の軍需物資購入契約について、ハンノ殿が調査を進めている。』
俺は頷いた。
「……よし」
続きを読んだ。
『その結果、バアルハンノ商会が、複数の商会を通じて同じ物資を売買している可能性が確認された。』
俺は眉をひそめた。
「……複数の商会?」
さらに続く。
『しかも、その中には、ローマ方面の商会だけでなく、カルタゴ国内の別の商会も含まれている。』
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
だが、最後の一文を読んだ瞬間、手が止まった。
『その商会の一つは、アズバル・ハンノンの親族が経営している。』
俺はしばらく動けなかった。
そして、静かに呟いた。
「……ようやく、そこに繋がったか」
バアルハンノ商会。
アウレリウス商会。
カルタゴ政府。
そして、アズバル・ハンノン。
軍需物資の売買。
政府指定商会への移管。
安全保障協力費。
交易路の警備。
すべてが、同じ利益の流れに繋がり始めている。
俺は拳を握った。
「……次は、金の流れを調べる」
だが、そのときの俺は、まだ知らなかった。
アズバル・ハンノンの親族が経営する商会が、単に軍需物資を売買しているだけではなかったことを。
そして、その商会が――
ローマとの戦争が長引くほど、カルタゴ政府から金を受け取れる契約を結ぼうとしていたことを。




