第三十一話 戦争の準備に銀貨十万枚が必要だと言われたので、倉庫の中身を数えてみた
カルタゴ本国から届いた父の書簡には、最後に一つだけ、気になる数字が書かれていた。
銀貨十万枚。
ヒスパニア方面の軍需物資を確保するため、政府が支出しようとしている金額だ。
俺は書簡を机に置いた。
「……十万枚か」
メルカルが隣から覗き込む。
「ずいぶん大きな金額ですね」
「そうだね」
「軍の食料や武器を買うんですよね?」
「そういう説明になっている」
俺は頷いた。
「でも、何をどれだけ買うのかが分からない」
メルカルは首を傾げた。
「金額だけ決まっているんですか?」
「正確には、十万枚を上限とする買い取り枠を作るらしい」
「ほう」
「だけど、その金額が妥当かどうか判断するには、肝心なものが足りない」
「何です?」
俺は答えた。
「在庫表だよ」
戦争の準備には金がかかる。
それは間違いない。
兵士には食料が必要だ。
馬には飼料が必要だ。
武器は壊れる。
盾も傷む。
荷車の車輪は割れるし、船の帆は破れる。
必要な物資を買うこと自体に問題はない。
だが。
必要な数量を確認せずに、大量の物資を買い取るのは別の話だ。
俺は机の上に三枚の紙を並べた。
一枚目には、軍が保有している物資。
二枚目には、今後必要になる物資。
三枚目には、民間商会が保有している物資。
「本来は、この三つを比べる必要がある」
メルカルが頷いた。
「はい」
「軍に十分な在庫があるなら、急いで買う必要はない」
「そうですね」
「不足しているなら、その分を買えばいい」
「はい」
「それなのに、政府の提案書には、商会から買い取る金額ばかり書かれている」
メルカルは眉をひそめた。
「……変ですね」
俺は頷いた。
「そうなんだ」
そして、父の書簡をもう一度見た。
提案者はアズバル・ハンノン。
買い取り対象の商会には、バアルハンノ商会が含まれている。
偶然かもしれない。
だが、偶然にしては都合がよすぎる。
俺はすぐに父へ返事を書いた。
『買い取り案について、次の資料を確認してほしい。
軍の現在庫。
今後の補給予定。
買い取り対象となる物資の数量と単価。
そして、対象商会の選定方法。
特に、バアルハンノ商会の在庫がどのように評価されているか確認したい。』
書き終えると、メルカルに渡した。
「次のカルタゴ行きの船で送ってくれ」
「分かりました」
俺は続けた。
「それと、こちらでも調べる」
「何をです?」
「バアルハンノ商会が、どれだけ物資を持っているのか」
メルカルが驚いた。
「商会の倉庫を調べるんですか?」
「勝手には入れないよ」
俺は笑った。
「でも、商人なら分かることもある」
翌日。
俺はネロンを訪ねた。
「少しお願いがあります」
ネロンは笑った。
「また何か調べるんですか?」
「はい」
「今度は何を?」
「バアルハンノ商会の倉庫です」
ネロンの笑顔が消えた。
「……また、あの商会ですか」
俺は頷いた。
「そうです」
ネロンは深く息を吐いた。
「今度は何をしたんです?」
「まだ、何かしたと決まったわけではありません」
俺は答えた。
「ただ、大量の軍需物資を保有しているらしいんです」
ネロンは頷いた。
「それなら聞いています」
「どれくらいです?」
「かなりの量ですよ」
俺は身を乗り出した。
「詳しく教えてください」
ネロンは港の地図を広げた。
「バアルハンノ商会は、この半年で倉庫を三つ増やしました」
俺は眉をひそめた。
「三つも?」
「はい」
ネロンは場所を指差した。
「一つは港の近く」
「はい」
「一つは北の街道沿い」
「はい」
「もう一つは内陸へ向かう交易路の途中です」
俺は考え込んだ。
港。
街道。
内陸。
どれも輸送には便利な場所だ。
「何を保管しているか分かりますか?」
ネロンは答えた。
「穀物、鉄材、木材、革製品などです」
