ファイル1 呪いのストラップ③
蓮司はなりふり構わずカバンに手を突っ込むと、ジップ付ビニールに厳重に封印していた例の「二・五センチのマスコット」を引ったくり、詩織が美しく広げたタロットカードの真ん中へ、叩きつけるようにして放り出した。
「ちょっと、邪魔しないでよ。今、カードを……あら?」
詩織は露骨に顔をしかめたが、フェルトのクロスの上に転がったプラスチックの塊に目を留めると、その大きな瞳をわずかに見開いた。
「ああ、これ……去年流行ったホラー映画のマスコットね。で、一体何の用?」
「頼む、これを、こいつをなんとかしてくれ……っ! こいつ、何度捨てても、どこに捨てても戻ってくるんだ!!」
蓮司は、自分が一ヶ月間体験し続けてきた一連の怪奇現象を、縋るような口調で一気にまくし立てた。
自室のゴミ箱から始まったこと。キッチンの生ゴミの底へ沈めたのに乾いて戻ってきたこと。自らゴミ袋の口を縛り、回収トラックが粉砕するのをこの目で確かめたのに、その日の深夜に玄関前に無傷で落ちていたこと。
そして極めつけは、冬休みのスキー旅行。地元から何百キロも離れた、積雪二メートルの極寒の雪山の谷底へ全身の筋力で放り投げたのに、帰宅したら乾いた完璧な状態で学習机の真ん中に先回りしていたこと――。
一軍ラグビー部員としてのプライドも、強面な威厳も、すべてをドブに捨てて必死に訴えかける蓮司を、詩織は面白がるような、けれど獲物を値踏みするような怪しい目で見つめていた。
「ふぅん……なるほどね」
詩織は、叩きつけられた小さなマスコットを細い人差し指でツン、とそっと突いた。彼女には霊能力など一ミクロンもない。怪異が「見える」わけでもない。ただ、こういう怪しげな噂話や、おまじない、タロット占いが大好きなだけの、オカルトオタクなのだ。
「これ……きっと、ただのストラップじゃない。完全に『器』として機能しちゃってるんじゃない?」
「器……? 待てよ、あのホラー映画の幽霊ってことか!? だって、あれはただのフィクションだろ!? 映画用に作られたただのプラスチックだぞ!?」
「ふふ、無知ね。映画がフィクションだなんてことは関係ないのよ」
詩織は待ってましたと言わんばかりに、椅子の背もたれに体を預け、嬉々として自論を語り始めた。彼女にとってオカルトとは恐怖ではなく、至高の「ロマン」なのだ。
「人形というものは、古来より人間の形を模しているがゆえに、霊や人間の念が最も入り込みやすい『器』なの。映画の怪異そのものでなくても、その辺を彷徨っている浮遊霊や、誰かの強い執着が拠り所を求めてその器に入り込むケースは五万とあるわ。
有名な日本人形の『お菊人形』だって、もともとは普通の市松人形だったのに、亡くなった少女の霊が宿って髪が伸び始めたでしょう? 夜中にすすり泣くフランス人形の怪談とか、聞いたことない?……そういう『物質に宿る情念』は、古典的な基礎知識なの。現代の怪異はプラスチックにも宿るのよ、素敵だと思わない?」
「全然素敵じゃねえし!そんなマニアックなうんちく聞いてねえよ!!」
「で、あなた自身、何か心当たりはないの? 誰かに強烈に恨まれたり、執着されたりするような心当たり。――そうね、例えば……女なんじゃない?」
「女……?」
「そう、例えば……元カノとか」
「元カノは死んでねえぞ! 今もピンピンしてインスタ更新してんだよ!」
「死んでる必要なんてないわ。『生霊』っていうパターンもあるもの。源氏物語の六条御息所を知らない? 相手への嫉妬と執着が強すぎて、生きたまま魂が抜け出して相手を呪い殺しちゃうのよ。
あなたのことが好きで好きでしょうがないのか、あるいは別れ方が最悪で呪い殺したいほどの恨みか……。そのドロドロした生きた人間のエネルギーが、そのマスコットを媒体にして、あなたの元へ這い戻ってきているのよ。……はあ、それだけ時空を超えて、あなたのことを愛しているのよ。ドラマチックで素敵ね……」
詩織は両手を頬に当て、うっとりと目を輝かせてため息をついた。
その瞬間、蓮司の心臓がどくりと嫌な音を立てて跳ね上がった。
心当たりは、大いにあった。先々月に別れた、恐ろしく束縛が激しく、独占欲の塊だったあの元カノだ。別れ際、彼女は虚ろな目で『蓮司くん、私から逃げられると思わないでね』と、静かに笑っていた。あの時の生温かい笑顔が、目の前の二・五センチのマスコットの白目と、ピタリと重なる。
「ど、どうすればいいんだよ!? お祓いとか、除霊とか……っ! 金なら有り金全部出すから、なんとかしてくれ!!」
半ば泣きそうになりながらすがる蓮司に対し、詩織は人差し指を顎に当てて、他人事のように呑実に提案した。
「そうねぇ……。とりあえず、人形供養にでも出してみたら?」
「 人形供養って何だよ!?」
「お寺や神社に、役目を終えた人形とか、持ち主の念がこもっちゃったぬいぐるみを持ち込んで、お経をあげてお焚き上げしてもらうのよ。歴史ある神社なら、そういう呪物の処理にも慣れてるはずだから」
「それだ! どこの寺に行けばいい!? 教えてくれ!」
「そんなの、自分で調べなさいよ。……まぁ、生霊相手だと、いくらお寺で燃やしても、本体が健在な限り、また違うものに宿る可能性が高いけどね。そこまであなたに執着してるなら、もう諦めて、部屋にいたいなら部屋にいさせてあげればいいじゃない。どんな姿にされても、あなたの傍にいたいのよ。健気ね……ふふふ」
「嫌だからここに相談しに来てんだよ!!!!」
部屋の居候みたいに気楽に語る詩織に、蓮司は頭を抱えて、カースト一軍の男とは思えない情けない声で絶叫した。
「俺、もうずっとまともに寝てねぇんだよ!! 部屋の電気消したら、机の暗闇からあいつの白目がこっち見てる気がすんだよ!! なんでもいいから、マジで助けてくれよ!!」
部室の真ん中でガタガタと震えながら絶叫する蓮司の傍らで。
ずっと静かに本を読んでいたはずの眼鏡男子、志摩創一が、分厚い「物理学基礎」の本をパタンと閉じた。




