第十八話 ローマの共同保証案に、絶対に受け入れてはいけない条件があった
「カルタゴとローマが、共同でサグントゥムの安全を保証する?」
俺は思わず聞き返した。
ローマの使節ルキウス・ファビウスは、落ち着いた表情で頷いた。
「そのとおりです」
会議室がざわついた。
サグントゥムの有力者たちも、驚いた様子だった。
当然だろう。
カルタゴとローマ。
第一次ポエニ戦争で戦った二つの大国。
その両国が、一つの都市の安全を共同で保証するという。
実現すれば、画期的な取り決めになる。
だが、俺はすぐに喜ぶことができなかった。
外交というものは、名前だけで判断してはいけない。
重要なのは、中身だ。
「具体的には、どのような条件でしょうか?」
俺が尋ねると、ルキウスは一枚の羊皮紙を取り出した。
「こちらです」
俺は受け取った。
そして、書かれている内容を確認した。
最初の条件は、問題なかった。
サグントゥムの自治を尊重する。
次に、カルタゴとローマは、サグントゥムに対して武力攻撃を行わない。
これも理解できる。
さらに、交易の自由を認める。
これも悪くない。
だが、四番目の条件を読んだ瞬間、俺の手が止まった。
『サグントゥムに対する外部からの軍事的脅威が発生した場合、ローマは必要な軍事措置を講じることができる』
「……これは」
俺は顔を上げた。
ルキウスは静かに笑った。
「何か問題がありますか?」
俺は羊皮紙を指差した。
「この条件です」
「軍事的脅威への対応ですね」
「はい」
俺は頷いた。
「その脅威を、誰が判断するのでしょうか?」
ルキウスは答えた。
「ローマが判断します」
会議室が静かになった。
俺は深く息を吐いた。
ほう。
そういうことか。
「つまり」
俺は静かに言った。
「ローマがサグントゥムに危険が迫っていると判断すれば、軍隊を派遣できるということですね?」
ルキウスは頷いた。
「そうです」
「カルタゴ側の同意がなくても?」
「緊急時には必要でしょう」
俺は羊皮紙を机に置いた。
「それでは、共同保証とは言えないと思います」
ルキウスの表情が変わった。
「……何?」
俺は続けた。
「ローマだけが軍事介入を判断できるなら、実質的にはローマの保護下に入るのと変わりません」
会議室がざわついた。
サグントゥムの商人ネロンが頷いた。
「確かに」
一方、ローマとの関係を重視するルキオは眉をひそめた。
「だが、ローマが守ってくれるなら安心ではないか?」
俺はルキオを見た。
「では、カルタゴにも同じ権利を認めますか?」
ルキオは黙った。
俺は続けた。
「カルタゴが危険だと判断すれば、サグントゥムへ軍隊を派遣できる」
「……」
「それでも構いませんか?」
ルキオは答えなかった。
俺は静かに言った。
「共同保証というなら、双方に同じ条件を適用する必要があります」
ルキウスは腕を組んだ。
「アドン殿」
「はい」
「あなたは商人だと聞いています」
「そうです」
「軍事的な問題にまで口を出すのですか?」
俺は頷いた。
「交易に関わる問題ですから」
「交易?」
「はい」
俺は答えた。
「軍隊が都市へ入れば、商人たちの活動にも影響します」
ルキウスは黙った。
俺は続けた。
「港が軍に使われる」
「……」
「道路が軍の補給に使われる」
「……」
「食料が軍へ優先的に供給される」
ネロンが頷いた。
俺はさらに続けた。
「そして、対立する国の商人が利用しにくくなる」
ルキウスは少し考えた。
「……ほう」
俺は答えた。
「ですから、軍事介入の条件は、交易の自由と切り離せないんです」
会議室の空気が変わった。
最初は、ローマの共同保証案を歓迎していた人々も、慎重になり始めていた。
議長が尋ねた。