「数量は?」
「正確には分かりません」
俺は頷いた。
「当然ですね」
他人の倉庫の在庫を、簡単に知ることはできない。
だが。
「倉庫に入った荷物の記録なら、確認できるかもしれませんね」
ネロンが顔を上げた。
「港の記録ですか?」
俺は頷いた。
「そうです」
俺たちはエルダンを訪ねた。
港の管理者である彼は、最近すっかり俺の顔を覚えてしまったらしい。
「アドン殿」
「こんにちは」
「今度は何だ?」
俺は苦笑した。
「倉庫の話です」
エルダンは天井を見上げた。
「……君が来るたびに、面倒な話になるな」
「すみません」
「謝るくらいなら、普通の交易の話を持ってきてくれ」
「次はそうします」
「信用できん」
俺は笑った。
だが、エルダンはすぐに真剣な表情になった。
「それで?」
俺は説明した。
バアルハンノ商会が大量の軍需物資を保有していること。
カルタゴ政府が買い取りを検討していること。
そして、在庫数量を確認したいこと。
エルダンは腕を組んだ。
「港に入った貨物の記録はある」
俺は頷いた。
「はい」
「だが、倉庫の現在庫とは違うぞ」
「分かっています」
俺は答えた。
「入った物資が、すでに売られている可能性もありますから」
エルダンは頷いた。
「そのとおりだ」
俺たちは港の記録を確認した。
穀物。
鉄材。
木材。
革製品。
馬具。
保存食。
バアルハンノ商会は、確かに大量の物資を受け入れていた。
メルカルが数量を書き写していく。
「……すごい量ですね」
俺は頷いた。
「そうだね」
「これだけあれば、軍の補給にかなり使えそうです」
「そうだね」
だが、俺は一つの記録で手を止めた。
「……あれ?」
メルカルが顔を上げる。
「どうしました?」
俺は記録を指差した。
「この穀物、同じ数量が二度記録されている」
メルカルが覗き込む。
「本当ですね」
俺は頷いた。
「ただし、同じ荷物とは限らない」
「そうですね」
「船の名前を確認しよう」
二つの記録には、異なる日付が書かれていた。
一つ目。
港への到着。
二つ目。
別の倉庫への移送。
俺は眉をひそめた。
「……ほう」
メルカルが尋ねた。
「何か分かりました?」
俺は答えた。
「これは、同じ穀物を二回数えている可能性がある」
メルカルは驚いた。
「……二回?」
「そう」
俺は頷いた。
「最初に港へ入ったときに一回」
「はい」
「倉庫へ移したときに、もう一回」
メルカルは考え込んだ。
「でも、実際の穀物は一回分しかないですよね?」
「そのとおり」
俺は静かに言った。
「もし、両方を在庫として計上していたら、実際より多く見える」
俺はさらに記録を調べた。
すると、似たような例が複数見つかった。
港から倉庫へ。
倉庫から別の倉庫へ。
そして、内陸の保管場所へ。
同じ物資が、移動するたびに記録されている。
もちろん、輸送記録としては正常だ。
問題は、それを在庫数量として扱っている場合だ。
俺はメルカルに言った。
「この記録だけで、商会が在庫を水増ししているとは言えない」
メルカルが頷いた。
「はい」
「でも、政府の買い取り対象の数量と照合する必要がある」
「ほう」
俺は静かに言った。
「……同じ物資を二度買わされるようなことがあれば、大問題だからね」
その日の夕方。
俺たちは倉庫の近くを歩いていた。
もちろん、勝手に中へ入るつもりはない。
だが、出入りする荷車を見れば、ある程度の動きは分かる。
大きな倉庫の前には、荷車が何台も並んでいた。
男たちが袋を運んでいる。
俺は少し離れた場所から見ていた。
「……忙しそうですね」
メルカルが言った。
「そうだね」
「何を運んでいるんでしょう?」
「穀物かな」
俺は答えた。
袋の形からすると、穀物らしい。
だが、断定はできない。
そのとき。
一台の荷車が倉庫から出てきた。
