第三十六話 軍の食料を奪った護衛隊を調べたら、カルタゴ政府の名前で盗賊を雇っていた
翌朝。
俺たちは夜明け前に宿を出た。
目的地は、東の交易路。
ベルコとガルドの部族が管理している山道だ。
そこでは、二百人ほどの武装集団が勝手に通行料を取り始めていた。
しかも、ハミルカル将軍の軍へ向かう食料輸送隊を拘束したという。
「……食料は無事でしょうか」
馬車の隣で、メルカルが心配そうに言った。
「分からない」
俺は答えた。
「でも、まずは荷車と御者がどこにいるか確認しよう」
「武装集団に近づくんですか?」
「いきなり近づくつもりはないよ」
俺は地図を広げた。
「この先には、ベルコの村がある。
まず、そこで情報を集める」
メルカルは頷いた。
「分かりました」
俺たちは馬車を進めた。
昼前。
ベルコの村へ到着した。
村の入口には、普段より多くの男たちが集まっていた。
手には槍。
腰には短剣。
だが、誰も道へ出ようとはしていない。
俺を見つけたベルコが駆け寄ってきた。
「アドン!」
「状況は?」
ベルコは険しい顔で答えた。
「よくない」
俺は馬車を降りた。
「詳しく教えてください」
ベルコは村の集会所へ俺たちを案内した。
そこには、ガルドもいた。
大きな机の上には、交易路の地図が広げられている。
ガルドは俺を見るなり言った。
「連中が道を塞いだ」
「どこです?」
「東の分岐路だ」
ガルドが地図を指差す。
「ここに荷車を横一列に並べている」
俺は眉をひそめた。
「通れないようにしているんですね」
「そうだ」
「拘束された荷車隊は?」
ベルコが答えた。
「荷車六台。
御者が八人だ」
「負傷者は?」
「今のところ、いないと聞いている」
俺は少し安心した。
だが、ベルコは続けた。
「荷車も人間も、まだ返されていない」
俺は尋ねた。
「武装集団は、何を要求しているんですか?」
ガルドが答えた。
「新しい通行料だ」
「いくらです?」
「荷車一台につき、銀貨五枚」
俺は思わず顔を上げた。
「……五枚?」
ガルドは頷いた。
「そうだ」
俺はメルカルを見た。
「以前の契約では?」
メルカルは記録を取り出した。
「荷車一台につき、銀貨一枚です」
俺は深く息を吐いた。
「……五倍か」
しかも、その銀貨一枚は道路の維持費や通行の取り決めに基づくものだ。
今回の銀貨五枚は、誰が決めたのか分からない。
俺は尋ねた。
「払わなければ、どうなるんです?」
ベルコは答えた。
「荷車を通さない」
ガルドが続けた。
「さらに、荷物を預かると言っている」
俺は眉をひそめた。
「……預かる?」
「そうだ」
ガルドは怒りを隠さず言った。
「勝手に荷物を奪っておいて、預かるとはよく言ったものだ!」
俺は少し考えた。
「その武装集団は、本当にカルタゴ政府の許可を受けているんでしょうか?」
ベルコは首を振った。
「分からん」
ガルドが言った。
「政府の印章がある書類を見せたという話はある」
俺は顔を上げた。
「書類を見た人はいますか?」
「御者の一人だ」
「その人は今?」
ベルコが答えた。
「荷車隊と一緒に拘束されている」
俺は黙った。
つまり、確認できない。
政府の印章。
正式な書類。
政府指定の護衛隊。
これまで何度も見てきたやり方だ。
俺は静かに言った。
「……まず、武装集団の責任者と話す必要がありますね」
ガルドが立ち上がった。
「ならば、俺が行く!」
俺は首を振った。
「大勢で行くのは危険です」
「だが、連中は俺たちの道を勝手に塞いでいる!」
「分かっています」
俺は頷いた。
「でも、武装した集団同士が向かい合えば、戦闘になる可能性があります」
ガルドは歯を食いしばった。
俺は続けた。
「まずは少人数で、交渉を申し入れましょう」
午後。
俺たちは東の分岐路へ向かった。
同行したのは、俺、メルカル、ベルコ、ガルド。
