第十一話 ヌミディアの騎兵を味方につけたい
翌朝。
俺はハミルカル将軍の司令部へ向かった。
今日の会議には、ヌミディアから来た使節が参加する。
ヌミディア。
北アフリカに広がる土地。
そこには馬を巧みに操る部族が暮らしている。
特に有名なのが、ヌミディア騎兵だった。
軽装。
高い機動力。
素早い方向転換。
そして、敵に接近して投槍を放ち、反撃される前に離脱する戦い方。
重装備の歩兵にとっては、非常に厄介な相手だ。
前世の歴史では、ハンニバルもヌミディア騎兵を活用した。
だが、ザマの戦いでは事情が変わる。
マシニッサがローマ側についたのだ。
その結果、カルタゴ軍は騎兵で不利になった。
俺はその未来を知っている。
だからこそ、今からヌミディアとの関係を強くしておきたかった。
ただし、問題がある。
今はまだハミルカルが生きている時代だ。
マシニッサも、まだ少年にすぎない。
将来の敵になるかもしれない少年を探し出して、いきなり味方に引き込む。
そんなことをしても、意味がない。
必要なのは、もっと長い時間をかけた関係づくりだった。
「……まずは交易からだな」
俺はそう呟いて、司令部の扉を開けた。
会議室には、すでにハミルカルと数人の将校が集まっていた。
ハンニバルもいる。
「アドン、来たか」
「おはようございます」
「今日はヌミディアの使節と話すそうだな」
「はい」
ハンニバルは少し嬉しそうだった。
「ヌミディアの騎兵は優秀だ」
「そう聞いています」
「馬を操る技術が違う。
あの機動力は見事だ」
俺は頷いた。
「実際に見たことがあるんですか?」
「ああ。
父上の軍にも、ヌミディア出身の騎兵がいる」
「ほう」
「アドンも一度、訓練を見てみるといい」
「ぜひ」
そのとき、ハミルカルが声をかけてきた。
「アドン」
「はい」
「今回の使節は、馬の交易について話し合いたいそうだ」
「馬ですか」
「ああ。
それに、軍事協力についても相談があるらしい」
俺は少し考えた。
「使節は、どの勢力から来たのでしょうか?」
ハミルカルは頷いた。
「東方のマッシリイ系の有力者に連なる者たちだ」
ほう。
ヌミディアには複数の有力な部族勢力がある。
大きく分ければ、東方のマッシリイと西方のマサエシュリイが知られている。
だが、それぞれが完全に一枚岩というわけではない。
王族。
部族長。
有力な家系。
それぞれの利害が絡んでいる。
「将軍」
俺は尋ねた。
「今回の交渉は、馬を購入することが主な目的ですか?」
「そうだ」
「では、少し提案があります」
「何だ?」
「馬を買うだけではなく、騎兵を育てるための協力もお願いできないでしょうか?」
ハミルカルは俺を見た。
「騎兵を育てる?」
「はい」
俺は答えた。
「馬を購入しても、優秀な騎兵がすぐに増えるわけではありません」
ハンニバルが頷いた。
「そのとおりだ」
「ならば、ヌミディアの騎兵たちから、馬の扱い方や訓練方法を学べる仕組みを作るんです」
ハミルカルは腕を組んだ。
「ほう」
俺は続けた。
「馬の交易だけなら、一度の取引で終わってしまいます」
「そうだな」
「ですが、訓練や飼育についても協力してもらえば、長い関係を築けます」
ハミルカルは頷いた。
「面白い。
話してみよう」
しばらくして、ヌミディアの使節が入ってきた。
三人の男たちだった。
先頭に立つ男は四十代ほど。
日に焼けた肌。
鋭い目。
装飾の施された衣服を身につけている。
男はハミルカルに挨拶した。
「ハミルカル将軍。
お会いできて光栄です」
「遠いところをよく来てくれた」
「我々も、カルタゴとの交易を重視しております」
男の名はアミラル。
ヌミディアの有力者から派遣された交易使節だった。
挨拶が終わると、会議が始まった。
「まず、馬の交易について話したい」
アミラルが言った。
「我々は良質な馬を提供できます」
ハミルカルは頷いた。
「何頭ほど用意できる?」
「最初は二百頭ほど」
俺は顔を上げた。
二百頭。
決して少なくない。
だが、大軍の騎兵戦力を増強するには、まだ足りない。
ハミルカルが尋ねた。
「継続的な供給は可能か?」
アミラルは少し考えた。
「条件によります」
「条件?」
「価格と、交易品です」
