第二十四話 軍の補給情報が漏れていたので、偽の輸送予定を流してみた
ハミルカル将軍からの書簡を読んだ翌朝。
俺は、父の商会の帳簿をすべて調べ直していた。
穀物の輸送記録。
船の出港日。
港への到着予定。
積み荷の数量。
そして、軍への納入記録。
「……おかしいな」
俺は思わず呟いた。
隣にいたメルカルが顔を上げる。
「何がですか?」
「襲撃されそうになった補給船のことだよ」
「はい」
「将軍の書簡には、船が到着する前から不審な船が待ち伏せしていたと書かれている」
メルカルは頷いた。
「そうですね」
俺は帳簿を指差した。
「でも、この船の到着予定は途中で変更されているんだ」
「変更?」
「そう」
俺は二枚の記録を並べた。
当初の到着予定日。
変更後の到着予定日。
その間には、三日の差があった。
「天候の影響で出港が遅れたんだ」
メルカルが頷いた。
「記録にありますね」
俺は続けた。
「ところが、不審な船が現れたのは変更後の到着予定日だった」
メルカルの表情が変わった。
「……つまり?」
「古い予定を知っていただけでは、待ち伏せできない」
俺は静かに言った。
「変更後の予定を知っていた人間がいる」
俺たちは、変更後の輸送予定が誰に伝えられたのか調べた。
最初に連絡を受けたのは、船長。
次に、港の管理者。
そして、父の商会。
さらに、ヒスパニア方面の軍の補給担当者。
俺は一覧を作った。
「……思ったより多いな」
メルカルが頷いた。
「はい」
「この中の誰かが漏らしたとは限らない」
「そうなんですか?」
俺は答えた。
「連絡を受けた人が、別の人へ伝えた可能性もあるからね」
「ほう」
俺は深く息を吐いた。
情報漏洩の調査は難しい。
誰かが情報を知っていたというだけでは、犯人にはならない。
その人が、どこへ情報を伝えたのか。
それを確認する必要がある。
その日の午後。
俺はハンノを訪ねた。
「軍の補給情報が漏れている可能性について、相談があります」
ハンノは険しい表情になった。
「報告は受けている」
俺は頷いた。
「では、監査官たちが閲覧した資料について確認させてください」
ハンノは書類を取り出した。
「こちらだ」
俺は受け取った。
閲覧記録。
資料の写し。
そして、別の部署へ送られた記録。
俺は一つずつ確認した。
だが、気になることがあった。
「……将来の輸送予定は、提出していないはずですが」
ハンノは頷いた。
「そのとおりだ」
「では、今回の変更後の予定を、監査官たちは知らなかった可能性がありますね」
ハンノは少し考えた。
「……そうなるな」
俺は頷いた。
「つまり、監査官だけを疑うのは危険です」
ハンノは俺を見た。
「君は、別の情報源があると考えているのか?」
「可能性があります」
俺は答えた。
「軍の内部も含めて、調べる必要があると思います」
ハンノは静かに頷いた。
「……分かった」
数日後。
ハミルカル将軍から、新しい書簡が届いた。
そこには、補給情報の管理状況について詳しく書かれていた。
軍の補給予定は、複数の担当者が確認する。
港への連絡。
船舶の手配。
倉庫の準備。
部隊への配送。
それぞれに担当者がいる。
俺は記録を読みながら考えた。
「……これだけ人が関われば、情報を完全に隠すのは難しいな」
メルカルが頷いた。
「そうですね」
俺は続けた。
「でも、漏れた場所を絞り込む方法はある」
メルカルが顔を上げた。
「どんな方法ですか?」
俺は紙を取り出した。
そして、三つの輸送予定を書いた。
「……例えば、同じ内容を少しだけ変えて伝える」
メルカルは首を傾げた。
「少しだけ?」
「そう」
俺は頷いた。
「担当者ごとに、異なる予定を伝えるんだ」
メルカルは驚いた。
「……そんなことをして大丈夫なんですか?」
俺は答えた。