そして、村の代表者二人。
武器は持たなかった。
ただし、護衛の男たちには離れた場所で待機してもらった。
道を進むと、遠くに武装した男たちが見えてきた。
槍。
盾。
革鎧。
そして、カルタゴの旗。
俺は足を止めた。
「……あれか」
メルカルが小声で言った。
「かなりの人数ですね」
「そうだね」
二百人という報告は、大げさではなさそうだった。
だが、気になることがあった。
兵士たちの装備が揃っていない。
盾の形が違う。
槍の長さも違う。
革鎧を着ている者もいれば、布の服だけの者もいる。
もちろん、傭兵部隊なら珍しくない。
だが、正規の軍隊には見えなかった。
俺たちが近づくと、見張りの男が槍を構えた。
「止まれ!」
俺は両手を上げた。
「話し合いに来ました」
「何者だ?」
「商人のアドンです」
男は眉をひそめた。
「商人?」
「はい」
俺は続けた。
「拘束されている荷車隊について、責任者と話したいんです」
男はしばらく俺を見ていた。
そして、仲間に何かを伝えた。
数分後。
一人の男が現れた。
四十歳ほど。
短い髭。
右頬に傷跡。
胸には、青い布を巻いている。
男は俺たちを見ると、低い声で言った。
「何の用だ?」
俺は頭を下げた。
「この交易路について、お話があります」
男は鼻で笑った。
「通行料なら払え」
「その前に、確認したいことがあります」
「何だ?」
俺は答えた。
「あなた方は、どなたの命令で、この道を管理しているんですか?」
男は胸を張った。
「カルタゴ政府だ」
俺は頷いた。
「正式な命令書はありますか?」
男は眉をひそめた。
「ある」
「確認させていただけますか?」
男はしばらく俺を睨んでいた。
そして、腰の袋から一枚の書類を取り出した。
「これだ」
俺は受け取った。
『ヒスパニア方面交易路臨時警備委託状』
そこには、政府の印章らしきものが押されていた。
内容は、交易路の安全確保。
護衛隊の配置。
危険な荷車の検査。
そして、必要な費用の徴収。
俺は静かに読み進めた。
だが、途中で手が止まった。
「……あれ?」
男が尋ねた。
「何だ?」
俺は顔を上げた。
「この書類には、通行料の金額が書かれていませんね」
男は黙った。
俺は続けた。
「必要な費用を徴収できるとは書いてありますが、銀貨五枚とは書かれていません」
男は苛立ったように言った。
「現場で決めた」
俺は頷いた。
「ほう」
「何か問題でもあるのか?」
俺は答えた。
「問題があるかどうかを確認しています」
俺はさらに書類を読んだ。
そこには、もう一つ気になる文章があった。
『本委託は、関係部族との合意を前提として実施する』
俺は顔を上げた。
「……ベルコ殿」
ベルコが頷いた。
「何だ?」
「この警備について、合意しましたか?」
ベルコは首を振った。
「していない」
俺はガルドを見た。
「ガルド殿は?」
「していない!」
俺は書類を男へ返した。
「こちらの書類では、関係部族との合意が必要になっています」
男は眉をひそめた。
「……だから何だ?」
俺は答えた。
「合意がないなら、少なくともこの書類だけで警備を開始できるのか疑問があります」
男は黙った。
俺は続けた。
「責任者のお名前を伺っても?」
男は少し迷った。
そして答えた。
「ドルカスだ」
「ドルカス殿」
俺は頷いた。
「あなた方は、カルタゴ軍の兵士ですか?」
ドルカスは首を振った。
「違う」
「では、傭兵ですか?」
「そうだ」
俺は頷いた。
「誰と契約していますか?」
ドルカスは答えた。
「バアルハンノ商会だ」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
やはり、そこに繋がった。
だが、まだ確認すべきことがある。
俺は尋ねた。
「あなた方は、以前サグントゥムの近くにいたことがありますか?」
