第十四話 商会の不正を調べたら、カルタゴの政治家まで出てきた
翌朝。
俺はカルタゴの評議会へ向かった。
港から少し離れた高台に、その建物はあった。
白い石造りの柱。
広い階段。
重厚な扉。
カルタゴの政治を動かす有力者たちが集まる場所だ。
俺は建物を見上げた。
「……まさか、ここに来ることになるとはな」
前世では、政治などニュースで見るだけだった。
選挙。
議会。
予算。
汚職。
そんな話題を、仕事帰りに眺めていた。
だが今は違う。
俺自身が、政治の中心に立とうとしている。
しかも、相手はカルタゴ有数の大商会。
バアルハンノ商会だった。
俺は深く息を吸い、階段を上った。
会議室には、多くの有力者が集まっていた。
商人。
地主。
軍の関係者。
そして評議会の議員たち。
その中に、ハンノの姿があった。
「アドン、来たか」
「おはようございます」
「準備はできているか?」
「はい」
俺は書類の入った木箱を示した。
ハンノは頷いた。
「よろしい」
そして、小さな声で言った。
「今日は慎重に話せ」
「分かっています」
「証拠のないことは言うな」
「はい」
「相手の挑発にも乗るな」
俺は少し笑った。
「商人の交渉と同じですね」
ハンノも笑った。
「そうだ。
だが、ここでは一言の失敗が商会を潰すこともある」
俺は頷いた。
その言葉の重みは、よく分かっていた。
やがて、議事を進める議員が立ち上がった。
「本日の議題は、ヌミディアとの馬の取引に関する調査である」
会議室が静かになった。
「まず、問題を報告した商人アドンから説明を聞く」
俺は立ち上がった。
「アドンと申します」
全員の視線が集まる。
俺は机の上に書類を並べた。
「今回の問題は、ヌミディアから購入した馬百二十頭の代金についてです」
そして、取引の流れを説明した。
ヌミディア側との契約。
馬の輸送。
港での受領。
軍への納入。
そして、代金の支払い。
「軍は、商会へ代金を支払っています」
俺は記録を示した。
「ですが、ヌミディア側には一部の代金しか届いていません」
会議室がざわついた。
一人の議員が尋ねた。
「なぜだ?」
俺は答えた。
「バアルハンノ商会は、馬の品質に問題があったため支払いを保留したと説明しています」
「品質に問題があったのか?」
「軍の受領記録では、重大な問題は確認されていません」
俺は続けた。
「また、当時の受領担当者も、同様の証言をしています」
議員たちは書類を確認した。
そして、別の議員が言った。
「つまり、商会が代金を支払わなかったということか?」
俺は首を振った。
「現時点では、そこまで断定できません」
会議室が静かになった。
「商会側にも事情がある可能性があります」
俺は続けた。
「だからこそ、双方の記録を照合する必要があると考えています」
ハンノが小さく頷いた。
次に、バアルハンノが呼ばれた。
男は堂々と会議室へ入ってきた。
高価な衣服。
落ち着いた表情。
そして、商人らしい自信。
「バアルハンノ殿」
議員が尋ねた。
「この取引について説明していただきたい」
バアルハンノは頷いた。
「もちろんです」
そして、俺を一瞥した。
「まず申し上げたいのは、我が商会は長年カルタゴの交易と軍需物資の供給を支えてきたということです」
議員たちが頷く。
「戦時にも平時にも、我々は必要な物資を届けてきました」
「その功績は承知している」
議員が答えた。
「だが、今回の未払いについて説明してほしい」
バアルハンノは静かに言った。
「馬の品質に問題がありました」
俺は黙って聞いていた。
「契約時に説明された状態と、実際に納入された状態が違っていたのです」
議員が尋ねた。
「具体的には?」
「輸送中に弱った馬がいました」
「それだけか?」
「いいえ。
訓練の程度にも差がありました」
俺は記録を確認した。
確かに、輸送後に疲労した馬がいたという証言はある。
だが、それが支払いを止めるほどの問題だったのか。
そこが重要だった。
議員が尋ねた。
「軍は馬を受け取っているが?」
「軍が必要としていたため、納入しました」
「代金も受け取っているな?」