俺は身を乗り出した。
やはり、そこか。
「アミラル殿」
俺は口を開いた。
男がこちらを見た。
「あなたは?」
「アドンと申します。
カルタゴの商人です」
「商人?」
「はい。
現在は軍の補給や交易について、ハミルカル将軍のお手伝いをしています」
アミラルは頷いた。
「ほう」
「一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
「ヌミディアでは、馬と交換する商品として何が求められていますか?」
アミラルは少し驚いた顔をした。
「……商品?」
「はい。
銀だけでなく、必要な品物があるのではないでしょうか?」
アミラルは頷いた。
「穀物、金属製品、布、それに武器だ」
俺は記録した。
「ほう」
「特に、品質のよい金属製品は需要がある」
「農具もですか?」
「もちろんだ」
俺は頷いた。
「では、馬と交換する商品を複数用意する方法が考えられます」
アミラルは俺を見た。
「どういう意味だ?」
「例えば、馬の代金をすべて銀で支払うのではなく、穀物や農具、布などを組み合わせるんです」
「……ほう」
「そうすれば、ヌミディア側も必要な物資を手に入れられます」
アミラルは少し考えた。
「悪くない」
俺は続けた。
「それに、毎年必要な商品があるなら、定期的な交易契約を結ぶこともできます」
「毎年?」
「はい」
俺は頷いた。
「馬を売るときだけカルタゴと取引するのではなく、普段から交易を続けるんです」
アミラルは腕を組んだ。
「……面白い考えだな」
俺は笑った。
「商人ですから」
ハンニバルが隣で小さく笑った。
またその言葉か、と言いたそうだった。
交渉は順調に進んだ。
馬の価格。
品質の確認方法。
引き渡し場所。
輸送中に負傷した馬の扱い。
さらに、継続的な交易についても話し合った。
だが、途中でアミラルが難しい顔になった。
「一つ問題がある」
「何でしょう?」
俺が尋ねると、アミラルは答えた。
「馬を二百頭売ることはできる。
だが、それ以上となると簡単ではない」
「理由は?」
「馬は突然増えないからだ」
俺は頷いた。
「そうですね」
「繁殖には時間がかかる。
育てる土地も必要だ」
「はい」
「しかも、よい馬は我々自身も必要としている」
ほう。
当然の話だった。
ヌミディアの人々にとって、馬は重要な財産だ。
軍事力でもある。
それを大量に売ってしまえば、自分たちの力が弱くなる。
「では、別の方法を考えましょう」
俺が言うと、アミラルは首を傾げた。
「別の方法?」
「馬を売るだけでなく、飼育についても協力していただくんです」
「飼育?」
「はい」
俺は地図を広げた。
「ヒスパニアにも、馬を育てられる土地があります」
「それは知っている」
「ですが、地域によって馬の性質や飼育方法が違います」
アミラルは頷いた。
「当然だ」
「そこで、ヌミディアの馬を少数導入し、現地の馬と比較しながら飼育するんです」
「ほう」
「さらに、ヌミディアの馬を扱う技術者にも協力していただきたい」
アミラルは俺を見た。
「技術者?」
「馬の飼育に詳しい人です」
「……」
「馬を売って終わりではなく、馬を育てる技術も教えていただきたいんです」
アミラルはしばらく黙っていた。
そして言った。
「それには費用がかかるぞ」
俺は頷いた。
「もちろんです」
「人を派遣するなら、その者の生活も保障してもらわなければならん」
「当然です」
「家族を連れていきたい者もいるだろう」
「その場合は住居も必要ですね」
アミラルは少し笑った。
「お前は、本当に商人らしいな」
俺も笑った。
「長く続く取引にしたいんです」
そのとき、ハンニバルが口を開いた。
「アミラル殿」
「はい」
「騎兵の訓練についても協力してもらえないだろうか?」
アミラルはハンニバルを見た。
「訓練ですか?」
「ああ」
ハンニバルは続けた。
「ヌミディア騎兵の機動力は素晴らしい。
ぜひ、その技術を学びたい」
アミラルは少し考えた。
「我々の騎兵は、幼いころから馬に乗っている」
「知っている」
「単に訓練方法を教えれば、同じ騎兵を作れるわけではない」
ハンニバルは頷いた。
「それでも学びたい」
アミラルはハンニバルを見つめた。
