第6話 整列(2/2)
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王城を出てから二日が経過しました。その間、ずっとわたしは馬車の中で揺られていました。夜は見張付きで宿屋に泊まりましたが、それ以外はずっと馬車の中です。
ええ、暇でしたとも。追放された悲しみを忘れてしまうほどに暇でした。馬車の中には娯楽もなければ話し相手もいないのです。
もっとも、話し相手を用意してもらっていたとしても、わたしは何も話さなかったでしょう。あの国は、わたしの敵となりました。よって、そこの兵士もわたしの敵です。
心残りがあるとすれば、聖女候補たち。彼女たちはどうしているでしょうか。おかしな聖女が誕生したことで、彼女たちの立場が悪くなっていないか心配です。もう、わたしは手が出しようのないことではありますが。
そんなことを考えていると、馬車の振動に変化がありました。踏み固められた土ではなく、舗装された道路を通るような感触。起き上がり、耳を澄ますと、喧騒が聞こえてきました。小窓から外を見ると、大きな通りに差し掛かっていました。道路の両端には三階建ての建物が連なっており、その建物の前では沢山の商店が並び、盛大ににぎわっていました。これほどの賑わいは、ドラゴニア王国の城下町でもりませんでした。
これがナイトフロスト魔法学院――に隣接する城下町!
学院は魔法技術開発の最高峰です。その技術を使えば、様々な道具や商品を作ることが出来るため、商売のチャンスとなります。そのため、魔法学院周辺には多くの商人が集まると聞いたことがありました。
――これがその実物ですか。
前方の小窓からは、魔法学院らしき建物が見えました。あそこがどんな場所なのかはよく知りません。ですが、どんな場所であったとしても、今のドラゴニア王都よりはマシであるはずです。わたしは小窓から、近付いてくる魔法学院を見ていました。そして、見ているうちにその異様さに気づきました。
なんだか、乱雑としている印象を受けました。目についたのは、おかしな形の校舎でした。大枠は一般的な城と同じ。ですが、無数の構造物が城から生えているのです。まるで無計画に増築されたかのような歪な形。『無秩序』というタイトルの前衛芸術と言われたら信じてしまいそうなほどです。最大限に気を遣えば『個性的』とでも言うのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、馬車が停止しました。校舎となる城まではまだ距離があるようですが、どうしたのでしょう。
耳を澄まして外の様子を窺っていると、馬車のドアが開けられました。眩しい光が馬車の中になだれ込み、わたしは目を細めした。少しずつ目を慣らしていくと、目の前には魔法学院の敷地の内外を隔てる門がありました。彫刻があしらわれたデザイン性の高いもので、その向こうに本校舎となる城が見えます。
「降りてください」
御者はそう言うと、わたしの荷物を馬車から降ろし始めました。その様子を、護衛の兵士たちが直立の姿勢で見ています。
「あの、敷地内に運んでは貰えないのですか?」
「ここで降ろすよう命令されています」
あまりにセコイ嫌がらせでした。もっとも、わたしは大した荷物を持っていません。このトランク一つが所有物の全てです。今になって思えば、聖女だった人間としては少なすぎるように思えます。
「私達はここまでです」
「ああ、はい。どうも」
わたしは適当な返答をしました。ええ、やさぐれていましたとも。ドラゴニア王国の人間に、丁寧な対応をする気にはなれなかったのです。彼らはわたしの敵です。なるべく彼らに視線を向けないようにしながら、わたしはトランクに近寄りました。
すると、御者がおずおずと近寄ってきました。
――何か文句でもあるのでしょうか。
わたしは警戒心をあらわにし、身構えました。
「あの、聖女様」
「『元』ですが」
嫌味を含む声でわたしは答えました。
「失礼しました。ですが、これだけは言わせてください」
「何でしょう?」
「国民の中には、貴女のことを信じている者が多くいます。私もその一人です。ですから、どうかお元気で」
そう言って、御者は頭を下げました。とても信じられない光景でした。その姿をどう解釈すればいいのか、わたしには分かりませんでした。彼の言葉は、わたしの想像とは真逆のものだったのです。御者も王国が用意したものです。ですから、わたしに対する敵意は当然持っているはずです。
わたしは、そう考えていました。ですが、それは間違っていたようなのです。わたしには、御者の言葉が嘘ではないことだけは分かりました。それはわたしのスキル【真偽判断】が保証しています。
それどころか――今の言葉からは、確かな誠意を感じました。
「おい、余計なことを言うな!」
護衛の兵士がそう言いながら、御者を引き離しました。それを見たわたしは、思わず御者を庇おうとしました。わたしに対して敬意を示したせいで乱暴に扱われるのをただ見ているわけには行きません。ここは『聖なるグーパン』を振舞わねばならぬかと思ったのです。
ですが、それも不要でした。
「整列!」
私が何かを言う前に、ギルバートさんが号令を掛けました。衛兵たちは機敏な動きで二列に整列し、御者もその列に加わりました。彼らは直立の姿勢を保ったまま、まっすぐこちらを見つめています。
――これは一体、どういうことなのでしょう?
わたしは尋ねました。
「あの、これは――」
「整列です。敬礼をすることは許されておりません」
質問に対するズレた回答。それでわたしは事情を察しました。これは、彼らからの『敬意』なのだと。
わたしは、国家を騙した悪女ということになっています。ですから、彼らがわたしに対して敬意を示す必要は一切ありません。このように整列をして見送る必要もないのです。しかし、それを敢えて行ってくれました。一糸乱れぬ最高の整列を見せてくださいました。
それは、許された範囲の中で最大限の敬意を払うため。
わたしは衛兵たちの顔を見ました。彼らの表情には、自分がしていることへの誇りがあるように思えました。
――馬車の中で感じた悪意は、勘違いだったのですね。
わたしはそのことに気づきました。そして、今の今まで気づけていなかったことを悔やみました。気の持ちよう一つで、世界は簡単に変わってしまう。そのことはよく知っていたはずなのに。
――せめてお詫びの言葉を伝えたい。
そう思いました。でも、それは思いとどまりました。わたしたちは、既に多くの人の目を集めてしまっています。誤解について詫びれば、それが本国に伝わってしまうかもしれません。そうなれば、彼らが処分されてしまう可能性があります。
ここは、出来ることをするしかありません。
わたしは、スカートの端を摘まみ、膝を曲げ――。
「ここまで――。いえ、これまで、ありがとうございました」
そう告げました。
兵士たちからの返答はありません。当然の反応です。それでいいのです。そうでなければいけません。仲良く会話をする場面など見せられるはずがないのですから。これはあくまでも、元聖女のひとりごと。兵士たちが耳を傾けるべきではない言葉なのです。
ですが、彼らは皆わたしに視線を向けていました。直立の姿勢を一切崩していません。その姿をいつまでも見ていたいところですが、そういう訳にも行きません。それは彼らにも迷惑です。
わたしは回れ右をして、トランクを手に取りました。不思議なことに、先ほどまでの絶望感はどこかに消えてしまっていました。わたしにはまだ味方になってくれる人がいるのです。そのことを知ることが出来ただけで、心が晴れました。
「それじゃあ、心機一転、頑張りますか」
背中に温かい視線を感じながら、わたしは城に向かって歩き出しました。
軽快に。
そして、威風堂々と。
その後姿こそが、わたしからの返礼となるのですから。