「もちろん、本物の輸送予定を勝手に変更するわけじゃない」
そして続けた。
「軍の許可を得て、調査用の情報を流す」
メルカルは考え込んだ。
「……ほう」
俺は静かに言った。
「もし、特定の予定に合わせて不審な動きが起きれば、その情報が漏れた経路を絞り込める」
俺はハミルカル将軍へ提案書を送った。
内容は、情報漏洩経路の調査方法。
ただし、条件を付けた。
実際の補給に影響を与えないこと。
調査対象者を必要以上に増やさないこと。
偽の予定によって商人や住民に損害を与えないこと。
そして、結果だけで犯人を断定しないこと。
俺は最後に書いた。
『偽の情報に反応した者がいたとしても、それだけで内部協力者を特定できるわけではありません。
その後の伝達経路を確認する必要があります。』
数日後。
ハミルカル将軍から返事が届いた。
『提案を認める。
軍の補給担当者に協力させる。
ただし、調査の指揮は軍が行う。
アドン殿には、商会側の記録確認を依頼する。』
俺は頷いた。
「……よし」
メルカルが尋ねた。
「始めるんですか?」
俺は答えた。
「うん」
そして続けた。
「ただし、俺たちは軍人じゃない」
「はい」
「実際の調査は、将軍たちに任せよう」
調査は、ヒスパニア方面の軍で行われた。
軍の補給担当者たちは、三つの異なる輸送予定を用意した。
どれも、実際には行われない輸送だ。
ただし、形式は本物の予定表と同じだった。
一つ目。
沿岸の港へ、穀物を運ぶ予定。
二つ目。
内陸部の補給拠点へ、鉄材を運ぶ予定。
三つ目。
別の港へ、保存食を運ぶ予定。
それぞれの予定は、異なる担当部署へ伝えられた。
そして、軍は周辺の動きを監視した。
数日後。
最初の報告が届いた。
一つ目の予定については、特に異常なし。
二つ目も同じ。
だが、三つ目。
保存食を運ぶ予定とされた港の近くで、不審な船が確認された。
俺は報告書を読んだ。
「……反応があったか」
メルカルが顔を上げた。
「三つ目ですね」
俺は頷いた。
「そう」
「では、三つ目の担当者が犯人ですか?」
俺は首を振った。
「まだ分からない」
メルカルは首を傾げた。
俺は説明した。
「その担当者が、別の人へ情報を伝えた可能性がある」
「……」
「あるいは、書類を盗み見た人がいるかもしれない」
メルカルは頷いた。
「ほう」
俺は続けた。
「だから、伝達経路を確認する必要があるんだ」
さらに数日後。
軍から追加の報告が届いた。
三つ目の予定は、軍の補給担当部署から港の管理担当者へ伝えられていた。
その後、輸送船を手配する商会にも伝えられた。
俺は記録を確認した。
「……商会?」
メルカルが頷いた。
「はい」
「どこの商会?」
メルカルは書類を見た。
そして、表情を変えた。
「……バアルハンノ商会です」
俺は黙った。
また、その名前か。
ただし、ここでも断定はできない。
バアルハンノ商会は、軍の輸送契約を一部担当している。
そのため、輸送予定を知っていても不自然ではない。
俺は静かに言った。
「……次は、その商会の中で誰が情報を受け取ったのか調べる必要があるな」
軍の調査が進んだ。
バアルハンノ商会では、輸送予定を受け取った担当者が三人いた。
一人は、船舶手配担当。
一人は、港湾調整担当。
そして、もう一人は、軍との連絡担当。
俺は報告書を確認した。
「……三人か」
メルカルが頷いた。
「はい」
俺は続けた。
「この三人のうち、誰が情報を外へ伝えたのか」
メルカルは尋ねた。
「また別の予定を流しますか?」
俺は少し考えた。
「それも方法だけど、今回は別の確認が必要だと思う」
「何です?」
俺は答えた。
「実際に不審な船が、誰の指示で動いたのか調べること」
メルカルは頷いた。
「ほう」
俺は続けた。