そして笑った。
「若いのに熱心だな」
ハンニバルも笑った。
「強い騎兵を作りたいからな」
俺はその会話を聞きながら考えていた。
ヌミディア騎兵の強さは、馬そのものだけではない。
生活の中で身につけた騎乗技術。
地形を読む能力。
集団で動く経験。
そして、独特の戦い方。
それらを短期間で真似するのは難しい。
だが、交流を続ければ学べることは多いはずだ。
「アミラル殿」
俺は言った。
「訓練について、一つ提案があります」
「何だ?」
「ヌミディアの騎兵を、ヒスパニアへ短期間招くのはどうでしょう?」
アミラルは眉を上げた。
「騎兵を?」
「はい。
実際に訓練を見せてもらうんです」
俺は続けた。
「こちらの騎兵と一緒に訓練すれば、互いの戦い方を知ることができます」
ハンニバルが頷いた。
「それはいい!」
アミラルは考え込んだ。
「……悪くないが、簡単には決められん」
「もちろんです」
俺は答えた。
「本国の有力者とも相談していただければと思います」
アミラルは頷いた。
「持ち帰って検討しよう」
会議が終わった後。
ハミルカルが俺を呼び止めた。
「アドン」
「はい」
「よい提案だった」
「ありがとうございます」
「馬の購入だけでなく、飼育と訓練まで考えるとはな」
俺は頷いた。
「馬は、買えば終わりではありませんから」
ハミルカルは笑った。
「お前は何でも維持費から考えるな」
「商人ですから」
「ははは!」
将軍は声を上げて笑った。
そして、真剣な表情になった。
「だが、ヌミディアとの関係は簡単ではない」
「はい」
「彼らには彼らの争いがある」
「そうですね」
「一方の勢力と親しくなれば、別の勢力が反発することもある」
俺は頷いた。
まさに、その問題を考えていた。
「将軍」
「何だ?」
「馬の交易については、できるだけ複数の勢力と関係を築きたいと思っています」
ハミルカルは目を細めた。
「複数?」
「はい」
俺は答えた。
「一つの勢力だけに頼ると、その勢力との関係が悪くなったとき、馬の供給が止まってしまいます」
「ほう」
「それに、ヌミディア内部の争いに巻き込まれる危険もあります」
ハミルカルは腕を組んだ。
「だが、敵対する勢力の双方と取引すれば、信用を失うこともあるぞ」
俺は頷いた。
「そのとおりです」
「ならば、どうする?」
「まず、軍事同盟と一般の交易を分けて考えます」
「ほう?」
「馬や農具、穀物の交易は、可能な範囲で広く行います」
俺は続けた。
「ですが、軍事協力については、それぞれの政治的な関係を慎重に確認する必要があります」
ハミルカルは頷いた。
「悪くない考えだ」
そして、静かに言った。
「だが、交易だけで人間の忠誠を買えると思うな」
俺は黙った。
「人は金だけでは動かん。
誇りもある。
恨みもある。
家族もいる」
「はい」
「それを忘れるな」
俺は深く頭を下げた。
「覚えておきます」
その日の夕方。
俺はハンニバルと一緒に騎兵の訓練場へ向かった。
ちょうど、ヌミディア出身の騎兵たちが訓練しているところだった。
馬が走る。
騎兵が方向を変える。
そして、素早く投槍を放つ。
「……速いな」
俺は思わず呟いた。
ハンニバルが笑った。
「そうだろう」
騎兵たちは接近と離脱を繰り返していた。
一度攻撃したら、すぐに離れる。
敵が追いかければ、さらに距離を取る。
そして、隙ができれば再び攻撃する。
「正面からぶつかるだけではないんですね」
俺が言うと、ハンニバルは頷いた。
「ああ。
敵を疲れさせることもできる」
「ほう」
「敵の隊列を乱し、味方の歩兵や騎兵が攻撃しやすい状態を作る」
俺は訓練を見つめた。
この戦い方は、確かに強い。
だが、俺には別の疑問があった。
「ハンニバル様」
「何だ?」
「この騎兵たちは、一日にどれくらい移動できるんですか?」
ハンニバルは少し考えた。
「地形によるな」
「そうですよね」
「平地なら速い。
だが、山道ではそうはいかん」
俺は頷いた。
「では、長距離を移動する場合、馬の疲労はどう管理するんですか?」
ハンニバルは近くの騎兵を呼んだ。
「おい、少し来てくれ」
一人の騎兵が近づいてきた。
名前はザルマ。
ヌミディア出身の騎兵だった。
「何でしょう?」