ドルカスの表情が変わった。
ほんの一瞬。
だが、確かに変わった。
「……何の話だ?」
俺は答えた。
「以前、カルタゴの旗を掲げた武装集団が、サグントゥムへ接近しました」
ドルカスは黙った。
俺は続けた。
「その集団も、およそ二百人でした」
ドルカスは低い声で言った。
「知らんな」
俺は頷いた。
「分かりました」
それ以上は追及しなかった。
ここは相手の支配している場所だ。
無理に問い詰めても、よい結果にはならない。
俺は話題を変えた。
「拘束されている荷車隊についてですが」
ドルカスは腕を組んだ。
「通行料を払えば通す」
「御者たちは無事ですか?」
「無事だ」
「確認できますか?」
ドルカスは少し考えた。
そして、部下に合図した。
しばらくすると、荷車隊の御者が一人連れてこられた。
見覚えのある男だった。
マルドの商会で働いている御者だ。
「アドン殿!」
男は驚いた声を上げた。
俺は頷いた。
「怪我はありませんか?」
「はい」
「ほかの皆さんは?」
「無事です」
俺は少し安心した。
「食料は?」
御者は答えた。
「荷車に積んだままです」
俺は頷いた。
「分かりました」
俺はドルカスへ向き直った。
「拘束された荷車隊を返していただけませんか?」
ドルカスは首を振った。
「通行料を払え」
俺は少し考えた。
「銀貨五枚を払えば、通していただけるんですね?」
「そうだ」
「荷車六台なので、銀貨三十枚ですか?」
ドルカスは頷いた。
「そうだ」
俺はメルカルを見た。
メルカルは少し驚いた。
「……払うんですか?」
俺は答えた。
「まず、人と食料を動かすことを優先したい」
メルカルは黙った。
俺は続けた。
「ただし、支払いの記録は残します」
ドルカスが眉をひそめた。
「記録?」
「はい」
俺は答えた。
「誰に、何の名目で、いくら支払ったかを記録します」
ドルカスは不機嫌そうに言った。
「好きにしろ」
俺は銀貨三十枚を用意した。
だが、渡す前に尋ねた。
「受領の記録をいただけますか?」
ドルカスは眉をひそめた。
「面倒なことを言うな」
俺は静かに答えた。
「商人なので、帳簿に残す必要があるんです」
ドルカスは舌打ちした。
そして、部下に蝋板を持ってこさせた。
俺は記録を確認した。
『東の交易路臨時警備費』
荷車六台。
銀貨三十枚。
受領者。
ドルカス。
そして、所属。
バアルハンノ商会契約護衛隊。
俺は頷いた。
「ありがとうございます」
銀貨を渡した。
ドルカスは部下へ合図した。
「荷車を通せ」
しばらくして、荷車六台が動き始めた。
御者たちは疲れた顔をしていた。
だが、怪我人はいない。
食料も残っている。
俺は深く息を吐いた。
「……よかった」
メルカルが尋ねた。
「でも、銀貨三十枚も払ってしまいました」
俺は頷いた。
「そうだね」
「取り返せるんでしょうか?」
俺は少し笑った。
「分からない」
「……」
「でも、少なくとも誰が金を受け取ったのかは記録できた」
メルカルは頷いた。
「はい」
俺は続けた。
「それに、彼らが誰と契約しているかも分かった」
「バアルハンノ商会ですね」
「そう」
俺は頷いた。
「次は、その契約の中身を確認する」
俺たちは荷車隊をベルコの村まで護送した。
そこで御者たちから詳しい話を聞いた。
拘束された日時。
場所。
武装集団の人数。
要求された通行料。
そして、荷物を動かせなくされた経緯。
メルカルが一つずつ記録した。
御者の一人が言った。
「連中は、最初から俺たちが来ることを知っていたみたいでした」
俺は顔を上げた。
「どういうことです?」
「道を塞いでいた場所が、ちょうど俺たちの通る道だったんです」
俺は頷いた。
「ほかの荷車も通る道では?」
「そうですが……」
御者は少し考えた。
「連中は、俺たちが軍へ食料を運んでいることまで知っていました」