俺は何気なく荷車を見た。
そして、眉をひそめた。
「……あれ?」
メルカルが尋ねる。
「どうしました?」
俺は荷車の側面を指差した。
「この印、見覚えがある」
メルカルが目を凝らした。
そこには、軍の補給物資に使われる印があった。
俺は静かに呟いた。
「……軍の物資?」
俺はすぐに倉庫の責任者へ話を聞こうとした。
だが、門番に止められた。
「関係者以外は入れない」
俺は頷いた。
「承知しています」
「何の用だ?」
「軍の印が付いた荷車を見かけたので、確認したかったんです」
門番は眉をひそめた。
「知らん」
俺は頷いた。
「分かりました」
無理に入るわけにはいかない。
俺たちはその場を離れた。
メルカルが小声で言った。
「……怪しいですね」
俺は首を振った。
「まだ分からない」
「ですが、軍の印が」
「軍の物資を民間商会が運ぶこと自体は、珍しくない」
俺は答えた。
「問題は、正式な契約に基づく輸送かどうかだよ」
翌日。
俺はネロンに相談した。
「軍の印が付いた荷車について、確認できる方法はありますか?」
ネロンは考え込んだ。
「港の記録だけでは難しいですね」
「そうですか」
「ですが、輸送契約を結んだ商人なら、何か知っているかもしれません」
俺は頷いた。
「ほう」
ネロンは続けた。
「この辺りの運送業者には、知り合いがいます」
俺は少し笑った。
「助かります」
数日後。
ネロンの紹介で、一人の運送業者に会うことができた。
名前はダルコ。
四十歳ほどの男だった。
彼は俺を見ると、少し警戒した。
「……カルタゴの商人か」
俺は頷いた。
「はい」
「何を聞きたい?」
俺は答えた。
「バアルハンノ商会の輸送についてです」
ダルコは眉をひそめた。
「……あの商会か」
俺は頷いた。
「最近、大量の物資を運んでいると聞きました」
「そうだな」
「軍の物資もありますか?」
ダルコは少し考えた。
「……ある」
俺は顔を上げた。
「本当ですか?」
「軍の印が付いた袋や木箱を運ぶことがある」
俺は頷いた。
「ほう」
「だが、それが何だ?」
俺は答えた。
「正式な輸送なのか確認したいんです」
ダルコは首を振った。
「俺は荷物を運ぶだけだ」
俺は頷いた。
「そうですよね」
だが、ダルコは続けた。
「ただ、変なことはあった」
俺は顔を上げた。
「変なこと?」
「同じ荷物を、何度も運ばされた」
俺は眉をひそめた。
「……何度も?」
ダルコは頷いた。
「港の倉庫から北の倉庫へ」
「はい」
「北の倉庫から内陸の倉庫へ」
「はい」
「そして、また港の倉庫へ戻す」
俺は黙った。
メルカルが驚いた。
「……戻すんですか?」
ダルコは頷いた。
「そうだ」
俺は尋ねた。
「理由は聞きましたか?」
ダルコは肩をすくめた。
「保管場所の都合だと言われた」
俺は考え込んだ。
倉庫の容量調整なら、あり得ない話ではない。
だが、何度も同じ荷物を移動させるのは、輸送費の無駄だ。
俺は尋ねた。
「そのたびに、輸送記録は作られましたか?」
ダルコは頷いた。
「当然だ」
俺は静かに言った。
「……ほう」
その夜。
俺は机の上に輸送記録を並べた。
同じ荷物。
複数の倉庫。
繰り返される移送。
そして、政府による買い取り案。
俺は考え込んだ。
もし、移送のたびに物資の数量が新しく記録されていたら。
実際の在庫より、多く見える可能性がある。
さらに、輸送費も発生する。
つまり、同じ物資を何度も動かすことで、帳簿上の取引額を増やせる。
俺は静かに呟いた。
「……ほう」
メルカルが尋ねた。
「何か分かりました?」
俺は答えた。
「同じ荷物を動かすだけで、金が動く仕組みになっている可能性がある」
メルカルは顔を上げた。
「……そんなことが?」
俺は頷いた。
「もちろん、まだ証拠は足りない」
そして続けた。
「でも、調べる価値はある」