「はい」
会議室がざわついた。
バアルハンノは続けた。
「ただし、軍への納入価格には輸送費や管理費が含まれています」
俺は頷いた。
その説明自体は正しい。
問題は、ヌミディア側への未払いだ。
議員が尋ねた。
「では、なぜ売り手への代金を支払わなかった?」
バアルハンノは少し間を置いた。
「品質問題について、調整が必要だったからです」
「何年もか?」
会議室が静かになった。
バアルハンノは答えなかった。
俺は手を挙げた。
「一つ、確認してもよろしいでしょうか?」
議員が頷いた。
「許可する」
俺はバアルハンノを見た。
「品質問題について、ヌミディア側と正式に協議した記録はありますか?」
バアルハンノは眉をひそめた。
「何?」
「価格を変更するなら、双方で合意する必要があると思います」
「……」
「その合意を示す記録はありますか?」
バアルハンノは少し考えた。
「古い取引だ。
すべての記録が残っているとは限らん」
俺は頷いた。
「では、支払いを保留した代金は、現在どのように処理されていますか?」
バアルハンノの表情が変わった。
「……何?」
「商会の帳簿上、未払金として残っているのでしょうか?」
会議室が静かになった。
俺は続けた。
「それとも、別の費用として処理されているのでしょうか?」
バアルハンノは俺を睨んだ。
「商会の内部帳簿まで公開しろというのか?」
俺は答えた。
「今回の取引に関係する部分だけで構いません」
「……」
「未払いの代金がどこにあるのか、それを確認したいんです」
議員たちが顔を見合わせた。
ハンノが口を開いた。
「もっともな質問だ」
バアルハンノが顔を上げた。
「ハンノ殿!」
ハンノは静かに続けた。
「商会全体の帳簿を公開する必要はない。
だが、問題となった取引については説明責任がある」
バアルハンノは黙った。
やがて、低い声で言った。
「……分かりました」
俺は少し安心した。
だが、次の言葉で状況が変わった。
「ただし、その代金の一部は、すでに別の支払いに充てられています」
俺は顔を上げた。
「別の支払い?」
バアルハンノは頷いた。
「交易を円滑に進めるための費用です」
嫌な予感がした。
「交易を円滑に進めるための費用とは?」
議員が尋ねた。
バアルハンノは答えた。
「港湾利用の調整費、契約仲介費、各種手続きに必要な費用です」
俺は眉をひそめた。
それ自体は珍しいものではない。
港を利用すれば費用がかかる。
仲介人に仕事を頼めば手数料も必要だ。
だが、問題はその支払先だ。
「その費用は、誰に支払われたのでしょうか?」
俺が尋ねると、バアルハンノは黙った。
議員が続けた。
「支払先を答えていただきたい」
バアルハンノはしばらく考えた。
そして、静かに言った。
「……評議会に関係する方々です」
会議室がざわついた。
「何だと?」
「議員に支払ったのか?」
「どういうことだ?」
俺は黙った。
やはり、そういう話か。
バアルハンノは慌てて続けた。
「誤解しないでいただきたい!」
「……」
「これは不正な支払いではありません!」
「では、何の費用だ?」
「交易許可や港湾利用に関する調整費です!」
議員たちが騒ぎ始めた。
俺は深く息を吐いた。
これは、思っていた以上に厄介だ。
単なる商会の未払い問題ではない。
政治家への資金の流れが絡んでいる。
ハンノが立ち上がった。
「静粛に」
会議室が静かになった。
ハンノはバアルハンノを見た。
「支払いを受けた者の名前と金額を、提出してもらおう」
バアルハンノの顔が険しくなった。
「ハンノ殿!」
「不正かどうかは、調べなければ分からん」
「……」
「正当な費用なら、記録を確認すれば済む話だ」
バアルハンノは黙った。
ハンノは続けた。
「今回の問題は、ヌミディアとの交易関係にも影響している」
俺は頷いた。
「そのとおりです」
ハンノは俺を見た。
「アドン。
説明しろ」
俺は立ち上がった。
「ヌミディアでは、カルタゴとの交易に不満を持つ有力者が増えています」
そして、現地で聞いた話を説明した。
代金の未払い。
不公平な取引。
