第4話 魔法戦闘術(後編)
1
ナルシスの魔法により、わたしは杖を失いました。
この状況では、素早く魔法を使うことが出来ません。ですが、わたしは諦めていません。それどころか、ここまで全て想定通りの展開なのです。
「ナルシスさん」
「何だ? 降参するなら、跪け。それがこの決闘のルールだ」
杖をこちらに向けたまま、ナルシスは告げました。しかし、杖先の角度がやや下を向いています。こちらを警戒しておらず、油断していること簡単に見て取れました。
教室の中は静まり返っていました。わたしが降参の声を上げるのを待っているのでしょう。申し訳ありませんが、彼らの期待に沿うことは出来ません。
ここからは逆転劇の時間なのです。
「いえ、そうではありません。一つだけ忠告しておきたいことがありまして」
「何だそれは?」
「上を見てみてください」
そう言いながら、わたしは上を指さしました。すると、ナルシスは、素直に上に視線を向けました。勝利を確信したことで慢心していたのでしょう。その動作が、どれだけの隙を生むかなど考えもしなかったようです。
わたしは重心を前に移し、姿勢を低くしました。そして、流れるような身体運びでナルシスの正面まで移動します。これは一瞬で相手の側に移動する『縮地』と呼ばれる技術です。
彼がわたしの接近に気づいたときは、既に手遅れでした。わたしは彼の服を掴み、横向きに力を加えました。そして、バランスを崩したところで、右足で彼の軸足を払いました。結果、ナルシスは台から転げ落ちました。受け身も取れていなかったようなので、身体にそれなりのダメージがあったでしょう。
彼は床で倒れながら、こちらを見上げています。怪我はしていないようですが、苦悶に満ちた顔をしています。わたしに負けたのが相当ショックだったのでしょう。
「確かに、魔法を使うまでもありませんでしたね」
ナルシスの顔が羞恥に染まりました。
教室にいた学生たちが騒ぎ出します。中には彼を笑う者もいました。あれだけ大見えを切っておきながら敗北をしてしまったのです。彼のプライドは大きく傷ついたことでしょう。これを機に、変な絡み方を止めてもらえるといいのですが。
騒然とする教室の中、教師であるミリシダ先生が杖で机をたたきました。教室中に響き渡る音により、学生たちは口を閉じました。ミリシダ先生は、わたしに向かって声を上げます。
「セレナ・アリアーナ! 何をしているのですか!」
「相手を落としました」
「これは魔法戦闘学の授業ですよ! 魔法を使わずに相手を落とすとは何事ですか! これほど卑怯な手腕は見たことがありません!」
ミリシダ先生はわたしを強く叱責しました。この展開は、彼女にとって想定外のものだったようです。
聖女時代のわたしでしたら、何の反論もしなかったでしょう。他人との軋轢を避けるために、自分が悪かったことにして謝罪してしまっていたと思います。
ですが、今は違います。今のわたしは聖女という立場から解放されているのです。
「魔法で落とさなければならないというルールがあるのですか?」
「それは……」
「あるのですか?」
「ありませんが」
「そうですよね」
わたしは堂々と反論をしました。
「ナルシスさんも『魔法を使うまでもない』とおっしゃっていました。そのため、魔法を使わない攻撃方法も認められていると解釈しました」
対戦相手が暗に認める言動をしていたのです。
この反論は、誰から見ても有効なものであるはずです。
ですが、ミリシダ先生はあくまでもそれを認めたくないようでした。もしかして、アリス教徒なのかもしれません。だとしたら、わたしのことを目の敵にしていても不思議はありません。あるいは、このナルシスという男の家の関係者とか。
そうだとしたら厄介です。下手をすれば、ナルシスが勝つまで続けさせようとするかもしれません。仮にそうだとすれば、永遠に終わらなくなってしまいます。
――これはもう、徹底的に思い知らせて差し上げる必要がありますね。
わたしはそう決心しました。
そんなわたしの内心を知らないミリシダ先生は、強い語調で宣言をしました。
「では、やり直しをします。今度は最初からルールとして明言しておきます。攻撃方法は魔法のみ」
4
模擬決闘のやり直しが決まってすぐ、わたしは新しい杖を受け取りました。
見るからにボロの杖です。
――別に構いませんが。
軽く魔力を通してみましたが、不具合はないようです。
わたしは、決闘台の上で対戦相手を待ちました。
「ミスター・ナルシス。まだやれますね?」
「はい」
決闘台から落ちたナルシスは、そう答えて立ち上がりました。
ですが、すぐには台の上に戻ろうとはしませんでした。このままでは、また負けてしまうとでも考えたのでしょう。彼は他の学生に「あれを持ってこい」と指示を出しました。
彼が持ってこさせたのは、小さな瓶に入った液体でした。色は禍々しい紫色。どこかで見たことがあるような気がします。
彼はその液体を飲みました。とたんに、彼の身体に異変が起きました。これまでとは比べ物にならないほどの魔力が彼の身体から放出されています。
「ちょっと待ってください。今のって『魔力増強剤』ですよね?」
わたしは思わず、声を上げました。
魔力増強剤。
それは、一時的に使用可能魔力を上げることが出来る薬物です。過去の大戦中に開発されたもので、それにより多くの魔法使いが命を落としました。ちなみに、命を落としたのは、増強剤を飲んだ側です。副作用が大きいのです。
――まさか、知らないのでしょうか?