そのとき。
ネロンが入ってきた。
「アドン殿!」
「どうしました?」
ネロンは一枚の書簡を差し出した。
「カルタゴから知らせが届きました」
俺は受け取った。
差出人は父だった。
俺は封を開いた。
『アドン。
政府の買い取り案について、ハンノ殿が審議の延期を求めている。
だが、アズバル・ハンノンは緊急性を理由に、早期承認を主張している。
買い取り予定額は、銀貨十二万枚に増額された。』
俺は眉をひそめた。
「……増えた?」
メルカルが驚いた。
「十万枚じゃなかったんですか?」
「そうだったはずなんだけど」
俺は続きを読んだ。
『増額の理由は、ヒスパニア方面の軍需物資不足に対応するためだという。
ただし、軍の現在庫との照合は、まだ完了していない。』
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
在庫を確認する前に、買い取り金額が増えている。
これは、かなり危険だ。
俺はすぐに父へ返事を書いた。
『買い取り案の承認前に、少なくとも以下の確認が必要だと考える。
一、軍の現在庫と必要数量の照合。
二、商会の実在庫の確認。
三、同じ物資が複数回計上されていないかの確認。
四、買い取り価格が通常の市場価格と比較して妥当かどうか。
五、対象商会の選定理由。
特に、倉庫間移送の記録を在庫数量として重複計上していないか確認してほしい。』
俺は書簡を閉じた。
そして、メルカルに渡した。
「次の船で送ってくれ」
「分かりました」
だが、問題は時間だった。
カルタゴ政府の審議は進んでいる。
俺たちの調査結果が届く前に、買い取り案が承認される可能性がある。
俺は考え込んだ。
「……まずいな」
メルカルが尋ねた。
「どうします?」
俺は答えた。
「もっと早く、確実な証拠が必要だ」
「確実な証拠?」
「そう」
俺は頷いた。
「同じ物資が何度も計上されていることを示す記録だ」
翌日。
俺はダルコを再び訪ねた。
「以前の輸送記録を確認させてもらえませんか?」
ダルコは眉をひそめた。
「……何のためだ?」
俺は答えた。
「同じ荷物が何度も運ばれているか確認したいんです」
ダルコは考え込んだ。
「……俺の記録か?」
「はい」
「商会の秘密もある」
俺は頷いた。
「もちろん、無理にとは言いません」
ダルコはしばらく黙っていた。
そして言った。
「……一部なら見せてもいい」
俺は顔を上げた。
「本当ですか?」
「ただし、俺の名前を勝手に出すな」
俺は頷いた。
「約束します。
正式な証言が必要になった場合は、改めて相談します」
ダルコは古い輸送記録を持ってきた。
俺とメルカルは、一枚ずつ確認した。
すると。
同じ荷札番号が、複数の輸送記録に登場していた。
俺は指差した。
「……これだ」
メルカルが覗き込む。
「同じ番号ですね」
「そう」
俺は頷いた。
「港の倉庫から北の倉庫へ」
「はい」
「北の倉庫から内陸の倉庫へ」
「はい」
「そして、内陸の倉庫から港へ戻っている」
メルカルは深く息を吐いた。
「……本当に戻っていますね」
俺は頷いた。
「そうだね」
さらに、数量を確認した。
穀物百袋。
最初の輸送記録にも百袋。
次の記録にも百袋。
さらに、その次の記録にも百袋。
俺は静かに言った。
「実際には百袋でも、輸送記録には三百袋分の動きが残る」
メルカルが頷いた。
「はい」
「これ自体は、輸送記録として正常だ」
「そうですね」
「でも、もし政府の買い取り資料に三百袋と書かれていたら?」
メルカルは顔を上げた。
「……二百袋分、多くなります」
俺は頷いた。
「そのとおり」
俺はさらに記録を調べた。
すると、同じような荷札番号が、ほかにも見つかった。
穀物。
鉄材。
革製品。
何度も移送されている。
俺は深く息を吐いた。
「……これは、かなり大きいな」