そして、ローマとの交易を検討している勢力。
議員たちの表情が変わった。
「ローマだと?」
「はい」
俺は頷いた。
「現時点では一部の勢力ですが、カルタゴへの不信感が広がれば、軍事協力にも影響する可能性があります」
ハンノは腕を組んだ。
「つまり、商会の問題が外交問題になっているわけだな」
「そうです」
俺は答えた。
「だからこそ、解決する必要があります」
会議は長引いた。
最終的に、評議会は調査を行うことを決めた。
調査対象は、今回の馬の取引。
そして、関連する資金の流れ。
ただし、すべての商会の帳簿を調べるわけではない。
問題となった取引に限定することになった。
俺は少し安心した。
これなら、無関係な商人たちまで巻き込まずに済む。
だが、会議が終わった後。
ハンノが俺を呼び止めた。
「アドン」
「はい」
「少し話がある」
俺は頷いた。
ハンノの屋敷へ戻ると、彼は深く息を吐いた。
「……面倒なことになった」
俺は苦笑した。
「そうですね」
「評議会の議員に資金が流れていたとなれば、簡単には済まん」
「はい」
ハンノは椅子に座った。
「だが、私は今回の調査を進めるつもりだ」
俺は顔を上げた。
「本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
ハンノは首を振った。
「礼を言う必要はない」
そして、真剣な表情になった。
「私は、カルタゴの商人たちが利益を得ることに反対しているわけではない」
「はい」
「だが、その利益のために国の信用を失うのは困る」
俺は頷いた。
「そのとおりだと思います」
ハンノは続けた。
「ヌミディアとの関係が悪くなれば、軍事的にも不利になる」
「はい」
「そして、その原因がカルタゴ側の不正なら、正す必要がある」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
ハンノは少し笑った。
「お前は、本当に面倒な問題を持ち込むな」
俺も笑った。
「すみません」
「褒めてはいないぞ」
「分かっています」
二人で少し笑った。
それから数週間。
調査が進められた。
商会の記録。
港湾関係の支払い。
仲介費。
そして、議員への資金の流れ。
少しずつ、事実が明らかになっていった。
まず、ヌミディア側への未払いが存在したこと。
次に、その代金の一部が別の費用として処理されていたこと。
そして、複数の有力者に資金が渡っていたこと。
ただし、すべてが不正だったわけではない。
正当な仲介費もあった。
港湾利用に必要な費用もあった。
だが、その中に説明のつかない支払いが混じっていた。
俺は調査資料を確認した。
「……これか」
一枚の記録に目が止まった。
そこには、こう書かれていた。
『特別調整費』
支払先は、評議会の有力議員の関係者。
金額は、銀貨三千枚。
俺は眉をひそめた。
「……何の調整だ?」
さらに調べると、同じ名目の支払いが何度も行われていた。
ヌミディアとの馬の取引だけではない。
穀物。
金属製品。
軍需物資。
複数の取引に、同じ名目の費用が存在していた。
俺は深く息を吐いた。
「……これは、仕組みになっているな」
一件の不正ではない。
長年続いてきた慣習の可能性がある。
俺はハンノに報告した。
「特別調整費?」
ハンノが眉をひそめた。
「はい」
俺は記録を示した。
「複数の取引で、同じ名目の支払いが確認されています」
ハンノは黙って読んだ。
そして、低い声で言った。
「……ほう」
俺は尋ねた。
「ご存じでしたか?」
ハンノは首を振った。
「こうした費用が存在すること自体は知っていた」
「……」
「だが、これほど広く使われているとは思わなかった」
俺は頷いた。
ハンノは続けた。
「商人たちは、手続きを早く進めるために金を払う」
「はい」
「役人や有力者は、その金を受け取る」
「……」
「そして、誰も問題にしない」
俺は静かに言った。
「ですが、その費用が商品価格に上乗せされたり、売り手への支払いを圧迫したりしています」
ハンノは頷いた。
「そうだな」
俺は続けた。
「つまり、交易の効率を悪くしているんです」