ナルシスは「何か文句があるのか?」と言ってわたしを睨みつけました。
「それは、人体に有害な薬です。場合によっては命を落とすことになります。そうでなくても後遺症が残ることだってあり得ます」
「知っている」
「知っているなら、何で飲んだのですか。こんな模擬決闘のために飲むようなものではないでしょうに」
少なくとも、わたしはそう思っていました。ですが、ナルシスは違ったようです。彼は目を血走らせながらこちらに敵意を向け――。
「お前にとってどうなのかは知らないが、僕にとってこの決闘はそういうものなのだ。死んでもお前に負けるわけには行かない」
「それじゃあ――」
わたしは試合を放棄して負けを認めようかと考えました。
ですが、それは思いとどまりました。そんなことをすれば、彼のプライドを傷つけるだけ。彼はきっと『勝利』を認めません。余計な問答の時間が増えるだけでしょう。わたしにできることは、出来る限り早く決着をつけることだけです。
「分かりました。それでは、決闘を始めましょう」
「ああ」
ナルシスは決闘台に上がってきました。そして、敵意をむき出しにしたままわたしと向き合いました。その身体からは魔力があふれ出ています。身の丈に合わない量の魔力です。
「それでは、互いに杖を向けて――」
ミリシダ先生の声に従い、互いに杖を向ける。
そして――。
「デュエル!」
「「『アニヒレント』!」」
わたしたちが呪文を唱えたのは、ほぼ同時でした。
通常であれば、魔力増強剤を使ったナルシスが有利。
ですが、彼の杖から魔法は出ませんでした。
彼の杖は粉々になって崩れ落ちました。
「嘘だ……。僕が負けるなんて、あり得ない!」
ナルシスは顔を青くして震えていました。魔力増強剤まで使った以上、負けるわけがないと思っていたのでしょう。彼は台の上で崩れ落ちました。
ですが、わたしは油断しません。
これが演技で、体術による逆転を狙っている可能性があります。彼が決闘台の上にいる以上、まだ勝敗は決していないのです。わたしは容赦なく追撃を加えました。
「『ジポンフェ』!」。
これは軽い衝撃を与える魔法です。どうやら、ナルシスは本当に放心していたようで、簡単に台から落ちました。
「――勝者、セレナ・アリアーナ」
ミリシダ先生は、不服そうにわたしの勝利を宣言しました。ですが、そんなことを気にしている場合ではありません。わたしはナルシスに駆け寄りました。
「ナルシスさん、体調に異常はありませんか?」
ナルシスは引きつった表情をこちらに向けました。
目には涙が溜まっています。
「……僕を馬鹿にするな!」
「馬鹿になんてしていません。それよりも、体調は大丈夫ですか?」
「……ああ、問題ない」
「そうですか。でも、今後魔力増強剤の副作用が出てくる可能性があります。必ず、魔法医の診察を受けてください」
そう言って、わたしは一息つきました。
基本的に、魔力増強剤の副作用は使用直後に出るものです。今の時点で問題なければ、今回は大丈夫でしょう。
「それよりも、答えろ! あれはどういうことだ!」
「何がです?」
「どうして俺よりも早く魔法を使うことが出来た!?」
やはり、そのことですか。
「この決闘は、教師が『デュエル』と言ってから魔法を打ち出す速度を競うものです。貴方は、魔力増強剤で体内魔力を一時的に増幅させた。そうすることで、呪文を唱えてから魔法が発動するまでの時間を短縮することが出来ました」
「そうだ! 魔法の発動速度は俺の方が上だったはずだ! 呪文の詠唱が同時だった以上、俺の方が速く発動するはずだった!」
彼の言っている理論は正しい。
だけど、前提が間違っているのです。
「実はあれ、呪文ではないのです」
「は?」
「あれ、言っただけです」
「そんなわけがないだろう! それじゃあ、どうやって魔法を発動させ――」
ナルシスの表情が変わりました。
どうやら、その方法に思い当たったようです。
「まさか、無詠唱魔法か?」
「その通りです。私は無詠唱で『アニヒレント』を発動させました。ただし、魔法を杖の中に閉じ込めた状態で」
「そんなことが可能なのか?」
「はい。入学式の水晶と同じです。杖の中から魔法が抜け出さないように、魔力の動きを操作しました。それで『デュエル』と言われたと同時にその魔法を解放し、貴方に向かって撃ったのです」
「そんなの、あり得ない! インチキだ!」
ナルシスはそう叫びました。数人の学生がそれに追従します。しかし、わたしの味方をする学生もちらほら出てきてくれました。わたしへの拍手がまばらに聞こえてきます。
「インチキだったら、先生が指摘するだろ」「負け惜しみだな」「仮にインチキだったとしても、こんなインチキが出来る時点ですごいよね」
拍手の音が徐々に大きくなってきます。その拍手に応えるべく、わたしは膝を曲げ彼らに一礼しました。
「それでは――改めまして、自己紹介をさせていただきます。偽聖女ということになっているセレナ・アリアーナです。皆さん、よろしくお願いします」
こうして、ちゃっかりと最初の自己紹介を上書きしました。
というわけですので、最初の自己紹介は無かったことにしていただきたい。
切にそう願う次第です。