俺は眉をひそめた。
「……何?」
「荷札を確認する前から、軍の食料だと言っていたんです」
俺は黙った。
軍の補給予定。
輸送路。
荷車の到着時刻。
以前、そうした情報が漏れていた。
俺は静かに呟いた。
「……また補給情報が漏れているのか」
翌朝。
俺はハミルカル将軍へ報告書を書いた。
武装集団の責任者。
契約商会。
通行料。
拘束された荷車隊。
そして、軍の補給情報を事前に知っていた可能性。
さらに、政府の委託状の写しも添えた。
『本書類には、関係部族との合意を前提とする旨が記載されているが、ベルコおよびガルドは合意していない。
また、通行料の具体的な金額についても記載がない。
したがって、現地で徴収された銀貨五枚の根拠について、確認が必要である。』
俺は封を閉じた。
そして、メルカルに渡した。
「軍営へ送ってくれ」
「分かりました」
だが、その日の午後。
予想外の人物が俺を訪ねてきた。
ドルカスだった。
俺は驚いた。
「……どうされました?」
ドルカスは周囲を確認した。
そして、低い声で言った。
「少し話がある」
俺は警戒した。
「何でしょう?」
ドルカスは答えた。
「お前、昨日の記録を政府へ送るつもりだろう」
俺は頷いた。
「必要な確認をお願いするつもりです」
ドルカスは深く息を吐いた。
「……やっぱりな」
俺は尋ねた。
「何か問題がありますか?」
ドルカスはしばらく黙っていた。
そして言った。
「俺たちは、ただ雇われただけだ」
俺は頷いた。
「そうでしょうね」
「金を払うと言われた」
「はい」
「道を守れと言われた」
「はい」
ドルカスは続けた。
「だが、軍の食料を止めろとは聞いていなかった」
俺は顔を上げた。
「……何?」
ドルカスは低い声で言った。
「最初の契約は、交易路の警備だった」
俺は頷いた。
「はい」
「盗賊を追い払う」
「はい」
「荷車を守る」
「はい」
「それが仕事だった」
俺は静かに尋ねた。
「では、通行料の徴収は?」
ドルカスは答えた。
「後から指示が来た」
「誰から?」
「バアルハンノ商会の代理人だ」
俺は眉をひそめた。
「……名前は?」
ドルカスは少し迷った。
そして答えた。
「サルド」
俺は深く息を吐いた。
「……やはり」
以前、軍営へ抗議に来た男だ。
政府指定商会への移行通知を持っていた人物。
そして、現地商人へ直接納入を止めるよう求めていた人物。
俺は静かに尋ねた。
「サルド殿は、何と指示したんです?」
ドルカスは答えた。
「政府指定商会の許可がない荷車は、通すなと」
俺は眉をひそめた。
「……それだけですか?」
ドルカスは首を振った。
「軍の食料を運ぶ荷車は、特に厳しく確認しろと言われた」
俺は黙った。
俺は尋ねた。
「その指示は、書面で残っていますか?」
ドルカスは頷いた。
「ある」
俺は顔を上げた。
「見せていただけますか?」
ドルカスは懐から一枚の書類を取り出した。
そこには、こう書かれていた。
『政府指定商会への補給体制移行期間中、既存契約に基づく軍需物資の輸送については、指定商会の確認を受けるものとする』
俺は静かに読み進めた。
そして、最後の一文で手が止まった。
『確認が完了するまで、当該物資の移動を停止すること』
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
つまり、軍の食料を止める指示は、存在していた。
だが、それは政府の正式な命令ではなく、バアルハンノ商会の代理人から出されていた。
俺はドルカスを見た。
「この書類は、サルド殿から直接受け取ったんですか?」
ドルカスは頷いた。
「そうだ」
「いつです?」
「三日前だ」
「受け取った場所は?」
「東の街道の宿だ」
俺は頷いた。
「ありがとうございます」
ドルカスは俺を見た。
「……俺たちは盗賊なのか?」