「情報を漏らした人間だけでなく、情報を利用した人間もいるはずだからね」
その日の夕方。
ハミルカル将軍から新しい書簡が届いた。
そこには、不審な船についての調査結果が書かれていた。
船は、表向きには民間の交易船だった。
だが、航海記録に不自然な点があった。
通常の交易路から外れている。
港へ入らず、沖合で待機していた。
さらに、周辺の漁師たちからも目撃証言が出ていた。
俺は深く息を吐いた。
「……かなり怪しいな」
だが、決定的な証拠はまだない。
俺は続けて読んだ。
すると、最後に気になる記述があった。
『当該船舶は、バアルハンノ商会の関係者が手配した可能性がある。』
俺は眉をひそめた。
「……また商会か」
翌日。
俺はハンノへ報告した。
ハンノは険しい表情で話を聞いていた。
「……軍の情報が、商会を通じて外へ漏れた可能性があるのか」
俺は頷いた。
「はい」
「証拠は?」
「まだ調査中です」
ハンノは考え込んだ。
「……ほう」
俺は続けた。
「ただし、少なくとも情報管理の仕組みに問題があります」
ハンノは頷いた。
「そうだな」
俺は提案した。
「軍の補給情報は、必要な人にだけ伝えるようにするべきです」
「具体的には?」
俺は答えた。
「輸送を担当する商会には、必要な積み荷と日時だけを伝える」
「……」
「部隊の配置や、全体の補給計画は伝えない」
ハンノは頷いた。
「確かに」
俺は続けた。
「さらに、誰がどの情報を受け取ったか記録する」
「……」
「そうすれば、情報が漏れたときに調べやすくなります」
ハンノは少し笑った。
「……また記録か」
俺も笑った。
「はい」
数日後。
軍の補給情報管理について、新しい規則が検討されることになった。
必要な情報だけを共有する。
閲覧者を記録する。
輸送予定の変更も記録する。
そして、商会へ渡す情報の範囲を制限する。
俺は少し安心した。
だが、問題はまだ終わっていなかった。
その日の夜。
俺のもとに、ヒスパニア方面から急使が届いた。
差出人は、ハミルカル将軍。
俺はすぐに封を開いた。
そこには、短い文章が書かれていた。
『アドン殿。
情報漏洩の調査に進展があった。
バアルハンノ商会の軍連絡担当者が、軍内部の人物と密かに接触していたことが確認された。
その人物は、軍の補給計画を扱う立場にある。
現在、軍として調査を進めている。
ただし、まだ拘束はしていない。
関係者に警戒されることを避けるためだ。』
俺は深く息を吐いた。
「……軍の内部か」
メルカルが尋ねた。
「どうしました?」
俺は答えた。
「軍の補給担当者が、商会の人間と密かに会っていたらしい」
メルカルの顔色が変わった。
「……それは」
俺は頷いた。
「ただし、会っていたことだけでは不正とは言えない」
そして、書簡の最後を読んだ。
そこには、さらに重要なことが書かれていた。
『なお、接触していた軍内部の人物について、身元を確認した。
その人物は、補給担当将校の一人である。
名前は――』
俺は、そこで手を止めた。
そして、ゆっくりと続きを読んだ。
『アズルバル』
俺は息を呑んだ。
アズルバル。
以前、ハミルカル将軍のもとで何度も顔を合わせた将校だ。
補給業務にも関わっていた人物。
そして、俺が軍の食料不足を調べたときにも協力してくれた。
俺は静かに呟いた。
「……まさか、あの人が?」
だが、まだ分からない。
本当に情報を漏らしたのか。
それとも、別の理由で商会の人間と会っていたのか。
俺は書簡を握りしめた。
そして、深く息を吐いた。
「……これは、慎重に調べないといけないな」
なぜなら。
もしアズルバルが本当に関与していたなら。
問題は、単なる商会の不正では済まない。
ハミルカル将軍の軍隊そのものが、内部から利用されている可能性があるのだから。




