第五話 薬の効かない病
ミレーヌが薬草院に現れたのは、開院から半月後の、雨の日だった。
「リディア! 会ってくれたのね。ああ、やっぱり私たち、親友――」
「受付では『処方について相談がある』と仰ったそうですね。どうぞ。処方のお話を」
院長室の机を挟んで、私は静かに言った。彼女はやつれていた。栗色の巻き毛は艶を失い、自慢だった爪は割れていた。同情は、しなかった。彼女が乳児に出しかけた薬のことを、私は生涯忘れない。
「ねえ、証言してほしいの。あのノートは二人で一緒に研究したものだって。あなたが一言そう言えば、資格剥奪だけでも取り消してもらえるかもしれないの。親友でしょう? 十年も一緒だったじゃない」
「十年」
私は繰り返した。
「その十年で、あなたが私を名前で呼んだのは、頼み事があるときだけでした。夜勤を代わってほしいとき。課題の写しが欲しいとき。殿方との約束ができて当直を押しつけたいとき。……そして、今」
「そ、それは、だって」
「一つだけ、教えてあげます。あなたが写さなかった但し書きの意味を。柳芽は乾きが浅いと、毒に変わる成分が残るの。七十三回の失敗の途中でそれを見つけた夜、私は怖くて三日眠れなかった。……薬師の仕事はね、ミレーヌ。効く薬を作ることじゃない。誰も殺さないことよ」
彼女の顔から、初めて、あの砂糖菓子の演技が剥がれ落ちた。
「証言なら、法務院に求められた分をすべて、事実の通りに済ませてあります。あなたに足すものも引くものも、もうありません。お引き取りを」
「待って、リディア! 私、行くところがないのよ! あなたはいいわよね、将軍さまに拾われて、院長さまにまでなって! ずるいわ、いつもいつも、あなたばっかり――!」
ずるい。
最後に聞けた本音がそれで、むしろよかったのかもしれない。この人は最後の最後まで、他人の十年を「運」としか呼べないのだ。
私が呼び鈴を鳴らすより早く、扉が開いた。立っていたのは案内の職員ではなく、雨に濡れた肩も拭わない、冬空の瞳の人だった。この方、また執務を抜け出して。
「送りは私が請け負おう。ちょうど法務院に届け物がある」
アルヴィスさまはミレーヌを一瞥もせず、開いた扉を示した。彼女は蒼白になり、それでも縋るように彼を見上げた。
「しょ、将軍さま、わたくし、リディアの親友ですの。ですから、どうか」
「妻の経歴に、あなたという親友は存在しない」
彼は静かに言った。
「私は妻を十年調べ続けた男だ。あなたが彼女に夜勤を年に何度押しつけたか、日付まで挙げられるが……聞いていくか?」
ミレーヌは、逃げるように出て行った。それきり、二度と現れなかった。
ゲルダ元女官長は、その後一度だけ薬草院に現れた。弁済のために職が要るので、経験を買って雇え、という趣旨だった。三十年仕切った人の面接は、堂々たるものだった。ただ一つ、最後の質問を除いて。
「当院の規則第一条を、受付でご覧になりましたか。感想をどうぞ」
「……功績は考案者の名で記録される、というあれですか。結構なことですけれど、現場は綺麗事では回りませんよ。若い者の功を上が預かるのも、育成のうち」
「不採用です」
即答した私に、彼女は「行き遅れが、拾ってもらった途端に偉くなって」と吐き捨てて帰っていった。ええ、偉くなったのです。あなたがたが値札を貼り間違えたものを、正しい値段で買う人たちがいたので。
彼女はいま、下町の商会で在庫係をしていると聞く。規則に厳しい人だから、在庫の数字は合うだろう。人の功績の数字も、それくらい正しく数えられる人だったなら。
継母は薬草院には来なかった。代わりに将軍府へ「娘の縁談の口利き」を求める手紙を寄越し続けたが、あるときを境に、ぱたりと止んだ。後で知ったが、アルヴィスさまが一度だけ返信を書いたらしい。内容は今も教えてくれない。「夫の管轄だ」の一点張りである。管轄、便利に使っていないだろうか。
ちなみにドルバック侯爵は、五人目の後妻探しの最中に、三人の先妻のご実家から相続を巡る訴えを起こされ、社交界から姿を消した。私の携わらない話なので、詳細は割愛する。世の中には、薬の効かない病というものがあるのだ。




