第二十二話 戦争で儲ける商人を止めようとしたら、カルタゴ政府まで敵になった
翌朝。
俺は机の上に帳簿を並べていた。
バアルハンノ商会の内部帳簿。
サグントゥムの港湾契約書。
軍需物資の供給契約。
そして、商隊襲撃事件の調査記録。
どれも、一つだけなら説明がつくかもしれない。
だが、すべてを並べると、ある構図が浮かび上がってくる。
都市の不安を煽る。
軍備を拡張させる。
高額な物資を信用取引で売る。
都市に借金を負わせる。
返済できなくなれば、港や交易路の使用権を取得する。
「……よく考えたものだな」
俺は思わず呟いた。
商売としては、非常に巧妙だ。
ただし、決定的な問題がある。
この仕組みは、都市同士の対立が深まるほど利益を生みやすい。
そして、その対立が戦争に発展すれば。
カルタゴそのものが危険にさらされる。
俺は帳簿を閉じた。
「……止めるしかないな」
「アドン様」
メルカルが心配そうに声をかけた。
「本当に、カルタゴ本国へ報告するんですか?」
俺は頷いた。
「もちろん」
「ですが、相手はバアルハンノ商会ですよ?」
「そうだね」
「しかも、政治家まで関わっているんですよね?」
俺は苦笑した。
「だからこそ、正式な調査が必要なんだ」
メルカルは黙った。
俺は続けた。
「ただし、今回は慎重に進める」
「慎重に?」
「帳簿だけを持っていって、全員を犯人扱いするわけにはいかない」
メルカルは首を傾げた。
「どうしてです?」
俺は答えた。
「帳簿に名前があるだけでは、不正に関わった証拠にならないからだよ」
「……ほう」
「それに、帳簿そのものが正しいかも確認する必要がある」
メルカルは頷いた。
「分かりました」
俺は紙を取り出した。
そして、三つの項目を書いた。
一つ。
資金の流れ。
二つ。
契約の内容。
三つ。
実際に行われた行為。
「この三つを照合する」
俺は言った。
「金が支払われた記録だけでは足りない」
メルカルが頷いた。
「その金で、何が行われたかを確認するんですね」
「そういうこと」
最初に確認したのは、商隊襲撃事件だった。
バアルハンノ商会の帳簿には、ドーガへの支払いが記録されていた。
だが、それだけでは襲撃の報酬とは断定できない。
俺はサグントゥムの当局へ向かった。
担当者に事情を説明する。
「ドーガへの支払い記録が見つかりました」
担当者は驚いた。
「本当ですか?」
俺は帳簿の該当部分を見せた。
「こちらです」
担当者は慎重に確認した。
「……確かに名前がありますね」
俺は頷いた。
「ただし、何の支払いなのかは分かりません」
担当者も頷いた。
「そうですね」
俺は続けた。
「ドーガ本人に確認していただけませんか?」
担当者は答えた。
「正式な調査の中で確認します」
数日後。
新しい証言が出た。
ドーガは、バアルハンノ商会の関係者から金を受け取ったことを認めた。
ただし、最初はこう説明した。
「市場の情報を集める仕事だった」
担当者が尋ねた。
「どんな情報だ?」
「商人の動きや、交易路の利用状況だ」
「それだけか?」
ドーガは黙った。
さらに、帳簿の支払い日と襲撃事件の日付を照合した。
すると、襲撃の直前に追加の支払いが行われていたことが分かった。
担当者は尋ねた。
「この追加の金は何だ?」
ドーガは顔を伏せた。
しばらくして、小さな声で答えた。
「……荷車を止めるための金だ」
俺は息を呑んだ。
「誰から指示された?」
担当者が尋ねる。
ドーガは答えた。
「バアルハンノ商会の代理人だ」
会議室が静まり返った。
だが、ドーガは続けた。
「殺すつもりはなかった!」
担当者が眉をひそめた。
「何?」
「書類を奪うだけだと聞いていた!」
「では、なぜ護衛が負傷した?」
「護衛が抵抗したからだ!」
俺は黙って聞いていた。