メルカルが尋ねた。
「政府へ報告しますか?」
俺は答えた。
「もちろん」
そして続けた。
「ただし、政府の買い取り資料と照合する必要がある」
メルカルは頷いた。
「はい」
俺は静かに言った。
「そこまで確認できれば、かなり強い証拠になる」
その日の夕方。
俺たちはエルダンのもとへ向かった。
港の記録とダルコの輸送記録を照合するためだ。
エルダンは資料を見ると、眉をひそめた。
「……同じ荷札番号か」
俺は頷いた。
「はい」
エルダンは記録を確認した。
そして、静かに言った。
「確かに、同じ荷物が複数の倉庫を移動している」
俺は頷いた。
「そうですね」
「だが、これだけでは不正とは言えない」
「分かっています」
俺は答えた。
「問題は、政府の買い取り対象として、どう計上されているかです」
エルダンは考え込んだ。
「……ほう」
そのとき。
エルダンの部下が入ってきた。
「エルダン様」
「何だ?」
「バアルハンノ商会から、倉庫の在庫証明を求める申請が出ています」
俺は顔を上げた。
「……在庫証明?」
エルダンが頷いた。
「そうだ」
部下は続けた。
「カルタゴ政府へ提出するためだそうです」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
まさに、今調べているものだ。
エルダンは申請書を確認した。
そして、眉をひそめた。
「……これは」
俺は尋ねた。
「どうしました?」
エルダンは答えた。
「申請された在庫数量が、港の記録と合わない」
俺は顔を上げた。
「どれくらい違うんです?」
エルダンはしばらく計算した。
そして、静かに言った。
「……穀物だけで、かなり多い」
俺は深く息を吐いた。
「……やっぱり」
だが、エルダンは首を振った。
「まだ断定はできない」
俺は頷いた。
「はい」
「港を通らず、内陸から入った物資もあるかもしれない」
「そのとおりです」
俺は答えた。
「だから、実地確認が必要ですね」
エルダンは考え込んだ。
そして言った。
「……正式な申請が出ている以上、確認することはできる」
俺は顔を上げた。
「本当ですか?」
エルダンは頷いた。
「ただし、商会の立ち会いが必要だ」
「もちろんです」
翌日。
港の管理者エルダンは、バアルハンノ商会へ在庫確認の日程を通知した。
商会側は、最初は難色を示した。
だが、政府へ提出する在庫証明を求めている以上、確認を拒むことは難しい。
数日後。
正式な立ち会いのもと、倉庫の確認が行われることになった。
俺は、商人側の参考人として参加を認められた。
もちろん、勝手に倉庫を調べる権限はない。
エルダンの指示に従い、記録の照合を手伝うだけだ。
倉庫の扉が開いた。
中には、大量の袋と木箱が積まれていた。
俺は思わず呟いた。
「……すごい量だな」
メルカルが頷いた。
「はい」
だが、数え始めると、すぐに問題が見つかった。
申請書には、穀物五千袋と書かれている。
しかし、倉庫内にある穀物は、それより少ない。
俺はエルダンに報告した。
「申請数量と一致しません」
エルダンは頷いた。
「確認している」
商会の責任者が慌てて言った。
「別の倉庫にもあります!」
俺は頷いた。
「では、そちらも確認する必要がありますね」
責任者は黙った。
次の倉庫へ向かった。
そこにも、大量の物資が保管されていた。
だが、荷札番号を確認すると、見覚えのある番号が出てきた。
俺はメルカルを呼んだ。
「これを見て」
メルカルが覗き込む。
「……同じ番号ですね」
俺は頷いた。
「そう」
港の倉庫で確認した荷札番号と同じだった。
俺はエルダンに報告した。
「同じ荷札番号が、別の倉庫の在庫表にも記載されています」
エルダンは眉をひそめた。
「……何?」
商会の責任者が慌てて言った。
「それは移送予定の記録です!」