ハンニバルが尋ねた。
「長距離を移動するとき、馬をどう休ませる?」
ザルマは答えた。
「水と休息です」
「飼料は?」
「もちろん必要です」
ザルマは続けた。
「だが、馬は食わせればすぐに元気になるわけではありません」
俺は頷いた。
「疲労が残るんですね」
「そうです」
「では、戦闘の前に長距離を移動すると、騎兵の力が落ちる?」
「当然です」
ザルマは笑った。
「馬が疲れていれば、どれほど優秀な騎兵でも戦えません」
俺は考え込んだ。
ほう。
これは重要だ。
騎兵の数だけでなく、戦闘時にどれだけの馬が十分な状態で動けるか。
そこまで考える必要がある。
「ザルマ殿」
俺は尋ねた。
「馬が一日に必要とする水の量は、どれくらいでしょう?」
ザルマは少し考えた。
「暑さや運動量で大きく変わります」
「ほう」
「一頭で数十リットル必要になることもあります」
俺は驚いた。
「そんなに?」
「馬は人間よりずっと大きいですから」
確かに。
俺はすぐに計算を始めた。
仮に一頭あたり一日三十リットルとする。
千頭なら三万リットル。
三十トンの水だ。
しかも、それは騎兵の馬だけ。
輸送用の動物もいる。
兵士の飲み水も必要だ。
「……これは大変だな」
俺が呟くと、ハンニバルが覗き込んできた。
「何を計算している?」
「千頭の馬に必要な水の量です」
「千頭?」
「はい」
俺は紙を見せた。
「仮に一頭三十リットルなら、千頭で三万リットルです」
ハンニバルは目を見開いた。
「……そんなに必要なのか」
「はい」
俺は頷いた。
「だから、騎兵を大量に動かすなら、水場の位置が重要になります」
ザルマが大きく頷いた。
「そのとおりです」
俺は続けた。
「川、井戸、泉。
どこで水を確保できるか調べておかないと、騎兵は動けません」
ハンニバルは地図を見た。
「ほう」
俺はさらに考えた。
「それなら、騎兵の進軍計画には、水場の地図が必要ですね」
ザルマが笑った。
「我々は昔からそうしています」
俺は顔を上げた。
「そうなんですか?」
「ええ。
水場を知らずに遠くへ行けば、馬を失いますから」
ほう。
やはり、現場の人間は知っている。
俺が計算して気づいたことを、彼らは経験で理解しているのだ。
「ぜひ、その知識を教えてください」
俺が言うと、ザルマは少し驚いた。
「私に?」
「はい」
俺は頷いた。
「私は数字は計算できますが、馬のことは詳しくありません」
ザルマは笑った。
「それなら、いくらでも教えますよ」
その夜。
俺は騎兵についての新しい資料を作り始めた。
馬の数。
飼料。
水。
休息。
訓練。
そして、予備の馬。
さらに、騎兵が移動できる範囲を地図に記録することにした。
ただし、単純に距離だけを計算するわけではない。
地形。
水場。
季節。
気温。
飼料を確保できる場所。
それらを組み合わせて考える。
俺は紙に大きく書いた。
『騎兵戦力は、馬の数だけでは決まらない』
その下に続けた。
『必要な場所へ、必要な状態で到着できることが重要』
俺は筆を置いた。
「……これだな」
ザマの戦いでは、騎兵の数と質が勝敗を大きく左右した。
ならば、カルタゴ軍の騎兵戦力を強化する必要がある。
しかし、単純に馬を増やすだけでは駄目だ。
訓練。
補給。
外交。
そして、騎兵を運用する戦術。
すべてを整える必要がある。
俺は地図を広げた。
ヒスパニア。
カルタゴ。
ヌミディア。
そしてローマ。
「……まだ時間はある」
ハンニバルは若い。
ローマとの大戦争が始まるまでには、まだ年月がある。
その時間を使って準備する。
騎兵を育てる。
補給を整える。
同盟関係を築く。
そして、ハンニバルに戦争全体を考える力を身につけてもらう。
俺は小さく笑った。
「今度のザマでは、騎兵で負けないぞ」
そのときだった。
扉が叩かれた。
「アドン殿!」
「はい」
「ヌミディアの使節、アミラル殿からお話があるそうです」
俺は顔を上げた。
「こんな時間に?」
「はい。
急ぎの相談だそうです」
俺は少し考えた。
「分かりました。
すぐに行きます」
アミラルは宿の一室で待っていた。
昼間の会議とは違い、表情が険しかった。
「アドン殿」
「どうされました?」
アミラルは周囲を確認した。