「では、アドン殿」
「はい」
「あなたなら、どういう条件にしますか?」
俺は少し考えた。
そして答えた。
「まず、サグントゥム自身の意思を最優先するべきだと思います」
議長が頷いた。
「当然だ」
「次に、カルタゴとローマのどちらも、サグントゥムの要請なしに軍隊を駐留させない」
ネロンが頷いた。
「それは重要ですね」
俺は続けた。
「さらに、外部から脅威が発生した場合は、まず三者で協議する」
ルキウスが尋ねた。
「緊急時はどうする?」
俺は答えた。
「サグントゥム自身が防衛する権利は当然認めます」
「それだけでは足りない場合は?」
「その場合は、都市が援助を求める相手を選べるようにするべきです」
会議室が静かになった。
ルキウスは俺を見つめた。
「……つまり、ローマだけに特別な権利を与えないということか」
俺は頷いた。
「そうです」
だが、ルキウスは簡単には引かなかった。
「では、サグントゥムがカルタゴに援助を求めた場合、ローマはどうするべきでしょう?」
俺は答えた。
「協定に違反していない限り、都市の判断を尊重するべきだと思います」
「逆に、ローマへ援助を求めた場合は?」
「カルタゴも同じです」
ルキウスは少し笑った。
「随分と公平な提案ですね」
俺は頷いた。
「公平でなければ、長続きしませんから」
ルキウスは黙った。
俺は続けた。
「一方だけが得をする協定は、もう一方が不満を持ちます」
「……」
「その不満が積み重なれば、いずれ協定が破られる可能性があります」
ルキウスは静かに言った。
「……商人らしい考え方だ」
俺は笑った。
「ありがとうございます」
だが、そこで別の問題が出てきた。
サグントゥムの有力者の一人が立ち上がった。
「一つ、質問がある」
俺は顔を上げた。
「何でしょう?」
「カルタゴとローマが、互いに協定を守る保証はあるのか?」
俺は黙った。
確かに。
そこが一番難しい。
条約を結ぶことはできる。
だが、守らせることは簡単ではない。
俺は少し考えた。
「……保証はありません」
会議室が静かになった。
議長が眉をひそめた。
「ないのか?」
「はい」
俺は答えた。
「どんな協定でも、絶対に守られるとは限りません」
ルキウスが俺を見た。
俺は続けた。
「だから、破ったときの不利益を大きくする必要があります」
議長が首を傾げた。
「不利益?」
「はい」
俺は地図を広げた。
「例えば、交易です」
ネロンが顔を上げた。
俺は続けた。
「サグントゥムは、カルタゴともローマとも交易しています」
「そうだな」
「その交易が増えれば、両国にとって重要な市場になります」
「……」
「そうなれば、戦争でこの都市を破壊することは、両国にとって損失になります」
ルキウスが腕を組んだ。
「……ほう」
俺は続けた。
「つまり、平和を守ることで利益が得られる仕組みを作るんです」
ネロンが立ち上がった。
「私は、その考えに賛成です」
会議室がざわついた。
ネロンは続けた。
「我々は、カルタゴともローマとも商売をしたい」
「……」
「どちらか一方を敵にしたいわけではありません」
ルキオが言った。
「だが、軍事的な安全はどうする?」
ネロンは答えた。
「だからこそ、双方に同じ条件を求めるべきではないか?」
ルキオは黙った。
ネロンは続けた。
「ローマ軍が自由に入れるなら、カルタゴは警戒する」
「……」
「カルタゴ軍が自由に入れるなら、ローマは警戒する」
俺は頷いた。
「そのとおりです」
ネロンは議長を見た。
「ならば、どちらの軍隊にも勝手に入らせない。
それが一番ではありませんか?」
議長は考え込んだ。
その後、会議は一時休憩となった。
俺は外へ出て、深く息を吐いた。
「……疲れた」