俺は少し考えた。
そして答えた。
「それを決めるのは、俺ではありません」
ドルカスは黙った。
俺は続けた。
「ですが、正当な権限がないのに荷車を止め、金を要求したなら、問題になります」
ドルカスは深く息を吐いた。
「……そうか」
俺は静かに言った。
「ただ、あなた方がどんな指示を受けていたのかは、重要です」
ドルカスは頷いた。
「分かった」
俺はさらに尋ねた。
「ドルカス殿」
「何だ?」
「以前、サグントゥムへ接近した武装集団について、もう一度聞かせてください」
ドルカスの表情が変わった。
俺は続けた。
「カルタゴの旗を掲げた、およそ二百人の集団です」
ドルカスはしばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「……俺たちだ」
俺は息を呑んだ。
「……やはり」
ドルカスは続けた。
「だが、俺たちは攻撃するつもりはなかった」
俺は頷いた。
「では、何のために?」
ドルカスは答えた。
「示威行動だと説明された」
「……示威行動?」
「そうだ」
ドルカスは頷いた。
「カルタゴの軍が近くにいることを、サグントゥムへ知らせるためだと」
俺は眉をひそめた。
「誰からの指示です?」
ドルカスは答えた。
「バアルハンノ商会の代理人だ」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
俺は尋ねた。
「カルタゴ軍の旗は、どこで手に入れたんですか?」
ドルカスは答えた。
「商会が用意した」
「軍の命令書は?」
「見ていない」
「ハミルカル将軍からの指示は?」
「受けていない」
俺は頷いた。
「……分かりました」
ドルカスは続けた。
「俺たちは、都市へ近づいて、旗を見せて、引き返すだけだと聞いていた」
俺は静かに尋ねた。
「では、城壁から矢が放たれたときは?」
ドルカスは顔を曇らせた。
「……あれは予定外だった」
俺は黙った。
ドルカスは続けた。
「先頭の騎手が負傷した」
俺は顔を上げた。
「……その人は?」
「生きている」
俺は少し安心した。
「よかった」
だが、ドルカスは低い声で言った。
「……しかし、あのとき、俺たちは反撃しろと言われていた」
俺は息を呑んだ。
「……誰に?」
ドルカスは答えた。
「商会の連絡役だ」
俺は静かに尋ねた。
「その連絡役は、何と言ったんです?」
ドルカスは答えた。
「サグントゥムが攻撃してきたら、カルタゴ軍として応戦しろ、と」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
つまり、カルタゴ軍を装って都市へ接近する。
都市が警戒する。
矢を放つ。
そして、カルタゴ軍として反撃する。
そうなれば。
サグントゥムは、カルタゴ軍と戦闘になったと思う。
カルタゴ側は、サグントゥムから攻撃されたと思う。
双方が軍事行動を始めれば、戦争になる。
俺は静かに呟いた。
「……最初から、衝突を狙っていた可能性があるのか」
ドルカスは頷いた。
「そうかもしれん」
俺は尋ねた。
「では、なぜ反撃しなかったんです?」
ドルカスはしばらく黙っていた。
そして答えた。
「……俺が止めた」
俺は顔を上げた。
「あなたが?」
ドルカスは頷いた。
「そうだ」
「なぜ?」
ドルカスは低い声で言った。
「俺たちは傭兵だ」
「はい」
「金のために戦う」
「はい」
「だが、誰の戦争かも分からないまま、都市を攻撃するつもりはなかった」
俺は黙った。
ドルカスは続けた。
「それに、あの都市には子供もいる」
俺は静かに頷いた。
「……そうですね」
ドルカスは深く息を吐いた。
「だが、俺は間違えた」
俺は顔を上げた。
「何がです?」
「反撃は止めた」
「はい」
「だが、商会との契約は続けた」
「……」
