第四話 私のいない医務局
さて、ここからは後に法務院の記録と、王宮雀たちの噂で知った話である。
私が去った医務局は、ひと月で音を立てて傾いた。
最初の異変は、王太后さま付き女官からの苦情だった。「常備薬の味が変わった。眠りが浅くなられた」。夏と冬の配合替えを、ミレーヌは「そんな面倒な話は聞いていない」と一蹴していた。調合室の青いノートは、開かれた形跡すらなかったという。
次が、遠征部隊からの返品の山。梅雨を越えた携行薬が、軒並み湿気て崩れていた。蝋引き紙の仕入れ先も、封の手順も、誰も知らなかった。八年かけて減らした返送数は、たったひと夏で元に戻った。
そして決定打が、例の鎮痛湯だった。
「子どもにも使える」を売り文句に、ミレーヌはあの処方を高官の家々へ華々しく配った。だが彼女は七十三回の失敗を知らない。処方の但し書き――「柳芽の乾燥が浅い年は、乳児に用いてはならない」を、彼女は「字が細かい」と写しさえしなかった。
運の悪いことに、その春の柳芽は長雨で乾きが浅かった。
危うく被害に遭いかけたのは、よりにもよって宰相閣下の初孫だった。乳母が匙を口に運ぶ寸前、たまたま居合わせた老侍医が薬湯の匂いに気づいて止めた。「この青臭さは乾きの浅い柳芽じゃ。誰じゃ、これを乳児に出した藪は」
宰相府が動き、法務院が動き、医務局の帳簿と記録がすべて洗われた。
出るわ出るわ、である。
ミレーヌの「新処方」は筆跡鑑定の末、盗まれた私のノートの丸写しと断定された。ご丁寧に彼女は、盗んだノートそのものを自室の櫃に隠し持っていた。「リディアが私にくださったんです」と主張したそうだが、頁の隅々に残る私の筆癖と、彼女が過程を一つも説明できなかった事実の前では、なんの盾にもならなかった。聴取で「七十三回の失敗の内容を述べよ」と問われ、彼女は一つも答えられなかったという。当然だ。失敗したのは、私なのだから。
ゲルダ女官長は、盗用を知りながら選考を主導した疑いに加え、局の物品費からお気に入りの数名へ二十年来の付け届けが発覚した。規則の人は、規則の裏道にもお詳しかったらしい。
聴取の場では、ひと悶着あったらしい。ゲルダ女官長が「アッシュフォードの管理不行き届きが原因。辞めた者の責任も問うべき」と言い放ったのだ。十年分の搾取と追放の仕上げに、罪まで私に着せる算段だった。
それを止めたのが、同席していた王太后さまの一言だったという。
「ほう。青いノートに引き継ぎのすべてを残し、口頭でもそなたに伝えた者の、何が不行き届きじゃ。わらわの薬が十年狂わなかった理由と、この春から狂った理由なら、わらわの体が誰より知っておるがの」
女官長は、それきり一言も発せなかったそうだ。三十年の生ける規則書は、王宮で一番重い規則の存在を忘れていたらしい。
かくして、医務局長は監督責任で更迭。ミレーヌは薬師資格を剥奪の上、王宮から追放。ゲルダ女官長は全役職を解かれ、横領分の弁済を命じられた。
そして調査の網は、思わぬところへ届いた。私の給金の行方である。
王宮薬師の給金は本人名義で支払われる。それを十年間、偽の委任状で「代理受領」していた継母の手口は、立派な文書偽造だった。さらに継母は、ドルバック侯爵から受け取った支度金を、縁談無効が確定した後も返していなかった。侯爵側は激怒し、違約金ごと請求。伯爵家の台所は火の車となり、父は王室から給金全額の返還命令を受けた。
父は爵位を叔父に譲り、領地の隅へ隠居した。最後まで、私への詫びは一言もなかったという。あの人らしい、と思う。感想は、それだけだ。
一人だけ、義妹のステラは違った。母親の裏帳簿を、自分から法務院へ提出したのだ。「お姉さまのお金だってこと、本当はずっと知っていたから」と。数年後の今、彼女は薬草院の見習いとして、私の下で働いている。筋がいい。あの家でまともに育った唯一の芽だと思って、少し大事にしている。