仮に殺害の意図がなかったとしても、武装した男たちに商隊を襲わせた責任は重い。
しかも、奪ったのは交易協定に関する書類だ。
俺は担当者に尋ねた。
「指示を出した代理人の名前は分かりますか?」
担当者は首を振った。
「まだ確認中です」
俺は頷いた。
「分かりました」
次に調べたのは、特別対外活動費だった。
帳簿には銀貨二千枚と記録されている。
用途は、サグントゥムの世論に関する活動。
その中には、集会の開催費や、情報を広める者への支払いが含まれていた。
俺はネロンに尋ねた。
「最近の集会で、急に規模が大きくなったものはありますか?」
ネロンは頷いた。
「あります」
「どんな集会ですか?」
「カルタゴ軍の進出に反対する集会です」
俺は頷いた。
「ほう」
ネロンは続けた。
「以前は数十人ほどでしたが、最近は数百人集まることもあります」
「誰が主催しているんですか?」
「複数の商人や有力者です」
俺は少し考えた。
「集会そのものは問題ありません」
ネロンが頷いた。
「そうですね」
「カルタゴに反対する意見も、当然あるでしょう」
「はい」
俺は続けた。
「問題は、金を受け取って虚偽の情報を広めている者がいるかどうかです」
ネロンは真剣な表情になった。
「……そこを調べるんですね」
「そうです」
調査を進めると、いくつかの支払い先が確認できた。
集会の会場費。
印刷物――いや、この時代だから、書き写された告知文の作成費。
人を集めるための費用。
そして、演説を行う者への報酬。
俺は記録を見つめた。
「……かなり組織的だな」
メルカルが頷いた。
「はい」
「ただし、集会への資金提供そのものを、すべて不正とすることはできない」
「そうですね」
俺は続けた。
「問題は、虚偽の情報を意図的に流したかどうかだ」
メルカルは頷いた。
「分かりました」
その日の夕方。
俺はルキオを訪ねた。
彼は、少し疲れた顔をしていた。
「アドン殿」
「こんにちは」
「また何かありましたか?」
俺は頷いた。
「バアルハンノ商会について、お話があります」
ルキオの表情が変わった。
「……何でしょう?」
俺は説明した。
商隊襲撃事件に関する支払い記録。
ドーガの証言。
そして、世論を動かすための資金。
ルキオは黙って聞いていた。
やがて、静かに言った。
「……信じられません」
俺は頷いた。
「正式な調査は、まだ続いています」
ルキオは深く息を吐いた。
「私は、あの商会が都市の防衛に協力してくれると思っていました」
俺は答えた。
「実際に物資を供給する能力はあると思います」
「……」
「ですが、契約条件や資金の使い方には、問題がある可能性があります」
ルキオは考え込んだ。
そして、静かに言った。
「……私は、サグントゥムを守りたかっただけです」
俺は頷いた。
「それは理解しています」
ルキオは俺を見た。
「本当に?」
「はい」
俺は答えた。
「カルタゴ軍の拡大を警戒すること自体は、不自然ではありません」
ルキオは黙った。
俺は続けた。
「ただ、その不安を利用して利益を得ようとする者がいるなら、話は別です」
ルキオは深く息を吐いた。
「……ほう」
翌日。
ルキオはサグントゥムの有力者会議で発言した。
「私は、バアルハンノ商会との契約について、再検討を求めます」
会議室がざわついた。
議長が驚いた。
「ルキオ殿?」
ルキオは頷いた。
「はい」
そして続けた。
「都市の防衛力強化は必要です」
「……」
「ですが、そのために不透明な契約を結ぶべきではありません」
俺は少し驚いた。
ルキオは続けた。
「特に、港の使用権を担保にする条項は、慎重に扱う必要があります」
議長が頷いた。
「確かに」
ネロンも頷いた。
俺は静かに呟いた。
「……変わったな」
いや。
正確には、変わったわけではないのかもしれない。