ハンニバルが隣に立った。
「アドン」
「はい」
「面白い交渉だったな」
俺は苦笑した。
「そうですか?」
「ああ」
ハンニバルは笑った。
「ローマの使節が、何度も考え込んでいた」
俺も笑った。
「簡単に譲ってくれる相手ではありませんからね」
ハンニバルは少し考えた。
そして尋ねた。
「だが、俺には一つ疑問がある」
「何でしょう?」
「サグントゥムが中立を守るとして、周囲の部族が攻撃してきたらどうする?」
俺は顔を上げた。
「……ほう」
「カルタゴもローマも軍隊を入れられないなら、誰が守る?」
俺は少し考えた。
「サグントゥム自身の防衛力が必要ですね」
ハンニバルは頷いた。
「そうだ」
「ただし、それだけでは足りないかもしれません」
「では?」
俺は答えた。
「周囲の部族とも協定を結ぶ必要があります」
ハンニバルは少し笑った。
「また外交か」
俺も笑った。
「戦争を避けるには、外交が必要ですから」
ハンニバルは頷いた。
そして、静かに言った。
「……だが、外交が失敗したときに備えるのが軍隊だな」
俺は頷いた。
「そのとおりです」
午後。
会議が再開された。
俺は新しい提案書を用意した。
『サグントゥム中立交易協定案』
内容は五つ。
第一に、サグントゥムの自治を尊重する。
第二に、カルタゴとローマは、サグントゥムへの武力攻撃を行わない。
第三に、両国の軍隊は、都市の正式な要請と定められた協議手続きなしに駐留しない。
第四に、双方の商人に交易の自由を認める。
第五に、紛争が起きた場合は、まず外交協議を行う。
俺は説明した。
「これなら、サグントゥムの独立を尊重しながら、両国との交易を続けられると思います」
議長が頷いた。
「悪くない」
ネロンも頷いた。
「私は賛成です」
だが、ルキウスは静かに言った。
「……検討する必要があります」
俺は頷いた。
「もちろんです」
「ローマ元老院の判断も必要です」
「承知しています」
「カルタゴ側も同じでしょう」
俺は頷いた。
「はい。
私は政府を代表して条約を結ぶ権限を持っていません」
ルキウスは少し笑った。
「そこは理解しているようですね」
俺も笑った。
「商人ですから」
会議の結果。
サグントゥム側は、中立交易協定案を正式に検討することになった。
ローマ側は、本国へ持ち帰る。
カルタゴ側も、ハミルカル将軍と本国政府へ報告する。
つまり、まだ何も決まっていない。
だが、少なくとも一方的な軍事介入を認める案は、そのまま採用されなかった。
俺は少し安心した。
「……一歩前進かな」
その夜。
俺はハミルカル将軍への報告書を書いていた。
ローマの共同保証案。
軍事介入に関する問題。
そして、中立交易協定案。
俺は最後に、こう書いた。
『サグントゥムを軍事力で従わせようとすれば、ローマとの衝突を招く危険があります。
一方、交易を通じて関係を強めれば、都市の利益とカルタゴの利益を一致させられる可能性があります。
現時点では、軍事行動より外交と交易を優先することを提案します。』
俺は筆を置いた。
「……これでいいかな」
そのとき、扉が叩かれた。
「アドン殿!」
メルカルだった。
「どうした?」
「ネロン殿が来ています!」
俺は顔を上げた。
「こんな時間に?」
ネロンは、かなり慌てた様子だった。
「アドン殿」
「どうしました?」
「大変なことになりました」
俺は眉をひそめた。
「何があったんですか?」
ネロンは周囲を確認した。
そして、小さな声で言った。
「サグントゥムの有力者の一部が、秘密裏にローマとの軍事協定を進めています」
俺は息を呑んだ。
「……何ですって?」
ネロンは頷いた。
「今日の会議とは別に、話が進んでいるようです」
「誰が?」
