神様と誠実性②
ギギィ……と錆びついた蝶番を鳴らし、旧校舎の最果てにあるオカルト研究会の重い木製ドアを開ける。
部屋の中に漂う白檀のお香の煙と、うず高く積まれた古書独特のカビ臭さに、千鶴は鼻にシワを寄せて露骨に顔をしかめた。
「うげっ……何だよこの部屋、怪しすぎるだろ! 蓮司、あんたいつからこんな怪しげなカルト宗教のたまり場に出入りしてんだよ!」
「カルト言うな。俺だって被害者なんだよ……」
蓮司が疲れた顔でパイプ椅子を引き、千鶴を座らせる。
そして、千鶴が一息つく間もなく、今朝までの家庭内での鬱憤——祖母の「靴を揃えろ」「トイレを磨け」「食事の作法がなってない」「神仏に手を合わせろ」という口うるさい小言の数々を、机をバンバン叩きながらぶちまけた。
千鶴が「神様とかご利益なんてあるわけねぇだろ!」と叫んで語り終えた、その瞬間。
「——素晴らしいわ! なんて素敵なおばあさまなの……!」
お茶を啜っていた綾瀬詩織が、湯呑みをガタッと机に置き、瞳をキラキラと爛熱させて立ち上がった。黒髪のボブを揺らしながら、千鶴の手を両手でぎゅっと握りしめる。
「は、はぁ!? あんた、何言ってんの!?」
「千鶴さん、あなた本当に恵まれているわ! そのおばあさまはね、太古から受け継がれてきた日本の神道と民俗信仰の神聖な叡智を、生活の中で体現されている本物の『歩く神域』よ!」
「あ、歩く神域……!? ただの口うるさいクソババアだっての!」
「いいえ、違うわ!」
詩織はセーラー服の襟を正し、部室の中央で胸を張って講義を始めた。
「そもそも日本にはね、山や川、木々や草花、そして家屋の道具一つひとつにまで神が宿るという【八百万の神々】の信仰があるの! 神様は遥か彼方の天界にだけいるんじゃないのよ。私たちの暮らしのあらゆる場所に息づいて、見守ってくださっているの!」
千鶴がぽかんとする中、詩織は指を立てて熱弁を振るう。
「まず、玄関! 靴を揃えるのは、外の邪悪なケガレを払い、家という結界の中を清浄に保つための『境界の儀式』よ! 脱ぎ散らかした靴は結界の綻びとなり、そこから貧乏神や邪霊が上がり込んでくるの!
そして何より、トイレ! トイレにはね、密教や神仏習合で最も恐れ多く、そして慈悲深い炎の神様——『烏枢沙摩明王』が宿っているのよ!」
「う、うす……何だって!?」
「烏枢沙摩明王よ! 人間が排泄するケガレや不浄を、烈火の如き炎で焼き尽くして清めてくださる浄化の仏尊よ! 昔から『トイレをピカピカに磨けば金運が上がる、美しい子が生まれる』と言われるのはね、人が最も嫌がる不浄の場を自らの手で清めることで、烏枢沙摩明王から絶大な功徳と加護を授かるからなの! おばあさまの仰る通り、ピカピカに磨くことは魂の曇りを磨くことそのものなのよ!」
「な、なんだよそれ……っ! 急に神様の名前とか出されても……!」
千鶴が圧倒されてたじろぐ中、詩織はさらにたたみかける。
「さらに食事の作法! 肘をつかず背筋を伸ばし、正しく箸を持つのはね、食材となった命(御霊)に対する畏敬と感謝の祈りなの! 神棚や仏壇に毎朝手を合わせることで、ご先祖様と神仏の霊的ネットワークにチューニングが合い、天からのエネルギーがあなたに降り注ぐのよ!
すべてはおばあさまが、あなたを災いから守り、神仏のご加護で幸運へと導くために授けてくださっている『開運の作法』なの! あぁ、今すぐそのおばあさまに弟子入りして神道の神髄について語り合いたいわ……!」
「……」
千鶴は開いた口が塞がらず、助けを求めるように蓮司の顔を見た。
「れ、蓮司……コイツ、マジで言ってんの……? 神のネットワークって何……?結局トイレ掃除の押し付けの言い訳じゃねぇかよ……!」
「まぁ落ち着け千鶴。こいつの頭の中は年中無休で異次元と交信してっから。……で、もう一人のやつがそろそろ本を閉じる頃だぞ」
蓮司が部屋の隅を指差すと、パイプ椅子に座っていた志摩創一が、読んでいた『パーソナリティ心理学:特性論と人生の成功要因』という分厚い学術書を、狙い澄ましたかのような絶妙なタイミングで、パタンと閉じた。
金属フレームの眼鏡を冷たく光らせ、創一がパイプ椅子から静かに立ち上がる。
「……実に興味深いな」
感情の読めない冷徹な視線が、千鶴のジャージ姿を上から下までスキャンするように捉えた。




