第百三十三話 ハスドルバルが故郷へ帰ることになったので、兄弟が生き残った意味を考えた
紀元前194年。
カルタゴ。
ハスドルバル・バルカは、軍の指揮官としての仕事を終えようとしていた。
長い戦争を生き抜いた男。
本来の歴史では、メタウルスの戦いで命を落とすはずだった人物。
だが、この世界では生きている。
そして、ザマの戦いではカルタゴ軍の勝利に大きく貢献した。
俺は、彼の屋敷を訪ねた。
「アドン!」
ハスドルバルは、いつもの豪快な笑顔で迎えてくれた。
「久しぶりだな!」
俺も笑った。
「お元気そうですね」
「もちろんだ!」
彼は椅子を勧めた。
「今日は、少し相談がある」
俺は頷いた。
「何でしょう?」
ハスドルバルは言った。
「軍を離れようと思う」
俺は驚いた。
「……本当ですか?」
「ああ」
「どうして?」
ハスドルバルは笑った。
「もう十分戦ったからな」
彼は窓の外を見た。
「ヒスパニア」
「……」
「イタリア」
「……」
「そして、アフリカ」
ハスドルバルは続けた。
「ずいぶん遠くまで行った」
俺は頷いた。
「そうですね」
「だが、ようやく故郷へ帰ってこられた」
彼は静かに笑った。
「これからは、家族と過ごしたい」
俺は頷いた。
「それがいいと思います」
ハスドルバルは、しばらく黙っていた。
そして言った。
「アドン」
「はい」
「メタウルスのことを覚えているか?」
俺は息を呑んだ。
「……はい」
「あのとき、私は死ぬと思った」
俺は黙った。
「ローマ軍に囲まれ、退路も失いかけていた」
「……」
「だが、あなたの情報と補給のおかげで、生き延びることができた」
俺は首を振った。
「将軍自身の判断があったからです」
ハスドルバルは笑った。
「そうかもしれん」
そして、続けた。
「だが、生き延びたからこそ、兄上と再会できた」
俺は頷いた。
「はい」
「そして、ザマで一緒に戦えた」
「……」
「それが、何より嬉しかった」
俺は、胸の奥が熱くなった。
本来の歴史では、ハスドルバルはメタウルスで戦死する。
ハンニバルは、弟の死を知らされる。
そして、イタリアで孤立していく。
だが、今回は違った。
兄弟は再会した。
一緒に戦った。
そして、二人とも生き残った。
俺は静かに言った。
「……本当に、よかったです」
ハスドルバルは頷いた。
「ありがとう」
その日の夕方。
俺はハスドルバルの屋敷を出た。
道を歩きながら、ふと思った。
歴史を変えるということは、国の運命を変えるだけではない。
一人の人間が生き残る。
家族と再会する。
故郷へ帰る。
そして、普通の暮らしを取り戻す。
それもまた、歴史を変えるということなのだろう。
俺は空を見上げた。
「……これでよかったんだ」