「ルキオ殿を中心とする人々です」
俺は黙った。
ルキオ。
ローマとの交易を重視する商人。
以前、カルタゴ商人への通行料を引き上げていた人物だ。
ネロンは続けた。
「しかも、その協定には、ローマ軍の駐留を認める内容が含まれているそうです」
俺は深く息を吐いた。
「……まずいですね」
ネロンは頷いた。
「はい」
「ただし、まだ噂の段階ですよね?」
「そうです」
俺は少し考えた。
「では、まず事実を確認しましょう」
ネロンは驚いた。
「すぐに抗議しないのですか?」
俺は首を振った。
「証拠がないまま抗議すれば、かえって対立が深まります」
ネロンは黙った。
俺は続けた。
「それに、ローマとの軍事協定を結ぶかどうかは、サグントゥム自身が決める問題です」
「……」
「問題は、その決定が正式な手続きで行われるかどうかです」
ネロンは頷いた。
「ほう」
俺は続けた。
「もし一部の有力者が、都市全体の意思を無視して協定を進めているなら、それはサグントゥム自身の問題でもあります」
ネロンは真剣な表情になった。
「……そのとおりです」
翌朝。
俺たちは調査を始めた。
まず、サグントゥムの政治制度を確認した。
都市の重要な決定は、有力者たちの会議で協議される。
だが、すべての有力者が同じ権限を持つわけではない。
さらに、商人たちの意見も無視できない。
俺はネロンに尋ねた。
「軍事協定を結ぶには、正式な承認が必要なんですね?」
「はい」
「一部の有力者だけでは決められない?」
「そのとおりです」
俺は頷いた。
「ならば、まず正式な議題として扱ってもらう必要があります」
ネロンは少し考えた。
「……分かりました」
その日の午後。
サグントゥムの有力者会議が開かれた。
ネロンが立ち上がった。
「本日は、確認したいことがあります」
議長が尋ねた。
「何だ?」
ネロンは答えた。
「ローマとの軍事協定についてです」
会議室が静かになった。
ルキオの表情が変わった。
「……何の話だ?」
ネロンは続けた。
「一部の有力者が、ローマ軍の駐留を認める協定を進めているという話があります」
議長が顔を上げた。
「……本当か?」
ルキオは黙った。
会議室がざわついた。
そして、しばらくしてから、ルキオが立ち上がった。
「……確かに、ローマ側と話し合いはしています」
議長の表情が険しくなった。
「なぜ報告しなかった?」
ルキオは答えた。
「まだ正式な協定ではありません」
「だが、軍事協定の話だぞ!」
「この都市を守るためです!」
会議室が騒然となった。
ルキオは続けた。
「カルタゴ軍はヒスパニアで勢力を拡大しています!」
「……」
「我々が何もしなければ、いずれこの都市も支配されるかもしれない!」
一部の有力者が頷いた。
「そのとおりだ!」
「ローマの保護が必要だ!」
だが、別の有力者が反論した。
「ローマ軍が駐留すれば、カルタゴとの関係が悪くなる!」
「交易にも影響するぞ!」
「この都市を戦争に巻き込むつもりか!」
議論は激しくなった。
俺は黙って聞いていた。
ここでカルタゴ側の人間が強く口を出せば、逆効果になる。
サグントゥムの政治は、サグントゥム自身が決めるべきだ。
だが、気になることがあった。
ルキオは、なぜそこまで急いでいるのだろう。
俺は彼を見つめた。
そして、一つの可能性に気づいた。
「……もしかして」
会議が終わった後。
俺はネロンに尋ねた。
「ルキオ商会は、最近ローマとの取引を増やしていますか?」
ネロンは頷いた。
「はい」
「どれくらい?」
「かなり増えています」
「具体的には?」
ネロンは少し考えた。
「ローマ方面からの金属製品やワインの取引が増えています」
俺は頷いた。
「ほう」