ルキオは最初から、サグントゥムの安全を重視していた。
ただ、その方法が俺とは違っていただけだ。
会議の結果。
バアルハンノ商会との軍需物資供給契約は、正式に保留となった。
港湾拡張計画も、契約条件の再確認が行われることになった。
俺は少し安心した。
だが、問題はまだ残っている。
カルタゴ本国の政治家たちだ。
その夜。
俺はハミルカル将軍へ報告書を送った。
内容は、今回の調査結果。
商隊襲撃事件。
バアルハンノ商会の資金記録。
サグントゥムでの世論活動。
そして、港湾契約の問題。
最後に、こう書いた。
『現時点では、商隊襲撃事件にバアルハンノ商会の代理人が関与した疑いが強まっています。
一方、サグントゥム政府やローマ政府が襲撃を指示した証拠は確認されていません。
軍事行動ではなく、正式な調査と外交交渉によって対応することを提案します。』
数日後。
ハミルカル将軍から返事が届いた。
『報告を確認した。
軍の派遣については、引き続き慎重に判断する。
ただし、商隊の安全確保は必要だ。
交易路の警備について、サグントゥム側と協議せよ。
また、バアルハンノ商会の件については、カルタゴ本国へ正式に報告する。』
俺は頷いた。
「……よかった」
少なくとも、すぐに軍隊が動くことはなさそうだ。
だが、その数日後。
カルタゴ本国から、別の書簡が届いた。
差出人は、ハンノ。
カルタゴの有力政治家だ。
以前、ヌミディアの馬の未払い問題を調べたとき、正式な調査を進めてくれた人物でもある。
俺は封を開いた。
そこには、こう書かれていた。
『アドン殿。
サグントゥムにおけるバアルハンノ商会の活動について、報告を受けた。
内容は重大である。
ただし、カルタゴ本国では、この問題を巡って意見が分かれている。
一部の政治家は、商会の活動を正当な交易事業だと主張している。
さらに、あなたの調査がカルタゴの国益を損なっているという意見まで出ている。
至急、本国へ戻り、説明してほしい。』
俺は深く息を吐いた。
「……やっぱり、そうなるか」
メルカルが心配そうに尋ねた。
「アドン様」
「何?」
「本国へ戻るんですか?」
俺は頷いた。
「戻るよ」
「ですが、危険では?」
俺は少し考えた。
「危険かもしれない」
「……」
「でも、ここで逃げたら、調査そのものが信用されなくなる」
メルカルは黙った。
俺は続けた。
「それに、ハンノ殿が正式に呼んでいる」
「そうですね」
俺は笑った。
「説明する機会があるなら、利用しないと」
翌朝。
俺はハンニバルに事情を説明した。
「カルタゴへ戻るのか?」
「はい」
ハンニバルは少し考えた。
「父上には報告したのか?」
「もちろんです」
「そうか」
そして、ハンニバルは静かに言った。
「アドン」
「はい」
「お前は、敵を増やしすぎじゃないか?」
俺は苦笑した。
「自分でもそう思います」
ハンニバルは笑った。
「だろうな」
俺も笑った。
「でも、仕方ありません」
「なぜだ?」
俺は答えた。
「このまま放っておけば、カルタゴが戦争に巻き込まれるかもしれませんから」
ハンニバルは黙った。
そして、静かに頷いた。
「……分かった」
出発前。
俺はネロンとルキオに会った。
ネロンが言った。
「アドン殿。
必ず戻ってきてください」
俺は笑った。
「もちろんです」
ルキオも頷いた。
「今回の件については、我々も正式に調査を続けます」
俺は頭を下げた。
「お願いします」
ルキオは少し考えた。
そして言った。
「……私は、今でもローマとの友好関係が必要だと思っています」
俺は頷いた。
「それでいいと思います」
ルキオは驚いた。
「……よいのですか?」
俺は笑った。
「サグントゥムの将来は、サグントゥムの人々が決めることですから」
ルキオは黙った。
俺は続けた。