「その結果、今度は軍の食料を止めることになった」
俺は黙った。
ドルカスは続けた。
「俺たちは道を守るために雇われたはずだった」
「はい」
「なのに、いつの間にか道を塞いでいる」
俺は静かに言った。
「……気づいたんですね」
ドルカスは頷いた。
「そうだ」
俺は少し考えた。
そして尋ねた。
「ドルカス殿。
あなた方の契約書はありますか?」
ドルカスは頷いた。
「ある」
「確認させていただけますか?」
ドルカスは少し迷った。
そして答えた。
「……条件がある」
俺は顔を上げた。
「何でしょう?」
ドルカスは言った。
「部下たちを、全員まとめて罪人扱いしないでほしい」
俺は黙った。
ドルカスは続けた。
「中には、ただ仕事を求めて集まった者もいる」
「はい」
「家族を養うために雇われた者もいる」
俺は頷いた。
「分かります」
「俺が責任者だ」
ドルカスは静かに言った。
「責任を問うなら、まず俺に問え」
俺は深く息を吐いた。
「……その判断は、俺にはできません」
ドルカスは頷いた。
「分かっている」
俺は続けた。
「ですが、誰がどんな指示を出したのか、事実を記録することはできます」
ドルカスは俺を見た。
「……それでいい」
翌日。
ドルカスは、契約書の写しを持ってきた。
俺はメルカルと一緒に確認した。
契約者。
バアルハンノ商会。
受託者。
ドルカス率いる護衛隊。
契約内容。
交易路の警備。
荷車の護衛。
盗賊の排除。
そして、必要に応じた危険情報の収集。
俺は頷いた。
「……普通の護衛契約ですね」
メルカルも頷いた。
「はい」
だが、契約書の末尾に、別紙が添えられていた。
『追加指示書』
俺は眉をひそめた。
内容は、政府指定商会への補給体制移行に伴う特別任務。
軍需物資の輸送確認。
未承認荷車の一時停止。
そして。
『必要に応じて、カルタゴ軍の標識を使用することを認める』
俺は手を止めた。
「……これだ」
メルカルが顔を上げた。
「何がです?」
俺は答えた。
「カルタゴ軍の旗を使う指示だ」
メルカルは息を呑んだ。
「……本当に書いてある」
俺は頷いた。
「そう」
俺は書類の末尾を確認した。
発行者。
バアルハンノ商会。
承認欄。
そこには、政府の印章らしきものが押されていた。
俺は眉をひそめた。
「……また政府の印章か」
メルカルが尋ねた。
「本物なんでしょうか?」
俺は首を振った。
「分からない」
そして続けた。
「ただし、これまでの通知と同じように、正式な承認があったかどうかを確認する必要がある」
メルカルは頷いた。
「はい」
俺は静かに言った。
「政府の印章が本物でも、書類の内容が正式に承認されたとは限らないからね」
俺は契約書の写しを作り、ハミルカル将軍へ送った。
さらに、ハンノへも報告書を書いた。
内容は、武装集団の契約関係。
交易路での通行料徴収。
軍の食料輸送停止。
そして、サグントゥムへの示威行動。
最後に、こう記した。
『ドルカスの証言によれば、護衛隊はバアルハンノ商会の指示により、カルタゴ軍の標識を使用してサグントゥムへ接近した。
また、都市側から攻撃を受けた場合、カルタゴ軍として応戦するよう指示されていたという。
これらの行為について、カルタゴ政府または軍の正式な承認が存在したかどうかは、現時点で確認できていない。』
俺は封を閉じた。
「……これでよし」
数日後。
ハミルカル将軍から返事が届いた。
『アドン。
提出された契約書について確認した。
少なくとも、私の指揮下にある軍から、ドルカスの護衛隊へカルタゴ軍の標識を使用する許可を出した事実はない。
また、サグントゥムへの示威行動を命じた事実もない。
軍の名を用いた行為について、政府へ正式な調査を求める。』
俺は頷いた。
「……よし」
だが、問題はまだ残っていた。
政府の印章。
補給監督室。
アズバル・ハンノンの補佐官。