「何か気になるんですか?」
俺は答えた。
「ルキオ殿がローマとの軍事協定を急ぐ理由です」
ネロンは首を傾げた。
「理由?」
「はい」
俺は続けた。
「安全保障だけでなく、商売上の利益もあるのかもしれません」
ネロンは考え込んだ。
「……ほう」
俺は頷いた。
「ただし、これは推測です」
「分かっています」
「だから、取引記録を確認したいんです」
ネロンは少し笑った。
「また帳簿ですか」
俺も笑った。
「商人ですから」
数日後。
俺たちはルキオ商会の交易について調べた。
もちろん、内部帳簿を見ることはできない。
だが、港の記録や荷物の受領記録は確認できる。
すると、興味深いことが分かった。
ルキオ商会は、最近ローマ方面から大量の商品を仕入れていた。
それ自体は問題ない。
だが、さらに調べると、ある商品だけ取引量が急増していた。
鉄製品。
特に、武器の材料になる鉄材だった。
俺は記録を見つめた。
「……鉄か」
メルカルが尋ねた。
「何か問題がありますか?」
俺は首を振った。
「鉄を輸入すること自体は問題ない」
「そうですね」
「農具にも使えるし、工具にも使える」
「はい」
俺は続けた。
「ただし、どこへ売られているのかは気になる」
メルカルは頷いた。
「調べますか?」
俺は答えた。
「調べよう」
さらに調査を進めると、鉄材の一部がサグントゥムの鍛冶職人たちへ渡っていることが分かった。
俺は鍛冶工房を訪れた。
職人の一人が答えた。
「鉄材?」
「はい」
「最近、注文が増えている」
俺は顔を上げた。
「何の注文ですか?」
職人は答えた。
「槍の穂先だ」
俺は黙った。
「……槍?」
「ああ」
職人は続けた。
「それから、盾の金具も増えている」
俺は深く息を吐いた。
「誰からの注文ですか?」
職人は少し考えた。
「都市の防衛を担当する者たちだ」
俺は頷いた。
ほう。
サグントゥムは、軍事的な備えを進めている。
それ自体は当然だ。
都市が自分たちを守るために武器を用意することは、不自然ではない。
だが、ローマとの軍事協定の話と重なると、少し気になる。
俺は尋ねた。
「注文は、いつ頃から増えたんですか?」
職人は答えた。
「ローマの使節が来る少し前からだな」
俺は顔を上げた。
「……ほう」
その夜。
俺はハンニバルに調査結果を説明した。
「サグントゥムが武器を増やしている?」
「はい」
ハンニバルは腕を組んだ。
「戦争の準備か?」
俺は首を振った。
「まだ分かりません」
「だが、槍や盾を増やしているのだろう?」
「そうです」
俺は頷いた。
「ただし、防衛のためかもしれません」
ハンニバルは少し考えた。
「……ほう」
俺は続けた。
「重要なのは、誰を敵として想定しているかです」
ハンニバルは黙った。
俺は地図を広げた。
サグントゥム。
カルタゴの勢力圏。
周辺の部族。
そして、ローマ。
俺は静かに言った。
「もしサグントゥムがカルタゴを敵だと考え始めているなら、かなり危険です」
ハンニバルは頷いた。
「そうだな」
俺は続けた。
「ですが、今ならまだ外交で解決できる可能性があります」
ハンニバルは少し笑った。
「お前は、本当に最後まで外交を諦めないな」
俺も笑った。
「戦争になったら、商売ができなくなりますから」
翌日。
俺はルキオを訪ねた。
男は驚いた様子だった。
「アドン殿?」
「少しお話しできますか?」
ルキオは少し考えた。
そして頷いた。
「どうぞ」
俺は椅子に座った。
「最近、サグントゥムで武器の生産が増えているそうですね」
ルキオの表情が変わった。
「……何の話です?」
俺は答えた。
「鉄材の取引が増えていると聞きました」
ルキオは黙った。
俺は続けた。