「ただし、どちらの国とも戦争にならないようにしてほしいですね」
ルキオは少し笑った。
「……努力します」
数日後。
俺はカルタゴ本国へ戻った。
港に到着すると、父が迎えに来ていた。
「アドン!」
「父さん!」
父は俺を見ると、深く息を吐いた。
「……無事でよかった」
俺は笑った。
「大丈夫だよ」
父は首を振った。
「大丈夫ではない」
俺は苦笑した。
「……やっぱり?」
父は頷いた。
「本国では、かなり騒ぎになっている」
俺は顔を上げた。
「どんな状況?」
父は答えた。
「バアルハンノ商会が、正式に抗議している」
「抗議?」
「お前が虚偽の情報を広め、商会の信用を傷つけたという主張だ」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
父は続けた。
「さらに、アズバル・ハンノンも動いている」
俺は顔を上げた。
「政治家の?」
「そうだ」
父は頷いた。
「お前の調査を、カルタゴの外交を妨害する行為だと批判している」
俺は苦笑した。
「……大きな話になったな」
父は真剣な顔で言った。
「笑い事ではないぞ」
俺は頷いた。
「分かってる」
翌日。
俺はハンノのもとを訪れた。
ハンノは机の上に大量の書類を並べていた。
「アドン殿」
「お呼びいただき、ありがとうございます」
ハンノは頷いた。
「座ってくれ」
俺は椅子に座った。
ハンノは静かに言った。
「今回の件は、非常に厄介だ」
俺は頷いた。
「そうですね」
「バアルハンノ商会は、カルタゴの有力商会だ」
「はい」
「軍への物資供給にも関わっている」
「承知しています」
ハンノは続けた。
「その商会が外国の都市で不正を行っていたとなれば、カルタゴの信用にも関わる」
俺は頷いた。
「そうですね」
ハンノは俺を見た。
「だが、証拠が不十分なまま処罰すれば、それも問題だ」
俺は頷いた。
「そのとおりです」
ハンノは少し笑った。
「……分かっているようだな」
俺も笑った。
「商人ですから」
ハンノは続けた。
「そこで、正式な調査委員会を設置することになった」
俺は顔を上げた。
「本当ですか?」
「そうだ」
「ありがとうございます」
ハンノは首を振った。
「礼を言うのは早い」
俺は黙った。
ハンノは続けた。
「調査委員会には、バアルハンノ商会に近い政治家も入る」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
「公平性を確保するためだという主張だ」
俺は頷いた。
「形式上は理解できます」
ハンノは少し考えた。
「……ただし、調査が簡単には進まない可能性がある」
俺は答えた。
「承知しています」
その日の午後。
調査委員会の最初の会議が開かれた。
俺は証人として呼ばれた。
会議室には、多くの政治家が集まっていた。
そして、その中に一人。
見覚えのある名前の人物がいた。
アズバル・ハンノン。
今回の問題に関係している疑いがある政治家だ。
男は俺を見ると、静かに笑った。
「……君がアドンか」
俺は頭を下げた。
「はい」
アズバルは続けた。
「随分と若い商人だな」
俺は黙った。
「その若さで、カルタゴの有力商会を不正だと批判しているそうだ」
俺は答えた。
「調査で確認された事実を報告しています」
アズバルは笑った。
「ほう」
そして、静かに言った。
「では、君に一つ質問しよう」
俺は顔を上げた。
「何でしょう?」
アズバルは続けた。
「バアルハンノ商会が、カルタゴの軍需物資を大量に供給していることは知っているな?」
俺は頷いた。
「はい」
「その商会の活動を妨害すれば、軍の補給にも影響する」
俺は黙った。
アズバルは続けた。
「つまり、君の行動はカルタゴ軍を弱体化させる可能性がある」
会議室がざわついた。