俺は頷いた。
「その可能性はあります」
そして続けた。
「ですが、政府へ提出する在庫証明では、同じ物資を二度計上しないようにする必要があります」
エルダンは静かに頷いた。
「そのとおりだ」
確認は夕方まで続いた。
すべての倉庫を調べ終えたわけではない。
だが、少なくとも一部の物資について、在庫表に重複があることは確認できた。
エルダンは正式な記録を作成した。
そして、商会側へ訂正を求めた。
俺は深く息を吐いた。
「……これで、少しは進んだな」
メルカルが頷いた。
「はい」
だが、問題はまだ残っている。
カルタゴ政府の買い取り案だ。
もし、訂正前の在庫表を使って買い取りが決まれば。
実際には存在しない物資に対して、国庫から金が支払われる可能性がある。
俺は静かに言った。
「……急いでカルタゴへ知らせよう」
その夜。
俺は父とハンノへ報告書を書いた。
港の記録。
輸送記録。
倉庫の在庫表。
そして、実地確認で見つかった重複。
すべてを整理した。
最後に、こう書いた。
『今回の確認では、一部の物資について、同じ荷札番号が複数の在庫表に記載されていることが判明した。
現時点で商会全体の不正を断定することはできないが、政府の買い取り対象数量については、独立した確認が必要である。
少なくとも、確認が終わるまでは、対象物資の買い取り価格と数量を確定するべきではないと考える。』
俺は封を閉じた。
そして、メルカルに渡した。
「最も早くカルタゴへ向かう船を探してくれ」
「分かりました!」
数日後。
カルタゴ本国から新しい知らせが届いた。
俺は封を開いた。
差出人は父だった。
『アドン。
政府の買い取り案について、審議が進んでいる。
ハンノ殿は在庫確認の必要性を主張しているが、アズバル・ハンノンは緊急性を理由に早期承認を求めている。
なお、買い取り対象となる物資の一覧が、一部の商会へ事前に渡されていたことが分かった。』
俺は眉をひそめた。
「……事前に?」
続きを読んだ。
『その一覧には、政府が優先的に購入する予定の物資と、想定価格が記載されている。』
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
政府が何を、いくらで買うつもりなのか。
それを事前に知っていれば。
商会は安く仕入れ、高く売ることができる。
しかも、政府が買うと分かっているなら、売れ残る危険も小さい。
俺は静かに呟いた。
「……これは、在庫の問題だけじゃないな」
メルカルが尋ねた。
「どういうことです?」
俺は答えた。
「政府の買い取り情報そのものが、商人に利益を与えている可能性がある」
メルカルは顔を上げた。
「……そんな」
俺は頷いた。
「そして、その情報を誰が渡したのかが問題だ」
俺は書簡の最後を読んだ。
そこには、こう書かれていた。
『さらに、政府の買い取り予定価格が、通常の市場価格より大幅に高く設定されている物資がある。
ハンノ殿は、その根拠について説明を求めている。』
俺は深く息を吐いた。
「……価格までか」
メルカルが尋ねた。
「どうします?」
俺は答えた。
「次は、価格を調べる」
「価格ですか?」
「そう」
俺は頷いた。
「同じ物資を、政府がいくらで買おうとしているのか」
そして、静かに続けた。
「市場では、いくらで売られているのか」
メルカルは頷いた。
「ほう」
俺は少し笑った。
「商人の仕事らしくなってきたね」
だが、このときの俺には、まだ知る由もなかった。
政府の買い取り予定価格が高く設定されていた理由は、単なる商会への利益供与だけではなかったことを。
その価格には、ある特別な費用が上乗せされていた。
『ヒスパニア方面安全保障協力費』
そして、その費用の支払先には――ローマ方面の商会の名前が記載されていたのだった。