ハンノは少し驚いた。
「効率?」
「はい」
俺は答えた。
「本来なら不要な費用が発生しているため、商人は利益を確保するために価格を上げたり、支払いを遅らせたりすることになります」
「……ほう」
「その結果、取引相手が離れていきます」
ハンノはしばらく考えた。
そして、静かに言った。
「……国を弱くする仕組みだな」
俺は頷いた。
「そう思います」
だが、問題は簡単には解決しなかった。
調査が進むにつれて、評議会の一部から反発が出始めたのだ。
「商人の取引に、政治が介入しすぎている!」
「昔から行われてきた慣習だ!」
「交易を支える費用まで不正扱いするのか!」
そんな声が上がった。
さらに、バアルハンノ商会と取引のある商人たちも不満を示した。
「調査が長引けば、交易に支障が出る!」
「軍需物資の供給が遅れるぞ!」
「カルタゴの利益を損なうつもりか!」
俺は頭を抱えた。
「……やっぱり、こうなるか」
だが、反発する側にも事情はある。
交易が止まれば困る人々がいる。
商会で働く者たちもいる。
軍への物資供給も必要だ。
だから、単純に商会を処罰すれば解決するわけではない。
俺は考えた。
「……仕組みを変える必要があるな」
その夜。
俺は新しい提案書を作り始めた。
『交易手続き透明化計画』
内容は四つ。
第一に、港湾利用や交易許可に必要な費用を明確にする。
第二に、費用の支払先と金額を記録する。
第三に、商人が不当な支払いを要求された場合、異議を申し立てられるようにする。
第四に、軍需物資の調達については、複数の商会が参加できるようにする。
俺は筆を置いた。
「……これなら、商人たちにも利益があるはずだ」
不透明な費用が減れば、取引にかかる費用も減る。
価格が安定する。
取引先も増える。
そして、カルタゴの信用が高まる。
ただし、既得権益を持つ者たちは反発するだろう。
俺は深く息を吐いた。
「……まあ、簡単にはいかないよな」
翌日。
俺はハンノに提案書を見せた。
ハンノは黙って読んだ。
そして、少し笑った。
「アドン」
「はい」
「お前は、本当に商人なのか?」
俺は首を傾げた。
「商人ですが?」
「まるで役人のような提案をする」
俺は苦笑した。
「商売をしやすくしたいだけです」
ハンノは頷いた。
「だが、これは簡単には通らんぞ」
「分かっています」
「不利益を受ける者が多い」
「はい」
ハンノは続けた。
「それでも進めたいのか?」
俺は頷いた。
「はい」
「理由は?」
俺は答えた。
「カルタゴの交易を強くしたいからです」
ハンノは黙った。
俺は続けた。
「軍隊を強くするには、食料や武器が必要です」
「……」
「それを支えるのは商人です」
「そうだな」
「ですが、商人たちが不透明な費用を負担し、取引相手から信用を失えば、軍の補給も弱くなります」
ハンノはゆっくり頷いた。
「……ほう」
俺は続けた。
「だから、交易の仕組みを改善することは、軍事力を強くすることにもつながるんです」
ハンノは少し考えた。
そして、静かに言った。
「分かった」
俺は顔を上げた。
「では?」
「評議会で提案してみよう」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
数日後。
評議会で、新しい交易制度についての議論が始まった。
当然、反対意見も多かった。
だが、意外なことが起きた。
若い商人たちの一部が、俺の提案を支持し始めたのだ。
「手数料が明確になるなら助かる!」
「大商会だけが有利になる仕組みは困る!」
「小さな商会にも軍の契約に参加する機会を与えてほしい!」
俺は驚いた。
ほう。
今まで不透明な費用に苦しんでいた商人たちがいたのだ。
大商会は、費用を払ってでも取引を進められる。
だが、小さな商会にはそれが難しい。
結果として、大商会だけが有利になる。
俺の提案は、その問題を改善するものでもあった。
ハンノが静かに言った。
「……支持者が増えてきたな」
俺は頷いた。
「はい」
「だが、油断するな」
「分かっています」
ハンノは続けた。