俺は深く息を吐いた。
ほう。
そういう攻め方か。
商会の不正を調べることが、軍の弱体化につながる。
そう主張するつもりらしい。
俺は静かに答えた。
「では、一つ確認させてください」
アズバルが眉をひそめた。
「何だ?」
俺は答えた。
「カルタゴ軍の補給は、バアルハンノ商会一社に依存しているのでしょうか?」
会議室が静かになった。
アズバルは少し考えた。
「……重要な供給者であることは確かだ」
俺は頷いた。
「そうですね」
そして続けた。
「ですが、一社に依存しているなら、それ自体が危険ではありませんか?」
会議室がざわついた。
俺は続けた。
「もし、その商会が経営難になったら?」
「……」
「もし、輸送船が沈んだら?」
「……」
「もし、敵国に港を封鎖されたら?」
俺は静かに言った。
「軍の補給が止まってしまいます」
アズバルは黙った。
俺は続けた。
「だからこそ、複数の商会から調達できる仕組みが必要なんです」
ハンノが頷いた。
「……ほう」
俺はさらに続けた。
「不正を調べることと、軍の補給を守ることは矛盾しません」
会議室が静かになった。
俺は最後に言った。
「むしろ、不正を放置した方が、長期的には軍を弱くすると思います」
だが、アズバルは引かなかった。
「……面白い考えだ」
俺は黙った。
アズバルは続けた。
「では、君はカルタゴ軍の補給を、すべて商人同士の競争に任せるつもりか?」
俺は首を振った。
「いいえ」
「では?」
俺は答えた。
「重要物資については、複数の供給者と契約し、一定量の備蓄を持つべきだと思います」
アズバルは眉をひそめた。
俺は続けた。
「さらに、納入記録と支払い記録を照合する」
「……」
「不正があれば調査する」
「……」
「そして、契約違反があれば、代替供給者へ切り替えられるようにする」
ハンノが静かに頷いた。
「……合理的だな」
俺は答えた。
「ありがとうございます」
会議は続いた。
そして、ついにバアルハンノ商会の内部帳簿が議題になった。
俺は帳簿の写しを提出した。
ただし、原本の保管場所と提供者の身元については、保護を求めた。
委員会は、帳簿の真偽を確認するため、正式な照合を行うことになった。
俺は少し安心した。
だが、アズバルは、帳簿の一部を見た瞬間、表情を変えた。
ほんの一瞬だった。
だが、俺は見逃さなかった。
俺は静かに思った。
……この人は、何か知っている。
その日の会議が終わった後。
ハンノが俺を呼び止めた。
「アドン殿」
「はい」
「少し話がある」
俺は頷いた。
「何でしょう?」
ハンノは周囲を確認した。
そして、静かに言った。
「今回の調査について、注意してほしいことがある」
俺は顔を上げた。
「何でしょう?」
ハンノは続けた。
「アズバル・ハンノンは、単なる政治家ではない」
俺は黙った。
「彼は、複数の商会と強い関係を持っている」
「……」
「さらに、カルタゴの有力者たちの間にも支持者が多い」
俺は頷いた。
「承知しています」
ハンノは深く息を吐いた。
「……君が思っている以上に、厄介な相手だ」
俺は苦笑した。
「そうみたいですね」
ハンノは続けた。
「そして、もう一つ」
俺は顔を上げた。
「何でしょう?」
ハンノは静かに言った。
「君の父親の商会に、圧力がかかり始めている」
俺は息を呑んだ。
「……父の商会に?」
ハンノは頷いた。
「取引停止だけではない」
俺は黙った。
ハンノは続けた。
「港の倉庫契約が更新されない可能性がある」
俺は深く息を吐いた。
「……ほう」
つまり、父の商会を経営できなくするつもりか。
俺は静かに呟いた。
「……本当に、やり方が汚いな」
その夜。
俺は父のもとへ戻った。
父は帳簿を見ていた。
「父さん」
「アドンか」
俺は椅子に座った。
「商会のこと、聞いたよ」