そして、バアルハンノ商会。
すべてが繋がり始めている。
だが、誰が最終的な指示を出したのかは、まだ分からない。
その日の夕方。
ドルカスが再び訪ねてきた。
今度は、一人ではなかった。
若い男を連れている。
右腕を布で吊っていた。
俺は顔を上げた。
「……その方は?」
ドルカスが答えた。
「サグントゥムで矢を受けた騎手だ」
俺は息を呑んだ。
「……あのときの?」
若い男は頷いた。
「はい」
俺は頭を下げた。
「怪我は大丈夫ですか?」
男は苦笑した。
「まだ痛みますが、生きています」
俺は少し安心した。
「よかった」
だが、男は続けた。
「……アドン殿に、話しておきたいことがあります」
俺は顔を上げた。
「何でしょう?」
若い男は静かに言った。
「俺がサグントゥムへ近づいたのは、ただの偵察ではありません」
俺は眉をひそめた。
「……どういうことです?」
男は答えた。
「都市側へ、書簡を渡すよう命じられていました」
俺は息を呑んだ。
「……書簡?」
男は頷いた。
「はい」
俺は尋ねた。
「誰からの書簡です?」
若い男は答えた。
「カルタゴ政府からだと説明されました」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
だが、男は続けた。
「その書簡には、サグントゥムへ要求する条件が書かれていました」
俺は顔を上げた。
「どんな条件です?」
男は静かに答えた。
「カルタゴ軍の駐留を認めること」
俺は息を呑んだ。
それは、以前俺たちが拒否した、ローマ側の一方的な駐留要求と同じ構造だった。
都市の自主性を奪う条件。
相手がローマでも、カルタゴでも、認めるわけにはいかない。
俺は静かに尋ねた。
「……その書簡は、今どこにありますか?」
若い男は答えた。
「まだ持っています」
そして、懐から一枚の書簡を取り出した。
俺は受け取った。
封には、カルタゴ政府の印章らしきものが押されていた。
俺は慎重に開いた。
そこには、こう書かれていた。
『サグントゥム市は、交易路の安全確保および地域の安定のため、カルタゴ軍の限定的駐留を認めるものとする』
俺は眉をひそめた。
「……やっぱり」
だが、次の一文を読んだ瞬間、背筋が冷たくなった。
『本要求が拒否された場合、カルタゴ政府は必要な措置を講じる権利を留保する』
俺はしばらく動けなかった。
軍の旗を掲げた二百人の武装集団。
サグントゥムへ接近。
都市側が矢を放つ。
そして、カルタゴ軍として反撃するよう指示されていた。
そのうえ、都市に駐留を要求する書簡まで用意されていた。
俺は静かに呟いた。
「……これは、戦争を始めるための仕掛けだったのかもしれない」
メルカルが顔を上げた。
「どういうことです?」
俺は答えた。
「都市が要求を拒否すれば、強硬措置の口実になる」
「……」
「都市が先に矢を放てば、反撃の口実になる」
メルカルは黙った。
俺は続けた。
「どちらに転んでも、軍事衝突へ持ち込める」
俺は書簡を机に置いた。
そして、ドルカスと若い騎手を見た。
「この書簡について、正式に証言していただけますか?」
ドルカスは頷いた。
「構わん」
若い騎手も頷いた。
「俺も話します」
俺は深く息を吐いた。
「ありがとうございます」
そして、決めた。
次に調べるべきことは、一つしかない。
この書簡を作った人物。
政府の印章を使った人物。
そして、サグントゥムへ駐留を要求するよう命じた人物。
俺は静かに呟いた。
「……いよいよ、政府の中を調べるしかないな」
だが、このときの俺には、まだ知る由もなかった。
この書簡が、すでにカルタゴ本国の一部の政治家たちへ配られていたことを。
そして、その政治家たちは――
サグントゥムがカルタゴの要求を拒否したという報告を、すでに受け取っていたのだった。