そして、低い声で言った。
「実は、あなたに相談したいことがある」
「何でしょう?」
「我々の地域で、部族同士の対立が激しくなっている」
俺は黙った。
「馬の交易にも影響が出始めている」
「……ほう」
「それだけではない」
アミラルは続けた。
「一部の有力者が、カルタゴ以外の勢力との関係を強めようとしている」
俺の心臓が跳ねた。
「カルタゴ以外?」
アミラルは頷いた。
「そうだ」
そして、静かに言った。
「ローマだ」
俺は息を呑んだ。
まだ、第二次ポエニ戦争が始まるよりずっと前だ。
だが、ヌミディアを巡る外交の駆け引きは、すでに始まっているのかもしれない。
アミラルは俺を見つめた。
「アドン殿」
「はい」
「あなたは、商人として交易を続けたいと言ったな」
「そうです」
「ならば、聞きたい」
アミラルは真剣な表情で尋ねた。
「カルタゴは、我々を単なる馬の供給元と考えているのか?」
俺は黙った。
「それとも、長く付き合うべき対等な相手だと考えているのか?」
難しい質問だった。
だが、答えは決まっていた。
「対等な取引相手です」
俺は答えた。
アミラルは黙った。
「馬を売ってもらうだけではありません」
俺は続けた。
「カルタゴの商品を買っていただく。
ヌミディアの商品をカルタゴで売る。
互いの商人が利益を得る」
「……」
「そして、何か問題が起きたときは、まず話し合う」
アミラルはしばらく俺を見つめた。
そして、ゆっくり頷いた。
「……分かった」
だが、すぐに表情を曇らせた。
「しかし、交易だけでは解決できない問題もある」
「どんな問題でしょう?」
アミラルは静かに言った。
「我々の有力者の一人が、カルタゴとの関係を見直すべきだと主張している」
「理由は?」
「カルタゴが、将来も我々を守ってくれる保証がないからだ」
俺は黙った。
アミラルは続けた。
「もしローマが強くなり、カルタゴが弱くなったら?」
「……」
「そのとき、我々はどうすればいい?」
俺はすぐには答えられなかった。
当然の疑問だった。
ヌミディアの人々にとって重要なのは、カルタゴの勝利ではない。
自分たちの土地と家族を守ることだ。
カルタゴが弱くなれば、別の勢力と手を結ぶことも考えるだろう。
それを裏切りと呼ぶのは簡単だ。
だが、彼らにも事情がある。
俺はゆっくり答えた。
「だからこそ、カルタゴは強くあり続ける必要があります」
アミラルは頷いた。
「そうだ」
「ですが、それだけでは足りません」
「何?」
俺は続けた。
「カルタゴが強いときだけ協力する関係では、長続きしません」
アミラルは黙った。
「互いに利益があり、困ったときに助け合える関係を作る必要があります」
「……ほう」
「そのためには、交易だけでなく、政治的な関係も築くべきだと思います」
アミラルはしばらく考えた。
そして、静かに言った。
「アドン殿」
「はい」
「あなたに、一度ヌミディアへ来ていただきたい」
俺は驚いた。
「私がですか?」
「そうだ」
「何のために?」
アミラルは答えた。
「我々の有力者たちと、直接話してほしい」
俺は黙った。
ヌミディアへ行く。
現地の有力者たちと会う。
それは、将来の同盟関係を築く大きな機会になるかもしれない。
だが、危険もある。
部族同士の争い。
カルタゴへの不信感。
そして、ローマとの関係。
簡単な交渉では済まないだろう。
それでも、俺は答えた。
「……分かりました」
アミラルが顔を上げた。
「来てくれるのか?」
「はい」
俺は頷いた。
「ただし、ハミルカル将軍の許可が必要です」
アミラルは笑った。
「もちろんだ」
俺も笑った。
だが、内心では強く決意していた。
ヌミディア。
未来のザマの戦いで、カルタゴの運命を左右する土地。
その人々と、今から関係を築く。
それができれば、歴史は変わるかもしれない。
俺は静かに呟いた。
「……今度こそ、騎兵で負けない」
そして翌朝。
俺はハミルカル将軍へ、ヌミディア訪問の許可を求めることになる。
だが、その会議で思いもよらない問題が発覚する。
ヌミディアの一部勢力が、カルタゴとの交易条件に強い不満を抱いていたのだ。
しかも、その不満の原因は――カルタゴの商人たち自身にあった。




