引き寄せの法則④
「ハッキングもストーカーもできるわけねぇだろ……!」
田汲はパイプ椅子の上でガックリと項垂れ、ごつい肩を丸めて力なく呟いた。
「じゃあ……じゃあさ! 宇宙への祈りが意味ねぇなら、どうすれば俺はあんな可愛い葵ちゃんと付き合えるんだよ!? もしクラスが離れちまったら、俺みたいな強面のデカブツ、話しかけるきっかけすら掴めねぇじゃんか! 『引き寄せ』がダメなら、どうすれば俺はモテるようになれるんだよ!? イケメンになればいいのか?!」
半ばヤケクソの絶叫に、部室が一瞬しん、と静まり返った。
創一は眼鏡の奥の瞳をすっと細めると、首を巡らせて隣に立っている蓮司の姿を頭の先から爪先までじっくりとスキャンした。
「イケメンの引き寄せ、かい。実に非論理的な問いだね」
「な、なんだよ、ジロジロ見んなよ……」
不気味な視線に蓮司が身を引く中、創一は淡々と、身も蓋もない現実を口にし始めた。
「彼のような容姿と存在感を手に入れたいなら、まずは両親から受け継ぐ骨格の遺伝子情報を書き換えることだ。それが不可能である以上、次に必要なのは日々の徹底されたタンパク質管理、基礎代謝の向上、そして過酷なウェイトトレーニングによる体脂肪の削減と筋肉量の増大だよ」
「え、筋肉……? なんで急に筋トレの話……?」
「さらに君が葵さんという特定の個体を引き寄せたいのなら、今すぐ部屋で祈るのをやめ、毎日十キロの走り込みとスクワット二百回をこなし、龍崎くんに毎日全力で正面衝突してもらって物理的な衝撃で顔の骨格矯正を試みるのが、理論上もっとも手っ取り早いアプローチじゃないかな」
「俺を物理的な整形器具としてカウントすんな!!」
蓮司の怒号が旧校舎の壁をビリビリと震わせた。
田汲は「痛いのは嫌だぁぁぁ!」と頭を抱えて縮こまり、詩織は「はぁ……」と呆れ果てた溜息を吐き出す。
「もう、創一。本当に女の子の気持ちも男の子のプライドも何にも分かってないのね。そんな血まみれのスポ根で愛が手に入るわけないでしょ」
「現実を無視した妄想よりは、筋肉の収縮の方がよほど結果を生み出すよ。……君だって、筋肉は嫌いじゃないんだろう?」
「まあ、確かに女の子は筋肉好きだけど? 部活帰りの汗が引いた腕に、スッと浮き出た血管とか最高よね!」
うっとりと語る詩織の言葉を聞き、創一は自分の制服の袖口から伸びる、驚くほど色白で肉の薄い細腕を無言でじっと見つめた。ほんの少しだけ眉根が寄る。
「……(咳払い)話を戻すが、そもそも『モテ』のメカニズムを心理学的に分解すれば、顔面の造形だけがすべてではない」
何事もなかったかのように腕を引っ込めた創一は、再びノートにペンを走らせた。
「まず大前提として【清潔感】という衛生因子のクリアだ。服のシワ、髪や爪の手入れ、体臭の管理。これは加点ではなく『減点を防ぐ』ための必須プロトコルだね。次に【ユーモアセンス】による心理的ハードルの低下。そして最も有効なのが、心理学者ロバート・ザイオンスが提唱した【単純接触効果(ザイオンス効果)】だ」
「ざいおんす……?」
「人間は、繰り返し接触する対象に対して無意識に好意や親近感を抱くようになる。つまり、遠くから宇宙に祈るのではなく、挨拶や短い雑談など、彼女の視界に入る『接触回数』を物理的に増やすことだ。君に必要なのは神頼みではなく、彼女の認知領域に日常的に侵入する地道な接触頻度の積み重ねだよ」
「……なんか難しく言ってるけどよ」
隣で聞いていた蓮司が、項垂れる田汲の肩をごつい手でポンと叩き、長いため息を零した。
「……まぁ要するにだ、田汲。勝手にモテるなんて甘い話はねぇってこった。結局、行動あるのみだな」
「行動……」
「おう。クラスが同じだろうが離れようが、気になるなら自分の足で図書室行って、ちゃんと身だしなみ整えて、自分の口で『おすすめの本教えてくれ』って話しかけろ。それくらいできんだろ」
一軍エースのど直球な正論に、田汲はハッとしたように顔を上げた。
鼻をすすり、ごつい拳をギュッと握りしめる。
「……蓮司。わかった。俺、明日放課後に図書室行って……ちゃんと声かけてみる! でも、念のため宇宙にも祈っとく!!」
「お、おう、ほどほどにがんばれよ……」
「ああ!!」
田汲は入ってきた時とは見違えるようなスッキリした顔で、ドカドカと元気よく部室を飛び出していった。
バタン、と勢いよく閉まるドア。
再び静けさを取り戻した部室で、詩織がタロットカードを片付けながら不満そうに唇を尖らせた。
「……フン。冷徹理系男のせいで、せっかくの宇宙の神秘が台無しだわ。私は信じるわよ。明日、私の大好きな限定版のオカルト本が、向こうから私の手元へ引き寄せられてくるって」
「勝手に期待するといい。ただしそれは、トラックという内燃機関と配送業者の肉体労働という『物理的な質量移動』によって運ばれてくるだけだがね」
「可愛くない!!」
ぷりぷりと怒る詩織と、涼しい顔で本を開く創一。
その不毛なやり取りを眺めながら、蓮司は自分のたくましい腕の筋肉を軽く揉みほぐし、小さく息を吐いた。
(……ま、神頼みより筋トレの方が裏切らねぇのは確かだな。俺も次の試合でレギュラー死守するために、スクラムの練習に戻るか……)
春の生ぬるい風が吹き抜ける旧校舎で、巻き込まれたイケメンだけがまた一つ、無駄に教訓を得て部室を後にしたのだった。