父は頷いた。
「そうか」
「大丈夫?」
父は少し笑った。
「大丈夫とは言えんな」
俺は黙った。
父は続けた。
「倉庫を使えなくなれば、商売に影響する」
「……」
「船の荷物を保管できなくなるからな」
俺は頷いた。
「そうだね」
父は深く息を吐いた。
「だが、商売をやめるつもりはない」
俺は顔を上げた。
父は笑った。
「商人は、道が塞がれたら別の道を探すものだ」
俺は思わず笑った。
「……俺と同じことを言うね」
父も笑った。
「親子だからな」
俺は少し考えた。
そして、言った。
「父さん」
「何だ?」
「倉庫を借りられないなら、自分たちで作れないかな?」
父は驚いた。
「……倉庫を?」
「うん」
俺は頷いた。
「港の近くに土地を借りて、共同倉庫を作るんだ」
父は考え込んだ。
「……共同倉庫?」
「そう」
俺は続けた。
「うちの商会だけじゃなく、ほかの中小商人にも出資してもらう」
父は顔を上げた。
「ほう」
俺は続けた。
「一つの商会が倉庫を独占するのではなく、共同で使えるようにする」
父は少し笑った。
「……面白いな」
俺も笑った。
「でしょ?」
だが、父は続けた。
「ただし、土地の権利や港の規則を確認する必要があるぞ」
俺は頷いた。
「もちろん」
父は笑った。
「……お前、本当に商人らしくなったな」
俺も笑った。
「父さんの息子だからね」
翌日。
俺たちは共同倉庫の計画を立て始めた。
出資者。
土地。
建設費。
維持費。
利用料金。
そして、管理方法。
俺は紙に書いた。
『カルタゴ共同交易倉庫計画』
目的は単純だ。
特定の大商会に依存しない物流拠点を作る。
だが、この計画が成功すれば。
バアルハンノ商会の影響力を弱めることにもつながる。
俺は静かに呟いた。
「……今度は、商売で対抗する番だな」
しかし、その日の夕方。
俺のもとに、カルタゴ政府から正式な通知が届いた。
俺は封を開いた。
そこには、こう書かれていた。
『アドン殿。
現在進行中の調査に関連し、あなたの商会が行っているヒスパニア交易について、政府による特別監査を実施する。
監査が終了するまで、一部の交易許可について更新を保留する。』
俺は黙った。
メルカルが尋ねた。
「アドン様?」
俺は深く息を吐いた。
「……やられたな」
「何がです?」
俺は通知を見せた。
メルカルの顔色が変わった。
「……交易許可の更新保留?」
俺は頷いた。
「そう」
「それでは、ヒスパニアとの商売が……」
「止まる可能性がある」
俺は静かに答えた。
そして、通知の末尾を確認した。
そこには、監査を担当する政治家の名前が書かれていた。
『アズバル・ハンノン』
俺は思わず苦笑した。
「……自分が疑われているのに、俺たちを監査する側に回るのか」
メルカルは黙った。
俺は通知を机に置いた。
そして、静かに言った。
「……これは、単なる商会同士の争いじゃなくなったな」
カルタゴの政治制度そのものが、試されている。
不正を調べた商人が、逆に監査される。
その監査を、疑惑の当事者が担当する。
もし、これが許されるなら。
誰も不正を告発できなくなる。
俺は深く息を吐いた。
「……よし」
メルカルが尋ねた。
「どうするんですか?」
俺は答えた。
「正式に異議を申し立てる」
そして、続けた。
「同時に、共同倉庫計画も進める」
メルカルは驚いた。
「両方ですか?」
俺は笑った。
「もちろん」
そして、静かに言った。
「政治で商売を止められるなら、商売の仕組みそのものを変えてやる」
だが、このときの俺には、まだ知る由もなかった。
今回の特別監査が、単なる嫌がらせではなかったことを。
アズバル・ハンノンは、俺たちの商会を調べることで――
ハミルカル将軍へ送っていた軍の補給記録まで手に入れようとしていたのだ。




