金縛りの夜と観測者のエラーログ③
「前世のカルマも宇宙の電報も一ミリも関係ない。……いいかい新見くん、すべてはデータだ」
静まり返る部室に、淡々とした低音が落ちた。
新見がぽかんと口を開ける中、創一は机の上のノートを開き、製図用黒ボールペンを滑らかに走らせ始めた。
「創一、また私の話にケチをつける気!?」
憤慨する詩織を涼しい顔で無視し、創一は整然とした文字で『睡眠麻痺』『スポットライト効果』『生体フィードバック』と三つの項目を書き殴る。
「君の身に起きている現象は、生霊でも前世の呪いでもない。過剰なストレスと自律神経の乱れが生み出した、極めて論理的な生体反応だ」
「で、でも……あの金縛りと、耳元で聞こえた『調子に乗るな』って声は……!」
「まず【仮説A:睡眠麻痺と入眠時幻覚】だ」
創一はペン先でノートをトンと叩いた。
「睡眠中、人間の脳は『ノンレム睡眠(深い眠り)』と『レム睡眠(浅い眠り)』を繰り返す。レム睡眠時、脳は夢の中で身体が勝手に暴れ回らないよう、運動神経を遮断して筋肉を完全に脱力(弛緩)させている。だが、急激な精神的負荷や過度の肉体疲労によって『意識だけが突然覚醒し、筋肉の脱力シグナルだけが解除されずに残る』エラーが発生する。これが金縛りの正体だ」
「あ……」
蓮司が顎に手を当て、思い当たったように口を挟んだ。
「そういや俺も、夏合宿で一日中走り込みさせられた後とか、ウェイト追い込みすぎて身体バキバキの時、たまになるかも……。頭は起きてんのに腕一本動かねぇやつ」
「まさにその通りだ、龍崎くん。極度の肉体疲労や自律神経の過緊張は、睡眠周期を乱す最大の引き金だからね」
創一は一度頷き、新見へと視線を戻した。
「さらに恐ろしいのはここからだ。意識が覚醒しているのに胸の呼吸筋が弛緩したままだと、脳は『息が吸えない=胸に何かが乗っている』と錯覚する。そして極限の恐怖状態にある扁桃体は、暗闇のノイズや耳鳴りを無理やり『人の影』や『人の声』へとパターン認識してしまう。これが【入眠時幻覚】だ。君が見た黒い影も囁き声も、君自身のパニック状態の脳がプロジェクションマッピングした幻覚に過ぎない」
「幻覚……僕の脳が作った映画みたいなもの……?」
「そうだ。そして君が怯えている『みんなに見られている』という感覚は【仮説B:スポットライト効果による過剰な自己意識】だよ」
創一は黒板に簡単な円を描いた。
「人間は、自分が思っている以上に他人のことなど見ていない。だが突然注目を浴びた人間は、『全世界のスポットライトが自分だけに当たっている』と認知を歪めてしまう。廊下の生徒たちが笑っていたのは昨日のバラエティ番組の話かもしれないのに、君の脳が勝手に『自分の悪口だ』と解釈を当てはめているだけだ」
「じゃあ……誰も僕のことなんか……」
「大半の人間は、君の動画のスーパープレイに一瞬感動したとしても、三分後には夕飯の献立のことしか考えていないよ。ネットの特定班とやらも、十万人のうち実際に手を動かす愉快犯など数名にも満たない」
創一は眼鏡の位置を直すと、真っ直ぐに新見を見据えた。
「だからこそ、新見くん。すべてはデータなんだ」
「……データ……」
「恐怖も、モヤモヤも、金縛りも、脳と内分泌系が『現在、過剰な負荷がかかっている』と警告を発している単なるエラーログ(生体データ)に過ぎない。感情に振り回されてパニックになるのは愚かだが、無視してシステムを焼き切るのも非合理的だ。
『今、コルチゾール値が跳ね上がって警告ログが出ている原因は何か?』を客観的にサンプリングし、寝る前のスマホ断ち、深呼吸による副交感神経の刺激、不要なSNS通知の遮断といったパラメータ修正を行うための判断材料として処理すればいい」
「……」
新見は目を見張り、創一の言葉をじっと噛み締めていた。
すると、横から詩織が腕を組み、ぷんすかと頬を膨らませて口を挟んだ。
「ちょっと創一! なに小難しく言い換えてるのよ! それ、私がさっき言ったことと全く同じじゃない!」
「……不愉快だな。君の妄想と僕の神経生理学を同一視しないでほしいね」
「同じよ! 感情やモヤモヤは『現状がズレてるから見直しなさい』っていう宇宙からのお知らせ! あなたはそれを『脳のエラーログ』って言ってるだけじゃない! どっちも『サインを受け取って行動を変えろ』ってことでしょ!?」
「原因の帰属が違う。宇宙などという観測不能なものではなく、実在する神経伝達物質のデータだ」
「宇宙のサインをデータって呼んでるだけよ!」
「非論理的だ」
「冷血漢!」
バチバチと火花を散らして睨み合う創一と詩織。
その間に入り、腕を組んで天を仰いでいた蓮司が、深いため息とともに盛大に突っ込んだ。
「……おい待て。お前ら、言ってることの根本は完全に一緒だろ!! なんで宇宙とログでそんなにバチバチに喧嘩してんだよ!!」