「都市の防衛力を強化すること自体は、当然だと思います」
ルキオは少し安心したようだった。
「……そうでしょう」
「ですが、カルタゴとの関係が悪化することは避けたいと思っています」
ルキオは俺を見た。
「カルタゴ軍が近づかなければ、問題ありません」
俺は頷いた。
「その点については、正式な協議が必要ですね」
ルキオは黙った。
俺は続けた。
「ただし、ローマ軍が駐留することになれば、カルタゴ側も警戒するでしょう」
「……」
「その結果、軍事的な緊張が高まる可能性があります」
ルキオは深く息を吐いた。
「では、我々はどうすればいいのです?」
俺は少し考えた。
そして答えた。
「まず、双方の軍隊を近づけない取り決めを検討することです」
ルキオは眉をひそめた。
「……双方?」
「はい」
俺は頷いた。
「カルタゴ軍もローマ軍も、サグントゥムの周辺で軍事的な挑発を行わない」
ルキオは考え込んだ。
「……ほう」
俺は続けた。
「そして、都市の防衛力については、サグントゥム自身が管理する」
ルキオは黙った。
俺はさらに続けた。
「それなら、ローマに頼りきる必要も、カルタゴに従属する必要もありません」
ルキオはしばらく俺を見つめた。
そして、静かに言った。
「……アドン殿」
「はい」
「あなたは、本当にカルタゴの商人なのですか?」
俺は笑った。
「もちろんです」
ルキオは首を振った。
「カルタゴの利益だけを考えているようには見えません」
俺は少し考えた。
そして答えた。
「カルタゴの利益を考えているからこそ、戦争を避けたいんです」
ルキオは黙った。
俺は続けた。
「戦争になれば、カルタゴもサグントゥムも損をします」
「……」
「そして、ローマも多くの兵士と金を失うでしょう」
ルキオは深く息を吐いた。
「……確かに」
だが、その日の夕方。
俺のもとに、思いがけない知らせが届いた。
サグントゥムの近郊で、カルタゴ商人の荷車が襲撃されたというのだ。
俺は驚いた。
「襲撃?」
メルカルが頷いた。
「はい!」
「被害は?」
「荷車三台が奪われました!」
俺は眉をひそめた。
「護衛は?」
「負傷者が出ています!」
俺は深く息を吐いた。
「……誰が襲った?」
メルカルは首を振った。
「まだ分かりません」
俺は地図を見た。
襲撃された場所は、サグントゥムと内陸部を結ぶ交易路だった。
しかも、最近整備した新しい道路に近い。
俺は静かに呟いた。
「……嫌な予感がするな」
そして、さらに悪い知らせが届いた。
襲撃した者たちは、カルタゴ商人だけを狙っていたという。
俺は黙った。
もしこれが偶然でなければ。
誰かが、カルタゴとサグントゥムの関係を悪化させようとしている可能性がある。
俺は深く息を吐いた。
「……まずは、現場を確認しよう」
だが、その翌日。
俺たちが襲撃現場へ向かう前に、ハミルカル将軍から急ぎの書簡が届いた。
そこには、こう書かれていた。
『カルタゴ商人への襲撃について報告を受けた。
軍の一部では、サグントゥム周辺への兵力派遣を求める声が出ている。
状況を確認し、至急報告せよ。』
俺は書簡を握りしめた。
「……まずい」
商人への襲撃。
軍の派遣。
そして、ローマとの対立。
前世の歴史で起きた戦争への道筋が、少しずつ形を変えて現れ始めていた。
俺は静かに呟いた。
「……ここで軍を動かしたら、取り返しがつかなくなるかもしれない」
そして、俺は決意した。
襲撃の犯人を突き止める。
それも、カルタゴ軍が動く前に。
だが、調査を始めた俺たちは、やがて驚くべき事実を知ることになる。
襲撃された荷車には、商人の商品だけではなく――
カルタゴとサグントゥムの交易協定に関する重要な書類が積まれていたのだ。