「反対する者たちも、簡単には引かん」
俺は深く息を吐いた。
「そうですね」
そして、評議会での議論が続く中。
ついに、バアルハンノ商会の未払い問題について、正式な判断が下された。
ヌミディア側への未払い代金は、契約上の支払い義務があると認められた。
商会には、残額の支払いが求められた。
さらに、説明のつかない特別調整費については、別途調査を続けることになった。
俺は深く息を吐いた。
「……ようやく、一歩進んだな」
だが、問題はまだ終わっていなかった。
その日の夕方。
俺は父の商会へ戻った。
すると、父が一枚の書簡を持っていた。
「アドン」
「どうしたの?」
「ヌミディアから連絡が来た」
俺は顔を上げた。
「ヌミディア?」
「サルバルという男からだ」
俺は驚いた。
「サルバルから?」
父は頷いた。
「読んでみろ」
俺は書簡を受け取った。
そこには、こう書かれていた。
『カルタゴで調査が進んでいると聞いた。
まだ代金は受け取っていないが、約束を守ろうとしていることは理解した。
もし本当に支払いが行われるなら、交易の再開について話し合ってもよい。』
俺は思わず笑った。
「……よかった」
父も笑った。
「信用が戻り始めたな」
俺は頷いた。
「うん」
だが、父は続けた。
「ただし、まだ安心するな」
「分かってる」
「代金が支払われて、初めて問題が解決する」
俺は頷いた。
「そうだね」
父は笑った。
「それに、新しい取引も始めなければならん」
俺は顔を上げた。
「新しい取引?」
「ああ」
父は続けた。
「バアルハンノ商会との取引が止まった分、別の取引先を探す必要がある」
俺は少し考えた。
そして、笑った。
「……ちょうどいいかもしれない」
父が首を傾げた。
「何が?」
俺は答えた。
「ヌミディアとの直接交易だよ」
父は目を見開いた。
「直接交易?」
「うん」
俺は頷いた。
「馬だけじゃなくて、穀物や農具、布なんかも取引する」
父は少し考えた。
「……ほう」
俺は続けた。
「しかも、今回の件で信用を築き始めている」
父は笑った。
「面白い」
そして、静かに言った。
「ならば、やってみるか」
俺は頷いた。
「うん!」
その夜。
俺は新しい交易計画を作り始めた。
ヌミディアからは馬、皮革、家畜。
カルタゴからは穀物、農具、布、金属製品。
取引場所は、ヌミディア側にも設ける。
価格は事前に決める。
支払い期限も明確にする。
そして、双方が同じ内容の記録を持つ。
俺は筆を置いた。
「……これなら、長く続けられるかもしれない」
だが、そこで一つ気になることがあった。
ヌミディアの有力者たちは、カルタゴとの関係を改善しようとしている。
しかし、ローマも黙って見ているとは限らない。
ローマにとっても、ヌミディアの騎兵は魅力的な戦力だ。
俺は地図を広げた。
カルタゴ。
ヌミディア。
ローマ。
そして、ヒスパニア。
「……交易だけでなく、外交も必要だな」
そのときだった。
扉が叩かれた。
「アドン殿!」
「はい」
「ハンノ殿から急ぎの使者です!」
俺は顔を上げた。
「こんな時間に?」
使者は一枚の書簡を差し出した。
俺は封を開いた。
そこには、短い文章が書かれていた。
『ローマから使節が到着した。
ヒスパニアにおけるカルタゴの軍事行動について、説明を求めている。
明日の会議に出席してほしい。』
俺は書簡を見つめた。
そして、深く息を吐いた。
「……ついに来たか」
ローマ。
前世の歴史で、カルタゴを滅ぼす国。
その使節が、カルタゴ本国にやって来た。
しかも、問題になっているのはヒスパニアだ。
俺は地図の上に指を置いた。
「……ここからが、本当の勝負だな」
翌日。
俺は初めて、ローマの外交官と直接向き合うことになる。
そして、その会議でローマ側から出された要求は――カルタゴのヒスパニア進出そのものを制限しようとするものだった。
だが、このときの俺には、まだ知る由もなかった。
その要求の裏に、ローマ元老院内部の政治的な思惑が隠されていることを。
そして、外交交渉での一つの失敗が、未来の戦争を何十年も早めてしまう危険があることを。




