第百二十四話 ローマへ和平交渉に行ったら、敵国の元老院でカルタゴの未来を説明することになった
紀元前201年。
ローマ。
俺は、ついにローマの街へ入った。
大きな城壁。
石畳の道。
市場。
神殿。
そして、多くの人々。
カルタゴとは違う街並みだった。
だが、そこに暮らす人々の姿は、どこか似ていた。
商人が客を呼び込む。
子供が走り回る。
職人が道具を運ぶ。
荷車が通る。
俺は、その光景を見つめながら呟いた。
「……普通の街だな」
メルカルが驚いた。
「何を言っているんです?」
「いや」
俺は笑った。
「長い間、ローマは敵だと思っていたから」
「実際、敵ですよ」
「そうなんだけどね」
俺は市場を見た。
「でも、ここにいる人たち全員が、カルタゴを憎んでいるわけじゃないんだろうな」
使節団は、ローマ元老院へ案内された。
議場には、多くの議員が集まっていた。
俺は緊張した。
ここは、長年カルタゴと戦ってきた国の中心だ。
そして、ハンニバルを倒そうとしてきた人々が集まる場所でもある。
議長が口を開いた。
「カルタゴの使節団よ」
代表使節が頭を下げた。
「和平について協議するため、参りました」
議長は頷いた。
「では、条件を述べよ」
代表使節が、正式な和平案を読み上げた。
相互の侵攻停止。
捕虜交換。
商船の安全。
係争地についての協議。
そして、交易再開。
議場は静かだった。
だが、読み終えた瞬間、議員たちが声を上げた。
「ザマで勝ったからといって、我々に条件を押しつけるつもりか!」
「ハンニバルを信用できるものか!」
「ローマは、まだ戦える!」
俺は、その議論を聞いていた。
予想どおりだった。
やがて、一人の議員が俺を指差した。
「そこの商人!」
俺は顔を上げた。
「はい」
「お前が、カルタゴ軍の補給を支えたアドンか?」
「そうです」
「ローマ軍を苦しめた張本人だな!」
俺は黙った。
議員は続けた。
「そんな男が、和平を語る資格があるのか!」
議場がざわめいた。
俺は、ゆっくり口を開いた。
「……確かに、私はカルタゴ軍の補給を支えました」
議員たちが静まった。
「ローマ軍と戦うために、食料を運び、船を集めました」
「……」
「その結果、ローマの兵士が苦しんだことも知っています」
俺は続けた。
「ですが、カルタゴの兵士も苦しみました」
「……」
「そして、両国の農民も、商人も、家族も苦しみました」
俺は議場を見渡した。
「戦争が続けば、また同じことが起こります」
一人の議員が叫んだ。
「ローマが勝てば終わる!」
俺は答えた。
「カルタゴも、同じことを考えていました」
議場が静まり返った。
「ハンニバル将軍は、イタリアで何度も勝ちました」
「……」
「でも、戦争は終わりませんでした」
俺は続けた。
「ローマは、何度負けても軍を立て直しました」
「……」
「そして、ザマではカルタゴが勝ちました」
俺は一度言葉を切った。
「それでも、戦争はまだ終わっていません」
議員たちは黙っていた。
俺は続けた。
「つまり、どちらかが一度勝つだけでは、この戦争は終わらないんです」
「……」
「だから、戦争を続ける理由そのものを減らす必要があります」
議長が尋ねた。
「では、何を提案する?」
俺は書簡を掲げた。
「交易の再開です」
議場がざわめいた。
「商売の話か!」
「こんなときに!」
俺は頷いた。
「はい。
商売の話です」
そして続けた。
「戦争が終われば、ローマの商人も利益を得られます」
「……」
「イタリアの農民は、作物を売る市場を取り戻せます」
「……」
「カルタゴの商人も、ローマの商品を買えるようになります」
俺は議場を見渡した。
「お互いに、戦争をしない方が得になるんです」
そのとき。
議場の後方から、一人の男が立ち上がった。
ルキウスだった。
シチリアで会談した、ローマの商人だ。
彼は議員ではなかったが、商人代表として意見を求められていた。
「私からも、申し上げたい」
議長が頷いた。
ルキウスは、帳簿を掲げた。
「戦争によって、ローマの商人たちは大きな損失を受けています」
「……」
「船を失い、交易路を失い、取引先を失いました」
彼は続けた。
「和平が成立すれば、これらの損失を回復できる可能性があります」
議場が静まった。
ルキウスは俺を見た。
そして言った。
「私はカルタゴ人を信用しているわけではありません」
俺は苦笑した。
「……」
「だが、利益のある取引なら、信用できる契約を結ぶ価値はあると思っています」
議論は、その日だけでは終わらなかった。
翌日も。
その翌日も。
元老院では、和平をめぐる議論が続いた。
強硬派は、軍の再編を主張した。
和平派は、財政と農村の疲弊を訴えた。
そして、商人たちは交易再開の利益を説明した。
俺は、毎日議場へ通った。
メルカルが呆れた。
「……戦場より疲れませんか?」
俺は笑った。
「別の意味でね」
五日目。
元老院から、正式な回答が出された。
『ローマは、カルタゴとの和平交渉を継続する』
俺は、深く息を吐いた。
「……よし」
だが、続きがあった。
『ただし、最終的な条約には、双方の安全保障に関する追加条件を必要とする』
俺は頷いた。
「……当然だな」
戦争を終わらせるには、まだ最後の壁が残っていた。




