第百二十六話 戦争が終わったので商売に戻ろうとしたら、ハンニバルに国の財政を任されそうになった
紀元前200年。
カルタゴ。
和平から一年が過ぎた。
俺は朝から港の倉庫にいた。
戦争中に軍需物資を保管していた建物は、今では穀物と陶器でいっぱいになっている。
港にはイタリアから来た商船が停泊していた。
船主は、ローマのルキウスだった。
「アドン!」
船から降りてきたルキウスが手を振った。
「久しぶりだな!」
俺も手を振り返した。
「無事に来られましたか?」
「もちろんだ!」
ルキウスは笑った。
「戦争中と違って、海賊以外を心配しなくていいからな!」
俺は苦笑した。
「海賊は、まだ問題ですね」
「そうだ。
だから、今日はその話もある」
倉庫の中で、俺たちは取引を始めた。
ローマからは木材と金属製品。
カルタゴからは穀物と加工品。
戦争中には考えられなかった取引だった。
ルキウスが帳簿を見ながら言った。
「……やはり、平和は儲かるな」
俺は頷いた。
「そうですね」
「戦争中は、船を一隻出すだけで命懸けだった」
「今は、航路が安定しています」
「それに、ローマの市場では北アフリカの穀物がよく売れる」
俺は笑った。
「こちらでもイタリアの木材は人気ですよ」
そのとき。
倉庫の入口から、メルカルが駆け込んできた。
「アドン殿!」
俺は顔を上げた。
「どうした?」
「ハンニバル殿から使者です!」
俺は顔をしかめた。
「……また?」
メルカルが頷いた。
「はい」
ルキウスが笑った。
「何だ、まだ軍の仕事をしているのか?」
俺はため息をついた。
「戦争は終わったんですけどね」
数時間後。
俺はハンニバルの屋敷へ向かった。
ハンニバルは、机の上に大量の書類を広げていた。
「アドン、よく来てくれました」
俺は頭を下げた。
「何かありましたか?」
ハンニバルは、書類を一枚差し出した。
「カルタゴの財政について相談があります」
俺は嫌な予感がした。
「……財政?」
「はい」
「まさか……」
ハンニバルは笑った。
「国の収入と支出を整理したいんです」
俺は頭を抱えた。
「……やっぱり」
ハンニバルは真剣な顔で言った。
「戦争は終わりました」
「はい」
「しかし、国の財政は疲弊しています」
「そうですね」
「軍の維持費、港の修復費、道路の整備費……」
ハンニバルは書類を指差した。
「必要な支出が山ほどあります」
俺は頷いた。
「分かります」
「ですが、税収の記録が十分に整理されていない」
俺は眉をひそめた。
「……それは困りますね」
ハンニバルは頷いた。
「そうでしょう?」
俺は、書類を見つめた。
収入。
支出。
徴税。
港湾使用料。
交易税。
そして、軍事費。
数字が並んでいる。
だが、分類が統一されていない。
同じ項目が別の名前で記録されている。
地域によって、帳簿の形式も違う。
俺は思わず呟いた。
「……これはひどい」
ハンニバルが笑った。
「でしょう?」
俺は書類をめくった。
「まず、収入と支出の項目を統一しましょう」
ハンニバルが頷いた。
「はい」
「港ごとの税収も、同じ形式で記録する」
「……」
「軍の支出は、部隊ごとにまとめる」
「……」
「そして、毎月の収支を確認できるようにする」
ハンニバルは、嬉しそうに頷いた。
「素晴らしい」
俺は顔を上げた。
「……ちょっと待ってください」
「何です?」
「今、俺がやる前提で話していませんか?」
ハンニバルは笑った。
「もちろんです」
俺は頭を抱えた。
「……休ませてくださいよ」
その日の夕方。
俺は倉庫へ戻った。
メルカルが尋ねた。
「どうでした?」
俺は答えた。
「国の帳簿を整理することになりそうだ」
メルカルは、しばらく黙っていた。
そして笑った。
「……結局、帳簿から逃げられないんですね」
俺はため息をついた。
「本当にね」
だが、俺は少し嬉しかった。
戦争中は、兵士を生かすために帳簿をつけていた。
今度は、国を豊かにするために帳簿をつける。
同じ数字でも、意味が違う。
俺は、港を見つめた。
商船が出航していく。
人々が働いている。
そして、遠くでは新しい倉庫の建設が始まっていた。
俺は小さく笑った。
「……まあ、悪くないか」
メルカルが尋ねた。
「何がです?」
俺は答えた。
「戦争のためじゃない仕事なら、少しくらい増えても」
メルカルは呆れた顔をした。
「……結局、働くんですね」
俺は笑った。
「商人だからね」
こうして、アドンは再びカルタゴの発展に関わることになった。
今度の相手は、ローマ軍ではない。
国の財政と、長い戦争によって傷ついた経済だった。




